出藍の誉。【前編】
「父上。お待たせして申し訳ありません」
王宮の中庭。
先代ライオネル国王コビャクは、息子に声を掛けられて、池の水面から目線を外して振り向いた。
「どうした? 改まっての呼び出しなど」
「少し、お話ししたいことがありましてね」
孫の誕生と同時に譲位し、三十路を超えて少し。
未熟さが失せて精悍になったレオニールの顔を眺めて、コビャクは目を細める。
―――立派に育ったものだ。
生まれた時は、強大過ぎる魔力の影響で体が弱く、成人まで育つかが分からないと言われた、一番上の息子。
幼い身の内に、『状況によっては弟のタイグリムに玉座を預けねばならぬ』と厳しいことも告げなければならなかった。
それでも弟を妬むことも腐ることもなく共に切磋琢磨し、ある時期を境に病気がちだった体質が改善して、より勉学と武術に励むようになった。
ただ、あまりにも優し過ぎることだけが、気になっていた。
コビャクは、自分の父は苛烈であったし、己は冷徹であったと思っている。
己らと引き比べても、あるいはタイグリムやナニャオと比べても、優秀ではあるが王には向かない気質かと悩みもした。
「この場所で父上と二人きり、は、少々懐かしいですね」
レオが周りを見回してそう口にするのに、コビャクは何を言っているのかに気づいた。
王太子と決めた後、貴族学校入学前、レオニールが14歳の時に、『区別は必要だが差別は軋轢を生む』と訓示を与えたのは、ちょうどこの庭でのことだった。
身分を隠して貴族学校に通うことそのものは伝統だが、その立場で実際に感じる軋轢は、レオニールの柔らかい心に傷となるかもしれない……それを憂いての言だった。
実際、通い始めてしばらくは悩んでいる様子だったが、レオニールは思った程には応えなかったように見えた。
それはイオーラとの出会い故かもしれず、あるいは別の理由があるのかもしれなかったが。
「あの後、結局訊くことはなかったが。実際に下の立場で目にした、貴族階級というものの在り方はどうだった?」
「非常に有益でしたよ。失望する面もありましたが……まぁ、あまり昔と変わらないかと思い直した面もあります」
と、レオニールは笑みを浮かべて、軽く肩を竦める。
「昔とは?」
「幼少の頃。俺は体が弱く、王太子に任じられるかどうかも微妙でした。その頃、表立って何かを言われることはありませんでしたが、貴族の中にはうっすらと侮る空気が漂っていましたから」
それを受けてコビャクは、深く頷く。
生臭くも血腥くもある政争というものは、時に大衆や守るべき者らの為に、為政者の人間性を否定するものだ。
その中の一つ、『権力の座に近い者の中で誰につくか』というのは、臣下にとっては非常に重要な話ではある。
王室やコビャク自身には、兄弟を競わせこそすれ、争わせるつもりはなかった。
それ自体も、どちらに転ぼうと将来、民が困らぬ為の決断ではあったのだ。
とはいえ、コビャク自身が用意した状況もまた『レオニールは担ぐに足りない』と臣下に思わせかねないやり方だっただろうことも、分かっていた。
体は弱いが愚鈍ではなかったレオニールは、そうした大人の侮りを感じ取っていたのだろう。
大衆の為の論理は、個人の心を圧する。
平民であろうと、王族の嫡子であろうと関係なく、脆い者に矛先が向かうのだ。
レオニールはそうした侮りに耐え切り、弛まぬ努力の果てに、自らの力で王と成った。
その優しさを人の話に耳を傾ける方に向け、自らを『凡庸な王で足る』と定めて。
今まで教えに逆らうこともなく、驕ることもなく、愛すべき伴侶と友人に恵まれたレオニールは。
「昔話は楽しいですが、あまり時間がありません」
そうさらりと過去を流して、言葉を重ねる。
「ヤッフェ・ガワメイダ伯爵が倒れました。俺は彼の心を『罪と罰』から解放しようと思います。その許可をいただきに来たんです」
レオニールの言葉に、コビャクは可笑しさを覚えて笑みを浮かべた。
「わざわざか? 今の王は私ではない。好きにすればよかろう」
「契機を設けない、表沙汰にする訳にはいかない勅命です。行政手続きのややこしいところですが、勅命を下した父上本人の許可が必要でして」
―――詭弁だな。
手続きが煩雑であることは間違いないが、先王の勅命に、今代の王の勅命に優先する強制力はないのである。
これはおそらく、レオニールなりのケジメなのだ。
ありがたいことに、こちらの決断を尊重してくれているからこそ、なのだろう。
コビャクはそれによって久しぶりに、ヤッフェに処分を言い渡した時のことを思い出していた。
※※※
―――11年前。
ローレラルが引き起こした事態が発覚した日。
謁見の間で、地面に頭を擦り付けるヤッフェの姿を、玉座に座したコビャクは冷徹な目で見下ろしていた。
「罰を与えぬ訳にはいかぬことは、重々承知しております。ですが、此度の件は私の監督不行届です。どうか、私の首一つでお慈悲を……命ばかりは」
今後、大公国の大使も交えて話し合いを行う。
大公国四公家の血統固有魔術を悪用に関わった者は、本来、全員処刑である。
今回の事態はかなり特殊な事例であり、事態を表沙汰に出来ない可能性が高かった、のだが。
「其方の首一つに、どの程度の価値があると思うのだ?」
コビャクの問いかけに、ヤッフェは微動だにしなかった。
内心息を吐きつつ、甘さを見せる訳にはいかないので、あくまでも声音は乱さないまま、言葉を重ねる。
「本来であれば、伯爵家取り潰しの上、一族郎党処刑の事態ぞ」
「重々、重々、承知致しております……!」
ローレラルがやったのは、国際条約に抵触する行為である。
大公国外で、監視下にない大公国の血統固有魔術の持ち主を発見した場合、まず報告義務がある。
これに関しては国際条約よりも軽い国際協定の範囲内で、契約魔術による縛りもない。
が、血統固有魔術の|使用(強調点)を目撃した場合は、条約に抵触する為、早急に報告しなければ死が降りかかる。
そして本来であれば国外で血統固有魔術を使用した本人も、死ぬ筈だった。
国外に出る際に、血統固有魔術の持ち主は、必ず契約魔術の支配下に置かれるからだ。
これについて、ウーヲンが契約を結ばないまま国外に存在したことは、大公国側の管理体制の落ち度。
ローレラルが彼の力を悪用したことに関しては、王国側の落ち度である。
これはローレラルが成人前であり、契約魔術締結までの猶予期間にあった、という最悪の噛み合わせの結果だったが、罪は罪だ。
事態を公表するかどうかはこれからの協議と取引の内容次第だが、イオーラとウェルミィの機転により、おそらくはギリギリ水面下で収まるだろう。
しかしどちらにせよ、首謀者だけは高確率で毒杯を飲み干すか、首を括る可能性が高い。
それを見越しての、ヤッフェの嘆願だった。
どうにも出来ない娘の所業を、それでもどうにかしたいという気持ち。
コビャクも人の親として痛い程に、彼の行動理由は理解出来るが……現状、それで甘い処分を下す理由が存在しないのである。
「ヤッフェ・ガワメイダ。事件については秘匿の方向で動くだろう。そして仔細を明かせぬ事件だからこそ、伯爵家そのものは処分を免れる。本来であれば諸共飛ぶ首を差し出して、罪の代償とはなり得ぬ」
「……」
「まして、これを引き起こしたのが平民であったとしたら、其方のように直接訴える手段がないとしたら、法はその情状酌量を許すか? 其方の愛する娘が、他者を陥れ不幸を招き、社会に混乱を齎した者であるという事実に変わりはあるか。償う必要がないと、そう判断するか」
「……いいえ」
「では次に、二人が王国や民にとって、法を曲げるほどに、他者の被った被害を不問とするほどに、有用であることを示せるか。其方のように、ウェルミィ・リロウドのように、オルブラン侯爵令息のように、生かすことが民の益に繋がると、今ここで示せるか」
「…………いいえ」
王の前で、虚偽は許されない。
血反吐を吐くように搾り出された正直な言葉に、コビャクは一つ頷いた。
そしてコビャクは、貴族平民の別なく公平公正であることが、己の王としての役割であると弁えていた。
「では、例外はない。ワィン・ガワメイダとローレラル・ガワメイダの助命が叶うとしたら、それは今後の交渉内容次第となろう。そしてどちらに転ぼうと、其方に与える罰の内容は決まっている」
淡々と告げると、ヤッフェが土気色をした顔を上げた。
コビャクは一切表情を動かすことなく、ハッキリと口にする。
「何も罰さぬことが、気付けなかった其方への罰だ。その身朽ち果てるまで民の為に生きよ」
自身が何も咎められないことは、己のことのみを考える者にとっては幸運だろう。
しかし自責の念に駆られる者にとって、それは最も重い罰になり得るのだ。
自分の後悔が許されず、死ぬまで続くことと同義であるから。
「処分が決まった時、内容は其方が家族に伝えよ。その際に、一切の情を示すことを禁ずる」
「……御意」
その絶望の表情を、コビャクは立ち上がりながら自身の目に焼き付けた。
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