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星脈の契約者  作者: 靉庭かさね
第1章

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第2話「星牢の少年」前編

黒い扉が開いた瞬間、熱が流れ出した。


炎そのものが吹きつけてきたわけではない。

それでも、乾いた石と焦げた金属の匂いに混じって、長いあいだ閉じ込められていた魔力の熱が、淀んだ空気ごと押し寄せてくる。

扉を越えて一歩踏み込むと、靴底の下を這う封鎖陣が青黒く明滅した。


壁には銀の鎖が幾重にも巡り、天井から垂れた封鎖具が巨大な蜘蛛の巣のように広間を覆っている。

交差した鎖の節々には小さな星脈陣が刻まれ、そのすべてが中央の隔離区画へ向かって伸びていた。


候補生時代に資料で知った星牢と、実際に足を踏み入れる星牢は、まるで別物だった。ここは単に人を閉じ込めるための部屋ではない。

目に見えない力そのものを、外へ逃がさないために造られた巨大な檻なのだ。

息を吸うたび、喉の奥を細かな灰で撫でられているような錯覚がする。

無意識に胸元へ手を伸ばすと、指先が任命されたばかりの星紋章に触れた。


一年遅れで手に入れた、代理官の証。

朝には頼もしく思えた金属の硬さや冷たさも、この場所ではひどく心許ない。


「遅れるな」


前を歩くアイゼルが振り返らないまま言った。


「はい」


短く返し、その背を追う。


やがて視界が開けた。星牢の中央に据えられた円形の隔離区画を、幾重もの封鎖術式が走る透明な結界壁が囲んでいる。その向こうには確かに人影があった。

けれど、リセアの目に最初に映ったのは人ではなかった。


金色の炎。


赤でも、橙でもない。星の光をそのまま溶かして火へ変えたような、眩しすぎる金色が、薄暗い隔離区画の中で静かに揺れていた。


その炎の中心に、彼はいた。


淡い白金色の髪が、青黒い封鎖陣の明かりを受けて鈍く輝いている。

黒を基調とした軍装には拘束具が組み込まれ、首元から胸部、両手首、足首に至るまで、幾重もの封鎖輪と封鎖鎖が固定されていた。

鎖の継ぎ目に埋め込まれた小型の星脈陣は、彼の呼吸に合わせるように淡く脈打っている。


自分より年下だろうか、とリセアは思った。


少年と呼ぶには目元が鋭すぎる。

けれど青年と呼ぶには、整った顔立ちのどこかに危うい若さが残っていた。

その美しさは、人を安心させるものではない。


むしろ、刃物に似ている。

触れれば切れると分かっているからこそ、目を逸らしにくい。


ルゼン・ヴァルハルト。王国でも最大級の魔力出力を持つ特異体。

そして今日から、リセアが随伴することになる魔導士。


彼がゆっくりと顔を上げた。

炎と同じ金色の瞳がこちらを捉えた瞬間、身体が反射的に強張る。


怖い。


圧倒的な存在感を前に、それだけは誤魔化しようがなかった。

ルゼンの周囲では、金色の炎からこぼれた細かな光が漂っていた。

炎そのものは静かなのに、その一帯だけ空気が張り詰め、わずかな刺激で一気に弾けてしまいそうだ。


それなのに、綺麗だとも思ってしまう自分もいる。


しかし、途端に胸の奥に微かな痛みが走る。

前にも、この色を見た気がする。


どこで。いつ。

記憶を辿ろうとした、その時だった。


――見るな。


低い声が頭の奥を掠めた、瞬きをする。

任命式でルゼンの名前を聞いた時にも浮かんだ、記憶とも幻聴ともつかない声。

けれど、掴もうとした時にはもう消えていた。


「……また代理官か」


今度は確かな声だった。

若い声なのに、どこか焼け焦げたものを擦り合わせるような乾いた響きがある。


アイゼルが隔離区画の手前で足を止めた。


「今日から観測補助に入る。リセア・アルヴェイン。封鎖局所属、特異体管理局付。随伴封鎖官補佐だ」


ルゼンの視線が再びこちらへ向いた。

白い外套から胸元の星紋章、足元までをゆっくりと辿っていく。

値踏みされているようにも見えたが、あるいは最初から何も期待していないだけなのかもしれない。


「補佐」


唇の端が、笑みとは呼べない程度に歪む。


「今度はずいぶん弱そうなのを寄越したな」


胸の内側を細い針で刺されたような感覚がした。歓迎されるとは思っていなかった。それでも、真正面から言われて平気ではいられるほどまだ強くもない。


「挨拶くらいしろ、ルゼン」

「何のために」

「今後の随伴予定対象だ」

「予定だろ」


金色の瞳がリセアを捉えた。


「すぐ消える」


地下へ降りる途中で聞いたアイゼルの言葉が蘇る。


辞めた。壊れた。死んだ。理由はそれぞれだ。


ルゼン本人が前任者たちのことを知らないはずはない。

だから今の一言が警告なのか、侮蔑なのか、それとも別の意味を持っているのか。

リセアには、まだ判断できなかった。


「リセア・アルヴェインです。本日より、随伴封鎖官補佐として観測に入ります」


背筋を伸ばして名乗ると、ルゼンはしばらく黙ったままこちらを見ていた。


「魔法を持たないお前が、俺の魔力を分かったつもりになるのか」


袖の内側で指が固くなる。


Ⅱ型であることを指摘された経験なら、これまでにも何度もあった。

けれど今の言葉は、単に「魔法を使えない人間など役に立たない」と嘲られているのとは少し違って聞こえた。


――お前に、俺の何が分かる。


そんな響きにも感じられたが、それも今は推測にすぎない。


「分かると、簡単に言うつもりはありません」

「なら、何をしに来た」

「見るためです」

「見る?」

「あなたの魔力と、封鎖具の状態を。随伴が可能かどうか判断するために」


しばらく沈黙したあと、ルゼンは喉の奥で低く笑った。


「観察日誌でもつける気か」

「必要なら」

「気色悪い」


吐き捨てるような声と同時に、結界の向こうの空気が揺れた。

わずかな変化だったが、頬に触れていた熱の温度が明らかに高くなる。


アイゼルが一歩前へ出た。


「ルゼン」

「本当のことだろ。次から次へと知らない奴が来て、俺の魔力がどうだ、出力がどうだ、安定性がどうだ。勝手に見て、勝手に記録して――」


足元の炎が揺れた。


「消える」


最後の言葉だけが低く落ちる。

アイゼルは何も返さず、制御盤へ手を伸ばした。


「出力を上げるな」

「上げてない」

「嘘をつくな」

「なら締めればいいだろ。いつもみたいに」


金色の瞳が冷たく細められたが、アイゼルはそれに答えなかった。

その沈黙に何があるのか、リセアには分からない。

ただ、二人のあいだに今日始まったものではない何かが横たわっている。

それだけは、言葉がなくても感じられた。


アイゼルが制御盤を操作するあいだ、リセアは結界外縁を巡る制御環のそばへ立った。

制御盤が封鎖術式を監視し、強度や反応を操作するための装置なら、制御環はその命令を各封鎖具へ伝える魔力回路そのものだった。


足元では青黒い術式線が隔離区画の中へ伸び、ルゼンの身体を拘束する封鎖鎖へ繋がっている。

その一本、左肩へ向かう術式線のそばへ手を寄せた瞬間、皮膚の奥へ奇妙な圧が触れた。


思わず指を止める。


Ⅱ型のリセアに遠く離れた魔力を読み取ることはできないが、今は違った。


第三封鎖鎖へ繋がる術式線が、手を伸ばせば届くほど近くにある。

そこを流れる魔力が、熱とも圧力ともつかない感触となって皮膚の奥へ触れていた。


他とは違う、第三封鎖鎖へ繋がる術式線だけ、感触が歪んでいる。


制御盤へ目をやる。表示された数値は許容範囲内だった。目で見るだけなら、異常とは思わなかっただろう。


けれど制御環を通して伝わってくる魔力は、途中で鋭く折れ曲がっている。

外へ逃がすべき流れが何かにぶつかり、内側へ押し戻されているようだった。


締めつけているというより、噛んでいる。


候補生時代、封鎖術の教官が何度も繰り返した言葉を思い出す。


封鎖は、ただ強く締めればいいわけではない。

流れを見ろ。逃げ道を残せ。止めることと、壊すことを混同するな。


制御環へもう半歩近づいた途端、アイゼルが気づいた。


「何をしている」

「第三封鎖鎖です。左肩側の流れが詰まっています」

「数値は許容範囲内だ」

「はい。でも、術式線の近くまで来ると圧が違います。外へ逃げるはずの魔力が途中で折り返しているような……このまま締めると、余計に内側へ押し込むかもしれません」


アイゼルの視線が僅かに変わった。


「触れたのか」

「まだ直接は。でも、ここまで近づくと――」

「それ以上来るな」


結界の向こうから、低い声が飛んだ。

ルゼンの顔から先ほどまでの嘲りが消えている。


「直接触るつもりは――」

「そういう意味じゃない、勝手に覗くな」


足元の炎が鋭く揺れ、息が止まる。

頭の奥に残っていた声が、一瞬だけ重なった。


――見るな。


似ているけれど、それが同じなのかどうかは分からない。

視界の奥で金色が弾ける。焦げた空気。割れた魔法陣。低い声。


掴むより早く、断片は消えていった。


「アルヴェイン」


アイゼルの声が意識を現実へ引き戻した。


「制御環から離れろ」

「でも、このまま封鎖が強まったら――」

「離れろ」


切るような鋭い命令に、リセアは一度手を引いた。

しかしその直後、制御盤から鋭い警告音が鳴った。

ルゼンの魔力出力上昇を感知し、自動封鎖術式が作動する。

第三封鎖鎖を青黒い光が駆け抜けた。


「待っ――」


鎖がガシャン、と大きな音を立てて締まった。

ルゼンの肩が僅かに跳ねる。

声は上がらなかったが、金色の炎が一瞬だけ大きく膨れ、隔離区画そのものが低く震えた。


同時に、制御環から伝わっていた歪みがさらに大きくなる。

逃げ場を失った魔力が内側へ押し込まれ、鋭い圧となって指先へ突き刺さった。


封鎖具は、彼を暴走させないために存在している。

なのに今、その封鎖具が魔力の流れを傷つけ、結果としてさらなる出力上昇を招いている。


ルゼンの顔がほんの僅かに歪んだ。


痛いのだ。

リセアにはそう見えたが、Ⅱ型は止められる側のI型の痛みを知らない上に知る事もできない。

考えるより先に手が動き、外套の内側から補助封鎖札を一枚抜いていた。


「アルヴェイン!」


アイゼルの怒声が飛んだが、リセアの身体は止まらない。


第三封鎖鎖から伸びる術式線は、結界外縁の制御環へ接続されている。

補助封鎖札そのものが魔力を生み出すわけではない。

あらかじめ刻まれた封鎖式を稼働中の術式へ接続し、そこを流れる魔力の通り道へ僅かな干渉を加えるための道具だ。


Ⅱ型のリセアができるのは、新しい力を生み出すことではない。

そこにある魔力へ触れ、その流れに働きかけること。

リセアは補助札を制御環へ滑らせた。

刻まれた星紋が青白く灯ったその瞬間熱がこちらを向き、勢いを強めていく。


「っ……!」


札を介して、ルゼンの魔力が指先へ流れ込んでくる。

制御環のそばで感じていたものとは、まるで違う。


痛いほどの熱。


歯を食いしばりながら、熱さの中に流れを探る。

強めるのではない。緩めるのでもない。

折れている部分の角度だけを変え、閉じ込められた魔力へごく細い逃げ道を作る。


封鎖札の星紋が白く染まった。

次の瞬間、第三封鎖鎖を走っていた青黒い光も一瞬だけ白へ転じた。

鎖の位置が僅かにずれ、荒れていた金色の炎がふっと沈む。


広間を満たしていた熱が、一段下がった。


その代わり、焼けたものを素手で握ったような感覚が、札を通して腕へ駆け上がった。

指先の感覚が薄れ耳鳴りが止まらず、膝にも力が入りにくい。

ほんの一瞬触れただけなのに、ルゼンの魔力がいままで見てきた魔導士の中でも群を抜いていることがわかった。


荒れ狂う炎のようでいて、それだけではない。

外へ飛び出そうとする力と、何かを押し殺すように内側へ沈む流れ。

正反対のものが、ひとつの身体の中で互いを噛み合っているような――。


「離せ!」


アイゼルに腕を掴まれ、補助札が制御環から外れた。

突然のことに身体が傾きかけたが、どうにか踏みとどまる。

結界の向こうを見ると、ルゼンもこちらを見ていた。


先ほどまでとは明らかに違う目だった。

驚きと怒り、それ以上に強い警戒が、金色の瞳に浮かんでいる。


「お前、今何した」

「第三封鎖鎖の補助角度を変えました。締めつけが――」

「誰が許可した」


アイゼルの鋭い声が遮った。

掴まれた腕に力が入り、顔を上げると灰色の瞳には殺意と見紛うほどの圧があった。


怒られて当然だった。


新人が初対面の特異体を相手に、管理責任者の制止を無視して封鎖術式へ干渉したのだ。

結果がどうであろうと、命令違反に変わりはない。


「申し訳ありません」

「謝罪で済むと思うな」

「はい」

「結果が出たことと、判断が正しかったことを混同するな」


その言葉が未熟な自分の胸へ落ちる。

アイゼルは制御盤へ視線を戻し、数値を確認した。


「第三封鎖鎖の圧力は低下。対象出力も安定域へ戻っている。お前が拾った異常自体は間違っていなかった」


そこで一度、言葉を切った。


「だが、それで俺の命令を無視したことが正当化されると思うな。札が弾かれていれば、腕一本では済まなかった可能性もある。ルゼンの出力が逆流すれば、到底お前の身体では受け止めきれない」

「……はい」

「今回は結果が正しかった。それだけだ」


指先は、まだ感じたことの無い魔力を忘れられず震えていた。


成功したことと、正しい行動だったことは違う。

衝動的に動いた瞬間は心の奥底でそれを正しいと認識していた自分がいたのかもしれない。


「余計なことしやがって」


結界の向こうでルゼンが舌打ちし、こちらを睨んでいた。

それでも、荒かった呼吸は先ほどより深く、ゆっくりと落ち着いているように見える。

そのことを意識した瞬間、言葉が口から滑った。


「苦しそうだったので」


広間の空気が止まり、ルゼンの目からは温度が消えた。


「は?」


言ってから失言だと気づき口を抑えたが、見逃さないと言わんばかりに、彼の目はリセアを捕らえたままだった。


「……そう、見えました」

「見えた?」


ルゼンが苛立たしげに立ち上がった。


封鎖鎖が硬い音を立て、金色の炎が細く伸びる。

結界壁のすぐ手前まで歩いてきた彼の瞳が、今度は逃げ場のない距離からリセアを射抜いた。


「一度触れただけで、勝手に決めるな」


怒鳴られた方が、まだましだったかもしれない。

静かな声だからこそ、そこに滲み出る怒りと圧を頭が認識して、目頭が熱くなる。

同時に背中が徐々に冷えていき自分がまた恐怖しているのだと気づいた。


「俺の何を知ってる」


短い問いが胸へ刺さり、否定できなかった。


見えた。触れた。

だから自分には、何かが分かったのだと思いかけていた。


「……何も、知りません」


答えると、ルゼンの眉が僅かに動いた。


「でも、見えたものを、見えなかったことにもできません」


それでも、下は向かずに答えると、金色の瞳が止まる。

その奥に何かが浮かんだように見えた。

怒りでも、嘲りでもない。けれど、それが何なのかを考える前に消えてしまった。


「……面倒くさい奴」

「よく言われます」

「直せ」

「努力します」

「それも聞いた」

「二人とも黙れ」


アイゼルの低い声が落ちた。


リセアは口を閉じ、ルゼンも不機嫌そうに顔を背ける。

それでも、金色の炎は先ほどより静かだった。


アイゼルは制御盤の記録を確認しながら告げた。


「リセア・アルヴェイン。今後、許可なく封鎖具へ干渉するな。補助札も含めてだ」

「承知しました」

「次に同じことをすれば、観測から外す」

「はい」

「ただし、見たものは記録しろ。第三封鎖鎖の歪みについて、今日中に詳細な報告書を提出」

「……はい」


胸を撫で下ろしそうになり、やめた。


何も許されたわけではない。

観測内容が認められただけだということを勘違いしてはいけない。


「初日から報告書か」


ルゼンが鼻を鳴らした。


「仕事ですので」

「真面目だな」

「真面目です」

「つまらない奴」

「面白さは職務要件にありません」


ルゼンが一瞬だけ黙り、アイゼルが厳しさの中にわずかな呆れを含んだ目でこちらを見る。


「挑発に返すな」

「……すみません」

「お前もだ、ルゼン」

「俺は何もしてない」

「している」


それ以上、ルゼンは何も言わなかった。

椅子へ戻っていく背中が、先ほどまでより幾分年若く見えた。


そう思った瞬間、リセアはそれ以上を考えることをやめた。

今はまだ、相手のことを何も知らない。



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