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だから言ったでしょう。  作者: 九葉(くずは)


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第六話 二年前の予言、本日の凶弾

二年前に書いた予言を、本日思い出すとは思わなかった。


帝国議事堂へ出向く朝だった。


議事堂は宮殿から馬車で小半時かかる。大陸同盟会議を間近に控えて、帝国の各省長官が事前の打ち合わせに集まる場があり、皇帝はそこに顔を出さなければならない。ふだん議事堂行きの列には賓客は同行しないのだが、その日は違った。


「よろしければ、ご一緒にいかがですか」


朝の離れの入口で、皇帝がじかに迎えに来た。皇帝自身が離れへ足を運んだのは、初めてだった。


「陛下御自ら、でございますか」


「別の馬車の用意もあるが、道中、話したいことがあるので」


「それでしたら、お言葉に甘えまして」


メリザンドは旅装ではない、薄い朝の散策用の外套を羽織って馬車に乗った。離れを出る時、フロリアンが妙に念入りに外套の襟元を確認した。毛先のほつれまで見ていた。


「何か気になることでも?」


「いえ、陛下と同じ馬車に乗られるのは、今日が初めてでございますので」


フロリアンはそう答えた。答えてから、ほんの少しだけ目を伏せた。


馬車の車内は、思っていたより小ぶりだった。皇帝の向かいの席に、メリザンドは腰を下ろした。膝と膝が触れない程度の距離だった。


「昨日の、長椅子の話だが」


皇帝はすぐに話し始めた。


「はい」


「急ぎすぎたところが、あったかもしれない」


「急ぎすぎ」


「言葉を先に置きすぎた。君は、まだこの国に来て間もない」


メリザンドは、少しだけ笑いたくなるのをこらえた。


「陛下」


「はい」


「七年、が、急ぎすぎ、でございますか」


皇帝は、一拍だけ黙った。


それから、静かに頭を下げた。


「失礼」


「いいえ」


メリザンドは答えた。答えながら、自分の頬が少し熱くなっているのに気がついた。気がついたが、顔には出さないでおいた。


馬車が街道に入ったあたりで、話題が会議の議題に移った。穀物関税、船の通関、予言軽視に関する各国の関心の度合い。そのあたりを低く抑えた声で、皇帝は一つずつ説明した。


「議事堂の位置は、ご存じですか」


「下町に入ってから、西に折れるところ、でございましょう」


「そうです。西棟の入口の手前に、少し広い交差点があります。そこで馬車を下りる」


「西棟、の、交差点」


メリザンドは、言葉を復唱した。


復唱したところで、胸の奥で、小さな音がした。


書類の頁を一枚、誰かがめくったような音だった。


二年前の夏。秋の初め。奉納先は。思い出す前に、書いた場面のほうが先に戻ってきた。書斎の窓辺、陽が傾きかけた時刻。ペン先が少し引っかかった感触。母が茶を運んできて、邪魔してしまいましたね、と気遣って、すぐに下がった。そのあとに書き上げた一通。


書いた内容も、続けて戻ってきた。


通番二十八番。帝国議事堂西棟前交差点、車軸折損の兆し、東側の屋根裏より弓矢の飛来あり。奉納先は。


奉納先は、ない。


書いたものの、奉納先をどこにすべきか決めあぐね、机の抽き出しに仕舞ったきりにしていた。帝国の事柄を王国の奉納先に回すのは筋違いだと思った。帝国に直接届ける伝手は、当時の自分にはなかった。


抽き出しに入れたまま、忘れていた。


忘れていた、つもりだった。


「陛下」


「はい」


「馬車を、今すぐお止めいただけますか」


皇帝の目の色が変わった。顔の表情は動かなかった。けれど視線が、ほんの一度だけ、メリザンドの目をまっすぐに捉えた。


「理由は、聞かなくてよろしい」


メリザンドはそう言った。自分の声が、落ち着いていることに少し驚いた。


皇帝は窓の外の御者に、短く声をかけた。


馬車は、街道の脇にゆっくり止まった。


皇帝はそのまま、外の近侍を呼び寄せ、低く、続けざまに指示を出した。御者にも、護衛の隊長にも、一人ずつ別個に。メリザンドは馬車の内側から、その様子を見ていた。皇帝の指示は短く、迷いがなく、同じ言葉を繰り返さなかった。


馬車はそのあと、迂回路を通った。


議事堂に着いたのは、予定より半時ほど遅れてだった。


西棟前の交差点には、すでに帝国の衛兵が数重に配されていた。交差点の東側の建物の二階の窓が、内側から開かれていた。衛兵が梯子をかけて、そこへ登っていった。


しばらくして、衛兵が人を一人、引き連れて下りてきた。顔に布をかぶせられていた。


手には弓があった。弦に矢が番えられていた。


そのまま、議事堂の別棟のほうへ連行された。


議事堂の正面で馬車を下りたとき、メリザンドの膝は、少しだけ震えていた。


「すまない」


皇帝は、横でそれだけ言った。


「こちらこそ、お伝えするのが、遅うございましたわ」


「いや」


彼は、メリザンドの手首を軽く、ほんの一瞬だけ、支えた。支えた、というよりは、触れた、という程度の仕方だった。手首の震えが、彼にも伝わっていた。


「知っていました」


「何を、ですか」


「二年前の、君の書いたものを」


メリザンドは、彼を見た。


皇帝は、前を見たまま続けた。


「奉納先のない写本が、司書ギルドに回らずに抽き出しに入っていたことを、去年、人づてに聞きました。姉上からです。写しを頼みたい、と私のほうから申し出ました。姉上は短く、どうぞ、とだけ」


「お読みに」


「読みました」


皇帝はそこで、ほんの少しだけ、顔をこちらに向けた。


「今日、君がこの馬車に乗らなかった場合、私は、一人で、西棟前の交差点で馬車を下りる予定でした」


メリザンドは、声が出なかった。


「読んでいたのに、なぜ、ご対策を」


「読んではいた。日付が、わからなかったからです」


彼は前を向き直した。


「君の予言書は、日付の特定まで書かれないことがある。二年前のあの一枚は、季節と交差点の記載はあっても、日付の指定がなかった。警戒を続けることはできた。続けていました。ただ、今日だとは、特定できていなかった」


それで、と、皇帝は短く付け足した。


「君がここに来るまで、死なずに、いました」


議事堂の正面階段を、二人はゆっくりと上った。



その日の午後、帝国側の捜査が早くも網を絞っていった。


捕らえられた弓の男は、雇われだった。雇い主は、王国宰相府の遠い縁筋だった。その縁筋の奥の奥で、もう一本、細い糸が、王国宰相本人の机の抽き出しへと繋がった。


帝国は慌てなかった。証拠を、順に積み上げた。


その夜のうちに、宰相の不正な通信の控えが帝国の外務卿の机に届いた。王国への正式な照会文書が準備された。文書には、「貴国宰相殿の関与が濃厚である旨の資料一式」の但し書きが添えられていた。


三日のうちに、この文書は王都に届いた。


王都では、王妃ヴィルヘルミーネが使者を迎え、その場で文書を読み終えた。読み終えると、彼女はほぼ間髪入れずに、宰相の登城停止を命じた。国王の許可を取る前の命令だった。国王はあとから署名した。


宰相は翌朝、私邸の書斎で倒れているところを妻に見つけられた。命に別状はなかったが、意識は虚ろで、しばらく言葉を発せる状態ではないという。そのまま彼は、登城停止の館へと移された。


弟の第二王子オズヴァルトは、宰相が自分の後ろ盾であったことを、いまさらのように知った。


宰相派の動きのなかに、マティルダ・エックホフの名が入ってくるのに、あまり時間はかからなかった。


「待て」


オズヴァルトは侍従の報告を、途中で止めた。


「エックホフ嬢の、名が、なぜ、宰相派の書簡に」


侍従は頭を垂れたまま答えた。


「海沿いの国の情報屋筋に、エックホフ嬢が取り次ぎをなさっていた、と。宰相殿がそれを、別の目的でご利用になっていた形跡が」


「別の目的、とは」


「王家の行軍予定の、流出でございます」


オズヴァルトは、黙り込んだ。


机の上の羽ペンを、無意味に一度、持ち上げて、元に戻した。


戻したペンの先が、インク壺の縁に小さく当たって、音を立てた。


「マティルダ」


口の中で、名前を一度、呟いた。


呟いたまま、オズヴァルトは動かなかった。



夜、離れに戻ったメリザンドは、居間の長椅子に、外套を着たまましばらく腰かけていた。


膝の震えは、もう止まっていた。


フロリアンが温めた湯をひとすすり、運んできた。ぶどうの葉を少しだけ入れた、手のひらが痺れない程度の、ぬるい湯だった。


「お膝は、もう」


「大丈夫でございますわ」


「今日のことは、陛下より直々に、お詫びを、と仰せでございました」


「そのお言葉は、先ほど、議事堂で頂戴しましたわ」


フロリアンはうなずいて、それから、控えめに付け加えた。


「陛下は、本日から、離れの警備を増やされます。ご不便をおかけいたしますが」


「いえ」


メリザンドは首を振った。


そのあと、一拍だけ置いて、聞いた。


「陛下は、二年前の予言を、去年、お姉様から受け取られたと、仰いましたわ」


「はい」


「姉は、ずっと、ご存じでしたのね」


「お姉様がご存じでいらしたのは、陛下が命を長らえておられる事実と、そのきっかけが、妹様の字であったこと、までと存じます。それ以上のことは、お姉様も、あえてお聞きにならなかったかと」


「そう」


メリザンドは、湯をひと口、飲んだ。


温かかった。温かさが、喉の奥から、胸のあたりまで、ゆっくり下りていった。


下りていったあとで、小さな笑みが、こぼれた。


笑いではなかった。ただ、長いあいだ緩めていなかった場所が、少しだけ緩んだ、その形の笑みだった。


窓の外で、夜鳥が一度、鳴いた。

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