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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第10章「眠らない聖女」

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第168話「救助競技は勝者を決めない」

 誰かを先に運べば、その人だけは早く助かります。

 最後の一人まで帰る道を作るには、速さ以外の判断も必要になります。

 救助競技の朝、アルドは集合場所を間違えた。

 正確には、護衛救助課程の選手控室へ向かったつもりで、鉱山資材搬入口へ着いた。地図は正しい向きで持っていた。案内札も右腕へ結ばれていた。本人だけが「資材を運ぶ選手はこちら」と書かれた別の矢印を、自分への指示だと思い込んだらしい。

 フィアが見つけた時、アルドは競技用の模擬負傷者を運ぶ担架を三台まとめて担いでいた。


「開始十二分前です。何をしているのですか?」

「担架が足りないと聞いた」

「この担架は第三会場用です。私たちの会場は反対側です」

「地図では同じ方向に見える」

「あなた、現在地を別の門へ置いていますよ」

「門が似ていたのだ」

「石壁と鉄扉が似ていても、門番号まで同じにはなりませんが」


 フィアは淡い青の瞳を閉じ、一度だけ息を整えた。


「担架を戻します。走れば間に合います」

「三台ともか?」

「置いていけば、第三会場が困ります」

「分かった。俺が持つ」

「一台です。三台を担いだまま走ると、別の事故記録が増えます」


 そこへノアが駆けてきた。

 肩甲骨までの淡い金髪が乱れ、細い赤縁眼鏡が鼻先へ落ちかけている。豪華な研究用魔導衣の裾を持ち上げながら、アルドの肩と腕を一目で確かめた。


「筋断裂は?」

「ない」

「痛みは?」

「ない」

「本人の申告だけでは不十分です。フィア、持ち上げた時間は?」

「三分四十二秒。歩行距離は百十六歩」

「右肩を見せてください」

「競技前だ」

「だから診ます」


 ノアがアルドの肩当てを外そうとし、フィアが時計を見る。


「残り九分です。診察を二分以内に終えてください」

「治療へ時間制限を付けないでください」

「いま決めるのは、治療を続けるか、試合へ出してよいかです」

「筋を触ってから決めます」

「触る必要はない」


 アルドが言っても、二人は聞かなかった。

 少し遅れてミレアが現れ、大きな欠伸をする。


「ふわぁぁ……肩を上げてください。右、左。痛い位置で止めます」


 アルドが両腕を上げる。

 ミレアは肩甲骨の動きと呼吸を見た。


「出場できます。担架は一台ずつ持ってください」

「私も同じ判断です」


 ノアが言う。


「まだ判断を言っていませんでした」


 フィアが目録帳へ訂正線を引いた。


「ノアの確認項目は術式損傷。ミレアの確認項目は身体。出場可否は監督教員へ渡します」

「細かいですね」

「競技内容が、その細かさです」


 四人が第二救助会場へ駆け込んだのは、開始三分前だった。

 競技区域は、廃坑を模した三層構造になっている。一階は崩れた街路、地下第一層は煙と魔力障害、地下第二層には複数の模擬負傷者。救助班は二十分以内に状況を把握し、搬送順位を決め、可能な人数を地上治療所へ運ぶ。

 得点は救出人数だけで決まらない。

 負傷悪化、救助者の損耗、情報の誤記、無理な治療、撤退遅延も減点される。

 王立結着学院班の担当は、アルド、フィア、ノア、ミレア。

 レイル、リィナ、セレネは外周支援席から、魔力供給と安全監督だけを行う。選手へ直接答えは伝えられない。

 観客席の一角では、ユノとカインも演武後の視察として見ていた。


「カイン、救助競技って、敵がいないのに剣より緊張するね」


 カインが石板へ書く。


【敵は時間】


「それ、ちょっと格好つけた?」


【事実】


 開始鐘が鳴る。

 アルドが先頭で崩れた街路へ入った。

 最短路は中央の石橋。救助札には、地下二層へ六名と表示されている。中央を通れば最速で到達できる。

 フィアが橋脚の亀裂を見た。


「中央橋、仮設補強二本。荷重上限は担架一台と救助者二名です」

「俺一人なら渡れる」

「帰りは患者を抱えます」

「先に向こうへ行き、別路を開ける」

「戻れない可能性があります」


 アルドは橋と西側の迂回路を見比べた。

 西は遠い。煙が濃く、視界も悪い。


「最短で地下へ着くのは中央だ」

「はい」

「全員が地上へ戻れるのは?」

「現在の情報では西側です。時間は三分増えます」


 アルドは中央橋から足を外した。


「目標を変える。最短到達は捨てる。全員帰還を優先する」


 胸の奥で【完遂】が一度揺れた。

 これまでのアルドは、最初に決めた命令を最後まで運ぶことで力を得ていた。途中で目標を書き換えれば、固有律が弱まる危険がある。

 彼は拳を握る。


「【完遂(コンプ)】。任務目標、更新。地下へ着くだけでは終わらない。救助対象と救助班、全員で帰る」


 白い光が腕へ集まり直した。

 消えない。

 フィアが記録する。


「更新確認。旧目標を破棄。新目標を第一番へ登録します」


 四人は西側へ入った。

 煙の中で、ニアが外周支援席から濃度だけを表示する。答えは出さない。フィアが自分で数値を読み、進める時間を決めた。


「視界二歩。呼吸保護は残り十二分。ミレア、人体反応は?」

「近くに二人。片方は意識があります。もう一人は呼吸が浅いです」

「ノア、術式妨害の濃度は?」

「治癒式の完成率が六割まで落ちます。ここで閉創すると内部を見落とします」

「治療地点を第一層出口へ変更します」


 負傷者役には、治療生命科の上級生が入っている。痛覚を伴わない模擬症状術式を受け、患者の呼吸や迷いまで再現する。

 一人目は右脚骨折、意識あり。

 二人目は胸部圧迫、意識低下。

 ミレアは白い手袋を外し、二人目の首へ指を当てた。


「覚醒固定を使います。三十秒だけです」

「起こす理由は?」


 フィアが尋ねる。


「胸の痛みと呼吸困難を本人へ確認します。終わったら解除します」

「記録しました」


 ミレアの紫の瞳から眠気が消える。


「聞こえますか。今から意識を戻します。怖ければ目を閉じたままで構いません」


 淡い光が患者役の額へ触れた。

 瞼が開く。


「胸が……重い。左が痛い」

「分かりました。もう休んでください」


 覚醒固定を解除する。

 ノアが診断模型へ魔力を流し、胸部内の術式反応を読む。


「胸に傷は見えません。内側から左肺が圧迫されています。上体を三十度起こしてください。平らに寝かせると呼吸が落ちます」

「アルド、一人で二名を持てますか」

「持てる」

「二人を抱えたまま、狭い西路を曲がれますか」

「一人を背負い、一人を担架へ乗せれば運べる。だが西路の幅では旋回できない」


 アルドは周囲を見る。

 通路の補強材を外せば幅が作れる。外せば天井が下がる。


「一人を先に運ぶ。戻る」

「時間が足りなくなる可能性があります」

「二人を同時に落とすよりいい」


 胸部圧迫の患者を担架へ固定し、アルドとミレアが先に運ぶ。フィアとノアは骨折患者へ残った。

 ノアは脚へ治癒をかけようとせず、木副木と包帯を使った。


「魔法を使わないのですか?」


 患者役が尋ねる。


「煙の中では内部を正確に見られません。外へ出てから骨の位置を確認します。痛み止めは使えます」

「それでお願いします」


 同意を得てから処置する。

 アルドは一人目を出口へ渡し、戻ってきた。

 固有律の光は弱まっていない。

 旧目標へ執着せず、新しい任務を自分で選び直したまま維持されている。

 地下二層へ進むと、残り四名が見つかった。

 一名は歩行可能。二名は中等傷。一名は赤札――救助不能を模した状態だった。

 ミレアは赤札の患者へ膝をつく。

 競技規則では、救命不能判定を確認し、限られた時間を他の患者へ回す必要がある。


「反応なし。術式上の生命活動、停止」


 声が静かになる。

 練習だと分かっていても、見捨てる動作は軽くならない。

 フィアが札番号を記録する。


「第六番、搬送対象から除外。位置を地図へ残します」

「後で回収班へ渡してください」

「登録します」


 アルドは赤札の人形へ一度だけ頭を下げ、残る三名を見た。

 時間は七分。

 全員を運べる。

 走れば。

 だが、走れば胸部患者の固定が崩れる。


「フィア、残り時間」

「地上治療まで六分四十秒。安全歩行なら最後の一名が十八秒遅れます」

「十八秒をどこで取る」

「東側の崩落板を一枚だけ外せば、出口まで二十六歩短縮できます。荷重変化の確認が必要です」

「ノア」

「板の魔力接着は二箇所。私が一つ、ミレアが身体監視をしながら一つ外せます」

「ミレア」

「患者の状態は三十秒なら任せられます。外した後、すぐ戻ります」


 四人は役割を分けた。

 アルドが板を支え、ノアが接着式を九十九%まで解き、最後の結着だけを残す。フィアが周囲の荷重変化を数え、ミレアが患者の呼吸を見ながら解除時刻を決める。


「今です」


 板が外れる。

 短い道が開く。

 アルドが先頭へ入り、担架を引いた。


「道は合っているか?」

「今回は合っています」

「今回は、を付ける必要があるか」

「記録に基づく評価です」


 終了鐘の三秒前、最後の担架が地上線を越えた。

 会場から歓声が上がる。

 得点板はすぐに出なかった。救出人数、悪化、記録、同意、救助者損耗を一つずつ確認するためだ。

 結果は、王立結着学院班が首位。

 最速到達では三位。救出人数は同率一位。負傷悪化ゼロ、救助者損耗ゼロ、記録欠落ゼロ。赤札の位置も回収班へ正確に渡されていた。

 審査長が四人の前へ立つ。


「勝因を一つ挙げてください」


 アルドは少し考えた。


「最初の目標を捨てたことです。中央橋を渡っていたら、俺だけは早く着いた。帰りに患者を運べなかった」

「固有律は途切れなかったのか」

「命令はまだ生きています。俺一人で地下へ着く形から、救助対象と救助班を連れて帰る形へ広げました」


 フィアが補う。


「旧目標を残したまま新目標を足していれば、条件が衝突しました。更新時刻と破棄時刻を同じ行へ記録しています」


 ノアは赤縁眼鏡を上げる。


「治療を急がなかった点も評価してください。煙の中で骨を閉じれば、骨片を誤った位置へ固定する可能性がありました」


 ミレアは小さく欠伸をした。


「ふわぁぁ……患者を起こしたのは三十秒だけです。話を聞いた後まで意識を維持する理由がなかったので、眠ってもらいました」


 四人の回答は揃っていない。

 だからこそ、一人が見落とした部分を別の誰かが拾えた。

 観客席でレイルは、救助目録の複写を見つめていた。


「フィアの記録、俺の保持管理にも使える」

「使うなら、本人へ頼んでください」


 セレネが言う。


「もう頼むつもりだ」

「勝手に組み込む前で安心しました」

「そこまで信用がないのか」

「四件目を黙って持った前例があります」

「……反論できない」


 リィナは左脚を伸ばしながら、競技場の地下側を見た。

 さっきから、石床の奥で小さな振動が続いている。模擬崩落装置の余韻にしては、間隔が揃いすぎていた。


「レイル。地面、鳴ってない?」


 レイルも足裏へ意識を向ける。

 低い震え。

 三拍止まり、また二拍。

 ニアが猫耳を立てた。


『地下魔力、周期性あり。大会設備の稼働記録にはないよ』


 ロッテが競技場下の点検口へ走る。

 煤で汚れたゴーグルを下ろし、探査具を差し込んだ。


「旧坑道の安定柱が動いています。誰が起動したんですか?」


 運営技師は顔を見合わせる。

 安定柱は大会期間中、低出力固定のはずだった。

 教会席の上段で、ベネディクト・オルドレイが穏やかに拍手を続けている。

 白い手袋の下で、細い操作環が一度だけ光った。


【今回の登場人物】


・アルド・クロイツ

 集合場所を間違えて担架を三台運びながら、本番では最短到達を捨て、【完遂】の目標を全員帰還へ更新した護衛科生。


・フィア

 橋の荷重、患者番号、目標の破棄時刻まで分けて記録し、欠落ゼロで救助競技を終えた目録担当。


・ノア・エルグラム

 煙の中で骨を閉じず、副木と痛み止めを選び、見えない傷を魔法で隠さなかった客員研究員。


・ミレア・ノクス

 患者を三十秒だけ起こして痛みと呼吸を聞き、用が済んだ後は意識を休ませた治療師。


・レイル・アルヴァート

 救助目録を自分の保持管理へ取り入れようとし、セレネから過去の四件目を即座に持ち出された学院生。


・リィナ・アルセイル

 競技の歓声より地下の周期振動へ先に気づき、模擬装置ではない異常をレイルへ知らせた剣士。


・セレネ・グランツ

 仲間の記録を使う前に本人へ頼むよう念を押し、レイルの無断運用を未然に止めた設計術師。


・ロッテ・ベルクマン

 地下点検口から旧坑道安定柱の異常稼働を見つけ、大会設備外の起動者を探し始めた魔導技師。


・ベネディクト・オルドレイ

 救助競技を拍手で見届けながら、白い手袋の下で旧安定柱へつながる操作環を動かした聖職者。


【今回の能力・設定メモ】


・【完遂転換(コンプリート・シフト)】原型

 任務を放棄せず、現場情報に合わせて目標を更新する【完遂】の運用。旧目標の破棄と新目標の登録を曖昧にすると、固有律が衝突する。


・【戦況目録(バトル・インデックス)】原型

 人物、負傷、経路、術式、時刻、撤退条件を別番号で管理し、変更履歴を残すフィアの記録方式。


【次回】


 総合決勝の模擬都市へ、競技設備へ登録されていない地下振動が入り込みます。


 最短の橋を渡らず、十八秒を道幅から取り戻した判断が、最後の担架を三秒前に地上へ運びました。レビュー、ブックマーク、フォローで、競技の床下から響く次の三拍を見届けていただければ幸いです。

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