8 言えぬ想い
守る言葉は、ときに優しく、
ときに刃のように鋭い。
「見つかったんですか? 誰なんです?」
真っ先に口を開いたのは花吉。
月之丞とお咲は、じっと鏡之介を見つめている。
「花吉さんの読みは、半分だけ当たっていた。あの長屋に住んでいる人です。でも、水絵じゃあない」
「え?」
三人が一斉に水絵を見る。
「水絵は、信之助さんに会ったことがないと言っていた。つまり、それは、信之助さんが水絵のいない時を狙って長屋を訪れていたということになる。そうしなければならなかったのは……」
水絵は、一度だけ唇をかみしめる。
その表情を見て、花吉がつぶやいた。
「……まさか……志津さん……?」
鏡之介は頷いた。
志津が誰だか分からないお咲に、花吉が「水絵さんのお母さんで、仕立屋」と、小声で告げた。
「春先から、三枚も着物の仕立てを頼んでいる」
鏡之介の言葉に、あ……と小さく声を上げて、お咲が言った。
「そう言えば、信之助兄さん、ここのところ、よく新しい着物を着ていました。でも、三枚も作っていたなんて……」
「着物だけじゃありません。先日は羽織も……。裏は母に見立てて欲しいとおっしゃっていたそうです」
「あの……失礼ですけど……」
ためらいがちに、お咲が尋ねた。
「志津さんは、おいくつなんですか? それと、水絵さんのお父様は?」
「母は三十三です。父は、五年前に亡くなりました」
その場に、少しの間、沈黙が流れた。
それを破ったのは、月之丞だった。
「いいご縁じゃありませんか。姉さん女房は身代の薬って言いますからね。水絵さんを育てた方なら、お人柄は言うまでもないでしょうし。一度だけお見かけしたことがありますが、水絵さんによく似たお綺麗な方でしたよ。『浅葱屋』さんのおかみさんとしても、きっと……」
「月之丞さん、先走らないでくれ」
月之丞の言葉を止めたのは鏡之介だった。
「そうですよ。それに、志津さんがいなくなったら、水絵さんがひとりぼっちになってしまうじゃありませんか」
強い口調の花吉に、月之丞ははんなりと柔らかく、だが、ちょっと皮肉めいて言葉を返す。
「水絵さんだって、いずれお嫁に行くでしょう? そうしたら、ひとりぼっちになるのは志津さんのほうですよ。だいたい、母親がいなくて寂しいなんて、小さい子どもじゃあるまいし」
花吉は、言いかえす言葉が見つからないのか、口を強く結んで、月之丞を睨みつけている。
「その通り。水絵はもう子どもではない。ちゃんとわきまえている」
そう言いきった鏡之介が、言葉を続ける。
「だが、みなさんの話は筋が違う。ここで気にするべきは、水絵の気持ちではなく、志津さんがどう思っているかだ」
月之丞と花吉が、気まずそうにうつむく。
鏡之介に促されて、水絵は口を開いた。
「わたしは、おっかさんが幸せになれるのなら、それでいいと思っていました。でも……おっかさんにその気はありません。おっかさんは、今でも……父上を……父を思っています……」
自分の声が震えていることを不思議に思っていたら、目の前に手ぬぐいが差し出された。
――鏡之介だった。
それを見て、自分の頬が濡れていることに気づいた。水絵は手ぬぐいを受け取り、そっと頬を押さえた。
花吉は感じ入ったように水絵を見たが、月之丞は皮肉な微笑みを浮かべた。
「それは、本当に志津さんのお気持ちなんでしょうか? 水絵さんのお望みなのでは?」
違います、と水絵が言うより先に、
「水絵は、そんな娘じゃねえよ」
強くはなかったが、鏡之介の一言は月之丞を黙らせるには十分だった。
月之丞は、びくっと身体を震わせ、
「失礼いたしました」
と、頭を下げた。
「つまり、その志津さんという方が、信之助兄さんのお嫁さんになってくださる見込みはないってことなんですね」
今まで黙っていたお咲がそう言うと、月之丞がぱっと顔を上げた。
「お咲さん、諦めちゃいけません。人の気持ちは変わることもあります。信之助さんが必死に口説けば、道は開けるかもしれません」
すると、お咲はゆるゆると首を横に振った。
「無理だと思いますよ。わたしも女ですから分かります。亡くなった方を五年も思い続けていらっしゃる方の気持ちは、そう簡単に変わるものではありません。かわいそうだけれど、信之助兄さんは諦めるしかないと思います」
「駄目です! 諦めたら、若旦那さんは婿入りしてしまうんですよ。そんなことになったら、月夜……いえ、喜代彦さんが困るじゃありませんか」
月之丞はなおも食い下がる。
お咲は、月之丞をちらっと見たがなにも言わず、鏡之介や水絵、そして花吉に目を向けて言った。
「確かに、喜代彦は信之助兄さんを頼りにしてます。いなくなったら困る、とも。でも、わたしの考えは喜代彦とは違います。母違いとはいえ、兄さんです。小さい頃から、わたしをかわいがってくれた兄さんには、幸せになってほしいんです」
花吉が、うんうんと頷いている。
「もし、兄さんの気持ちが通じて、想い人と一緒になれるなら、それが一番だと思っていましたけれど、それは無理だと分かったので。もし、婿入りの話が決まるのなら、帳場のことは、わたしがなんとかします。それまでに、全部、兄さんから教わります」
きっぱりと言い切ったお咲に、周りは何も言えなかった。
すると、お咲は、ふふっと笑いながら、鏡之介を見て言った。
「わたし、子どもの頃からそろばんは得意だったんですよ。でも、もし力不足なら、鏡之介先生に教えていただきます」
強く言ったわけではない。
それでも、あの一言には、確かな重みがありました。
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