第2話「星牢の少年」後編
その後の観測は、ほとんど会話もなく進んだ。
アイゼルの指示を受けながら、リセアは結界の外からルゼンの魔力波形、封鎖具の反応、炎の変化を記録していく。
ルゼンは終始不機嫌そうで、時折こちらへ視線を寄越しては、目が合うとすぐに逸らした。
一度だけわざと炎を揺らし、こちらの反応を確かめるような素振りを見せたものの、動じないリセアが面白くないのかそれきりだった。
注意深く観測すると、金色の炎は候補生時代に学んだどの火系統魔法とも違っていた。
通常の火魔法は魔力を外へ放ち、その先で熱と燃焼を生じさせる。
けれどルゼンの炎には、それだけでは説明のつかない流れがある。
外へ広がりながら内側へ沈んでいき、何かを燃やしているようで同時に何かを飲み込んでいる。
見れば見るほど分からない。それでも、分からないからこそ目を離せなかった。
「じろじろ見るな」
「観測中です」
「だから気色悪い」
「……すみません」
「謝るなら見るな」
「任務なので、それはできません」
舌打ちが返ってきた。それ以上の会話は続かなかった。
さっきから同じようなやり取りを繰り返している。
ペンを走らせながら、リセアはふと考える。
ルゼンは、見られること自体を嫌っているのだろうか。
それとも、記録されることか。管理されることか。
あるいは――。
そこで手を止め、リセアはその場で浮かびかけた考えを消すように頭を振った。
勝手に決めるな。
つい先ほど、本人から言われたばかりだった。出会ってから、まだ数刻しか経っていない。見えている態度の奥に何があるのかまで、自分に分かるはずもない。
リセアは記録帳の余白へ、一文だけ書き加えた。
――見えるものと、分かることは違う。
顔を上げると、結界の向こうでルゼンと目が合った。
何を書いたのかまでは見えていないはずだが、業務記録とは別に何かを書き足したことには気づいたらしい。
「何書いた」
「観測メモです」
「俺の悪口か」
「違います」
「見せろ」
「業務記録なので駄目です」
ルゼンの眉間に皺が寄る。
「……教本女が」
その言葉にまた何かを返そうと口を開きかけるが、横からアイゼルの凄まじい視線を感じ、それきり会話は途切れた。
再び記録帳へ目を戻す。
先ほどまでより、わずかに呼吸がしやすくなったような気がしたが、それも記録には残さなかった。
*
観測終了を告げられた頃には、星牢を満たしていた熱も入った時より幾分穏やかになっていた。
アイゼルが制御盤を閉じる。
「本日はここまで」
ルゼンは返事をせず、隔離区画の奥へ戻った。
壁際に置かれた簡素な椅子へ腰を下ろすと、その周囲を金色の炎が静かに漂い始める。
リセアは記録帳を閉じ、結界の向こうへ頭を下げた。
「本日はありがとうございました」
「何に対してだよ」
「観測に協力していただいたので」
「協力した覚えはない」
「それでも記録は取れました」
「勝手に取ったんだろ」
「はい」
「...はぁ」
心底嫌そうに眉間へ皺を寄せられた。
その顔を見ながら、第三封鎖鎖のことだけは伝えておくべきだと思った。
「第三封鎖鎖の件は報告します。調整が必要かどうかも含めて、管理側で再確認してもらいます」
「あっそ」
そこまでで止めるつもりだったのに、リセアの口は無意識に言葉を続けようとした。
「少しでも負担が――」
言い終える前に、ルゼンの表情から温度が消えた。
「いらない。」
開きかけた口を閉じる。
事実を話しているつもりで、また相手の内側へ踏み込みかけていた。
ルゼンは鬱陶しそうに顔を背けた。
「前にもいたんだよ。お前みたいなこと言う奴」
足元の炎が小さく揺れる。
「負担を減らしたいとか。苦しそうだからとか。……みんな最後は同じだった」
何が同じなのか、今ここで尋ねることが正しいのかわからず開きかけた口を引き結んだ。
リセアが何も返せずに黙っていると、ルゼンは再びこちらを見た。
「だから帰れ。まだ間に合う」
脅しにも忠告にも聞こえたが、どちらなのかは分からない。
答える前に、自分の中に湧き上がった何かを確かめる。
怖かった。
星牢そのものが怖い。目の前の魔導士も、その金色の炎も。
先ほど補助札を通して触れた、身体を焼くような魔力も。
十二人目という数字も、この先で自分が何を求められるのか分からないことも。
だからこそ、軽々しく「大丈夫です」と言うのは違うと思った。
「帰りません」
ルゼンの目が細くなる。
「今日のところは」
「今日のところは?」
「明日以降のことまで、今ここで簡単に決断するのは違うと思うので」
ルゼンは何も言わない。
「でも、少なくとも今日は帰りません。任命を受けました。今日見たことを記録して、報告書を出します」
長い沈黙のあと、ルゼンは小さく息を吐いた。
「……好きにしろ」
それだけ言って目を閉じると、彼は完全に背を向けた。
会話は終わりだという意思が、はっきり伝わる態度だった。
横目でアイゼルに視線をやると、彼は出口を示した。
「出るぞ」
「はい」
最後に、もう一度だけ結界の中を振り返る。
白金色の髪。黒い拘束具。幾重もの封鎖鎖。その周囲を漂う金色の炎。
人間だと思いすぎるな。
星牢へ入る前、アイゼルから言われた言葉が蘇った。
それでも今のリセアには、ルゼンを何か一つの言葉に当てはめることができなかった。
特異体であり、魔導士であり、国家の管理対象でもある。
そして同時に、自分より年若く見える一人の人間でもある。
どれも間違いではないのかもしれない。
けれど、そのどれか一つだけで彼という存在を語るには、リセアはまだあまりにも何も知らなかった。
その分からなさを無理に埋めないまま、星牢を出た。
*
黒い扉が閉じると、背後の熱が途切れた。
代わりに廊下の冷たい空気が肌へ触れ、その瞬間になって初めて、自分がずっと肩へ力を入れていたことに気づく。
指先はまだ震え、腕だけでなく膝にも思うように力が入らない。
第三封鎖鎖へ干渉した時の熱が、身体の奥に残っていた。
アイゼルはリセアのその違和感を見逃さなかった。
「医療区へ行け」
「大丈夫です」
反射的に答えると、灰色の目がこちらを向いた。
「行け」
「……はい」
それ以上の反論は許されなかった。
もっとも、星牢の中で自分がしたことを思えば当然だ。
階段を上り始め、数段進んだところでアイゼルが口を開いた。
「なぜ、第三封鎖鎖の歪みに気づいた」
「術式線へ近づいた時に、感触が違ったからです」
「詳しく言え」
どう説明すればいいのか考えながら、リセアは歩みは止めなかった。
「第三封鎖鎖へ繋がる制御環の近くまで行った時だけ、皮膚の奥へ押し返されるような圧を感じました。直接触れる前は曖昧でしたけど、補助札を繋いだ瞬間には、魔力の流れが途中で折れているのがはっきり分かりました」
「教官に習ったか」
「封鎖の基本理論は。でも、あれほど高出力の魔力へ術式越しに触れたのは初めてです。候補生時代に接したことのある魔導士とは比べ物にならないほどで___」
そのまま言葉を続けようとして、目の前の足音が止まった。
振り返ったアイゼルが、珍しくはっきりと目を見開いている。
「初めてで触ったのか」
「……はい」
「馬鹿か」
「反省しています」
「反省と判断力は別物だ」
「はい」
厳しいけれど、嫌ではなかった。
結果が出たから正しかったとは言わない。
異常を見つけたことは認めても、命令違反は別の問題として扱う。
そういう人なのだろう、と考えかけて、リセアは密かに苦笑した。
これもまた、分かった気になっているだけかもしれない。
アイゼルが再び歩き出した。
「Ⅱ型は魔力に触れられる。だが、触れられることと耐えられることは同じじゃない」
「はい」
「遠くにある魔力を勝手に読み取れるわけでもない。接触するなら、その分だけ向こうからも触れられると思え。術式や封具を介していても同じだ。あれほどの出力へ直接回路を繋げれば、対象の魔力が札を通して流れ込む」
震える指先へ目を落とすと、先ほど感じた痛いほどの熱を思い出す。
「命令を守れと言っているのは、手順のためだけじゃない。分からないものに触れるなら、先に命綱を持て」
アイゼルは足を止めなかった。
「お前は、それを忘れやすそうだ」
「まだ初日です」
「初日で十分分かった。衝動的に動くのが得意なようだしな」
リセアは返す言葉がなかった。
しばらく、二人分の足音だけが階段へ響いた。
間をおいてアイゼルが、ふいに口を開く。
「リセア・アルヴェイン」
「はい」
「ルゼンを見て、何を思った」
思わず足が鈍った。
恐怖。危険。理解不能。
いくつもの言葉が浮かぶが、それだけではなかった。
金色の炎を、綺麗だと思った。
ルゼン本人にも、記録帳にも残さなかったその言葉を、今口にしていいのかは分からない。
考えた末にリセアは曖昧な答え方をした。
「まだ、分かりません」
「...逃げの答えだな」
「はい」
「だが、今はそれでいい。分かった気になるよりはましだ」
もっと何か言われると覚悟していたのに、意外にもあっさりとした返しに困惑しつつも、
リセアは目を伏せた。
「……はい」
星牢の扉の向こうで揺れていた金色が、まだ目の奥に残っている。
知らないはずなのに、知っているような気がする色。
触れてはいけないと思うのに、目を逸らすことのできなかった光。
その理由は、まだ分からない。
*
医療区へ向かう途中、リセアは廊下の窓から空を見上げた。
昼に近づいた魔導院は、朝よりも明るい。陽光の下を候補生たちが行き交い、遠くでは訓練鐘の音が響いている。
建物の間を抜けていく小型飛空艇の影が、一瞬だけ白い廊下を横切った。
さっきまでいたはずの地下空間とは、まるで別の世界だった。
胸元の星紋章へ触れる。
任命式で受け取った時には冷たかった金属も、今は自分の体温を含んでいる。
一年遅れで手に入れた、代理官の証。
その重さを指先で確かめながら記録帳を開き、今日の観測記録の末尾へ項目を書き足していく。
特異体ルゼン・ヴァルハルト。
金色炎。
通常火系統とは異なる魔力流動の可能性あり。
第三封鎖鎖に流路異常。詳細は別途報告。
そこまで書いてペンを止めたが、少し迷ったあと、余白へもう一行。
――見えるものと、分かることは違う。
その下に、もう一つだけ書くか悩んでいる言葉があった。
金色の炎を見た時、最初に胸へ浮かんだもの。
――綺麗だった。
けれど、その言葉を今自分が残すにはあまりにも軽々しい。
これは観測記録だ。そして自分自身もまだ、その感情が何なのか分かっていない。
分からないものへ、今すぐ名前を与える必要はない。
記録帳を閉じた時だった。
「リセア!」
廊下の向こうから聞き慣れた声が飛んできた。
振り返ると、医療区の白い制服を揺らしながらミナがこちらへ走ってくる。
見慣れた顔に浮かんだ心配そうな表情を認めた瞬間、ようやく全身から力が抜けた。
「大丈夫?」
息を切らしたまま尋ねられ、いつもの癖で「大丈夫」と答えかける。
けれど、星牢を出た直後のアイゼルの目を思い出した。
たぶん、今それを言っても誰も信用しないうえ、本当は大丈夫ではなかった。
「...怖かった」
口にすると、自分でも驚くほど素直な言葉がするりと漏れ出た。
そして親しい仲間を前にするとその声色は情けないほどにか細い。
ミナが目を見開く。
「でもちゃんと、この目で見たよ」
記録帳を胸に抱えて見せると、ミナは何かを言いかけてやめ、それから優しく頷いた。
「うん。じゃあとりあえず検査しよ」
「今?」
「今」
「報告書が」
「報告書より先に検査」
「でも――」
「リセア」
声が低くなり、腕を掴まれた。
「代理官初日から医療区を敵に回したい?」
「回しません」
「よろしい」
有無を言わせず腕を引かれる。
歩き出す前に、リセアはもう一度だけ背後を振り返った。
地下へ続く階段は、ここからは見えない。
黒い扉も。星牢も。金色の炎も。
それでも胸の奥には、まだあの熱が残っていた。
知らないはずの光。
けれど、忘れられない色。
リセアはその熱を抱えたまま、医療区の白い扉をくぐった。




