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第5話 石を隠すには岩の中

 組合本部の建物内は、分厚い赤レンガの壁によって外の熱気から完全に遮断され、ひんやりとした空気に満ちていた。


 保安管理課の窓口に設けられた重厚な木製のカウンターで、ウォルターは備え付けのペンを手に取り、入退室記録と状況報告の書類に必要事項を記入していく。


 氏名、所属、入坑日時、帰還日時、そして採掘区画。そこまでは、過去五年間の石工人生において何百回と繰り返してきた、呼吸をするのと同じくらい淀みのない作業だった。


 だが、その先の項目で、ウォルターのペンの先がわずかに宙で止まった。


『ダンジョン内における異常・危険箇所の有無』


 これまでは無感情に迷いなく丸をつけてきた。しかし今日は違う。


 ウォルターは、自分の中に生じたわずかな躊躇いを強靭な理性で押さえ込み、淡々と事実のみを紙面に書き連ねていく。いや、正確には「事実の一部」を切り取って並べていく。


「エマさん。ダンジョン内で、少しばかり異変を見つけました」


 書き終えた書類をカウンター越しに差し出しながら、ウォルターは静かな声で告げた。


 書類を受け取ろうとしていたエマの手が止まり、彼女の愛らしい丸顔に、受付事務員としての真剣な表情が浮かぶ。


「どんな異変ですか? 場所は?」


「第六区画の最深部付近です。正確な座標と道順は、書類の裏面に図示しておきました。異変の内容は、異常な魔力負荷による広範囲の空間の歪みと、天井の極端な低下、それに岩肌の変色です。おそらく、極めて高純度の魔導石が埋まっていて、それが何らかの要因で暴走を引き起こした痕跡だと思われますが……ぼくには、肝心の魔導石本体を見つけることができませんでした」


 ウォルターの報告に嘘はない。空間は歪んでいたし、天井は落ちていた。岩肌も変色していた。そして、彼が発見した魔導石は「岩盤の中」ではなく、すでにぶどうと癒着して「床の上に転がっていた」のだから、岩の中からは見つけられなかったというのも事実だ。


 ウォルターは、自分自身の強迫的なまでの生真面目さを誤魔化すため、頭の中でそんな完璧な詭弁を組み立てていた。


『……なるほど。なかなか上手いわね』


 足元に置かれたランタンの中から、イブリンの感心したようなテレパスが耳元を打つ。


『木を隠すには森の中、ってことね。さしずめ今回は、石を隠すには岩の中、といったところかしら。ただの嘘っぱちじゃなくて、真実の中に巧妙に隠された嘘は、そう簡単には見抜きにくいものよ。あなた、不器用なくせに案外そういう悪知恵は働くのね』


「黙っててくれ」


 ウォルターは極小の唇の動きだけで反論し、エマに向かって平然とした顔を取り繕った。


「ウォルターさんでも見つけられない魔導石ですか……。それは相当厄介ですね」


 エマは図面を見つめながら、深刻そうに眉をひそめた。


 彼女のその反応が、ウォルターの胸の奥をほんのわずかにチクリと刺した。組合の人間は皆、ウォルターの石工としての腕前を完全に信頼している。「あのウォルターが見つけられなかったのなら、他の誰が行っても見つからないだろう」という絶対の信頼があるからこそ、彼の報告は一切の疑いを持たれることなく受理されてしまうのだ。


「第六区画への立ち入りに注意喚起を出しておきますね。重要な報告、助かりました」


「よろしくお願いします」


 報告義務を果たし、これですべての手続きは終わった。


 あとは隣の区画にある査定購買課へ行き、純粋に採掘してきた方の魔導石を換金するだけだ。


 ウォルターが静かに息を吐き、カウンターに置いた革のポシェットとランタンを持ち上げようとした、その時である。


「……あら?」


 書類の束を片付けようとしていたエマが、ふと不思議そうな声を上げた。


 彼女の視線が、ウォルターの手元――机の上に置かれた旧式のランタンに真っ直ぐ注がれている。


「ウォルターさん、あかりが点けっぱなしですよ?」


 ウォルターの背筋に、氷を当てられたような冷たい汗が流れた。


 地上は真昼である。窓からは明るい太陽の光が差し込んでいるというのに、ウォルターのランタンのガラスケースの中では、純白の光が煌々と輝き続けていたのだ。暗い坑道を抜けることに集中するあまり、地上の明るさでランタンの光が目立たなくなることを失念していた。


 ――しまった。これは決定的に怪しまれる。


 焦燥を微塵も顔に出さず、ウォルターは極めて自然な動作でランタンを引き寄せた。


 真鍮製の取っ手を握り、もう片方の手で、かつて油の流量を調整していたダイヤルに指を添える。今は空っぽのガラスケースでありダイヤルなど何の意味もないが、エマの視線を逸らすためのカモフラージュである。


 ウォルターはランタンに顔を近づけ、ガラスの隙間から内部の火を吹き消すような動作を装いながら、ダイヤルを回す指先に力を込め、極小の声で囁いた。


「(光を消してくれ)」


『あっ……ごめん、うっかりしてたわ!』


 イブリンは自分の失態を悟り、素直な声で応じた。


 ウォルターが指をスイッチにかける動作と完全に同調する形で、ランタンの中で発せられていた強烈な白色光が、ふっと滑らかに消失する。


 完璧な連携だった。後には、ただのガラスケースと、その奥で鈍い影を落とす「何か丸いもの」の輪郭が残るだけとなった。


「すみません。地上の明るさに目が慣れておらず、消し忘れていました」


 ウォルターが平然とランタンを下げると、エマはふふっと小さく吹き出した。


「ウォルターさんでも、そういううっかりミスをするんですね。なんだか少し安心しました」


 どうやら、中身が魔導石とぶどうの化け物であることには全く気づかれなかったらしい。ウォルターは強張っていた肩の力を密かに抜き、一安心した。


「……では、これで。ぼくは査定購買課へ行きます」


「はい、お疲れ様でした。……あ、そうだウォルターさん!」


 踵を返そうとしたウォルターの背中に、エマの真剣な声が追いすがった。


「今日は換金が終わったら、家に帰ってしっかり休んでくださいね。できれば、すぐにでも中央病院の精神科に行くことをお勧めしますよ。石と会話する幻聴が聞こえるなんて、石工として本当に良くない兆候ですから!」


 幻聴。精神科。


 ウォルターの脳髄が、一瞬その言葉の意味を処理できずに思考を停止した。


 三秒後、さきほどダンジョンの出入り口で、イブリンへの「黙っててくれ」という言葉を誤魔化すために、自分自身がまくし立てた苦し紛れの言い訳の記憶が蘇ってきた。


 ――しまった。自分で言ったのだった。


 過剰に心配そうな視線を向けてくるエマに対し、ウォルターは今度こそ何の反論も理屈も思い浮かばなかった。ただ一度の不用意な言い訳が、自身の社会的な信用を「重度の幻聴を患った限界の石工」にまで貶めてしまったのだ。


「……すぐ治ると思います」


「そういう問題じゃありません! 無理しないでくださいね!」


「……失礼します」


 追及を避けるように、ウォルターは逃げるような早歩きで保安管理課の窓口を後にした。


 長い廊下を査定購買課へと向かって歩くウォルターの耳元で、再びあきれ果てたような甘い声が響く。


『……ねえ。あの子、あなたの頭の心配を本気でしてくれてたじゃない。一言、心配かけてすみませんとか、ありがとうとか言えないの?』


 イブリンの至極まっとうな小言だった。


「……思ってもいないことを口にするのは、嘘をつくのと同じだ。ぼくは事実しか口にしない」


『はぁ!? あなた、つい五分前に組合の公式書類に堂々と嘘の報告を書き連ねていたばっかりじゃないの!』


「あれは事実の省略であって、嘘ではない」


『出たわね得意の屁理屈! そういう頑固なところが――』


 ランタンの中から響き続けるわがままな居候の説教を再び頭の中から締め出しながら、ウォルターは無表情のまま、建物の奥から漂ってくる独特の鉱物の匂いと、ドワーフたちの騒々しい声が響く区画へと足を踏み入れた。

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