第178話「前衛は前へ出るだけじゃない」
前に立つ者は、誰より早く敵へ届くだけでは足りません。
後ろを振り返った時、守る相手がまだそこにいることも、前衛の仕事です。
旧街道沿いの組合訓練場は、半分が崩れた石造りの関所を再利用していた。
中央に幅十二歩の通路があり、左右には腰高の石壁。奥には避難扉を模した木戸が一つ。通行隊が護衛の交代や、狭い道での魔物対処を確認するための小さな施設である。
セレネは石壁へ三本の白線を引き、訓練条件を読み上げた。
「目的は、後方のノアとフィアが木戸へ到達するまで二分間守ること。敵役はリィナとレイル。アルドが白線を越えて二人から十歩以上離れた場合、守護失敗とします」
アルドは大盾を左腕へ通し、刃引きした訓練剣を右手へ持った。白銀鎧の上半身だけを装着しているため、肩の厚みが普段より目立つ。
「敵を倒せば、距離は問題にならない」
「倒せれば、です」
セレネが返す。
「リィナを一分以内に止める」
「私だけ見てると、レイルが後ろへ行くよ」
リィナは木剣を肩へ置き、通路の入口で笑った。
レイルはその二歩後ろに立つ。右手に短杖、左手に訓練用の小盾。実戦で剣士へ勝つための装備ではない。接近された際に初級魔法を形成する時間を作るためのものだ。
「俺はノアとフィアへ触れれば一本。リィナは木戸へ先に到達すれば一本。アルドは二人とも止める必要がある」
「理解した。始めよう」
「条件確認がまだです」
フィアが記録板を上げた。
「ノアと私は走れますが、攻撃魔法は使用しません。アルドの【完遂】による強制的な進路固定は一回まで。レイルの【未完】は自作初級魔法二件まで安定、三件目は試験使用。リィナの【零間】は禁止です」
「どうして私だけ技を止められるの?」
「二分持たないからです」
「納得はしたけど悔しいなあ」
ノアは木戸の前で赤縁眼鏡を押し上げた。今日は豪華な魔導衣の上へ簡易胸当てを付け、首元の銀色術式筒を内側へしまっている。
「アルド。私たちは荷物ではありません。貴方が前へ出すぎた場合、自分で移動経路を変更します」
「俺の後ろにいれば安全だ」
「その後ろが移動するから問題なのです」
「なら付いてこい」
「甲冑の速度で研究者へ同じ加速を要求しないでください」
フィアが二人の間へ立つ。
「開始前の対立を記録しました。解決していませんが、訓練時刻です」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
合図の鐘が鳴った。
アルドは最初の一歩で白線の中央へ出た。
【白銀直路】。盾を前へ傾け、リィナまでの最短距離を一直線に詰める。石床を踏む重い音が通路へ響き、正面にいたリィナは横へ避けず、木剣を盾の縁へ当てた。
ぶつかる寸前に剣を滑らせる。
盾を押し返すのではなく、アルドの進行方向を右の石壁へ寄せる。彼の肩が壁へ触れる前に、リィナは左側の空いた道へ身体を抜いた。
「一人通過」
セレネが告げる。
アルドは足を止めず、腰を回して剣を横へ払った。リィナの背へ届く軌道だったが、彼女は屈んで抜け、木戸へ向かう。
レイルは逆側の石壁沿いを進んだ。
左掌へ【微風】を形成し、結着だけを第一番として保持する。右掌には【硬土】。二件目を保持した時点で、両手の導出端が空いた。
アルドの視線はリィナへ向いている。
(今なら後ろへ入れる。ただ、真っすぐ行けば盾の返しへ当たる)
レイルは短杖を石壁へ当て、身体を低くした。アルドがリィナを追って踏み直した瞬間、その踵の後ろへ硬土を完成させる。
「未完記録、第二番――完成」
石床が指二本分だけ盛り上がる。
アルドの踵が乗り、踏み込みが浅くなった。転ばせるほどではない。盾を返す角度だけが遅れる。
レイルはその内側へ入った。
「フィア、移動!」
ノアが叫ぶ。
二人は木戸へ向かって左へ走る。アルドが振り返った時、レイルはすでにフィアまで五歩の位置にいた。
アルドはリィナを追うのをやめ、盾を投げるように横へ差し出した。幅広の盾面が通路を塞ぐ。
レイルは短杖を盾の上端へ当て、身体を止めずに外側へ流した。腕へ重い衝撃が来る。受け止めれば手首が負ける。短杖の軸へ滑らせ、左足を一歩引き、空いた右足で石壁を蹴った。
盾の脇へ出る。
アルドの剣が縦に落ちた。
レイルは小盾を上げず、短杖を剣の腹へ斜めに入れた。刃引きされた鋼が杖を滑り、肩の外へ落ちる。足元が沈むほどの重さだったが、朝練で何年も繰り返した受け流しは、相手が大きくなっても同じ場所へ力を逃がした。
左掌へ三件目の【微風】を形成する。
目的は、フィアの足元へ風を置き、木戸まで押し出すこと。
三件目の輪が右目へ入る。
昨日のような混線はない。第一番は左掌、第三番も左掌だが、第一番の完成先は自分の横移動、第三番はフィアの足元。ニアが視界へ異なる色を重ねる。
『第一、青。第三、白。左手重複、負荷上昇』
アルドが柄頭を返してくる。
レイルは頭を下げ、短杖で前腕を押した。完全に止められない。柄頭が肩当てへ当たり、身体が後ろへ押される。
受けた圧力へ第一番の微風を重ねると、レイルは足裏を横へ滑らせ、アルドの盾と剣の間から身体を抜いた。その移動の終わりで左手をフィアへ向ける。
「第三番、フィアの足元。前へ二歩分!」
「完成条件を確認」
フィアは走りながら答えた。
「未完記録、第三番――完成」
風がフィアの背ではなく、靴底の後ろへ当たった。彼女の歩幅が伸び、木戸へ届く。
同時にリィナも反対側から木戸へ木剣を触れた。
鐘が鳴る。
「守護失敗。敵役二名、到達」
セレネの判定に、アルドは剣を下ろした。
「レイルを止めた」
「止め切っていません。リィナから十六歩、ノアとフィアから十二歩離れています」
「先にリィナを倒せば戻れた」
「戻る前に私が着いたよ」
リィナが木戸へ背を預ける。
「アルドの剣は強い。でも、私を追った時に後ろが空いた。レイルを止めた時は、今度は私が空いた」
「二人を同時に倒せばいい」
「その仮説は実証に失敗しました」
ノアが眼鏡を押し上げる。
「次は私とフィアが別方向へ動きます。貴方が敵だけを見る限り、どちらかが残ります」
アルドの眉間へ皺が寄る。
「俺は前衛だ。前へ出なければ敵が後ろへ来る」
「前へ出る位置が、敵が決めているんだ」
レイルは肩当ての跡を押さえながら言った。
「リィナを追った時、守る線がリィナの背中へ動いた。俺を止めた時は俺の位置へ動いた。ノアとフィアを基準に線を置けば、俺たちがそこへ入る必要がある」
「待つのか?」
「待つだけでは抜かれる。相手を倒すために距離を詰めるんじゃなく、二人へ届く道を潰す」
「退路ばかり数える戦いに見えるが......」
「今回は退路を守る訓練だから、それでいいんだ」
アルドは返事をせず、通路の白線を見た。
王核大陸で一人になった時も、彼は目の前の道を最後まで進もうとした。間違った方向でも、開始した以上は足を止めなかった。その力で何度も人を救い、同じ力で仲間から離れた。
フィアが記録帳を閉じる。
「再試行しますか」
「する」
アルドは即答した。
「条件を変える。守る線は、ノアとフィアの前五歩。俺は線を越えて追わない」
「敵が下がった場合は?」
セレネが尋ねる。
「下がる敵は追わない。二人が木戸へ着くまで、道を残す」
「開始条件として記録します」
二度目の鐘が鳴った。
今度のアルドは走らなかった。
ノアとフィアの五歩前へ盾を立て、腰を落とす。リィナが右から近づいても、彼女自身ではなく通路中央へ盾を置いた。レイルが左壁沿いに動けば、剣先だけを向け、身体は線から離れない。
(前へ来ないなら、こちらから崩す必要がある)
リィナは一歩目を小さくした。盾へ触れ、すぐに離れる。アルドは追わない。次は低い位置へ木剣を差し、盾の下を狙う。アルドが膝を落としたところで、レイルが反対側から硬土を形成した。
二件を保持し、三件目は作らない。
アルドの背後、ノアとフィアの進路へ小さな土壁を出せば、守る相手自身を止められる。しかし、アルドが盾をわずかに外側へ傾けた。
「レイル、左手を見せすぎだ」
低い声と共に、剣の腹がレイルの手首へ来る。
レイルは短杖で受け流したが、魔法形成は崩れた。アルドは追撃せず、元の位置へ戻る。
リィナがその戻り際へ踏み込む。木剣が盾の上端を越えた。
アルドは剣を立てて受け、盾の縁をリィナの肩へ押し当てる。押し返さず、通路の外側へ向きを変える。リィナは二歩流され、木戸への直線を失った。
「今のはいいね!」
リィナが笑った。
「褒めている場合か」
「敵でも、いい動きは分かるよ」
残り三十秒。
ノアとフィアが木戸へ近づく。アルドは二人の歩幅に合わせて、守る線を少しずつ後ろへ運んだ。
レイルは短杖で盾を押さえ、リィナが逆側から入る。二人で同時に圧を掛けても、アルドは一方を倒そうとせず、盾と剣を広げて道幅を消した。
木戸が開く。
ノアとフィアが内側へ入った直後、終了鐘が鳴った。
「守護成功」
セレネが判定した。
アルドは盾を下ろし、荒い呼吸を整える。敵を一人も倒していない。剣で有効打も取っていない。それでも、守るべき二人は後ろに残っていた。
「勝った感じがしない」
「私たちは木戸へ着きました」
フィアが答える。
「記録上、目的は達成されています」
「記録だけか」
ノアが腕を組む。
「不満なら条件を再設計しましょう。ただ、貴方が最初に私たちを置き去りにした事実は消えません。二度目は一度も置き去りにしなかった。私は後者を採択します」
アルドは二人を交互に見た。
「守られる側が勝ちを決めるのか」
「今回の目的ではそうです」
フィアの答えは淡々としていたが、記録板を抱く指から力が抜けている。
アルドは剣を鞘へ戻した。
「次は、二人が止まって術式を作る条件でやる」
「難度を上げますか」
「動けないなら、俺が線を動かす」
「その案は受理します」
ノアの口元が上がる。
リィナがレイルの肩当てへ手を伸ばし、柄頭の跡を指でなぞった。
「痛い?」
「浅い。受け流しが遅れた」
「三件目を作らなかったのは?」
「昨日と同じ左手へ重なる位置だった。作ればアルドの二撃目に間に合わない」
「やめたんだ」
「ああ。三件持つことが目的ではない」
「それならいい」
リィナの指が肩から離れる。
レイルはその手を追いかけそうになり、短杖の握りを直した。
(触れていたのは診断のためだ。追う理由はない)
「レイル」
「何だ」
「今、何か言おうとした?」
「朝練の続きは明日だ」
「……そっち」
リィナは木剣を肩へ戻し、少し前を歩いた。
守る線も、近づく距離も、他人が決めたものを追うだけでは足りない。アルドの訓練を見ながら、レイル自身にも同じ課題が残っていた。
【今回の登場人物】
・アルド・クロイツ
最初はリィナを追って守る二人を置き去りにし、二度目は敵を倒さずノアとフィアの前五歩を最後まで運んだ前衛。
・ノア・エルグラム
自分たちは荷物ではないと反論しながら、守られた結果を勝利として採択し、次の難しい条件までアルドへ返した研究者。
・フィア・レコード
守護対象でありながら目的達成を記録し、敵を倒していなくても木戸へ着いた事実を勝利条件として示した目録官。
・レイル・アルヴァート
短杖と二件保持でアルドの線を崩そうとし、危険な位置へ三件目を追加せず近接戦を終えた魔導士。
・リィナ・アルセイル
敵役として盾の道を探りながら、良い守りを素直に認め、戦闘後にはレイルの肩の痛みまで確かめた剣豪。
・セレネ・グランツ
敵の撃破数ではなく、守る二人の到達を終了条件に置き、前衛の役割を位置と距離で可視化した訓練設計者。
【今回の能力・設定メモ】
・守護前衛の入口
敵を追って前線を動かすのではなく、守護対象の前へ基準線を置き、敵にその線へ入らせる戦い方。後の【完遂護陣】へつながる。
【次回】
港町では、満潮の最後だけが七日間届かず、船ごとに必要な潮位が食い違っています。
一人も倒さず、二人を木戸へ届けた時、アルドの前衛は初めて後ろを失いませんでした。レビュー、ブックマーク、フォローで、守る線と次の港の異常を見届けていただければ幸いです。




