第186話「軽すぎる剣」
軽くなれば、速く動けます。
今までの重さを身体が覚えている時は、止まりたい場所まで一緒に近くなるとは限りません。
レイルの試作品に続き、リィナの軽量試験剣は、見た目だけなら愛剣とほとんど変わらなかった。
長さも柄の太さも同じ。鍔は仮金具で、鞘も愛剣の寸法に合わせている。違うのは刀身の材料と、鍔元に付けられた交換錘だった。
今朝の重さは、愛剣の八割七分。
リィナは宿の中庭で素振りを百本終え、百一本目を止めたところで首を傾げた。
「まだ、先へ行きそう――」
「昨日より停止位置は一寸だけ戻ってるぞ」
レイルは地面へ引いた線と切っ先を見比べる。
「右肩の補正はほとんど消えている。問題は、身体が愛剣の慣性を待たずに二手目へ入ることだ」
「待ってないなら速くなったってことじゃないの?」
「速い。ただし、自分が思う位置より切っ先が先に着く。対人戦で止める時、相手の肩へ当たる前に止めたつもりでも、刃はもう一寸入っていることになる」
「一寸なら直せるじゃん」
「朝練だけならな。坂道、雨、荷物、脚部噴射が入れば、その差はどんどん増していくぞ」
「だから今日は街で歩くんでしょ?」
リィナは試験剣を鞘へ納め、短外套を羽織った。
綺麗な赤栗色の髪は高い位置で結ばれ、動くたび背中で揺れる。愛剣の時より鞘が軽いため、剣帯は少し上へ調整されていた。腰回りの装具が変わったせいか、普段より脚が長く見える。
レイルが彼女を観察していると、リィナが振り返った。
「また見てる―」
「鞘の角度を」
「はい、そこまで。今日は装備点検だけで終わらせないで」
「歩行試験だろ?」
「炉都の街、まだちゃんと見てない。昨日も一昨日も工房と訓練場だけだった」
「......今は、調査隊の装備改修中だ」
「昼まで二時間あるじゃん。坂道を歩く試験なら、市場へ行っても同じだよね」
「人が多い場所で試験剣を抜くのは危険だ」
「抜かないって。歩いて、階段を上って、荷物を持って、食べよ」
「最後は試験項目か?」
「旅の体力と体調管理ってとこかな?」
彼女は堂々と言った。
「それに、昨日レイルが四件成功したお祝いもまだしてない」
「みんなで炉焼き肉を食べただろ?」
「昼の訓練食だったでしょ。お祝いは別」
「同じ肉だった」
「意味が違う」
レイルは返事を考えた。
卒業後、二人きりで町を歩いたことはほとんどない。調査、訓練、他の仲間との食事ばかりで、リィナが言う”一緒に見る”時間をまた後回しにしている。
「分かったよ。市場へ行く。ただし、試験記録は続けるぞ」
「うん」
「私も同行しますよ」
中庭の入口から声がした。
淡金色の髪を一つに束ねたセレネが、測定板と紙袋を持って立っている。旅装の上から薄青い外套を着け、細い眼鏡の奥で穏やかに二人を見る。
「リィナの鞘角、歩幅、階段昇降時の重心を測る担当です。二人だけでは、記録が感想へ偏る可能性があります」
「感想へ偏っていい時間もあるんだけど」
「装備試験中です」
「セレネも市場へ行きたかった?」
「炉都の香辛料と霊木油は、術式媒体として確認が必要です」
「それ、レイルと同じ言い方してる」
「必要なものが同じなら、理由も似るのは当然では?」
リィナは頬を少し膨らませたが、セレネを追い返しはしなかった。
「じゃあ三人で行こっか。お祝いは三人分で」
「何を祝うのですか?」
「レイルの四件と、私の剣が一寸戻ったこと」
「それは確かに祝う価値がありますね」
セレネは素直に頷いた。
リィナの表情から不満が少し抜ける。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
炉都の市場は、平らな広場ではなく、山肌へ沿う五段の坂道に分かれていた。
最上段では武器と工具、中段では鉱石、布、木材、最下段では食料と酒が売られている。通りの頭上を小型の鉱石籠が滑り、店先の炉では薄いパンと肉を同時に焼いていた。
リィナは最初の坂を上る時、剣帯へ手を添えた。
愛剣なら一歩遅れて揺れる鞘が、今は腰へぴたりと付いてくる。身体を右へ避けると、切っ先側も同時に向きを変え、通行人との間隔が狭くなる。
「右へ避ける時、鞘尻が三センチほど外へ出ています」
セレネが記録する。
「軽いのに?」
「軽いから、腰の回転へ即座についてくるのでしょう。以前は遅れが緩衝になっていました」
「人へ当てないよう、腰を小さく回す」
レイルが言う。
「歩幅も半歩狭く。狭い場所では剣帯を手で固定した方がいい」
「二人とも先生みたい」
「これ、試験だからな」
「私、十六歳で剣豪なんだけど?」
「剣豪でも新しい重さは初めてでしょ」
セレネの返しに、リィナは笑った。
「そこまで正しく言われると反論できない」
中段の階段で、問題が起きた。
鉱石籠の吊り綱が頭上で鳴り、荷が一度大きく揺れた。下を歩いていた子どもが音へ驚き、階段の中央で足を止める。籠から小さな鉱石片が一つこぼれ、子どもの頭上へ落ちた。
リィナは反射的に動いた。
左足の【脚圧噴射】を短く使い、二段を飛び越える。試験剣を鞘ごと抜き、鉱石片を横から払った。
愛剣の重さなら、鞘の先が鉱石へ届く位置で止まるはずだった。
軽い試験剣は、一センチどころではなく先へ出た。
鉱石を弾いた後も腕が流れ、鞘先が子どもの肩へ向かう。
「リィナ!」
レイルは階段を蹴り、彼女の手首ではなく肘を外側から押した。鞘の軌道が上へ変わり、子どもの髪を揺らして通過する。
同時に、セレネの【軟風膜】が鉱石片を包み、店の壁へ当たる前に止めた。
リィナは着地したものの、軽い鞘を止めようとして上体が前へ出る。レイルが背中へ手を当て、階段の手すりへ倒れるのを防いだ。
「怪我は大丈夫?」
リィナは子どもへ尋ねる。
子どもは目を丸くしたまま、首を横へ振った。
「ないよ。お姉ちゃん、とっても速かった!すごいね」
「ごめん。剣が当たりそうになった」
「当たってないよ!」
「当たらなかったのは、二人が止めてくれたから」
リィナは子どもの目線までしゃがみ、落ちた鉱石片を拾って店主へ返した。自分の失敗を英雄的な救助で隠さない。その姿へ、レイルは少し安心した。
子どもが母親の元へ戻った後、リィナは階段の隅へ移る。
「今の、どれくらい先?」
「脚部噴射が入ったため、愛剣の基準より五寸。鞘を使ったことも影響している」
セレネが答える。
「鞘は刀身より重心が外へある。試験剣の軽さだけを見ていた私の設計不足です」
「セレネのせいじゃない。抜いたのは私」
「測定条件に鞘撃ちを入れていませんでした。両方です」
レイルはリィナの右肘へ触れた。
「痛みは?」
「ない。止めようとして肩が少し張った」
「今日は脚部噴射を使った抜刀は中止だ」
「でも、今みたいな時は待てないんだけど?」
「次に同じ状況が来れば、剣を抜かず身体で子どもを覆うか、足裏風圧で鉱石を逸らす。新しい重さで確かめていない動きを、人の近くで続ける方が危険だろ」
「レイルなら、今の救助をやめろって言うと思った」
「救助はやめない。手段を変える。リィナが間に合ったから、子どもは無傷だった。その判断まで失敗にする必要はない」
リィナは右肩を回し、ゆっくり息を吐いた。
「分かった。今日は噴射抜刀なしね。鞘撃ちも工房で測る」
「記録しました」
セレネが書き込む。
「レイル」
「何だ」
「止めてくれてありがとう」
「一人では間に合わなかった。セレネが鉱石を止めたんだ」
「二人に言ってる」
「はい、どういたしまして」
セレネが先に答えた。
レイルも少し遅れて頷く。
「怪我がなくてよかった」
「それ、子どものこと?」
「全員だな」
リィナは何か言いたそうにしたが、今度は笑って流した。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
最下段の食料市場へ着く頃には、三人とも空腹だった。
リィナは炉焼き肉の串を四本、薄焼きパンを三枚、香草煮込みを一杯注文する。レイルが自分の分を選んでいる間に、彼女は一本目を半分まで食べていた。
「それさ、祝いの量として多くないか」
「朝練と救助で減ったんだもん」
「救助は十秒しか使ってないぞ」
「緊張でお腹が減った」
「それは分かるが」
レイルが答えると、リィナは串を止めた。
「分かるんだ」
「四件保持の後も空腹になった。身体が次の危険へ備えようとする」
「じゃあ一本食べる?」
「自分のは買ったぞ」
「祝いの分で」
差し出された串には、最後の一切れが残っている。
レイルは手を伸ばしかけ、リィナが串を持ったまま待っていることに気づいた。
「受け取ればいいのか」
「そのままでもいいよ」
「そのまま?」
リィナは一切れをレイルの口元へ向ける。
セレネが隣で静かにパンをちぎっていたが、視線だけはこちらへ向いていた。
(断れば、さっきの祝いをまた合理性で外す。食べれば、これは……食事だ。子どもの頃にも何度もあった)
子どもの頃と同じ距離ではない。
レイルは迷った末、串から肉を食べた。
「味は?」
「香草が強い。肉は柔らかい」
「おいしいって言って」
「おいしい」
「よし」
リィナは満足そうに最後の串を置いた。
セレネが自分の紙袋から、小さな甘い焼き菓子を一つ出す。
「レイル、こちらも味見を。炉都の蜂蜜と木の実を使っています。魔力回復の効率を確認したいので」
「セレネ、それ本当に媒体調査?」
「食文化調査も任務に含まれます」
「じゃあ私も半分」
「リィナは既に五本目を注文しています」
「甘いものは別腹だもん」
セレネは焼き菓子を二つに割り、一方をリィナへ渡した。残りをレイルへ差し出す。
「手で受け取ってください」
先ほどのリィナと同じ方法にはしなかった。
レイルが受け取ると、セレネは少しだけ笑う。
「おいしいですか」
「蜂蜜の甘さの後に塩が来る。疲労時に食べやすい」
「おいしい?」
今度は二人から同時に聞かれた。
「おいしい」
答えると、左右から満足そうな気配が返った。
ニアがいつの間にかテーブルの下から少女型の顔を出す。
「両側から餌付けされる主人公、構図が強すぎなんスけど!」
「ニア、出てくるな」
「ニアちゃんの分は?」
「食べられないでしょ」
リィナが言う。
「半実体なら食感データ取れるかも、だし」
「魔力へ変換できません」
セレネが冷静に返す。
「はあ、夢がない」
「レイルの魔力を勝手に吸わないなら、一口試す?」
リィナが焼き菓子の欠片を差し出す。
ニアは両手で受け取り、口へ入れた。光の身体を菓子が通過しかけ、慌てて半実体化を強める。
「甘い! たぶん! あとこれ維持コスト高っ!」
「吐き出せ」
「もったいない!」
「俺の魔力を吸って維持する方がもったいない」
「祝いなんだからケチらないでよ」
「上限を決める。三秒」
「五秒!」
「三秒」
「四!」
「交渉が細かい」
リィナが笑い、セレネも口元を隠した。
宿へ戻る坂道で、リィナは朝より慎重に剣帯を押さえていた。
軽い鞘はまだ身体より先へ動く。それでも、階段で子どもへ当たりかけた五寸を隠さず記録し、噴射抜刀を一度止めたことで、次に直す場所は見えている。
「今日、楽しかった?」
リィナが尋ねる。
「市場の構造は興味深かった。炉と食料区画を分け、排煙が上へ――」
「そこじゃない」
レイルは少し考える。
「三人で歩いて、食べたことは楽しかった。途中で事故があったから、全部を楽しいと言うのは違うが」
「事故があっても、その前と後まで消えないよ」
「そうだな」
「次は、試験じゃない時にも行こう」
「任務日程を確認して――」
言いかけて止める。
「行く。日程は後で決める」
リィナが驚いた顔をし、すぐ笑った。
「予約したからね」
セレネが反対側から言う。
「私も同行します」
「そこは二人でって言いたかった」
「次の次なら譲ります」
「どうしてセレネが順番を決めるの?」
「未確定なので提案です」
二人の声が坂道へ続く。
レイルは間に挟まれたまま、逃げ道を探さなかった。
軽くなった剣が止まる場所も、自分が返事をする場所も、誰かが決めた古い重さへ任せるわけにはいかない。
【今回の登場人物】
・リィナ・アルセイル
八割七分の試験剣で鉱石から子どもを救いながら、軽い鞘を五寸止め損ねた事実を隠さず、噴射抜刀を一時中止して基礎へ戻った剣豪。
・レイル・アルヴァート
リィナの肘と背を支えて鞘の軌道を変え、救助判断そのものは失敗にせず手段だけを改めるよう伝え、市場の祝いも楽しかったと認めた魔導士。
・セレネ・グランツ
軽量剣の鞘撃ちを測定条件へ入れ忘れた自分の不足も記録し、鉱石を風膜で止め、次の市場歩きにも正式同行を宣言した術式設計者。
・ニア
炉都の焼き菓子を半実体で味わおうとして維持魔力を要求し、三秒と五秒の間で細かな交渉を始めた案内人格。
【今回の能力・設定メモ】
・軽量剣と鞘撃ち
刀身だけでなく、鞘の重心と脚部噴射の加速も停止距離へ影響する。八割七分の試験剣では、噴射抜刀時に従来より五寸先へ届いた。
・実地歩行試験
狭い市場、階段、荷物、人混みでは、訓練場にない鞘の揺れや腰の回転が現れる。軽量化は剣速だけでなく携行動作まで再学習する必要がある。
【次回】
炉都近郊の鉱山で環状術式を食う大型魔物が現れ、試作武装と軽量剣は完成前のまま実戦へ持ち込まれます。
軽い鞘が五センチ先へ届いた失敗を消さず、市場の肉と焼き菓子の時間も事故と一緒に残しました。レビュー、ブックマーク、フォローで、次に鉱脈の奥から現れる巨大な環喰いを見届けていただければ幸いです。




