9 その日までに
片付けたり、茶を飲んだり、
そんな何気ない時間の中で、話は少しずつ動いていく。
たいていの場合、気づかないままに。
三人を見送った後、水絵は自分がまだ、鏡之介の手ぬぐいを握りしめていることに気づいた。柄は、白と藍の分銅つなぎ――鏡之介なら、この柄もぶんまわしを使って描けるのだろうか。
「洗って、返しますね」
水絵が言うと、鏡之介は、
「別に、そのままでかまわねえよ」
と、手を出した。
「いいえ。ちゃんと洗います」
そう言って、手ぬぐいを袂にしまう。
鏡之介は苦笑いしていたが、特になにも言わなかった。
居間に戻ると、やはり壁際の積み上がった雑多な物が気になる。
「早く終わりましたね。ちょうどいいから、ここ片付けちゃいますか?」
すると、鏡之介は慌てたように、山の前に立ち塞がった。
「片付けなくていい。触るな」
「は?」
あまりの言いように眉をひそめると、鏡之介は言い訳のように言った。
「これでも、ちゃんと意味があって並んでいるんだ。崩されると、大変なことになる」
「でも、おかめさんは……」
片付けてると言っていたはずだ、と思っていたら、鏡之介が深いため息を吐いた。
「それが困りものなんだ。掃き掃除だけでいいといつも言っているのに、勝手に片付ける。後から並べ直すのに、えらく手間がかかるんだ」
水絵は、壁際の山を眺める。どう見ても、意味がある並びには思えないが……。
「触るなよ」
念を押されて、少しだけ気に障る。だから、一番大きな山の上を人差し指でちょんっと突いてみた。山は音を立てて雪崩を起こした。
ああっ……と鏡之介が声を上げる。慌てた表情がおかしくて、水絵が笑うと、鏡之介は不機嫌そうな顔を作って、文句を言う。
「言ったそばから……おまえ、いい加減にしろよ」
ぶつぶつ言いながら、片付けている鏡之介を見ていたら、
「……手伝え」
とぶっきらぼうに言い放たれた。
「あら、だって、意味がある並べ方をしなくちゃならないんでしょう? わたしには分かりませんよ」
「人の揚げ足を取るな。おまえが倒したんだから、手伝っても罰は当たらねえだろう」
確かに、崩したのは自分なので、水絵は「はいはい」と言って、片付けを手伝う。
どうやら、本当に意味があったらしく、水絵が本を数冊重ねると、
「順番が違う」
と、直されたりした。
結局、ひとつひとつ、鏡之介の指示を仰ぎながら片付けることになり、思いのほか時間がかかった。
水絵は、もう二度と山には触るまいと、心に決めた。
片付けが終わった時、水絵はふと思い出した。
「そう言えば、鏡之介さんが言っていた『調べたいこと』って、なんだったんです?」
「ああ……」
鏡之介は、茶を淹れ直しながら言った。
「信之助さんの生い立ちをな、調べてみたんだ」
「浅葱屋」が江戸に店を開いたのは、今から二十四年前、信之助が八歳の頃だという。当然、花吉もお咲も生まれていない。
「それなら花吉さんも、お咲さんも江戸生まれなんですね。……あら、でも、以前、鏡之介さん、花吉さんには大坂なまりがあるって……」
「かすかにな。多分、父親や兄さんの口調を真似ているうちに、そうなっちまったんだろう」
それは、兄弟仲が良かったことの証にもなるのだろう。
信之助の生みの母が亡くなったのは、店を開いてから二年後。
「もともと、身体の弱い人だったらしいが、大坂からの長旅の疲れから床につき、その後も、寝たり起きたりを繰り返していて。最後は流行病にやられちまったそうだ」
十歳で母親が亡くなったのなら、自分より二年も早いな……などと水絵は考えた。
お常は、もともと「浅葱屋」の仲居だったらしい。信之助の母が亡くなってから一年ほど経った頃、後妻におさまった。その後、信次郎――つまり花吉――と、お咲を産む。
「信之助の母親――お雪さんと言ったらしいが、名前の通り、色白の美人だったらしい」
おっかさんも色白だな……と、水絵は思う。自分は父に似たのか、母ほど白くない。
鏡之介の話は続く。
「病弱だったが裁縫の腕が良く、信次郎の着物は全部、お雪さんが仕立てた物だったそうだ」
水絵はなにも言えなかった。
親を亡くした子どもの寂しさは、よく分かる。分かるからこそ、簡単に「そうなんですね」とは言えない。
水絵が言えたのは……。
「このこと、おっかさんに話してみます」
ということだけだった。
鏡之介は、その言葉に黙って頷いた。
水絵が家に戻った時、志津は、信之助の羽織を仕立てていた。
以前、志津が言ったとおり、羽裏は薄鼠色の無地を選んでいる。
「おっかさん、ちょっといい?」
前置きをして、今日話し合ったことと鏡之介が調べたことをすべて話す。
志津は口をはさむこともなくじっとその話を聞いていたが、その間、針が休むことはなかった。
「……ということだったんだけど……」
水絵が言葉を切ると、志津は糸を切り、針を針山に刺した。
縫いかけの羽織をふわっと広げる。錆利休色が、志津の姿を隠す。その向こうから、志津の声が問うた。
「……水絵、次の寺子屋の休みはいつ?」
唐突に話が変わり、水絵は一瞬戸惑ったが、すぐに、
「次の法事は、五日後にあるそうよ」
と、答える。
錆利休が志津の膝に落ちると、笑みを浮かべた顔が、水絵を見ていた。
「そう……なら、間に合うわね」
意味が分からず、水絵が首をかしげていると、志津は再び針に糸を通した。
「その頃には、羽織は仕上がっているから、若旦那さんに取りに来ていただくわ。水絵も出かけないで、家にいてちょうだい」
決まってしまったことは、あとは進むだけです。
それがどんな形になるのかは、
まだ誰にも分かりませんけれど。




