8
五日目は手を取られた。六日目は頬を掌で包まれた。
女官たちは、皇帝が手配するよう命じた最高級の衣装と宝飾品を持ってくるたび、リコリスを見る目つきが変わっていった。最初は同情、次に好奇、そして畏怖に移っていく。
皇帝が毎日通ってくるということがこの皇城で何を意味するのか、彼女たちはよく知っている。機嫌を損ねれば自分の首が飛ぶと見て、リコリスの小さな願い事は大抵のことが叶うようになっていた。
特に、リコリスの世話を命じられた女官のアンナは、最初のリコリスの憔悴具合を覚えており、気鬱げにしていればすぐに身体を気遣ってくれる。
「リリス様、お顔の色が優れないように見えます」
「大丈夫です。眠りが浅くて」
「何かお力になれることがあれば」
「……ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
健気に微笑むリコリスを信奉する者が増えていく。ひそひそと城内で「リリス様がお可哀想、あれでは籠の鳥だわ……」と噂が回っていく。
六日目の夜、皇帝が帰ったあとで、アンナが夜着を整えにきた。
リコリスは暖炉の前に座り、火を見ていた。窓がないので、外が夜なのか夕暮れなのかもわからない。アンナの持つ燭台の数と、廊下の足音の絶え方で、時刻を察するだけだった。
「お湯をお持ちしましょうか。冷えはお体に障ります」
「ありがとうございます。アンナさんこそ、毎晩遅くまで大変ですね」
「慣れておりますので」
手際よく寝具を整えていくアンナの動きには無駄がない。その衣装箱の隅に小さな布包みがあるのに、リコリスは気づいた。端がほつれて、中身がのぞいている。
「これは、落とし物ではありませんか」
アンナが振り返り、わずかに手を止めた。
「……失礼いたしました。私のものです」
受け取った包みから見えたのは、繕いかけの手袋だった。子供の手の大きさの、白い毛糸の。
「歳の離れた妹へのものです。幼い頃から、私の編んだものでなければと聞かなくて」
珍しくアンナの声に職務以外の色が差した。リコリスは、アンナの言葉だけでわかる姉妹の温かなやりとりに柔らかく微笑んだ。
兄のローワンのことを思い出す。
幼い頃は仲が良かった、ように思う。少なくとも憎まれてはいなかったはずだ。はっきりした別れも告げずにただ出てきてしまった。
他人の家族の話題を聞いて、祖国の家族はどうなっただろう、と思いを馳せた。あのまま燃えてしまったのだろうか。それとも。
「私が城に上がってから、田舎の家に置いております」
その言葉に引き戻されてリコリスは手袋を見た。糸の色が場所ごとに違うのは、幾度も直した跡だった。
「大事になさっているんですね」
「……仕送りくらいしか、できませんが」
アンナは包みを袖にしまい、いつもの硬い顔に戻った。
「私的な話を聞いていただき、ありがとうございます。お休みなさいませ」
頭を下げて出ていく背を、リコリスは見送った。
あの人にも、帰る家と、待つ相手がいる。
この部屋にいると、自分のせいで誰かが損なわれることばかり考えてしまう。それでもアンナには、まだ何も起きていない。どうか、このまま無事でいてほしかった。
七日目、皇帝が首筋に唇を押しつけたとき、リコリスは目を閉じて動かなかった。抵抗すればどうなるかはわからない。受け入れれば距離が近づく。だが、どちらに転んでも結果は同じ。
思うような反応ではなかったのか、皇帝は鼻白んで、不機嫌そうな顔で出ていった。
その夜、一人の武官が死んだ。突然の心臓の発作だった。
翌朝、女官の一人が階段から落ちて首を折った。
その翌日、厩の馬が三頭同時に死んだ。
給仕の女官が食事を運んできた、その手はかたかたと震えている。
「……何かあったのですか」
「申し訳ございません。お気になさらないでください」
足早に出ていった。
気にするなと言われても、窓のない部屋であっても、女官の持ち込む空気でわかる。何かが狂い始めている。




