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9/11

9 その日までに

片付けたり、茶を飲んだり、

そんな何気ない時間の中で、話は少しずつ動いていく。


たいていの場合、気づかないままに。


 三人を見送った後、水絵は自分がまだ、鏡之介の手ぬぐいを握りしめていることに気づいた。柄は、白と藍の分銅つなぎ――鏡之介なら、この柄もぶんまわしを使って描けるのだろうか。


「洗って、返しますね」


 水絵が言うと、鏡之介は、


「別に、そのままでかまわねえよ」


 と、手を出した。


「いいえ。ちゃんと洗います」


 そう言って、手ぬぐいを袂にしまう。

 鏡之介は苦笑いしていたが、特になにも言わなかった。

 居間に戻ると、やはり壁際の積み上がった雑多な物が気になる。


「早く終わりましたね。ちょうどいいから、ここ片付けちゃいますか?」


 すると、鏡之介は慌てたように、山の前に立ち塞がった。


「片付けなくていい。触るな」


「は?」


 あまりの言いように眉をひそめると、鏡之介は言い訳のように言った。


「これでも、ちゃんと意味があって並んでいるんだ。崩されると、大変なことになる」


「でも、おかめさんは……」


 片付けてると言っていたはずだ、と思っていたら、鏡之介が深いため息を吐いた。


「それが困りものなんだ。掃き掃除だけでいいといつも言っているのに、勝手に片付ける。後から並べ直すのに、えらく手間がかかるんだ」


 水絵は、壁際の山を眺める。どう見ても、意味がある並びには思えないが……。


「触るなよ」


 念を押されて、少しだけ気に障る。だから、一番大きな山の上を人差し指でちょんっと突いてみた。山は音を立てて雪崩を起こした。

 ああっ……と鏡之介が声を上げる。慌てた表情がおかしくて、水絵が笑うと、鏡之介は不機嫌そうな顔を作って、文句を言う。


「言ったそばから……おまえ、いい加減にしろよ」


 ぶつぶつ言いながら、片付けている鏡之介を見ていたら、


「……手伝え」


 とぶっきらぼうに言い放たれた。


「あら、だって、意味がある並べ方をしなくちゃならないんでしょう? わたしには分かりませんよ」


「人の揚げ足を取るな。おまえが倒したんだから、手伝っても罰は当たらねえだろう」


 確かに、崩したのは自分なので、水絵は「はいはい」と言って、片付けを手伝う。

 どうやら、本当に意味があったらしく、水絵が本を数冊重ねると、


「順番が違う」


 と、直されたりした。

 結局、ひとつひとつ、鏡之介の指示を仰ぎながら片付けることになり、思いのほか時間がかかった。

 水絵は、もう二度と山には触るまいと、心に決めた。


 片付けが終わった時、水絵はふと思い出した。


「そう言えば、鏡之介さんが言っていた『調べたいこと』って、なんだったんです?」


「ああ……」


 鏡之介は、茶を淹れ直しながら言った。


「信之助さんの生い立ちをな、調べてみたんだ」


「浅葱屋」が江戸に店を開いたのは、今から二十四年前、信之助が八歳の頃だという。当然、花吉もお咲も生まれていない。


「それなら花吉さんも、お咲さんも江戸生まれなんですね。……あら、でも、以前、鏡之介さん、花吉さんには大坂なまりがあるって……」


「かすかにな。多分、父親や兄さんの口調を真似ているうちに、そうなっちまったんだろう」


 それは、兄弟仲が良かったことの証にもなるのだろう。

 信之助の生みの母が亡くなったのは、店を開いてから二年後。


「もともと、身体の弱い人だったらしいが、大坂からの長旅の疲れから床につき、その後も、寝たり起きたりを繰り返していて。最後は流行病にやられちまったそうだ」


 十歳で母親が亡くなったのなら、自分より二年も早いな……などと水絵は考えた。

 お常は、もともと「浅葱屋」の仲居だったらしい。信之助の母が亡くなってから一年ほど経った頃、後妻におさまった。その後、信次郎――つまり花吉――と、お咲を産む。


「信之助の母親――お雪さんと言ったらしいが、名前の通り、色白の美人だったらしい」


 おっかさんも色白だな……と、水絵は思う。自分は父に似たのか、母ほど白くない。

 鏡之介の話は続く。


「病弱だったが裁縫の腕が良く、信次郎の着物は全部、お雪さんが仕立てた物だったそうだ」


 水絵はなにも言えなかった。

 親を亡くした子どもの寂しさは、よく分かる。分かるからこそ、簡単に「そうなんですね」とは言えない。

 水絵が言えたのは……。


「このこと、おっかさんに話してみます」


 ということだけだった。

 鏡之介は、その言葉に黙って頷いた。


 水絵が家に戻った時、志津は、信之助の羽織を仕立てていた。

 以前、志津が言ったとおり、羽裏は薄鼠色の無地を選んでいる。


「おっかさん、ちょっといい?」


 前置きをして、今日話し合ったことと鏡之介が調べたことをすべて話す。

 志津は口をはさむこともなくじっとその話を聞いていたが、その間、針が休むことはなかった。


「……ということだったんだけど……」


 水絵が言葉を切ると、志津は糸を切り、針を針山に刺した。

 縫いかけの羽織をふわっと広げる。錆利休色が、志津の姿を隠す。その向こうから、志津の声が問うた。


「……水絵、次の寺子屋の休みはいつ?」


 唐突に話が変わり、水絵は一瞬戸惑ったが、すぐに、


「次の法事は、五日後にあるそうよ」


 と、答える。

 錆利休が志津の膝に落ちると、笑みを浮かべた顔が、水絵を見ていた。


「そう……なら、間に合うわね」


 意味が分からず、水絵が首をかしげていると、志津は再び針に糸を通した。


「その頃には、羽織は仕上がっているから、若旦那さんに取りに来ていただくわ。水絵も出かけないで、家にいてちょうだい」


決まってしまったことは、あとは進むだけです。


それがどんな形になるのかは、

まだ誰にも分かりませんけれど。

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