7 師匠仲間
当人たちには分からなくても、
他人にははっきり見えることがある。
むしろ、そういうことのほうが、多いのかもしれない。
水絵は、次の言葉が出なかった。言われた言葉の意味が、すぐに飲み込めなかったからだ。
すると、鏡之介が苦笑いしながら言った。
「おかめさん、若い娘をからかうもんじゃない。水絵が困ってるじゃないか」
「おや、違ったのかい? 女っ気のない先生に、ついに春が来たのかと思ったんだけどねぇ」
そこまで言われて、水絵はようやく合点がいった。だから、
「違います! わたしは、ただの師匠仲間、というか…ええと」
と、言ったのだが、自分で言っておきながら、その言葉に少しだけ違和感を覚える。本当に、ただの師匠仲間、と言ってしまっていいのだろうか?
しかし、鏡之介にとってそれは当然のことだったらしい。
「そう。師匠仲間の水絵だ。水絵、こっちは、時々掃除に来てもらってるおかめさん」
そう紹介されたので、水絵はぺこりと頭を下げる。
「水絵といいます。よろしくお願いします」
「はい、よろしく。この先生は、放っておくと、本が雪崩を起こしちまうからね、時々様子を見に来てるんですよ」
「……みたいですね」
水絵は周りを見回しながら答えた。おかめの言うとおり、壁際には本やなにやら書き付けた紙の束、算学の道具と思える物が雑多に積み上がっていた。
「本当なら、それも片付けたいんだけど、今日は、掃き掃除だけでいいって言うから」
おかめは不満げに鏡之介を見る。
「のんびりしている暇はねえんだ。水絵のほかにあと三人ばかり来ることになっていて、大事な相談があるからな」
話は、数日前に遡る。
信之助の想い人が誰だか分かったので、花吉たちに知らせなくてはならない。そのことについて、鏡之介と水絵は頭を悩ませていた。
花吉と月之丞、どちらを先に伝えようか? と。すると、鏡之介が言ったのだ。
「この際、二人を呼んでいっぺんに伝えちまったほうがいいだろう。二人の思惑はまるで逆だが、そのすりあわせもしておかなければならねえだろう」
二人一緒は理にかなっているのかもしれないが、思惑の違いから、二人が妙な意地を張ってしまう恐れもあるのではないか……と、水絵は案じた。だから、言ってみた。
「それなら、喜代彦さんにも来てもらったらどうでしょう? 困っているのは月之丞さんじゃなくて、喜代彦さんのほうなんだし」
月之丞を通すより、喜代彦本人の気持ちを聞いたほうがいい気がした。
「なるほど……そのほうがいいな。水絵はいいところに目を付ける」
と、鏡之介はうなずき、話が長くなりそうなので、寺子屋が休みの日に来てもらうことにした。
しかし、ここで困ったことが起きる。
寺子屋が休みということは、本堂では法事が行なわれるということだ。つまり、眞性寺は使えない。
他人には聞かせられない話だから、それなりの場所でないとまずいのだが……。
「困りましたね」
水絵がつぶやいた時、鏡之介が諦めたように口を開いた。
「仕方ねぇな。俺の家にするか」
そう言うわけで、水絵は、はじめて鏡之介の家を訪れることになった。鏡之介が住んでいるのは、駒込にある一軒家だった。
今日、ここに来るのは、花吉と、月之丞、そして、花吉の妹のお咲――本当は、喜代彦に来てもらいたかったのだが、板場を離れることは出来ないというので、お咲に来てもらった。
「はいはい。急ぎますよ。掃き掃除が済めば終わり……ああ、座布団を縁側に干してあったんだ」
おかめの言うとおり、縁側に座布団が並んでいた。
「取り込みますね」
水絵は、縁側に出て座布団を重ねる。かなり前から干してあったのか、ふかふかと温かい。
「気が利くねぇ」
ゴミを縁側から掃き出したおかめが、水絵に声をかける。
「いえ……」
と、おかめに答えて、部屋の真ん中に突っ立っている鏡之介に声をかける。
「鏡之介さんも、ぼんやりしてないで手伝ってください」
「お、おう」
鏡之介が慌てて縁側に出て、残りの座布団を重ねているのを見て、おかめはくすくす笑っていたが、ふと、水絵の手元に目をやった。
「水絵さんとやら、あんた、仕立てもするのかい?」
水絵の中指には、指ぬきの跡があった。
「あ、はい。母が仕立屋なので、その手伝いを」
座布団を運んでいた鏡之介も口をはさむ。
「水絵は、寺子屋でも縫い物を教えてるぞ。腕がいいんだ」
すると、おかめは水絵に近づき、鏡之介に聞こえないような小声で訊いてきた。
「もしかして、今、先生が着ている鳩羽鼠の単衣、縫ったのは水絵さんかい?」
「はい、そうです。この前頼まれて」
「春先に着ていた、七宝の袷は?」
「それも、わたしです」
おかめは、それを聞くとにやっと笑った。「ふうん、なるほどねぇ」などと独り言をつぶやいている。
「ええと……似合わない……とか?」
心配になって、思わず訊いてしまうと、おかめは笑いながら手を振った。
「逆、逆。それまで着ていた藍や鉄紺と違って、身体に合っているし、えらく似合っているから、いい仕立屋を見つけたんだなと思ってたのさ」
「そうですか……よかった」
微笑みかけると、おかめはなんとも言えない表情をして、もう一度なにかつぶやいた。水絵には聞き取れなかったが……。
――見つけたのは、仕立屋ってわけじゃなさそうだねぇ。
それじゃあ……と、おかめが帰るのと入れ違いに、花吉が姿を現した。少し遅れて、お咲。それから、月之丞が、
「遅くなって、すみません」
と言いながら、入ってくる。
水絵がそれぞれに茶を出し終えると、鏡之介が口を開いた。
「おそろいのようなので、信之助さんの想い人について、分かったことを申し上げます」
それぞれの思惑は、まだ交わっていない。
同じ場所に集まったからといって、
同じ方向を向くとは限らないのだから。




