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第3話 新しいランタン

 結論から言うと、イブリンと名乗った女を本体の魔導石から引き剥がすことは不可能だった。


 アダマンタイト製のノミとハンマーを駆使し、周囲の岩盤をミリ単位で削り落とすという、石工としての技術の極致とも言える作業を終えたウォルターの手の中には、泥を払われたひとつの石と、それに付随する果実があった。


 慎重に観察して分かったことだが、ぶどうのツルは単に石の表面にへばりついているわけではなかった。極めて細い毛細血管のような無数の繊維が、魔導石の硬質な結晶構造の奥深くにまで根を下ろし、完全に一体化してしまっているのだ。これを物理的に切断すれば、間違いなく魔導石の魔力バランスが崩れ、最悪の場合は二次暴走を引き起こす。


 石工として、これほど見事な結晶に傷をつけることはできない。ウォルターは早々に分離を諦めた。


 それにしても、とウォルターは掌に乗せた魔導石を見つめた。


 岩盤から完全に掘り出して分かったが、魔導石自体は予想していたよりも随分と小さかった。大人のこぶしくらいの大きさしかない。


 しかし、そこから放たれる輝きの純度は桁違いだった。本来、ダンジョンで採掘される天然の魔導石は不純物を多く含んでおり、地上の専門施設で複雑な精錬工程を経て初めて、魔導具に組み込めるレベルの澄んだ光を放つようになる。だが、ウォルターの手にあるこの石は、未加工の天然物でありながら、最高級の精錬石すらも霞むほどの凄まじい透明度と、鮮やかな虹色の光を湛えていた。


 こんな高純度の魔導石が、自然界に存在するとは。ウォルターは自分の長年の石工人生の常識が覆るのを肌で感じていた。


「どうしたの? 黙り込んじゃって。もしかして、私のあまりの美しさに見とれた?」


 空中に投影されたイブリンのホログラムが、腰に手を当てて自信満々に微笑んだ。


「……こんな純度の高い天然の魔導石は、初めて見る」


「ふふん、すごいでしょう?」


 自慢げに胸を張るイブリンに、ウォルターは冷ややかに言い放った。


「君がすごいんじゃなくて、この石がすごいんだ」


「ちょっと! 見つけた私も褒めなさいよ!」


「石に取り込まれている側の人間に言われても」


 呆れたようにため息をつき、ウォルターはふと、根本的な疑問を口にした。


「……ぶどうになった割には、悲愴感がないな」


 普通、人間の姿を失って果物に変異してしまえば、絶望して泣き叫ぶか、正気を失うかのどちらかだろう。それなのに彼女のホログラムは、まるで新しいドレスでも買ってもらったかのように生き生きとしている。


「最初はね。私だってパニックになったわよ。でも、いつまでも泣いてたって仕方ないし、現実は受け入れなきゃいけないわ。それに……ちょっとだけ、いいことが一つあったのよ」


「いいこと?」


 暴走した魔導石に取り込まれて魔物化の一途を辿っている状況で、いいことなどあるのだろうか。ウォルターが訝しげに眉をひそめると、イブリンはホログラムの口元に得意げな笑みを浮かべた。


「この魔導石の純度が異常に高いおかげで、私の身体……というか魔力回路と直結した今、とんでもない規模の魔法が使い放題になってるのよ! このホログラムだって、魔導石に取り込まれた後に思いついて開発した新しい魔法なんだから! 今の私なら、理論上どんな魔法でも使えるわ! この力で、私は世界を変革するの!」


「……テロリストだったのか?」


「なんでよ!」


「警察に追われている不法侵入者が口にする『変革』なんて、絶対にろくなものじゃない」


 ウォルターの痛烈な論理に、イブリンのホログラムが頬を膨らませた。


「なにか勘違いしてない? 私は別に、犯罪者でもなんでもないわよ」


「少なくとも、組合の規則を破った不法侵入の現行犯だ」


「それは緊急避難よ。仕方がなかったの」


「警察から逃げることを、世間一般では緊急避難とは言わない。ただの逃亡だ」


「……むむぅ」


 図星を突かれたのか、イブリンは唸り声を上げて視線を泳がせた。


「そもそも、なんで警察に追われているんだ。何をした?」


「それは……言えないわ」


「なぜだ」


「あなたのためよ。ただの石工のお兄さんが、これ以上厄介な事件に巻き込まれたくはないでしょう?」


「すでに十分巻き込まれている」


「聞いたら、もっと厄介なことになるわよ。国家レベルの機密なんだから」


「……勘弁してくれ」


 ウォルターは再び、今日一番の深いため息をついた。自分を厄介者だと自覚している点だけは評価できるが、どうやら彼女の背後には本当に面倒な事情が絡んでいるらしい。


 これ以上余計な情報を知れば、本当に組合への報告義務違反だけでは済まなくなりそうだ。ウォルターは詮索を打ち切ることにした。


「さて……これをどこにしまって持ち帰るか、だな」


 ウォルターは手元の『ぶどう付きの魔導石』を見下ろした。


 魔導石自体はこぶし大で小さいが、瑞々しいぶどうの房がしっかりと癒着しているため、案外とかさばる。いつものように革のポシェットの奥底に突っ込めば、歩く振動でぶどうの粒が潰れ、果汁でポシェットの中が台無しになるだろう。


 かといって、手に持ったままむき出しで持ち運べば、地上に戻って組合の検問を通る際に間違いなく見咎められ、没収されてしまう。それでは彼女を保護するという約束が果たせない。


 視線を巡らせたウォルターの目に、足元の平らな岩に置いていた自分の私物――旧式の魔導ランタンが留まった。


 ――これなら、入りそうだ。


 ウォルターはランタンを手に取ると、ためらうことなく風防のガラスカバーを開けた。そして、まだ底に置かれた灯り用の魔導石を取り出す。


 取り出した灯り用の魔導石は絶縁されたアダマンタイトの袋に入れてからポシェットに押し込んだ。これでランタンの内部は、ただの空っぽのガラスケースとなった。


「ちょっと……何を考えてるの?」


 ホログラムのイブリンが空中でジタバタと暴れるが、ウォルターは意に介さない。所詮は映像でしかなく、物理的な質量を持たない彼女はウォルターの作業に一切干渉できないからだ。


 ウォルターは、空になったランタンの内部へ、魔導石とぶどうの房を傷つけないように慎重に詰め込んだ。


「ひ、ひとをこんな狭いところに閉じ込める気!?」


「ひとじゃなくて、ぶどうだろ。それにつるも綺麗にまとめたし、ガラスの内側には当たらないように空間もちゃんと取れてると思うが」


「つるをまとめられると、なんだかすごく窮屈なのよ! 肩が凝るっていうか!」


 植物に肩凝りがあるものか……と思いつつ、ウォルターはガラスカバーを閉じてランタンを目の高さに掲げた。


 ちなみに、イブリンの立体映像はガラスを透過し、ランタンの真上の空間にちょこんと座るような形で投影されている。


 透明なガラス越しに見る魔導石は、まさに絶景だった。


 こぶし大の純度の高い結晶から漏れ出す虹色の光が、ガラスの中で乱反射を起こし、周囲の暗黒を色鮮やかに照らし出している。癒着している紫色のぶどうの粒も、魔導石の光を透過してまるで宝石の粒のように輝いていた。


「これは良い。光が安定していて、あかりとして実に都合がいいな」


「私をあかり代わりにする気!?」


「僕の役に立ってくれると自分で言ったんだろう?」


「……くっ」


 まさかこんな形で役に立つことになるとは、とイブリンはホログラムの唇を噛み締めてぶつぶつと文句を言っているが、ウォルターは完全に無視してランタンの取っ手を握り直した。


 ふと、ウォルターの頭に一つの疑問がよぎった。


「そういえば……君はどうやって話しているんだ?」


「テレパスよ。これも魔導石に取り込まれた後に思いついた、私オリジナルの魔法なの」


「まさか、僕の心が読めるのか……?」


 ウォルターはぞっとした。他人に一切の興味を持たない彼にとって、自分の内面という完全なプライベート空間を他者に覗き見られることほど恐ろしいものはない。


「あぁ……違うわよ。心が読めたりするわけじゃないの。テレパスというのは語弊があったわね。正確には、あなたの耳のすぐそばにある空気を局所的に振動させて、声として認識させているだけ。テレパスっぽく聞こえるでしょ?」


「つまり、見えないイヤホンを耳に突っ込まれているようなものか」


「そうね。原理としてはそっちに近いかも。でもイヤホンと違って、魔法で空気をピンポイントに振動させる方法がすごく特殊でね。特に指定した座標の空間だけを振動させるのが難しくて……」


 イブリンは急に水を得た魚のように、自らが構築した魔法の術式と構造について得意げに早口で語り始めた。ウォルターは石の採掘以外の専門的な話には興味がないため、それらの講釈をすべて聞き流した。


 ただ、一つだけ確認しておかなければならないことがあった。


「これから地上に戻るが、その無駄に目立つホログラムは消せるよな?」


「もちろんよ」


「ホログラムが消えたら、その声も喋れなくなるか?」


「そんなことないわ。私が最初に声をかけたときは、ホログラムが出てなかったでしょ」


「そうだったな」


 ウォルターは一つ頷き、最も重要な確認に入った。


「その空気の振動で作った声は、他のやつには聞こえないんだろうな。万が一、組合の連中に君の声が漏れたら、その時点でおしまいだぞ」


 イブリンはホログラムの胸を張り、ふふんと鼻を鳴らした。


「誰に向かって言ってるのよ。天才魔導師の私を舐めないで。音の指向性は極限まで絞り込んであるから、声はあなたの耳元でしか鳴らないわ。隣に誰か立っていても、絶対に聞こえない仕様よ」


「ならいい。……じゃあ、僕が良いと言うまでホログラムは絶対に出すなよ。人に怪しまれる」


「わかったわよ。やれやれ、人使いの荒いお兄さんね」


 すっと、空中に投影されていた色鮮やかなイブリンの姿が掻き消えた。


 後に残されたのは、ランタンの中で虹色に輝く美しい魔導石と、それにくっついた奇妙なぶどうだけだった。


 ウォルターの耳元で、「これでいいでしょ?」というイブリンの声だけが、直接空気を震わせて鼓膜を打つ。


「あかりの色を白色にできるか?」


 虹色の光は目立つことに気づいてウォルターは言った。


「造作もないわ」


 光が収束し白色光になった。これで誰がどう見ても普通のランタンだ。


「さて……じゃあ、地上へ戻るか」


 ウォルターは新しい光源となったランタンを掲げ、不法侵入者を隠し持っているという事実を微塵も顔に出すことなく、いつも通りの無表情で、元来た暗いダンジョンの道を引き返し始めた。

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