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 商会の酒場で、ヴォルクは杯を傾けながらグリシャの質問を聞いていた。


「何かしたか?」

「いや。しつこかったんで次の予定をでっち上げて退散しただけだ。見込み客を害する理由はない」

「まあ、そうだよな……」


 グリシャは頭を掻いた。伯爵家の令嬢の死。御用商人として訪れていた商会にも取り調べのものがくる予定だ。だが令嬢の死とヴォルクたちと直接の関わりはなく、追及する材料もなかった。


「雪の国の者なのに雪にやられるとは迂闊だな」


 隣の席の男が言った。


「貴族は常に暖炉のある部屋にしかいないからな。馬車にも暖房がいくつもついていないと外にも出られない。軟弱なもんだ」


 誰かが笑った。ヴォルクは笑わなかった。


「ここでの初めての冬は驚いた」


 杯の中の酒の、黄金色の水面に窓辺の雪が映っているのを見ながらヴォルクは独りごちた。


「そういや、隣国の南側の出身だったな」

「ああ。雪なんか見たことがなかった」


 ---


 国境を越えて雪の国に入ったのは秋の終わりだった。

 南方で生まれ育った者にとって雪は未知のものだ。最初の朝、宿の窓を開けたら辺り一面が白く染まっていて、リコリスが声もなく目を見開いていたのを覚えている。ヴォルク自身も驚いたが、黙っていた。

 安い宿を使ったので身分を訊かれることもなく、旅行者として泊まるぶんには誰も怪しまなかった。リコリスにはマスクをつけさせ、外套のフードで髪を隠させた。皮膚病で見苦しいからだと言えば、誰も深入りしてこなかった。


 三日目の夜、ヴォルクは一人で出かけた。リコリスは宿に残している。

 生きるのには金がかかる。手持ちの金には限りがあるので職を探さねばならないと思い、あえて柄の悪い地域の酒場を選んだのだ。市井には王家にいたころから高頻度で降りており、国は違えども民と街の様子、酒場は同じような作りだった。特に行動するのに問題はなかった。

 酒場は混んでいて雑然としており、湿っぽかった。この地域で良く飲まれている酒を注文し、カウンターで提供を受ける。

 奥のテーブルで三人の男が声を荒らげている。漏れ聞こえてくる会話を聞くに、商売の揉め事らしい。一人が椅子を蹴って立ち上がり、ナイフを抜いた。周りの客が引いていく。

 ヴォルクは杯を置いて立ち上がった。騒ぎに近寄り、ナイフを持った男の手首を掴んでひねり、刃を落とした。揉めていたはずの残りの二人は仲間だったようで、闖入者とみて襲いかかってきた。一人の腕を固めて卓へ押しつけ、もう一人は腹に膝を入れて黙らせた。

 制圧に三十秒もかからなかった。

 酒場が静まり返った。ヴォルクは自分の席に戻って、残りの酒を飲んだ。


「いい腕だな。旅行か?」


 カウンターの隣に座った男が声をかけてきた。がっしりした体格に人の良さそうな顔をしているが、値踏みする目がこちらを向いている。


「実家で格闘術を学んだ。兄が継ぐと決まって家を出てきて、職探し中だ」


 本当のことしか話していない。王家の教育係から格闘術を学んだ。家は兄が継ぐはずだったし、家を出たのも事実だ。正しく言い添えるのであれば、元騎士団長から剣筋を指南されるとともに戦争のための兵法も叩き込まれ、戦乱の最中に兄である第一王子は死んで、炎に包まれ崩壊した故郷の国を出奔したのであるが。


「ホオ。ウチの商会で用心棒を募集してるぞ」

「詳細を教えてくれ」

「商売の場で威圧してりゃあいい。お前の腕と面なら十分だ」

「募集してるってことは欠員か? 前任者はどうなった」

「隣国の案件で戦に巻き込まれて死んじまった。隣国とその向こうの国の戦争が落ち着くまでは、そういう案件は受けないさ。危険料も込みで給料もいいぞ」


 男はグリシャと名乗った。商会の幹部だという。後に聞いた話では、グリシャ自身も若い頃に流れてきた用心棒上がりだった。同じ匂いを嗅ぎ分けたのだろう。ヴォルクは翌日からその商会で働き始めた。

 用心棒の仕事は至極簡単で、商談の場で立って黙っていればいい。たまに揉め事があれば制圧する。人を殴り、そして殺すことにも躊躇はないが、商売相手を殺すわけにはいかないので加減は覚えた。

 真面目にこなしていれば信頼は速く積み上がった。グリシャはヴォルクの仕事ぶりを気に入り、商会の裏側を少しずつ見せ始めた。毛皮と宝石の密売。盗品の流通。関税の迂回。

 ヴォルクにとっては故郷の王家がやっていたこととそう変わらなかった。祖国が滅ぶべき悪徳王家であったことを再確認できたので良かった。


「目利きのできる鑑定士が必要だ」


 グリシャが苛々とした様子でそう言ったのは、ヴォルクが用心棒を始めて二ヶ月ほど経った頃だった。

 贋作をつかまされ大損をしたらしく、それを見逃した鑑定士は「行方知らず」になった。こういう組織ではよくあることだ。


「連れが鑑定できそうだが」

「連れ? 恋人か」

「いや、仕事仲間だ。同じような境遇でな。ただ人間不信で、人前に出たがらない」

「なぜ」

「家族に疎まれて、領地であることないこと噂を流され、どこからも雇ってもらえず追い出された」


 グリシャが眉を寄せた。


「思ったより酷い目に遭ってるな」

「家との折り合いが悪かっただけで、いいとこの次男だったんで目はいい。俺が窓口でいいなら外注する。組織の情報は漏らさない」

「……まあ、腕を見てからだな」


 腕試しにとグリシャが鑑定用に贋作を含む品々を準備した。リコリスは十分もかからずに全てを見抜き、ヴォルクが持ち帰ったその結果にグリシャは頷いた。

 以来、ヴォルク経由でリコリスに商会の鑑定の仕事が回されることになったのである。

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