第1話「一年遅れの封鎖官」後編
「リセア・アルヴェイン」
自分の名前が響いた瞬間、ホールの空気が遠のく気がした。
深く息を吸い、一歩前へ出るとほんの少しだけ足が震える。
「はい」
不思議と声は震えず、はっきりと響いた。
自分から出たその声に徐々に緊張がほぐれていく。
中央の星脈陣の前に立つと、任命官が書面を開いた。
「リセア・アルヴェイン。魔導代理官国家資格試験合格。適性分類、封鎖官。所属、封鎖局」
封鎖官。
分かっていたはずの言葉なのに、いざ任命されると落胆がじわりと広がる。
本当は詠導官に憧れていた。
魔導士の詠唱を支え、複雑な術式を導く。
魔法が形を得る瞬間を、誰より近くで見ることのできる職。
けれどリセアの適性は、候補生時代から封鎖に極端に偏っていた。
暴走停止。魔力遮断。緊急封鎖。危険魔導士の制圧補助。
魔法を輝かせるのではなく、止める側。
それでも、魔法のそばに立てるのならと思ってやってきたが
改めて今日から正式にその役割を担うことになるのだ。
封鎖局のどの所属になるのか続く言葉を待っていると、
任命官が少しだけ眉を寄せ、次の行へ目を落とした。
「...付置先、特異体管理局。職位、随伴封鎖官補佐」
ざわり、とホールの空気が変わる。
二階席のどこかから押し殺した声が漏れ、その場にいる全員の緊張が伝わった。
当人のリセアは、呼吸を忘れた。
何も聞いていない。
封鎖局への配属までは想定していた。
危険な任務に回される可能性も、覚悟していたつもりだった。
だが、特異体管理局は違う。
候補生時代、教本で触れた記述はわずかだった。
通常の分類では扱えないほど特異な魔力反応を持つ者を、国家監視下で管理する部署。正式に教えられたのは、それくらいだ。
けれど、危険な噂ならいくらでも耳にした。
そして、その危険性と引き換えに、国家戦力として極めて高い価値を持つ魔導士が集められていることも。
新人の封鎖官が、最初から送り込まれるような場所ではない。
少なくとも、リセアの知る限りでは。
任命官の声には何の変化もなかった。
「随伴予定対象、特異体ルゼン・ヴァルハルト」
その名が響いた瞬間、今度こそ隠しきれないざわめきが広がった。
ルゼン・ヴァルハルト。
知らない名前だ。
――なのに。
喉の奥が熱を持った。
金色。
火。
焦げた空気。
割れた魔法陣。
誰かの、低い声。
――見るな。
瞬きをした。
一瞬だけ浮かんだ断片は、記憶と呼ぶにはあまりにも曖昧で、掴もうとした時にはもう消えている。
なぜ名前を聞いただけで、こんなものが浮かぶのだろう。
ホールのざわめきは収まらない。
同じ列のどこかで、息を呑む音がした。
そして二階席から、誰かのひそりとした声が落ちてくる。
「……また持たないだろ」
小さな呟きだったが、それでもはっきり聞こえた。
しかし誰も咎めない。
そのことの方が、言葉そのものより不穏だった。
任命官が星紋章と、黒に近い紺色の封書を差し出した。
封蝋には、星を囲む鎖の紋章。
封鎖局の印ではない、特異体管理局のものだった。
「辞退の意思はあるか」
形式上、すべての任命者へ向けられる問いだ。
けれど今だけは、ホール中の視線が自分へ集まっているように感じた。
二階席を見上げると、ミナはもう笑っておらず、セラも、目を逸らさずにじっとこちらを見ていた。
逃げてもいい。
胸のどこかで、そんな声がする。
ここで断れば、少なくとも今日、危険な場所へ行くことはない。
けれど、やっとここまで来た。
ここでまた、自分から魔法を遠ざけるのか。
答えは決まっていた。
背筋を伸ばし任命官を見据えると、心做しか瞳の奥にわずかに同情が混じっているように見える。
「ありません。...拝命いたします」
星紋章と封書を受け取ると、任命官はリセアの肩を優しく叩き、表情の読めない顔で頷いた。
掌に落ちた金属章は、今目の前で任命を受けた現実を実感させるように冷たい。
封鎖官の星紋章を胸元へ留めると僅かに胸が重くなったが、
鉛のようなものに押しつぶされたあの頃の自分の胸を思えば、軽かった。
一年遅れで、ようやくリセアは、魔導代理官になった。
*
任命式を終えた星環ホールの外には、先ほどまでの厳粛さが嘘のような賑やかさが戻っていた。
新任代理官たちは互いの配属書を見せ合い、家族や先任職員に挨拶をしている。
緊張から解放された笑い声が白い廊下を行き交い、胸元につけたばかりの星紋章を何度も確かめている者もいた。
その輪から離れた場所で、リセアは一人、手元の封書を見つめていた。
胸元の星紋章は、まだ肌へ馴染まず、浮いていて違和感がある。
封鎖局所属。
特異体管理局付。
随伴封鎖官補佐。
そして、ルゼン・ヴァルハルト。
「リセア」
顔を上げると、ミナが駆け寄ってきた。
その表情には、任命式の前にはなかった緊張が浮かんでいる。
「特異体管理局って、本当?」
「今、私も知った」
「そんな配属、事前面談では……」
「聞いてない」
ミナの口元が固く引き結ばれる。
そこへセラも追いついてやってきた。
「ずいぶん派手な配属ね」
「派手というか……」
「異常よ」
即座に言い切られ、苦笑しようとしたがうまくいかなかった。
「新人の封鎖官補佐を、いきなり特異体管理局付にするなんて普通じゃない。第七演習場の件を評価されたのか、警戒されたのか。その両方かもしれない」
「セラ」
ミナが咎めるように名を呼ぶが、セラは横目で彼女を見ると呆れたように首を振った。
「甘い言い方をしても意味がないわ。リセアも分かっているでしょう。」
「うん」
封書へ目を落とした。
「たぶん、普通の配属じゃない」
「辞退は……」
「しない」
自分でも考えるより先に答えていた。
ミナが心配そうに目を瞬かせる。
対してセラは、やっぱり、とでも言いたげに息を吐いた。
「そう言うと思った」
「止めないの?」
「止めて聞くなら、去年の時点で諦めていたでしょう。」
言葉は厳しい。
それでも、不思議と突き放された感じはしなかった。
セラがそういう人だと、もう知っている。
「怖くないわけじゃないよ」
「それくらいでいい」
「え?」
「怖いものを怖くないと言う代理官は、だいたい判断を誤るから」
セラが静かにそういうと、隣でミナも強く頷いた。
「何かあったら医療区に来て。絶対に一人で抱えないで」
「うん」
「本当に」
「...分かってる」
「リセアの“分かってる”は信用しきれない」
「そこまで?」
「そこまで」
今度はちゃんと笑えたが、配属への不安が消えたわけではない。
けれど二人の声を聞いていると、自分の足がちゃんと地についていることを思い出せた。
ふいに、セラが封書へ目を向ける。
「それ、まだ開けていないの?」
「うん。式では渡されただけ」
「封蝋に術式があるわ」
目を細め、鎖の紋章を観察するとセラは大したことなさそうに肩をすくめた。
「まあ、おおかた閲覧記録を取る類のものでしょうね。誰がいつ開封したか。おそらく、近くにいた者の魔力反応も拾う」
「じゃあ、私たちがいても大丈夫かな」
「問題になるなら、最初から式場で渡さないわ。それに現役の代理官なら、ある程度どんな情報が書かれているのかくらいは予想つくもの。」
「まあ、それもそっか」
二人は顔を見合わせて頷いてから、再びリセアへ視線を戻した。
「リセアがひとりで見たいなら私たちは遠目で見守ってる。」
「...ううん、来てくれた二人と一緒にみたい」
「ん、じゃああっちに行きましょうか」
そう言うと、セラは廊下の先に視線を向けた。
人の流れを避け廊下の柱の陰へ移動し、改めて封筒を握り直す。
そっと封蝋に指を触れた途端、冷たい魔力が皮膚を這い、星を囲む鎖の紋章が青白く光った。
かすかな音とともに封蝋が蒸発し、一人でに封筒が開く。
中には、厚手の紙でできた通達書が一枚だけ収められている。
息を整え、文面を追った。
封鎖局所属。
特異体管理局付、随伴封鎖官補佐。
担当対象――特異体ルゼン・ヴァルハルト。
配置場所――王立星脈魔導院地下特異体対処施設星牢。
任務内容――管理対象の観測、封鎖補助、随伴時出力記録、暴走兆候の報告、緊急時封鎖判断補佐。
管理責任者――第一級封鎖官アイゼル・クロウ。
そして最下段に、一文だけ赤い文字があった。
対象との単独接触は、管理責任者の許可下に限る。
隣でミナが息を呑んだ。
「星牢……」
声が低くなる。
候補生時代、星牢について正式に教えられたことはほとんどない。
魔導院地下最深部に存在する特異体対処施設であり、知識として与えられたのはそれだけだった。当時は自分に関係ないだろうとそれ以上深掘りすることはしなかったが、
今考えて見ると、まるで子供の頃に大人たちがⅢ型について深く話したがらなかったことと、少しだけ似ている。
しかし代わりに、噂なら嫌というほど聞いた。
研究施設。監獄。
あるいは、兵器をしまっておくための檻。
どこまでが本当なのか、誰も知らない。
それをそのまま信じるわけではないが、昔も今も想像するための材料はそれしかなかった。
「やっぱり、通常配属じゃないわね」
セラの声も硬い。
返事をしながら、もう一度通達書へ目を落とした。
ルゼン・ヴァルハルト。
名前を見るだけで、また胸の奥が熱を持つ。
金色。
火。
焦げた空気。
――見るな。
指先が無意識に丸まった、その時だった。
「リセア・アルヴェイン」
低い声が、廊下の向こうから飛んできた。
三人同時に振り返ると、黒い外套をまとった長身の男がこちらへ歩いてくるところだった。
黒髪に、鋭い灰色の目。封鎖官の制服の胸元には、第一級を示す黒銀の徽章が光っている。
彼がこちらに向かって歩みを進めるたび、周囲の新任代理官たちが自然と道を空けた。
隣で、セラの眉が動く。
「アイゼル・クロウ……」
その名は知っていた。
第一級封鎖官。特異体管理局の管理責任者。
黒鴉のアイゼル。
危険個体や高位魔導士の暴走が起きれば、最前線で止める側に立つ人物だ。
アイゼルはリセアの前まで来ると、灰色に近い目を手元の通達書へ向けた。
「読んだな」
「はい」
「では来い」
それだけ言って、踵を返そうとする。
「……今からですか」
「今からだ」
「配属説明は?」
「歩きながらする」
あまりにも迷いがなく、ミナが慌てて口を挟んだ。
「あの、彼女は任命式が終わったばかりで……少し休ませるとか」
「星牢の予定はずらせない。」
また、その言葉。
星牢。
それだけで周囲の空気が変わった。
聞こえないふりをしていた新任たちの話し声が、潮が引くように小さくなっていく。不自然な静けさに、こちらへ意識が集まっているのが分かった。
アイゼルは周囲には目も向けず、リセアだけを見た。
「怖いか」
突然だった。
けれど、答えに迷いはなかった。
「怖いですが、行きます」
しばらく品定めするような視線を向けられたあと、アイゼルは短く言った。
「なら早く来い。」
彼はリセアの返事を待たずに、来た道を引き返して歩いて行った。
リセア今度こそ背を向けて、ミナとセラを振り返った。
「あとで医療区においで。何もなくても」
「うん」
セラは腕を組んだままだった。
「特異体相手に、候補生時代の理屈がそのまま通じるとは思わないことね」
「分かってる」
「でも」
珍しく、セラが言葉が止めて真剣な眼差しを向けた。
「第七演習場でのあなたの判断が、完全に間違っていたとは、昔も今も思っていない」
無意識に息を呑む。
あの事故のあと、セラはリセアに何も言わなかった。
ずっと、その沈黙を失望なのだと思っていた。
「それだけ」
こちらが何か返す前に顔を背け、詠導局へ続く廊下を歩いていく。
その背中が角の向こうへ消えると、ミナが小さく笑った。
「セラなりの応援だね」
「分かりにくい」
「うん。でも来てくれたし」
「……うん」
胸元の星紋章に触れた。
受け取ったばかりの金属は、もう先ほどほど冷たく感じなかった。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
ミナの声を背に、アイゼルの後を追った。
*
中央棟から地下へ続く廊下は、階段を下るごとに温度を失っていった。
白かった壁は灰色へ変わり、床に刻まれた星脈陣だけが青白い光を帯びている。
上階を満たしていた人々の声も、飛空艇の駆動音も、いつの間にか聞こえなくなっていた。
前を歩くアイゼルが、振り返らないまま口を開いた。
「お前の所属は封鎖局。特異体管理局付の随伴封鎖官補佐だ。通常の封鎖任務ではなく、管理対象の観測、封鎖補助、随伴時の出力記録が主になる」
「管理対象は……」
分かっていても、確かめずにはいられなかった。
「特異体ルゼン・ヴァルハルト」
まただ。
名前を聞いた瞬間、胸の奥が熱を帯びる。
知らない。
知らないはずだ。
なのに、その名前だけが記憶のどこかに引っかかる。
「彼は、どんな魔導士なんですか」
「魔導士として扱いたいなら、まずその考えを捨てろ」
アイゼルの歩調は変わらなかった。
「ルゼン・ヴァルハルトは特異体だ。通常のⅠ型魔導士と同じ基準で考えるな」
「通常分類では測定不能、または管理基準を大幅に超える魔力反応を持つ者に与えられる区分……ですよね」
「教本通りだな」
「候補生でしたので」
「現場では、教本より悪い。災害だと思え」
人に使うものではない言葉が飛び出し、返事に詰まった。
アイゼルは構わず続ける。
「ルゼンは王国でも最大級の出力を持つ。だが、制御は不安定だ。過去に複数回の暴走、任務中の過剰殲滅、随伴代理官の離脱記録がある」
「離脱……?」
「辞めた。壊れた。死んだ。理由はそれぞれだ」
淡々とした声だった。
感情のない言い方だからこそ、かえって怖い。
離脱という言葉に隠された、過去の代理官たちが迎えた結末。
リセアはまた言葉に詰まり、しばらく黙ったままアイゼルの背中を見つめた。
二人分の足音だけが地下廊下に響く。
「...私は、何人目でしょうか」
「十二」
リセアの質問を予想していたのか、即答だった。
十二人目。
その数字を、すぐには飲み込めなかった。
担当代理官が一度変わるだけでも、普通なら大ごととして扱われるはずなのに。
それが、十二人。
「アイゼルさんは、彼の担当ではないんですか」
「俺は管理責任者だ」
「担当代理官ではなく?」
「違う。俺はルゼンを日常的に支えるためにいるわけじゃない」
そこで初めて、アイゼルが足を緩めた。
「必要な時に、止めるためにいる」
止める。
胸の中で、その言葉を反芻する。
「私は、支えるためにいるんでしょうか。それとも、止めるためですか」
足音が止まった。
地下へ続く階段の途中、灰色の目が真正面からリセアを捉える。
「両方だ」
これもまた短い答えだった。
「ただし、勘違いするな。お前は救済者ではない。友人でも、家族でもない。任務中にルゼンが暴走すれば止める。止まらなければ切る。それが封鎖官だ」
アイゼルの声が冷えた廊下に落ち、リセアの心には怖さが滲んだ。
けれど同時に、別の感情が胸の底から浮かび上がってくる。
切る。
まだ顔すら見ていない相手を、その一言だけで終わらせることへの違和感だった。
アイゼルの言うことが間違っているのかもしれない、とまでは思わない。
自分はまだ新人で、相手を知らない。
それでも、その言葉だけを正解として飲み込む気にはなれなかった。
「返事は」
「はい」
アイゼルは再び歩き出した。
やがて階段が終わる。
その先に、巨大な黒い扉があった。
表面を覆うのは、幾重もの封鎖陣。
星霊殿や星環ホールで見た白銀の魔法陣とはまるで違う。絡み合う青黒い光は神聖さよりも、何かを逃がさないための冷たい意思を感じさせた。
ここが、本物の星牢。
地下に降りていく時に空気が違うことには気づいていたが、扉の前までくると、更にまた空気が一変した。
扉を見上げた瞬間胸が強く鳴り、向こう側から異様な熱を感じる。
これほど分厚い封鎖扉を隔てているのに有り得ない。
それでも確かに、そこに何かがいる。
金色の炎のようなものが。
記憶の奥で、忘れさせまいとちらついている。
アイゼルが腰から封鎖鍵を取り出した。
「最後に言っておく」
黒い扉へ手をかけたまま、低い声が続く。
「ルゼン・ヴァルハルトを、人間だと思いすぎるな」
扉の隙間から、ほんのわずかに金色の光が漏れていた。
知らないはずの色なのに、目を逸らせない。
「思いすぎるな、ということは....人間ではあるんですね」
アイゼルが、ゆっくりと振り返った。
灰色の瞳の奥で、一瞬だけ何かが揺れる。
怒りでも、呆れでもない。
無意識に読み取ろうとした時にはその何かは姿を消し、冷えた視線だけがリセアを貫いた。
「……その考えで壊れた者もいる」
「覚えておきます」
「覚えるだけでは足りない」
「では、見て判断します」
沈黙が落ちた。
アイゼルはしばらくこちらを見たあと、深く息を吐いた。
「噂には聞いていたが、やはり面倒な新人だ」
「……よく言われます」
「言われているなら直せ」
「努力します」
「その返事も信用ならない」
封鎖鍵が起動した。
扉を覆っていた青黒い光が、一つ、また一つとほどけていく。
低い振動が床から靴底へ伝わり、最後の封鎖陣が消えた瞬間、黒い扉が重々しい音を立てて動き始めた。
隙間が開くと、一気に熱が流れ出した。
冷えきっていた地下の空気を押し返すような熱気が全身を撫でる。
その向こうに見えた色に、息を止めた。
金色。
知っている?
いや。
知らない。
知らないはずなのに、胸の奥で声にならない何かが震えた。
黒い扉の向こう。
仄暗い星牢の中心で、金色の炎が静かに揺れていた。




