出藍の誉。【後編】
ーーー相変わらず、苦いものだな。
ヤッフェが去った謁見の間で、コビャクは小さく息を吐いた。
支配者たる者の役目を果たすことは、時に冷酷な程に人の情を切り捨てることになる。
澱のように黒いそれらの決断は、玉座に座る限り、心の底に溜まり続けるのだ。
特務卿に任じたレオも、此度の一件で随分と憔悴しているが、今後もずっと続く最初の試練である。
乗り越えられなければ、玉座に座る期間は短くなるだろう。
そんな、ヤッフェとのやり取りの後。
結局、ウーヲンに纏わる状況やホリーロ公爵家の介入によって、彼の望みは叶った。
それが政治的な取引の材料としてであろうと、主犯ローレラルより重い罰をワィンに与える訳にはいかないからであろうと、命だけは救われた。
後味の悪さが残ったことに変わりはなかったが……ヤッフェが倒れたことを契機に、そんな心の澱の一つを、レオニールが掬い上げにきた。
我が子は、苛烈果断が求められる時代の終わりに、他者を尊重し、頭を垂れることを辞さぬ王である。
その優しさは、上手くいけば得られる益も多いが、代わりに威厳を損なう危険も大きい。
王として在るには、人を権によって抑圧するよりも、法と公平公正によって厳格に人を捌くよりも、遥かに困難な茨の道である。
情を多く汲み取れば汲み取るだけ、判断は困難になるのだ。
個々人の情を重んじ過ぎて判断を誤れば多くの者の不幸を招き、それによって自らの情を蔑ろにされた者たちの反感に変わり、矛先は王に向く。
しかしレオニールはその道を選び、今のところ大きく踏み外すこともなく歩んでいた。
最近で特に大きな決断は、多くの異国に借りを作っても救うべき、と判断したウェルミィ・オルミラージュに関すること。
各国の王族や権力者を一人の益の為に召集する、という明らかな不利益を、『世界初の魂魄救済術式成功に携わった』という名誉を喧伝することで、減らしてみせたのである。
それは残りの不利益が、『彼女を救いたい』と願った者達によって相殺出来る、という信頼あっての決断でもあったし、レオニールの『仁の王』としての矜持でもあっただろう。
故にコビャクは、我が子の言葉に応える。
「生涯に渡る刑罰を言い渡したことを撤回するだけの、どのような理由がある?」
「沙汰が降ってからこれまで、ガワメイダ伯爵は身を粉にして、ライオネルの為に尽力して来ました。無期懲役は、服役囚が模範的な行動をしていたら、刑務官の裁量で釈放出来るものでは?」
レオニールの言葉に、澱みはなかった。
「それに、年老いた相手に鞭打って働かせずとも、我が国には有能な若き人材が数多くおりますので」
「それは民の益となる決断か?」
「当然でしょう。ガワメイダ伯爵が罰を下された事件の被害者は、ローレラルによって貶められた貴族学校のご令嬢がたからヘーゼルらまで皆、追跡して賠償を行なわせた上で、現在は健やかに暮らしているのを確認しております」
そこで、レオニールはニヤッと笑みを浮かべた。
「ならば罰の名の下に体力の衰えた者を席に縛り付けるより、その席を譲っていただく方が今後の為になるでしょう」
イオーラを得て、ウェルミィ達と共に国を背負うようになってから。
コビャクの前でも見せるようになったその表情は……旧友たちによると『父子でよく似ている』らしい。
「それに『区別は必要だが、差別は軋轢を生む』のでね」
レオニールの言葉に、思わず目を細めた。
「父上の言ですよ。皆が少しずつ肩の荷を下ろしていっている中、少々言葉の伝え方を間違えた程度のガワメイダ伯爵にこれ以上重荷を背負い続けさせることは、私の中では区別ではありませんので。誰かが許してやってもいいと、そう考えております」
コビャクは、その建前と本心を両方示した我が子に、ニヤッと笑みを返す。
「良いだろう。その決断を尊重しよう、レオニール」
「ありがとうございます。では、俺はこれで。またゆっくり、家族で過ごす時間を作りましょう」
「ああ」
そうして去っていくレオニールの背中を見送ってから、コビャクが住まいとしている宮に戻ると、妻である先代王妃リオナが出迎えてくれた。
「あら、もう終わりましたの?」
「大した用事ではなかった。レオニールが律儀だっただけだ」
「あの子は昔から真面目ですからね」
ふふ、と笑うリオナに、コビャクは頷く。
「出藍の誉れ、とは、よく言ったものだ」
我が子や弟子が、親や師である自分自身を超えること。
それは人を育てることの終着点として、この上ない成果と呼べるだろう。
「あれは私を超えた傑物だ。今後、驕ることもないだろうしな」
しかし妻は、コビャクの言葉に小さく首を傾げると、つん、と胸をつついてくる。
「時代と役割が違うのですから、簡単に比べられるものではありませんよ。貴方も王として、十分立派に努めておられましたよ」
「そういうことが言いたいのではないのだが。君の産んでくれた子は、皆優秀に育った」
「貴方の子でもあるでしょう。わたくしだけの手柄ではありませんし、功績や能力を比べるものでもありませんと申し上げているのです。皆が幸せであれば、それで良いのですから」
「……間違いないな」
コビャクは苦笑した。
常に引き比べられ、競争を強いられる中で、こういう考え方で言葉をくれる女性だからこそ、コビャクはリオナに惚れたのである。
この歳になってもなお、言われないと忘れがちなことだ。
リオナは、あの堅物で神経質な前・宰相ノトルド・ラングレーの妹とは思えない程、肝も据わっている。
皮膚が爛れてしまい、イオーラが肌を治す薬を開発するまでの間も、泣き言ひとつ言わずに明るく振る舞えるくらい、強い女なのだ。
「だが、玉座を押し付けられる優秀な子だったからこそ、こうして君とのんびり過ごすことが出来るのは、喜ばしいことだろう?」
「それはそうですわね。今日は庭でお茶に致しましょう。良い天気ですし」
「ああ」
侍女に準備を頼む妻を見ながら、コビャクは満足感を覚えていた。
嬉しいこと、辛いこと、心配なこと……これまでの人生、色々なことがあったが。
その中で一番の幸運は、間違いなく共に歩む伴侶がリオナであったことだろうと、そう思いながら。
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