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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第10章「眠らない聖女」

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第170話「眠らない鉱山都市」

 夜も灯りが消えない街は、働き者に見えます。

 灯りの下で誰かの睡眠が削られているなら、その夜景を誇る前に止めなければなりません。

 ヴァルグレンは、夜になっても暗くならなかった。

 精錬炉の炎、鉱石運搬灯、坑道入口の誘導石。三交代制で動く都市には、もともと眠らない街という呼び名があった。


 だが今夜は、その言葉の意味が変わっていた。

 常醒波を浴びた人々は、瞼を閉じられない。疲労で膝をついても、意識だけが身体へ貼り付いている。治療所の寝台には、眠れない負傷者が並び、痛みが薄いまま自分の傷を不思議そうに見ていた。

 競技場地下へ通じる第一坑口では、四学院合同救助本部が作られていた。


 リオンは大会物販用の倉庫を開放し、本の箱を全て外へ出している。代わりに毛布、包帯、水、保存食、灯光石、記録紙が積まれた。


「大陸記は濡れても増刷できます! 水と薬は今ここで必要です! 第三倉庫を治療班、第四を家族照合へ回してください!」


 蜂蜜色の髪へ煤が付き、礼装の袖は肘までまくり上げられている。

 エリオは避難者名簿の前へ座り、丸眼鏡を何度も押し上げていた。


「リオン先輩、第二鉱区の名簿と会社の勤務表で七人合わないッスよ!」

「どちらが多いですか?」

「勤務表が七人少ないッス。家族から名前が出てるのに、会社側に載ってない人がいる」

「臨時雇用か、記録外勤務です。名前を消さず、別枠へ入れてください」

「正式記録にない人も捜すッスよね?」

「当然です。帳簿から名前が落ちても、その人まで消えないでしょ」


 エリオは七名の名を赤枠で囲んだ。


「師匠へ伝えるッス!」

「あなたはここを離れちゃだめです」

「でも、師匠は地下ッス!」

「だからです。大師匠が戻った時、誰をまだ捜すのか分からなければ、救助は終われません」

「自分も戦えるッス」

「一年次の記録魔法で崩落岩を止められますか」

「止められないッスね......」

「なら、まず名前を止めてください。消されないように」


 エリオは唇を噛んだ。

 地下へ走りたい足を椅子の下へ押し込み、筆を握り直す。


「七人、必ず残すッス」

「任せます」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 第一坑口では、レイルたちが装備を換えていた。

 王城礼装も競技服も脱ぎ、煤と泥を前提にした外套、短い防護具、呼吸布へ替える。リィナは毒矢を弾いた長剣を封印袋へ入れ、予備の一本を腰へ差した。セレネは胸元の魔導演算石へ五枚の術式札を接続する。

 アルドは白銀鎧の一部を外し、狭い坑道へ合わせて肩幅を小さくした。

 フィアは目録帳を三冊へ分ける。人、経路、治療。

 ノアは細い赤縁眼鏡の上から防塵鏡を重ね、魔導衣の裾を膝まで留めた。

 ミレアは白い手袋を外し、腰の袋へしまう。


「地下では手袋を都度、戻しません。触れた患者ごとに洗浄します」

「眠気は大丈夫なのか?」


 レイルが尋ねる。


「ありませんね。常醒波で消されています」

「動きやすい?」

「身体は重いです。眠いと感じられないので、休む時刻を時計で決めなければ......」


 ミレアはレイルへ小型時計を渡した。


「貴方も同じです。三十分ごとに手を止めてください」

「救助中に三十分ごとは難しいぞ」

「難しくても止めます。手が震え始めてから休むと、治療にも保持にも遅いです」

「分かった」

「今の返事をフィアへ記録してもらいます」

「俺、信用されてないな」

「過去の実績による信頼です」


 フィアがもう書いていた。

 地下へ降りる班は三つ。

 第一班、レイル、リィナ、セレネ、ミレア。

 第二班、アルド、フィア、ノア、ロッテ。

 外周班、ユノ、カイン、イレーネ、ナディル。


 エルシアは坑口上部で崩落域全体の風路を管理し、クラリスは地上治療所と壊れた搬送設備の修復へ回る。

 国王と一般観客は安全区画へ移されたが、国王は王都へ戻らず救助本部に残った。レオハルトが警備と都市封鎖を指揮する。


「レイル・アルヴァートは地上へ残すべきです」


 レオハルトが言った。


「暗殺者が地下へ逃げています。彼の能力を狙う罠の可能性が高い」

「分かっています」

「分かっていて入るのですか?」

「俺を狙った罠なら、他の人だけを入れても止まりません。保持と王核側の白環文法が必要になる場所があります」

「国家としては許可できません」

「組合のCランク救助任務として入ります。監督はイレーネとエルシア。単独行動はしません」


 レオハルトはレイルの後ろを見た。

 リィナ、セレネ、ミレアがいる。

 誰も、レイル一人へ決めさせる顔をしていない。


「三十分ごとの状態報告。保持は二件。暗殺者を発見しても追跡しない。国王陛下の勲章を理由に命令するつもりはありません。救助班として、その条件を求めます」

「はい、受けます」

「フィア・レコードへも送ります」

「お願いします」


 必要な保護を拒まない。

 その条件で地下へ入った。

 第一層は、大会用に使われていた旧坑道だった。

 競技場から落ちた石材と座席が通路を塞ぎ、常醒波の白い光が壁を脈打っている。リィナが予備剣で建材を切り、セレネが崩れない順番を指示した。


「右上の梁から。左を先に切ると天井が落ちます」

「三本見えるけど?」

「中央は残してください。今の荷重を受けています」

「分かった。右、次に左」


 リィナは斬撃を二度で止める。

 切りすぎない。

 空いた隙間へレイルが【風圧鎧(エア・アーマー)】を薄く流し、粉塵を外へ押した。

 百歩ほど進んだ先で、坑夫が三人倒れていた。

 全員、目を開けている。

 一人は脚が不自然な方向へ曲がっているのに、壁をつかんで立とうとしていた。


「仕事に戻らないと……交代鐘が鳴ってない」


 ミレアが正面へ座る。


「交代です。今は私たちが入ります」

「眠くない。働ける」

「脚が折れています」

「痛くない」

「痛みが消えても、骨は戻りません。動けば血管を傷つけます」


 坑夫は自分の脚を見て、初めて顔を歪めた。


「いつから、この光を使っていましたか」

「夜勤が続く時だけ。会社が粉を配る。眠らず掘れるから、手当も出る」

「粉?」


 坑夫の胸袋から、灰白色の小瓶が落ちた。

 レイルが触れようとすると、ミレアが先に布で包む。


「直接持たないでください。常醒波と同じ反応があります」


 セレネが瓶の封印文字を見る。


「教会式の生命活性剤に見えます。製造番号が削られている」

「治療薬として配られたのか」

「包装はそうです。中身は違うかもしれません」


 坑夫三人を地上へ送り、さらに降りる。

 第二層の分岐で、アルド班から通信が入った。


『第三鉱区入口を発見。会社図面にない横坑がある』


 フィアの声。


『臨時勤務者七名の作業札が落ちています。エリオの赤枠と一致しました』

「七人はそこだ。救助目録へ追加してくれ」

『追加済み。アルドが先行を希望しています』

「単独は駄目だ」


 通信の向こうでアルドが答える。


『一人では行かない。ロッテと入口を広げ、ノアとフィアを通す』

「了解」


 別班が正しい道へ入ったことを確認し、第一班は最深部へ向かう。

 三十分の時計が鳴った。

 レイルは止まらなかった。

 もう一度鳴る。

 リィナが外套を引いた。


「休憩」

「前に人の反応がある」

「歩きながらでも、飲んで」

「両手が塞がってる」


 セレネが水筒を開け、レイルの口元へ差し出した。


「飲んでください」

「自分で持てる」

「持てないと言った直後です」

「塞がっているだけで――」

「飲むの? 飲まないの?」


 リィナに切られ、レイルは水を飲んだ。

 セレネの手から水筒を受け取る距離が近い。リィナは見ていたが、今は嫉妬より残量を優先したらしい。


「半分じゃ少ない。もう一口」

「リィナまで治療師みたいになってるぞ」

「倒れる人の言い訳を聞きすぎたから」


 短い休止を終え、先へ進む。

 最深部手前で、壁の一部が透けていた。

 白環文字が岩盤の中へ埋め込まれ、坑道全体へ常醒波を送っている。古い安定柱そのものへ教会式の制御環が接続され、都市の鉱脈全体が媒体にされていた。

 装置の前へ、作業服の男が倒れている。

 意識はある。

 皮膚の下で、灰白色の結晶が血管に沿って伸びていた。


「助けてくれ……痛くないのに、身体が動かない」


 ミレアが膝をつく。

 ノアへ緊急通信をつなぐ。


「皮下結晶。血管沿い。常醒波と同調しています」

『”治癒”はかけないでください』


 ノアの声が即座に返った。


『結晶が止血材の役割をしています。消せば、閉じていた血管が同時に開く可能性があります』

「地上へ運ぶ」


 レイルが言う。


『姿勢を変える前に圧力差を測ります。地下と地上で魔力圧が違います』


 ロッテが別通信から数値を送る。

 差は大きい。

 このまま地上へ上げれば、結晶が膨張する。

 地下で治せば、止血が外れる。

 どちらも危険だった。

 男は目を開いたまま、全て聞いている。


「俺は、どうなる」


 ミレアは曖昧に励まさなかった。


「今すぐ治すと、大きく出血する恐れがあります。地上へ運ぶ途中で結晶が割れる危険もあります。身体を調べながら、傷を閉じ切らない治療を組みます」

「助かるのか」

「助けるために、選べる方法を探します。今の時点で約束はできません」


 男は目を閉じようとした。

 閉じられない。

 涙だけが横へ流れる。


「眠らせてくれ」


 ミレアの指が止まった。

 常醒波の中では、普通の鎮静が効かない。


「ここでは難しいです。目を覆います。私の声が必要な時だけ呼びます」

「……頼む」


 リィナが自分の予備布を外し、男の目へ柔らかく巻いた。

 セレネは周囲の圧力を保持する仮設膜を設計する。

 レイルは完成させない治療の準備へ入った。

 勝敗のない救助は、ここからさらに深くなる。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 国家の安全条件を受け入れて地下へ入り、三十分の休止を仲間に強制されながら、治せば出血する患者の前で手を止めた救助術師。


・リィナ・アルセイル

 崩落材を必要な二本だけ斬り、常醒波で眠れない患者へ自分の予備布を渡し、目元を覆った剣士。


・セレネ・グランツ

 坑道荷重と治療用圧力膜を並行設計し、水筒を持てないと言ったレイルへそのまま飲ませた術式設計者。


・ミレア・ノクス

 眠れない坑夫へ成功を断言せず、痛みが消えた脚を動かさないよう止め、患者の希望から鎮静方法を探した治療師。


・アルド・クロイツ

 会社図面にない横坑を見つけ、一人で進まず仲間と入口を広げ、記録外勤務者七名の救助へ向かった護衛役。


・フィア

 エリオの赤枠名簿と地下の作業札を照合し、会社帳簿にいない七名を救助対象へ正式追加した記録担当。


・ノア・エルグラム

 皮下結晶が止血を担っていると見抜き、治癒を急げば大量出血を招く可能性から地下班の手を止めた研究者。


・リオン・ゴルディス

 大陸記の倉庫を水、薬、毛布へ譲り、帳簿にいない人間の名前まで補給と捜索の対象へ入れた同級生。


・エリオ・フェーン

 地下へ走る代わりに記録外勤務者七名の名を赤枠へ残し、救助対象から消えないよう名簿を守った一年次生。


・レオハルト・グレイヴ

 レイルの地下行きを全面禁止せず、保持数、状態報告、単独行動禁止を救助班の条件として求めた政策院次官。


【今回の能力・設定メモ】


・覚醒魔晶粉

 教会式生命活性剤に見せかけて坑夫へ配られた灰白色の粉。常醒波へ同調し、眠気と痛覚を鈍らせる一方、身体の損傷を回復させない。


・覚醒石化反応

 血管や傷口へ灰白色の結晶が生じ、出血を仮固定する状態。地下外へ移動した際の圧力差や、強い治癒魔法による急変が懸念される。


【次回】


 地下で傷を閉じれば出血し、地上へ運べば結晶が割れる患者へ、ノアとレイルは九十九%の治療を組みます。


 会社の勤務表から消えた七人を赤枠へ戻し、眠れない患者の目へ一枚の布を掛けました。レビュー、ブックマーク、フォローで、閉じ切れない傷を地上まで運ぶ治療を応援していただければ幸いです。

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