伯爵令嬢、好きな人をカネで買う。
伯爵令嬢
『辛い時は、助けを求めていいんですよ?』
デイドロ伯爵令嬢のリューカが彼と出会ったのは、デビュタント直後にある侯爵家で行われた、貴族子女の交流会だった。
家格も低そうで、爵位を継ぐわけでもない立場で、少し歳の離れた彼が何故あの場に居たのかは、知らない。
けれどリューカは、彼に掛けられたその言葉に、確かに救われたのだ。
※※※
―――そんな交流会での出来事から、数年後。
「増産できない……?」
デイドロ伯爵令嬢のリューカは、受け取った手紙を読んで眉根を寄せた。
伯爵家の事業の一つ、主に女性用化粧品の販路について任されているのだけれど、先日、ある保湿薬が貴族のご婦人方の間で非常に評判になった。
在庫が少なく、話題になってすぐに無くなってしまったので、生産元である男爵家から直接買い入れをしようと連絡を取ったのだけれど、返答がそれだったのだ。
おカネと人手の問題だと、理由が記されていたのだけれど。
「おかしいですわね……」
リューカは不審に思った。
あの保湿薬は買い付け原価が高く、それなりの価格で販売されている筈だ。
製法は分からないけれど、原料となる薬草もおそらく特別なものではない。
なのに、外から材料と取り寄せることも製造の人手を増やすこともできない、というのはどういうことなのだろうか。
リューカは、手紙を持ってきた側付き侍女のレンカに問いかけた。
「男爵は今、王都にいらっしゃるのよね?」
「そう伺っております」
「しばらく滞在なさるのかしら」
「おそらくは……他所との付き合いが少ない方であっても、社交の時期に領地に帰られる方は中々おられないと思われます」
「なら、少し調査しましょう」
返答の手紙を丁寧に畳んでテーブルに置いたリューカは、軽く目を細める。
「何か臭いますわ」
「畏まりました」
そうして、一週間程度の調査と手回しを終えたリューカは、男爵家に再度手紙を出した。
面会の打診である。
『最速で』と男爵にお願いしたところ、翌日には日程の返答があり、リューカは二日後には男爵邸へと赴いていた。
「突然申し訳ございませんわね。お会いいただき、誠にありがとうございます」
馬車を降り、屋敷と呼ぶには小さい家屋の前でリューカがにこやかに告げると、直立不動で出迎えてくれた彼はあっけらかんとした笑顔を浮かべた。
「お久しぶりです! こちらから伯爵家に赴くところを、わざわざお越しいただきましてありがとうございます!」
彼の言う通り、伯爵家は高位貴族、男爵家は最下位の貴族である。
本来なら『呼びつけた』と、この状況自体が無礼に当たるところではあるけれど、それよりも気になることがあった。
「わたくしが会いたいと望んだので、お気になさる必要はございませんけれど……卿に覚えていていただけて、大変嬉しく思いますわ」
扇を広げて、リューカはニッコリと笑みを浮かべた。
―――グラジオ・リアス男爵。
黒髪黒目で、一見して目立ったところのない男性だけれど、当主としては非常に若い。
妻と死別した訳でもないのに独身で、なのに男女の双子を養っており、その点も貴族家当主にしては珍しい話だった。
そんな彼に、リューカは数年前に一度だけ会ったことがあり、『久しぶり』という言葉から覚えていてくれていたことが察せられた。
「記憶力は、割といい方だと思っております! 狭い家ですが、中にご案内致しますね!」
そうして客間に移動すると、グラジオ様が手ずからお茶を入れてくれた。
手つきも慣れた様子で、口をつけると香り高く苦味も薄く、淹れ方が素晴らしい。
茶葉そのものも、買い付けたのではなく男爵領で育てたものだろうけれど、質が良さそうな舌触りである。
「大変美味ですけれど、男爵家のタウンハウスに使用人は居られませんの?」
「貧乏世帯でして、失礼を致しております! うちの使用人は領地も含めて婆や一人しかおりませんから、今は子どもたちの面倒を見て貰っているのです!」
特に悲壮な様子も感じさせずに相変わらず朗らかな彼に、リューカは突っ込んだ。
「そこですわ」
「え?」
「この茶葉は質が良いですし、あの保湿薬も同様です。どちらもたくさん作ればいいのでは? そうすれば、作る人間を増やすことも出来ないくらいに困窮することはないと思うのですけれど」
するとグラジオ様は、不思議そうに首を傾げた。
「でも茶葉も保湿薬も、そんなに高いものではありませんよ。保湿薬の方は、茶葉に比べて作るのも難しくないですし。家計の足しにはなりますが、かかり切りになるわけにも行かないくらいの薄利なのです!」
「あら、そうですのね。失礼ですけれど、今、どちらの方に販売をお願いしておりますの?」
「ルカインという方ですね! 田舎の小さな領にも足を運んでくれる良い方ですよ!」
グラジオ様が口にした商人の名に、リューカは聞き覚えがあった。
『成金』『金の亡者』と陰口を叩かれるような人物で、身分は平民ではあるものの、相当な富を溜め込んでいるという噂の人物だ。
「大変お世話になっておりまして! あの保湿薬も大した値がつかないと言われていますが、販路を融通する代わりに借金をさせてくれて、返済も待ってくれてますね!」
あっはっは、と笑うグラジオ様は、相変わらず明るい。
リューカはそんな彼の様子に目を細めつつ、扇で口元を隠した。
―――間違いなさそうね。
こちらの調査結果とも一致する。
どう考えても、市場価格と販売元であるグラジオ様の現状が釣り合っていなかったのだ。
おそらく、その商人に中抜きされている。
その上、騙されている。
あれを適正価格で売っていて、困窮どころか借金をしなければいけない状況になるなど、あり得ない話なのだ。
「リアス卿……いえ、グラジオ様」
「あ、はい」
「わたくし、貴方を買いますわ」
「はい。……はい?」
「正確には、貴方の物作りの腕を、ですけれど」
リューカは意味が理解出来ていない様子のグラジオ様にそう言い直して、扇を口元から離す。
「このまま失わせるのは勿体無いですもの。男爵領は困窮し、今は借金までありますのよね?」
「え、ええ」
「このままでは、没落一直線なのでは?」
はっきりとリューカがそう口にすると、グラジオ様は笑顔のまま、首を横に振った。
「ああ、いえ、ご安心ください! 借金は僕個人のものにして貰っているので、うちの子が爵位を継げば男爵領に迷惑は掛かりませんので!」
「爵位を子に譲っても、借金が消える訳ではないでしょう。貴方ご自身はどうなさるのです」
ピシャリとそう言い返して、言葉を重ねる。
「その借金、我が伯爵家が肩代わり致しますわ。その代わり、条件がございます」
パチン、と扇を閉じたリューカは、彼に対して笑みを浮かべた。
「グラジオ様は、わたくしの夫になってくださいませ」
※※※
―――数年前。
デビュタントの直後に、リューカは両親と弟を馬車の事故で失っていた。
そして、自分の居場所がなくなってしまったような気がした。
けれどその気持ちを、リューカは誰にも言えなかったのだ。
葬儀の後、当主の地位は叔父が継ぎ、邪険にされることはなかったけれど……共に暮らすことになった従兄弟家族は、親族ではあれど肉親の代わりにはならなかった。
一人でリューカは悲しみに暮れ、自分が必要のない人間なのではないかと感じていた。
そんな時に貴族子女の交流会が行われ、そこでの質問で、心が完全に折れてしまったのだ。
『貴女はどこの家に嫁ぐ予定なのか』と問いかけられて、耐えられなかった。
きっと相手に、そんなつもりはなかっただろう。
成人した貴族子女の関心ごとの第一は、皆、自分の将来についてだったのだから。
でもリューカは、『邪魔者の貴女はさっさと嫁がされるだろう』と、そう言われているように、感じてしまったのだ。
人の集まりから離れ、裏庭のベンチで涙を堪えていると、一目で古着と分かるお仕着せに身を包んだグラジオ様に、話しかけられた。
その時は、彼の名前すら聞かなかった。
『事情は分かりませんが、どうぞ!』とハンカチを差し出した彼は、満面の笑みを浮かべていた。
そうして、リューカがハンカチを受け取ると、一方的に話をし始めたのだ。
『僕もここではちょっと、浮いてまして!』
『実家は貧乏ですし、次男なので爵位も継げませんしね! 話しかけられても迷惑かもしれませんが!』
『でも、何か悲しんでいる女性を放っておくのも、見かけてしまった以上は心苦しいので!』
少し話しただけも明るい人だと分かったグラジオ様は、そんな自分の境遇をちっとも儚んではいないようで、あっけらかんとしていた。
彼のような人を見かけたのは初めてで、そんな話を聞いているうちに溢れそうだった涙の気配は治っていた。
そしてリューカが顔を上げたことに気づいたグラジオ様は、やっぱりニコニコと笑ったままこちらに顔を向けて首を傾げ、こう口にしたのだ。
『辛い時は、助けを求めていいんですよ? 僕なんかでよければ、話も聞きますよ!』
―――助けを求めて、いい?
リューカは気付けば、縋るように彼に自分のことを話していた。
悲しいと、辛いと、苦しいと。
リューカは自分が、そういう想いをまるで関係のない誰かに吐き出したかったのだと、その時になるまで分かっていなかった。
近くにいる人や新しい家族には、そんな弱音を吐けなかったから。
『貴女は優しいんですね!』
話を聞き終えた彼は、やっぱりニコニコしていた。
でも、バカにしている訳ではないのは、目を見れば分かった。
『優しい……?』
『ええ。だって、辛さや悲しみが『自分のもの』だと分かっているから、今のご家族に言えなかったのでしょう?』
『え……?』
『その人たちが自分を苦しめようとしているわけではないことも分かっていて、『あなた達のせいで苦しい』と口にするも同然だと理解しているから、言えないんですよ!』
リューカは、自分の胸を押さえた。
何で弱音を言えなかったのか、自分の中でも答えが見えなかったその気持ちを、言葉にして貰ったような気がしたのだ。
叔父夫妻や従兄弟たちが嫌いな訳ではなかった。
ただ、居場所がないように思えて、それが苦しくて。
『僕は、自分が苦しいのに周りのことを考えられる貴女を、とっても素敵だと思いますよ!』
そう、言って貰えて。
気持ちに形を与えてくれたその言葉だけで、リューカは自分の胸のつかえがストンと取れた気がした。
リューカはそのままのリューカで、ここに居ていいのだと、言って貰えた気がしたから。
※※※
「夫になる……というと。ええと、け、結婚、ですか?」
「ええ、契約結婚ですわ」
話が飲み込み切れていないのか、初めて笑顔を消して戸惑った様子のグラジオ様に、リューカは軽く扇の先端を向けた。
「借金は肩代わり致しますけれど、返済はしていただきます。その間だけ、夫の役割を務めていただきますわ。代わりに、一緒に男爵領を立て直して参りましょう」
「あの、それは、出来たら大変嬉しいことですが。それがどうして、結婚という話に……?」
「わたくし自身、殿方からの見合いの申し込みを断るのもだんだん面倒になってきたので、丁度いいですし。借金返済の目処を立てるにも立て直すにも、男爵家の中にいる方が色々やりやすいですもの」
「はぁ……あの、他の良家とご結婚なさらない理由が何かあるのですか?」
「ええ」
リューカには明確な理由があるけれど、それはグラジオ様には秘密である。
借金返済まで条件をつけたのは、リューカとの生活がグラジオ様のお気に召さなかった時に、離縁しやすい理由作りだ。
「そんなことより。お話を伺って確信しましたが、貴方は少々人が好過ぎますわ。せっかくの明るいお人柄も、物作りの腕も、十分に活かさなければ宝の持ち腐れ。……貴方の養われている双子の為にも、活かしたいと思われませんか?」
そのまま、リューカはちょっと茶目っ気混じりで彼に告げる。
「グラジオ様。お辛い時は、助けを求めてもいいのですよ?」
すると、グラジオ様は目をまんまるに見開いた。
「わたくしが、貴方を助けますわ。あの時、グラジオ様がわたくしにお声がけ下さったことが、この縁を繋いだと思われませ」
すると、しばらくして彼の瞳が揺らいだ。
そのまま、目元に手を当てるグラジオ様が落ち着かれるのを、リューカは黙って待つ。
「も、申し訳ありません。その……自分ではもう、どうしたらいいか分からなくて……」
「ええ」
目元から手を離した彼は泣いてこそいなかったが、目が赤くなり、声が震えていた。
「兄夫妻が流行病で亡くなって、男爵位を継ぐのは僕しかいなかったのです。せめて兄の遺した子らが、成人するまではと思って、自分なりに頑張ってはいたのですが、上手くいかず……」
「ええ」
それは、調査で分かっていたことだったけれど、リューカは相槌を打ってその吐露を受け止める。
辛い時、その気持ちを吐き出すのは大切なことだと、教えてくれたのはグラジオ様だったから。
あの日から、リューカは『自立しよう』と努力してきた。
令嬢やご夫人方の間で話されるような事柄は、殿方には知り及ぶべくもないことばかりである。
その中に、様々な要望が眠っていることに気づいて、叔父に提案をし、自分でその手配を任せてくれるように頼んだのである。
女性の要望を拾い上げて、ツテの形で販売する……そのやり方は、思った以上に上手くいった。
伯爵家が潤うことで、リューカは自信を手に入れたのだ。
元々よくしてくれていた叔父らに感謝されたかった訳ではなく、『自分がここにいてもいい』と思えるようになった。
家族も、要望を叶えたご婦人やご令嬢方も喜んでリューカを褒めてくれるので、降るような縁談が舞い込むようになり、どうしようかしら、と思っていたところで。
グラジオ様が、まるで昔のリューカのような境遇に置かれていることを知ったのである。
最初は、保湿薬の販売元と知って感謝の気持ちと共に手紙を出しただけだったけれど、返答と調査結果を受けて、いても立ってもいられなくなった。
「リューカ嬢の申し出は、大変ありがたく、光栄なのですが」
「ええ」
「本当に、宜しいのですか?」
「お気になさる必要はございませんわ」
「でしたら……お話を、お受けしようと思います。ありがとうございます!」
そうして、グラジオ様が深く頭を下げるのに。
受け入れて貰えるかドキドキしていたリューカも、ホッとしながら頷いた。
「商談は成立致しましたわ。これからよろしくお願い致しますわね!」
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