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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第10章「眠らない聖女」

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第171話「治せば死ぬ傷」

 傷を閉じる魔法は、目の前の血を止められます。

 閉じた後に何が起きるかまで見なければ、治療そのものが次の傷になります。


 最深部の患者を運ぶため、坑道の途中に仮設圧力室が作られた。

 セレネが六枚の鉱石板を円形へ配置し、地下の魔力圧を室内だけ保つ。地上へ近づくほど圧力を少しずつ下げ、灰白色の結晶が膨張する速度を観察する仕組みだった。


 ノアは第二班から合流し、患者の横へ座っている。

 細い赤縁眼鏡の奥で、深紅の瞳が皮下結晶の伸び方を追った。父から受け継いだ銀製の小型術式筒を開き、診断用の細針を一本ずつ取り出す。


「採血します。量は二十ミリリットル。結晶を刺激しない位置から取っていきます」


 目隠しを外した坑夫が、乾いた唇を動かした。


「何を調べるんだ......?」

「血液の凝固、結晶の成分、治癒魔法へどう反応するかです。結果次第では、傷を閉じる時刻を地上到着まで遅らせます」

「途中で血が出たら?」

「仮止血を維持します。完全には治しません」

「治せるのに?」


 ノアは針を持ったまま、患者の目を見た。


「今ここで傷を閉じれば、結晶まで身体の一部として固定する恐れがあります。地上で圧力が下がった時、膨らんだ結晶が血管を内側から裂くかもしれません。私はそれを治療とは呼びたくありません」


 説明を聞いた坑夫は、ゆっくり頷いた。


「分かった。()()()()()


 同意を得て採血する。

 フィアは横で、採血量、採取位置、患者の返答、開始時刻を別々に記した。


「患者番号二十一。採血同意、確認。治療完了延期については、検査結果後に再確認します」

「一度同意したのに、もう一度聞くのか」


 坑夫が尋ねる。


「選ぶ内容が変わるからです。今の同意は検査までです」

「面倒だな」

「面倒でも、後で『聞いていない』を残したくありません」


 坑夫はかすかに笑った。


「それなら頼む」


 レイルは圧力室の外で、【生命診断(ヴァイタル・スキャン)】の術式を組んでいた。

 生命属性の上級魔法。

 術式は身体の輪郭より内側へ入り、脈拍、血流、魔力経路、組織の損傷、毒反応を重ねる。治癒を入れた時に悪化する場所まで読む。

 情報量が多い。

 中級【治癒】のように、傷一つへ魔力を集中すれば済まない。

 患者一人の身体へ、数十本の細い流れが同時に浮かぶ。

 レイルは第一形成で、全てを見ようとして術式を崩した。


「くっ......多すぎる」


 視界へ赤、青、白の線が重なり、焦点が合わない。

 ニアが猫型で肩から術式板へ跳ぶ。


『情報を全部表示すると、レイルの頭が先にパンクする。項目を選んで』

「出血、結晶、魔力経路」

『三項目。了解』


 ノアが圧力室から声を飛ばす。


「さらに減らしてください。最初は結晶と血流だけです」

「魔力経路を見ないと、治癒を入れる位置が分からない」

「今は治癒を入れません。気持ちはわかりますが、順番を急がないでください」


 レイルは息を整え、術式を組み直した。

 結晶反応。

 血流。

 二つへ絞る。

 患者の身体へ淡い緑の線が浮かび、灰白色の結晶だけが暗く沈んだ。

 結晶は傷を塞いでいるだけではなかった。常醒波を受け、周囲の筋肉へ細い根を伸ばしている。魔力圧が下がると根が開き、血管壁を押す。


「地上まで一度に下げられない。三段階必要だ」

「圧力値は?」


 セレネが尋ねる。


「現在の八割、五割、二割。各段階で結晶の膨張を止める」

「停止時間は?」

「まだ分からない」

「分からないままで経路は作れません」

「患者ごとに結晶位置がずれている。フィア、同じ症状の人数は?」

「現在確認済み二十八名。重症九名、中等症十九名。結晶位置は一致しません」


 ノアが採血管へ術式を当てた。


「一人ずつ完成時刻を持てば、レイルの保持数を超えます。治療を一つの格子へまとめます」

「全員を同じ治療にするのか」

「患者ごとに処置を変えます。最後に閉じる時刻だけを共通化します」


 ノアは地面へ大きな円を描いた。

 二十八の小環を外周へ置き、中央へ一本の主線を通す。


「【連結治療格子リンクド・ヒール・グリッド】。患者ごとの仮止血、解毒、結晶抑制は別に持ちます。地上治療所へ着いた患者から格子へ接続し、全員を待たず、班ごとに主完成時刻を一つ作ります」

「何人ずつ?」

「最大五人。私一人なら三人です」

「俺が補助する」

「レイルが保持するのは主完成時刻一件だけです。治療内容まで抱えないでください」


 フィアが新しい目録欄を作る。


「治療班を五組へ分けます。患者番号、圧力段階、結晶位置、本人同意、地上到着時刻を登録します。主完成時刻は班ごとに一件。レイルが同時に持つのは一班分のみです」

「わかった」


 ミレアは坑夫の胸へ手を当てた。


「説明をもう一度します。地上まで傷を完全には閉じません。途中で出血が増えれば、その場で計画を変えます。意識を保つ必要が出た時は、私が理由を話してから覚醒固定を使います」

「今も起きてるぞ?」

「常醒波に起こされています。私の魔法を重ねると、身体への負担が増えます」

「眠れるなら眠りたいんだが」

「地上で常醒波を切った後、鎮静を使います。それまで、目を覆ったまま運びます」


 坑夫はもう一度頷いた。

 圧力室が八割へ下がる。

 結晶が皮下で僅かに膨らむ。

 レイルの【生命診断】へ血流の乱れが見えた。


「右大腿の結晶が血管を押してる。仮止血を一段強く」


 ノアが術式を調整する。


「強くしすぎれば末端が壊死します。脈を見てください」


 ミレアが足先へ触れる。


「脈は弱いですが残っています。あと十五秒、この強さで維持できます」


 フィアが時刻を読み上げる。


「十五、十四、十三」


 セレネが次の圧力膜を形成する。

 レイルは診断を続ける。

 視界の情報を一人で抱えない。見えたことを声に出し、ノア、ミレア、フィアへ渡す。


「結晶の根、拡大停止」

「血流、戻ります」

「足先脈拍、改善」

「第一段階、通過。次の区画へ搬送します」


 アルドが担架の前を持ち、リィナが後方を支える。


「傾けない。右脚を少し高く」


 ノアの指示へ、二人が同時に角度を合わせた。

 坑道の狭い角を通る時、アルドの肩が壁へ当たる。


「左へ半歩ですよ」


 フィアが言う。


「俺から見て?」

「アルドから見て左です」

「了解した」


 今度は間違えない。

 第二圧力室へ入ったところで、別班から緊急通信が届いた。


『第三横坑、崩落進行! 患者五名、うち一名が左手首を切断!』


 ロッテの声だった。


『切断部位は回収済み。冷却箱へ入れました。出血は結晶化で止まっています!』


 ノアの顔が上がる。


「地上治療所へ部位と患者を別々に運んでください。向きを記録。汚染水へ浸けないでください」


 通信の向こうでユノが答える。


『運搬路を開ける。カイン、前!』


 石板の文字が通信投影へ映る。


【三分で通す】


 リィナは担架を支えたまま、レイルを見る。


「欠けた手、戻せる?」

「切断直後で、部位が残っていれば再接着の可能性はある。しかし、それには聖級治癒魔術【生体補環バイオ・リストレーション】が必要になるんだ」

「使えるの?」

「俺一人ではとても無理だ。ノア、ミレア、フィア、ニア、――さらに生体触媒が要る。血管と骨をつないでも、神経が戻るまで何か月もかかる術なんだ」

「助かる可能性は?」

「ある。が、簡単じゃない」


 リィナは短く頷いた。


「じゃあ、地上まで運ぶ。今はそれでいいね」


 第二段階、五割。

 第三段階、二割。

 患者の結晶は二度膨らみ、二度止められた。

 地上治療所へ着いた時、坑夫の顔は汗で濡れていた。それでも生きている。

 ノアが連結治療格子の中央環へ手を置く。


「第一班、患者五名。主完成時刻を形成します」


 五つの小環が一つへつながる。

 五つの小環には、それぞれ異なる処置が入っている。血管、骨、毒、結晶位置。最後の結着だけが、同じ主環へ集まる。

 ノアは九十九%で止めた。


「レイル、受け取ってください」


 白い文字が浮かぶ。


【第一治療班:主完成時刻】


 レイルは一件だけ保持する。

 重い。

 掌へかかる重みは、五つの治療が閉じる時刻から来ている。一本でも狂えば、五人へ同時に影響する。

 フィアが目録を読む。


「患者一、結晶除去完了。患者二、血流確認。患者三、本人同意再確認済み。患者四、鎮静開始。患者五、追加止血中。完成条件、一件不足」


 レイルは待つ。

 急がない。

 患者五の出血が止まる。


「安全条件、充足」


 ノアが手を差し出した。


「返してください」


 レイルは保持を解除する。

 主完成時刻がノアへ戻り、五つの治療が順番に閉じた。

 派手な光はない。

 傷口が静かに固定され、血流が戻り、結晶だけが体外の受け皿へ落ちる。

 第一班、全員生存。

 地上治療所から、誰かが長く息を吐いた。


 その時、第三横坑から切断患者が運び込まれた。

 若い女性坑夫だった。

 左手首から先がない。結晶化した断端を圧迫布で包み、意識は常醒波で残ったまま。

 別の担架で、冷却箱が届く。

 彼女は箱を見て、唇を震わせた。


「彼女は――戻るの?」


 レイルはすぐに答えなかった。

 ノアが断端を診る。

 ミレアが脈と呼吸を取る。

 フィアが身元、事前医療意思、家族連絡を確認する。


「再接着を試せる状態です」


 ノアが言った。


「成功しても、すぐ動く手にはなりません。神経がつながらない可能性、慢性痛、壊死、再手術があります」

「失敗したら?」

「命を守るため、再接着した部位を再び外すこともありえます」


 女性は涙を流した。

 眠れないため、泣き疲れて意識を手放すこともできない。


「時間は?」

「今夜中に土台をつなぎます。その後は数か月のリハビリです」

「仕事に戻れる?」

「今は約束できませんが――」


 ミレアが静かに続ける。


「手を戻す治療を選ばなくても、命を守る処置はできます。今ここで、仕事の心配まで決めなくて構いません」


 女性は冷却箱を見た。

 長い沈黙の後、右手で自分の胸を押さえる。


「戻せるなら、試したい。動かなかった時は、その時また決めるから」


 フィアが記録する。


「再接着治療への同意、確認。途中停止条件と再切除の可能性も説明済みです」


 ノアはレイルを見る。


「聖級術式は、次の崩落へ備えて地上治療区画を拡張してから行います。今は断端保存と血流保護を優先です」

「分かった」


 レイルは自分の手を見た。

 魔法学院へ入り、火、水、風、土、合成、無詠唱を学んできた。

 傷を治す魔法は、最後まで遅れていた。

 目の前の手を戻すには、強い魔力だけでは足りない。何時間もの準備、複数人の判断、材料、同意、そして治療後の長い生活が必要になる。

 それでも、可能性はある。

 その可能性を、次の一時間へ運ぶ。


 地下で大きな崩落音が響いた。

 第二救助線から、一斉に赤信号が上がる。



【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 上級【生命診断】の情報を二項目へ絞り、一班分の主完成時刻だけを保持した学院生。


・ノア・エルグラム

 患者ごとの治療を【連結治療格子】へまとめ、九十九%で止めた後、全条件が揃ってから五人の傷を閉じた研究者。


・フィア

 検査同意と治療同意を分け、二十八名の圧力段階、結晶位置、完成条件を患者番号ごとに管理した記録担当。


・ミレア・ノクス

 常醒波と自分の覚醒固定を重ねず、眠れない患者へ鎮静が可能になる地上までの説明を続けた治療師。


・セレネ・グランツ

 三段階の圧力室を設計し、患者ごとに違う下降速度を術式膜へ反映した設計術師。


・リィナ・アルセイル

 担架の角度をアルドと合わせ、欠けた手を今すぐ戻せないと聞いても、まず地上へ運ぶ役を選んだ剣士。


・アルド・クロイツ

 圧力を崩さず担架を運び、方向確認を受け入れて患者を一度も傾けなかった護衛役。


・ユノ・アステル/カイン・ヴェルド

 第三横坑の運搬路を三分で開き、切断患者と冷却箱を別々の担架で地上へ通した招待剣士たち。


【今回の能力・設定メモ】


・【生命診断(ヴァイタル・スキャン)

 血流、損傷、毒、魔力経路などを重ねて読む上級生命魔法。情報量が多く、初回から全項目を表示すると術者の判断が追いつかない。


・【連結治療格子リンクド・ヒール・グリッド

 患者ごとの治療内容を個別に保ちながら、最後の主完成時刻だけを班単位へまとめる術式。レイルの保持件数を患者数と同じにしないための共同設計。


・【生体補環バイオ・リストレーション

 切断部位の再接着や欠損部の再生土台を作る聖級生命術式。複数術者、生体触媒、大量の栄養と血液、本人同意、長期のリハビリを必要とする。


【次回】


 第二救助線の再崩落で、多数の患者が同時に悪化します。レイルは完全治療へ手を伸ばさず、九十秒だけ悪化を止める聖級領域へ挑みます。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 五人の傷を一つへ混ぜず、最後の時刻だけを束ねた格子が、全員を地上で治療へつなぎました。レビュー、ブックマーク、フォローで、冷却箱に残された左手と九十秒の次工程を見守っていただければ幸いです。

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