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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第11章「大陸巡行――帰れない勇者」

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第177話「八発撃つなら八件持て」

 理論の穴は、成功した時より失敗した時の方がよく見えます。

 塞ぐために必要なのは、うまい言い訳ではなく、穴の位置を正確に指す人です。

 午前の移動が始まると、二台目の荷車は臨時の研究室になった。

 車体が石を踏むたび、壁へ吊った術式板が細かく揺れる。中央の机には、レイルが昨夜までにまとめた【重層未結(レイヤード・チャージ)】の設計案、三件保持の失敗記録、導出端別の残留魔力測定表が広げられていた。

 

ノアは設計書の最初の頁を読み終えると、赤い筆で大きな線を一本引いた。


「ダメです。却下します」

「なぜだ? まだ一頁目だが?」

「一頁目に前提の誤りがあります。続きを読む価値を生むため、先に潰します」

「どこだ」

「ここですよ」


 赤縁眼鏡の奥で、深紅の瞳が楽しそうに細くなる。ノアはレイルの文章を指で叩いた。


【複数の小規模魔法(ミニマジック)を一つの共通術式核(シェア・スペルコア)へ保持し、保持件数を圧縮する】


「この共通術式核は存在しません。貴方がそう呼びたいだけです」

「同属性、同一形成文法、同じ発射方向なら、一つの群として扱える可能性がある」

「群として管理できる可能性はあります。魂が一件として数える証明にはなりません。昨日、一番と三番は同じ風圧、同じ左掌でした。それでも別々に完成しようとした。観測結果が仮説を否定しています」

「形成段階で結合すれば――」

「結合した時点で一つの上位術式です。無詠唱で小魔法を積む利点が消えます」


 ノアは二頁目にも線を引いた。


「結論。()()()()()()()()()()()()()、です」


 荷車の向かい側で、セレネが術式板から顔を上げた。


「全面同意します。共通核へ押し込めば、一箇所の崩壊が全層へ伝播します。レイルが求めているのは、小さい魔法を一件ずつ作り、一件だけ壊れても残りを選べる構造でしょう」

「そうだ。一度に上級術式を形成するより、途中の選択を残したい」

「なら件数を減らす方向へ逃げないでください」

「逃げたつもりはない」

「面倒な条件を別名へ変えただけです」


 ノアが即座に刺してくる。


「もっと厳密に言え」

「素晴らしい要求です。では三点。第一に、同属性でも完成条件が異なれば別の魔法です。言わなくてもわかるでしょうが、魔法は作るたびに微妙に異なるのです。第二に、保持件数を偽装すると、フィアの番号と魂内の実数が一致しません。第三に、事故時にどの一件を返すか選べなくなります。以上から、貴方の圧縮案は美しくありません」

「美しさは評価条件か?」

「私の研究では重要です」

「実戦では生存率を優先する」

「その冷たい査読は正当です。評価条件を修正します」


 ノアは嬉しそうに余白へ書き足した。

 フィアが机の端で記録帳を開く。


「現在の確認事項を整理します。第一、レイルの魂内保持件数は、実際の完成権数と一致します。第二、同一属性でも完成条件が異なれば別番号です。第三、番号を省略すると事故時の解放順を指定できません」

「第四、導出端の重複を番号とは別に管理します」


 セレネが付け加える。


「第五、未指定の予備魔法は禁止。使用目的、射線、消散条件まで形成時に決めてください」


 ロッテは窓際で七環導杖(セプテム・ロッド)の接続口を分解しながら言った。


「第六。人間の手は二本しかない。保持した後に手が空いても、残留負荷は腕と肩へ残る。魂だけ見て身体を忘れないで」


「ふわぁ、第七、身体の限界を超える試験は中止します、ねむねむ」


 ミレアが最後尾から顔を出した。昨夜の診察表を持ったまま、眠そうな目で全員を見渡す。


「項目が増えるほど、レイルが全部満たすまで眠らない可能性も記録してください」

「それは設計条件ではない」

「患者の習性です」

「患者では――」

「昨日、座らせました」

「記録上も治療対象です」


 フィアまで加わり、レイルは言葉を止めた。

 少女型のニアが机の上へ座り、空中へ八つの小さな環を並べる。黒銀色の猫耳が荷車の揺れに合わせて動いた。


『八件並べると、見た目はめっちゃ大魔法。中身は小さいの八個。レイル向きではある』

「どの部分が俺向きなんだ」

『一個の完璧より、失敗箇所を八個に増やして全部管理したがるところ』

「褒めていないな」

『そこはそれなー』


 リィナは荷車の外側を馬で並走していたが、会話が聞こえたらしく窓へ顔を寄せた。朝露で湿った赤栗色の髪が頬へ一本張り付いている。


「八個も持ったら、昨日みたいに声が聞こえなくなるんじゃない?」

「今のまま増やせばなるだろう、確実に」


 レイルが答えると、リィナは眉を寄せた。


「そこで『大丈夫』って言わなくなったのはいい。でも、なら何を変えるの?」

「番号を目で見るだけでは足りない。身体でも区別できる印が必要だと思う」

「痛みで分ける案なら却下します」


 ミレアが先回りした。


「考えていない」

「考える前に消しました」


 セレネが指で八つの環を三列へ分けた。


「形成者、導出端、完成条件。最低でも三種類の識別が必要です。全部を一つの番号へ持たせると、昨日のように番号は分かっても身体位置を失います」

「視覚表示はニアが担当できます」


 フィアが一番目の環へ札を置く。


「私は番号と完成順を読み上げます。戦闘中に全件を長く説明する余裕はないため、事前に短縮語を決めます」

「形成構造と干渉は私が見ます。異常が出た一群だけを切り離せるよう、同じ属性でも四件ずつに分けましょう」

「八件へ達していないのに、先に八件用の分担を作るのか」


 レイルが尋ねる。


「三件の方法を少しずつ延長して八件へ届く保証がありません。最初から八件を見据えた枠へ三件を入れます」


 セレネの説明に、ノアが筆を上げた。


「採択します。珍しく私より美しい」

「珍しくは不要です」

「反論を受理します。削除はしませんが」


 リィナが窓枠へ肘を乗せる。


「私にできることは?」

「完成地点を作ってほしい」


 レイルは八つの環の先へ、一本の線を引いた。


「重ねた魔法は、全部同じ場所へ当てればいいわけじゃない。最初の一発で姿勢を崩し、次で装甲を開き、その後を奥へ通す。敵が動けば完成地点も動く。リィナが剣で道を作ってくれるなら、俺は記録を変えずに済む」

「分かった。撃つ場所まで連れていく」

「ただし、八件目の形成が終わるまで近くにいろという意味ではない。危険なら――」

「そこから長くなるでしょ」


 リィナは窓から手を伸ばし、レイルの額を指で押した。


「危険なら私が決める。レイルは何秒必要か言って。私の役割まで先に決めないで」

「現時点では六件で五秒以上、八件なら不明だ」

「じゃあ、不明を測るところから。次の朝練でね」


 彼女は馬を前へ進めた。

 レイルは額へ残った指の感触を気にしながら、設計書へ新しい項目を加える。

【射線担当:リィナ】

 その横へ、セレネが静かに書き足した。

【形成群担当:セレネ】

 フィアも続ける。

【番号・完成順担当:フィア】

 ニアが環状の尾を筆代わりに動かす。

【媒体・負荷表示:ニア】

 ロッテは分解した接続環を机へ置いた。

【排圧・人工導出端:未設計】


「未設計と書くのか」

「まだ物がない。空欄を完成扱いしない」

「正しい」

「褒められても、今は作らない。現場の壊れ方を見てから」


 ミレアが最後に、設計書の下へ一行を入れた。

【身体中止権:ミレア】


「俺の同意は?」

「治療契約へ署名済みです」

「中止条件の相談はできるはずだ」

「できます。却下する権利は私にあります」


 ノアが身を乗り出した。


「その強い査読権限、共同研究にも導入しませんか」

「貴方はまず昨夜二時まで起きていた件を説明してください」

「研究資材の整理です」

「睡眠不足です」

「名称の議論を――」

「横になってください」


 ノアは不満そうに眼鏡を外したが、口元は少し緩んでいた。

 午後、荷車が平らな草原へ入ったところで、最初の識別試験を行った。

 レイルは同じ【微風(ブリーズ)】を三件形成する。ただし、射線と役割を最初から分けた。

 第一番は左前方の赤い布、第二番は右前方の青い布へ向け、第三番だけを真上へ抜いて消散させる。射線を分ければ、どの輪を返したかも目で追える。

 ニアが赤、青、白の環を表示し、フィアが番号を読む。セレネは三つの形成式を別の枠へ置いた。


「第一番、左掌、赤布」

「第二番、右掌、青布」

「第三番、右足、上空消散」


 レイルの右目へ三つの輪が入る。

 昨日のような声の重なりはない。左手、右手、右足。身体位置も分かれている。


「保持開始。五秒」


 フィアが数える。

 荷車の揺れが身体へ伝わる。二秒目で右足の微風が車輪の回転へ引かれかけ、レイルは完成条件を上空へ戻した。四秒目、左手と右手の圧力差が揃わなくなる。


「五秒。解放順、三、一、二へ変更」

「理由は?」

「右足の負荷が増加しています」


 レイルは第三番を上空へ返し、続けて第一番、第二番を完成させた。赤と青の布が順に鳴る。

 三件とも、狙った場所へ届いた。

 成功した瞬間より先に、ノアの赤い筆が設計書へ走った。


「再現性は未確認。成功回数一。次は荷車の旋回中に試します」

「今日はこれで終わりです」


 ミレアの声が重なる。


「まだ一回だ」

「昨日の負荷が残っています」

「三件とも安定した」

「安定時間は五秒です。貴方の指はまだ震えています」


 レイルが左手を見ると、確かに人差し指だけが細かく動いていた。

(自分では気づかなかった)


「分かったよ。今日は終える」


 素直に答えると、荷車の外からリィナが覗き込んだ。


「本当に?」

「ああ。続きは明日だ」

「今、紙の端に追加案を書かなかった?」

「観測事項だ」

「見せて」

「研究記録だ」

「いいから ()()()


 レイルはバツが悪そうに設計書を裏返した。

 その動きだけで、荷車の中に笑いが起きる。

 未完・八件への道のりは遠い。だが、三件目で誰の声も失わずに済む方法が一つ、記録へ残った。




【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 保持件数を共通術式核へ圧縮する案を否定され、八発撃つなら八件持つという不都合な前提を受け入れた研究者兼魔導士。


・ノア・エルグラム

 設計書の一頁目から赤線を引き、失敗を別名で隠す余地まで査読しながら、八件保持理論の骨組みを作った九十九魔導士。


・セレネ・グランツ

 形成者、導出端、完成条件を別々に管理し、最初から八件用の枠へ現在の三件を入れる設計を提示した並列術師。


・フィア・レコード

 三件を番号と完成順へ分け、右足の負荷を見て解放順を変更し、最初の五秒間を再現待ちとして記録した目録官。


・リィナ・アルセイル

 重層砲の完成地点と必要時間を自分で引き受け、危険時の判断までレイルに先回りさせないと告げた射線担当。


・ミレア・ノクス

 設計書へ身体中止権を書き込み、成功一回で続行しようとする二人の研究者を治療契約で止めた治療師。


・ロッテ・ベルクマン/ニア

 まだ存在しない人工導出端を空欄へ残した技師と、三つの保持を色と身体位置で表示した案内人格。


【今回の能力・設定メモ】


・重層無詠唱の基本原則

 形成した小魔法一件につき、【未完(ノット・コンプ)】保持も一件必要。同属性でも、目的、射線、消散条件が異なれば別件として管理する。


【次回】


 アルドは前へ出て敵を倒す訓練から、後ろにいる二人を生かす訓練へ移ります。


 一頁目の赤線から、八件分の役割と空欄が生まれました。レビュー、ブックマーク、フォローで、不都合な査読を武器へ変える調査隊の共同研究を応援していただければ幸いです。

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