第166話「勇者候補は眩しすぎる」
強い光へ正面から目を開けば、見えるものが減ることもあります。
相手がどれほど眩しくても、次に踏む場所は自分の足元で見つけるしかありません。
招待選抜演武の会場は、昨日までの中央競技場ではなかった。
毒入りインク事件を受け、大会運営は【王立結着学院】の第二演習場へ場所を移した。観客席の数は半分以下に減り、入場口では手荷物、飲食物、筆記具まで検査されている。
それでも席は開始一時間前に埋まり、外周の立ち見区域まで人が並んでいた。
中央の石床には、一本の白線が引かれている。
試合形式は三本勝負。相手の胴、肩、手首へ有効打を入れるか、白線外へ両足を出せば一本となる。致死性の高い戦技、観客席へ向く広域技、武器破壊を目的とした攻撃は禁止された。
リィナは控え通路で、左脚へ包帯を巻き直していた。
赤栗色の髪を高い位置で結び、金茶色の瞳を伏せる。昨日の決勝で生じた掌の裂傷は薄く閉じている。左脚の張りも、歩行には問題がない。
ただし、問題がないから全力で使える、とはミレアが言わなかった。
「最初の一本で左へ同じ負荷が出たら、二本目の前に診ます」
銀灰色の長髪を背へ流したミレアが、リィナの膝を片手で支える。紫の瞳は眠そうに細いままだが、指先は腱の動きを逃さない。
「試合の途中でも?」
「途中でもです。今歩けるかより、次の一歩で切れるかを見ます」
「止められたら、たぶん怒るよ、私」
「怒ってください。診断は変えません」
「はぁ、強いね」
「眠いので、言い合いを短くしたいだけです」
レイルは壁際で、ユノの過去記録を読んでいた。
勇者候補としての正式な戦闘記録は少ない。旧勇者塔、白環分離矯正、断航海域の魔力嵐。勝敗よりも、災害と異常現象を斬り分けた報告が多い。
「まだ読むの?」
リィナが立ち上がる。
「相手の剣の速度が分からない。記録では『光が先行』と『剣が先行』の両方があるようだ」
「見れば分かるじゃん、そんなの」
「始まってからでは遅いだろ」
「始まる前に全部分かったら、試合する意味がないでしょ」
リィナはレイルの手から報告書を抜き取り、閉じた。
「昨日、私に言ったよね。相手が決めた終点へ入るなって」
「ああ」
「今のレイルは、記録の中へ私を入れようとしてる。ユノの剣がどう来るかより、私がどこへ踏むかを見ていて」
「……分かった」
「本当に?」
「途中で口を出さない」
「それは頼んでない。終わったら全部聞く」
口元を少し上げ、リィナは愛用の長剣を取った。
通路の向こうでは、ユノが白い外套を脱ぎ、カインの胸へ押しつけていた。
藍色の髪を後頭部でひとまとめにし、刃引きした長剣を肩へ担いでいる。勇者候補らしい豪華な鎧は着ていない。濃紺の旅装へ胸当てと籠手を足しただけで、靴には旧街道の土がまだ残っていた。
カインが外套を畳み始める。
「待って。そこ折らないで」
カインの手が止まった。
「昨日からそれしか着る気ないの。変な折り目ついたら一日ずっと気になって、最終的に全部嫌になるから」
カインは石板へ白墨を走らせた。
【なら自分で畳め】
「今から人前で剣振らされる人に服まで畳ませるの、まじうざ。勇者候補への福利厚生、げろげろすぎない?」
【昨日、放置した】
「昨日の私と今日の私は別人だから。昨日は服とかどうでもよかったの。今日はそれしか無理なの」
【同じ外套】
「そういう正論、今いらない。正しいこと言えばいいと思ってる人、ほんと無理。嫌い。存在が固い」
ユノは吐き捨てた直後、カインから視線をそらした。
「……別に本気で嫌いじゃないけど」
カインが白墨を動かす。
「書かないで。それ記録したら本気で嫌いになるから」
【了解】
「その『了解』もなんか腹立つわ。感情ない感じして。私だけ情緒壊れてるみたいじゃん」
カインは石板を伏せた。
「黙るのもまじうざ……」
ユノは剣を握り直した。
口では気だるそうに愚痴を並べながら、その指先は同じ位置を何度も確かめている。籠手の紐を締め、緩め、また締めた。
「緊張してる?」
ユノがリィナへ尋ねた。
「少し」
「正直で偉い。私は無理。普通に帰りたい。今すぐ外套かぶって宿へ戻って、三日くらい誰とも話さず壁見てたい」
「ユノは勇者候補なのに?」
「その呼び方、まじでやめて......」
ユノの声が急に低くなった。
「負ければ『勇者候補が負けた』。勝てば『勇者の光が勝った』。怪我したら管理不足。怪我させたら危険人物。笑えば余裕ぶってる。黙れば態度悪いとかさ」
口元だけが笑った。
「何しても悪口に変換できるの、みんな才能ありすぎ。私のこと好きなの? 嫌いなの? どっちでもいいけど、ずっと見てくるの気持ち悪い。げろげろ」
その目は笑っていなかった。
「看板が先に試合してるからさ。本人が入る場所、ほとんど残ってないの」
「じゃあ、今日の相手はユノでいい?」
ユノは瞬きもせず、リィナを見た。
「……何それ」
「勇者候補じゃなくて、ユノと戦う」
「何それ。急にそういうこと言うの、ずるくない?」
「嫌だった?」
「嫌じゃないから困ってるの」
先ほどまで死んだように沈んでいた瞳へ、急に熱が戻った。
ユノはリィナとの距離を一歩詰める。
「ねえねえ、もう一回言って」
「ユノと戦う」
「もう一回」
「何回言わせるの?」
「今のでちょっと生き返ったから、もう一回聞いたら完全復活するかもしれない」
「もう試合が始まるよ」
「じゃあ勝ったら言って。負けても言って。どっちでも言って」
「どっちでもいいんじゃん、変なの」
「よくない。言い方が違うから。勝った私に言うのと、負けた私に言うのは全然違うでしょ」
ユノは急に顔をしかめた。
「……待って。今、距離近すぎた。私きも。まじ無理。忘れて」
「自分から来たのに?」
「だから忘れてって言ってるじゃん。そういうところ拾うの、まじうざ」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
開始鐘が鳴った。
一本目、リィナは先に踏み込んだ。
【噴歩・瞬駆】。
脚部から噴き出す魔力が石床を短く擦り、身体を一息で間合いへ押し込む。長剣がユノの右肩へ向かう。
ユノは半歩も退かなかった。
刃を斜めに立てて受ける。鋼が触れる寸前、淡い金白の光が剣身へ沿って走り、二本の刃が噛み合った場所で衝撃が膨らんだ。
リィナは【無終剣・返環】によって受けた力を足裏へ落とし、そのまま次の斬撃へ返そうとする。
返したはずの光が、ユノの剣へ戻った。
最初より強い。
「だから言ったじゃん! 返すと増えるの! 人の気持ちみたいに勝手に重くなるの、こいつ!」
ユノの剣が横へ走る。
リィナは長剣を合わせたが、二度目の衝撃によって身体が白線際まで滑った。左足が線を踏み、右足だけで止まる。
ユノは追う。剣先より先に光が迫った。
リィナが刃を返すと、光は再び膨らみ、三度目の衝撃となって肩へ届く。
審判の旗が上がった。
「一本、ユノ・アステル!」
歓声が演習場を揺らす。
ユノは一本を取った直後だというのに、表情を失っていた。
剣身へ残る光を見る。
「……またこれ」
歓声が続く。
「光がすごい。勇者候補が強い。はいはい。私、別にいなくてもよくない?」
カインが客席下から石板を掲げた。
【剣も当てた】
「慰め雑すぎ。まじうざ」
【事実】
「事実なら何でも効くと思わないで。今の私、正論で殴ると普通に割れるから」
審判がユノへ開始位置へ戻るよう促した。
ユノは観客席へ剣を掲げる。
求められている勇者候補の顔を、一瞬で作った。
歓声がさらに大きくなる。
剣を下ろした途端、笑顔も消えた。
「はい、サービス終了。もう見ないで」
一方、リィナは肩を回していた。痛みは浅い。
問題は、今のまま返し続ければ、自分の方が先に線外へ押し出されることだった。
休止線へ戻ると、レイルが唇を開きかけ、閉じた。
「何?」
「口を出さない約束だ」
「顔に出てる」
「なら見ないでくれ」
「無理。言って」
「返す方向が一つしかない。ユノの光は剣へ戻る。地面か空へ逃がせば――」
「そこまでで」
リィナは水を一口飲んだ。
「続きは自分で探す。地面へ全部落としたら、次の足が止まる。空へ逃がしたら剣が浮く。だから、半分だけ使う」
「半分?」
「まだ分からない。でも、全部返すのをやめてみる」
ミレアが左脚へ触れる。
「腱の張りは増えていません。二本目へ出られます」
「ありがとう」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
試合再開。
今度はユノが先に来た。
「二本目いくよー......」
声は冷えている。
「さっきと同じなら、たぶん私もう無理。勝っても気持ち死ぬから、ちゃんと違うことして」
「注文が多いね」
「期待してるから。期待させたのリィナだから。途中でやめたら、勝手に好きになって勝手に嫌いになるから」
「面倒だね、ユノ」
ユノの目が見開かれた。
「……それ、いい」
「何が?」
「面倒ってちゃんと言われるの、好きっ。もっと言って」
「今は試合中」
「あとで言って。約束ね」
光をまとった縦斬りが落ちる。
リィナは正面で受けず、刃の腹を斜めに滑らせた。肩へ流れた衝撃を腰で回し、足裏へ半分だけ落とす。
残りは剣先へ残した。
重い。
返そうとすればユノへ戻る。持ち続ければ腕が痺れる。
リィナは剣先を地面へ触れさせ、そのまま円を描いた。
石床へ浅い傷が走る。
光の一部が円の外へ散り、残った力が身体を横へ押した。押された方向へ逆らわない。
一歩を置く。
ユノの正面から外れ、その左肩側へ回り込んだ。
「え」
ユノの表情が変わる。
「待って。そこ使うの?」
ユノも身体を回す。
光の追撃が遅れてついてくる。
リィナは【無終剣・継歩】で最初の斬撃を終えず、柄頭をユノの脇へ滑り込ませた。
軽い接触。審判旗が上がる。
「一本、リィナ・アルセイル!」
観客席が沸いた。ユノは脇腹を押さえたまま、動かなかった。
「……やば」
「痛かった?」
「違う。今の何?」
顔を上げた時には、先ほどまでの沈みが消えていた。
ユノはリィナの間合いへ踏み込む。
「返してないよね? 光の帰還を止めたんじゃなくて、戻る途中の力を横移動へ変えた? 足裏へ全部落とさず、剣先へ残して、地面との接触で余剰だけ散らした? ねえ、今のもう一回やって。今すぐ。試合とか一回止めていいから」
「止めたら反則になるよ」
「一本くらいどうでもいい。今の方が大事」
「私は勝ちたい!」
「そういう顔も好き。待って、好きって言いすぎた。今のなし。いや、剣士としてはあり。人としてはまだ分かんない。分かんないけど、たぶん今すごい好き。あー、もう無理。情緒うるさ」
ユノは自分の額を剣の柄へ軽く当てた。
「落ち着け、私。きもい。距離感きもい。初対面に近い相手へ執着するな。引かれる。終わる。全部終わる」
「聞こえてるよ」
「聞かないで!」
「声に出してるのはユノでしょ」
「正論やめて! 今、躁っぽくなってるから正論入れると急に落ちる!」
ユノは深く息を吸い、無理やり一歩離れた。
「……私の光を、足場にしたの?」
「たぶん」
「図々し」
ユノは笑った。
笑い声が抑えられず、肩まで揺れる。
「げろげろ。最高。私の光、みんな怖がるか崇めるか壊そうとするのに、踏んだ。足場にした。最悪。好き」
「返すよりいいでしょ」
「いい。めっちゃいい。ねえ、その技、他の相手へ先に完成させないで」
「どうして?」
「私の光で見つけたんだから、最初に完成したところも私が見たい」
「勝手だね」
「知ってる。嫌なら嫌って言って。嫌われたら三日は病むけど、聞かずに我慢して勝手に壊れるよりマシだから」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
三本目。
ユノの笑みが、突然消えた。どうやら気分が落ちたのではない。
剣士として、全神経を目の前の相手へ切り替えた。
剣を下段へ置き、呼吸を整える。光が刃だけでなく、肩、背、足元へ巡った。勇者候補へ与えられた力が、身体全体の動きを先回りして支えている。
「最後、ちゃんと来て」
声だけが低く残る。
「中途半端に負けられると、帰ってから脳内で百回やり直して、最終的に今日ここへ来たこと自体を後悔するから」
「もちろん、勝つつもりで行くよっ!」
「うん」
ユノの瞳に、濁った熱が宿る。
「私も勝つ。負けたらリィナのこと嫌いになるかもしれない。勝っても好きになりすぎて嫌いになるかもしれない。どっちでもたぶん面倒になる」
「じゃあ、今だけ剣を見て」
「それ、命令?」
「お願い」
「……そういうの、断れないんだけど」
リィナは長剣を中段へ置いた。視線を光へ向けない。
眩しさを追えば、ユノ本人の腰が見えなくなる。彼女の足を見る。
右踵が浮く。剣より前に身体が動いた。
リィナも踏み込む。
両者の刃が中央でぶつかり、ユノの光が一気に膨らんだ。
リィナは返さない。全部受けもしない。
剣の角度を変え、左脇へ流す。流れた光へ右足を乗せ、ユノの外側へ回った。
一本目で押し出された円を、今度は自分から外れる。相手が閉じようとする側へ、先に足を置く。
ユノの肩が近い。リィナの剣先が届く。
同時に、勇者候補の光が背後から折り返した。
光の帯がリィナの腰へ触れる。
剣先はユノの肩当てへ当たる寸前で止まった。
二本の旗が上がる。 審判団が協議へ入った。
演習場は、咳一つ聞こえるほど静かになった。
ユノは剣を下げず、リィナの剣先を見つめていた。
「……負けた?」
「まだ分からない」
「無理。判定待ち無理。今のうちに負けた時の気持ち作っておかないと、急に言われたら壊れる」
ユノの呼吸が速くなる。
「負けたら剣やめる。勇者候補もやめる。誰にも言わず消える。山とか行く。いや虫いるから山無理。宿へ引きこもる。カインに八つ当たりする。レイルの記録を勝手に読む。リィナの試合を全部見返す。嫌いになる。やっぱ好きになる。最悪」
カインが石板を掲げた。
【呼吸】
「してる!」
【浅い】
「見れば分かること書かないで! まじうざ!」
【四秒吸え】
「命令しないで!」
【頼む】
「……最初からそう書いて」
ユノは四秒かけて息を吸った。
「有効打、ユノ・アステル! 光帯の接触が先であった。二対一でユノ・アステルの勝利!」
観客の大歓声が落ちてくる。
リィナは肩で息をしながら、止めた剣先を下ろした。
(悔しい。あと半歩だった)
だが、一本目のように押し出されてはいない。ユノの光を正面から返し続けず、その力の中へ自分の道を作れた。
ユノはその場へ立ち尽くしていた。
「わたし……勝った?」
「勝ったよ」
「ほんとに?」
「審判が言ったでしょ」
「そっか」
ユノの口元が震えた。
「よかった」
笑った直後、目から一滴だけ涙が落ちる。
「え、無理。なんで泣いてんの私。勝ったのに。きも。最悪。誰も見ないで」
ユノは乱暴に目元を拭った。
観客へ向ける顔を作ろうとする。だが笑みがうまく固定できず、口元だけが歪んだ。
「勝ったら嬉しいと思ってたのに、全然足りない。リィナの剣、あと少しで届いてた。光なかったら負けてた。やっぱ私じゃないじゃん」
リィナが剣を下ろす。
「光もユノの力でしょ」
「それ言わないで」
ユノの声が鋭くなる。
「今それ言われると、信じたくなるから」
「信じればいいじゃん」
「簡単に言わないでよ!」
演習場のざわめきが、一瞬だけ遠のいた。
「ずっと違うって言われてきたのに、一回言われただけで信じたら、私が今まで病んでた時間全部ばかみたいじゃん!」
ユノは叫んだ直後、自分の口を手で押さえた。
「……ごめん」
声が急に小さくなる。
「違う。リィナに怒ったんじゃない。私が勝手に刺さっただけ。今の忘れて。嫌いにならないで」
「ならないよ」
「即答するのやめて。期待するから」
「じゃあ、少し考えてから言う?」
「それはもっと無理。嫌われる時間できるじゃん」
「ほんと面倒だね」
ユノは黙った。
次の瞬間、泣きながら笑った。
「それ。さっき約束したやつ」
「約束はしてないよ」
「した。私の中ではした」
「勝手だね」
「うん。まじで面倒だし、勝手だし、情緒げろげろ。でも今だけ、もう一回言って」
「ユノは面倒」
「……ありがと」
ユノは鼻をすすり、リィナへ手を差し出した。
「危なかった。最後、剣だけなら私の負けだった」
「光込みで勝ちたかった」
「それ以上言うと、本気で好きになるからやめて」
「剣士として?」
「もう知らない。分類するのだるい。今は全部好き。明日起きたら全部嫌いかもしれないけど、それでも今日好きだったことは消さない」
リィナは差し出された手を握った。ユノの掌にも、硬い剣だこがあった。
勇者候補という言葉の下に、何度も剣を振った人間の手がある。
「次も戦ってくれる?」
リィナが尋ねる。
「やる。今すぐやる。明日もやる。毎日やる」
「いや多いよ」
「じゃあ三日に一回」
「多い」
「週一。これ以上減らされたら捨てられたと思って病む」
「予定を確認してからね」
「予定に入れて。最優先で」
「私にも訓練があるから」
「その訓練、私とやればいいじゃん」
「カインとも戦うよ」
ユノの表情が止まった。
「……ああ、そっか」
「明日、一撃制で戦う予定」
「そっか。うん。普通だよね。私だけと戦うわけじゃないもんね」
声が沈んでいく。
「別にいい。全然いい。カイン強いし。二人で勝手に楽しめば。私は宿で壁見てるから」
カインが石板を掲げた。
【見に来い】
「行くけど。最前列で見るけど。なんなら全部記録するけど」
「来るんだ」
「行かないって言ったら止めてほしかっただけ。察して」
「難しいよ」
「だよね。知ってた。今のなし」
ユノはリィナの手を離さなかった。
「リィナ、今の技、名前を付けた方がいいよ」
「まだ一回しかできてない」
「一回できたなら、次に失敗する場所ができたってことでしょ。成功だけ残しても、再現できなかったらただの思い出だし」
その言い方へ、レイルが客席下で僅かに反応した。
前世から持ち込まれたような響きがあった。
今はその理由を問うより、剣を終えたリィナへ水を渡す方が先だった。
リィナはユノの手をゆっくりと離す。
「【無終剣・道開き】へつながりそう。今は、相手の力の中へ自分の一歩を作れただけ」
「なら、次は完成させてきて」
「完成とか言わないで。レイルが面倒になる」
「どれくらい?」
「説明が長くなる」
「げろげろ。今の私に長文は無理。途中で感情変わる」
客席下へ目を向けると、レイルは本当に何か言いたそうな顔をしていた。
「うわ、もう顔が長い。あれ絶対、前提条件から話すやつじゃん。まじだる」
「聞くのは私だから大丈夫」
「強い。私だったら途中で『結論だけ言って』ってキレて、そのあと言い方きつかったかなって一晩病む」
控え線へ戻ると、レイルが水と冷却布を持って待っていた。
「左脚を見せてくれ」
「感想が先」
「二本目の横移動は、ユノの光を足場へ――」
「そうじゃないでしょ?」
「分かってる。……負けたけど、すごかった。最後は本当に届くと思った」
「うん」
リィナは座り、左脚を伸ばした。
レイルが膝下へ冷却布を巻く。指先は治療師として慎重なのに、表情には試合中の緊張がまだ残っていた。
「怖かった?」
「三本目の光帯が見えた時は」
「私が?」
「腰へ入れば、受け身が間に合わないと思った」
「ちゃんと見てたんだ」
「見ていてくれと言ったのはリィナだろ」
リィナは返事の代わりに、少しだけ足の力を抜いた。
その前へ、カインが立つ。
喉の古傷の下へ汗が一筋落ちていた。彼は石板へ白墨を走らせる。
【明日。一撃】
「今日じゃないの?」
【脚を休めろ】
「ミレアと同じこと書くんだ」
【正しい】
ユノが後ろから石板を覗く。
「カインが他人の診断を素直に聞くの、珍し。自分が血まみれでも『問題ない』で進むくせに。そういう自分だけ雑な男、まじうざ」
カインは一度消し、書き直した。
【勝つため】
「ほら。治療じゃなくて試合の都合。戦闘以外の感情どこへ置いてきたの?」
ユノはそこで口を閉じた。
「……まあ、そういうところに助けられてるけど」
カインが石板へ書こうとする。
「待って、今の記録しないで」
白墨が動く。
「やめて。ほんとにやめて。恥ずかしくなってきた。今の私じゃない。三秒前の別人格だから」
【記録した】
「消して」
【事実】
「事実を残せばいいと思ってるの、まじうざ!」
ユノはカインの石板を奪おうとする。
カインが高く掲げる。
「背高いのずるい! そういう物理で感情封じるの最低! 嫌い!」
【了解】
「了解するな! そこは否定して!」
カインは一度消す。
【嫌われても同行する】
ユノの動きが止まった。
「……そういうの急に出すの、反則」
沈んだ声のまま、ユノはカインの腕を軽く殴った。
「嫌いじゃない。今は。明日は知らない」
【了解】
「だから了解が軽いんだって!」
リィナが笑った。
負けた悔しさは消えていない。
消すつもりもなかった。
翌日、声も光も使わない相手が待っている。今日作った道が、目印の少ない剣へも届くかを試せる。
金章の重みより、次の一歩の方が近く感じられた。
その横では、勝ったはずの勇者候補が、笑い、泣き、怒り、カインの石板を奪おうとしている。
眩しい光の中心にいる少女は、誰よりも自分の影に振り回されていた。
【今回の登場人物】
・リィナ・アルセイル
勇者候補の光を返し続ける戦い方を捨て、押された力の中へ横の一歩を作り、ユノ本人へ届こうとした剣士。
・ユノ・アステル
気力の急落、戦闘への異常な高揚、距離感の崩壊、勝利直後の自己否定を行き来しながら、光も剣も抱えてリィナへ勝利した勇者候補。
・レイル・アルヴァート
試合前の分析を止められ、観客席からリィナ自身の足を見届け、終わった後は技術解説より先に感想を伝えた学院生。
・ミレア・ノクス
勝負の熱へ流されず左脚の腱を診て、怒られても診断を変えないと先に告げた眠そうな治療師。
・カイン・ヴェルド
急上昇と急降下を繰り返すユノへ短い石板で呼吸と帰路を示し、嫌われても同行すると記録した無言の剣士。
【今回の能力・設定メモ】
・勇者候補の光
ユノの剣と身体の動きを補助する異邦系の加護。受け流された力は剣路へ戻る。使用するたび本人の体力を削り、精神状態や判断の乱れが大きい時は光の制御も不安定になる。
・【無終剣・道開き】へつながる踏み込み
勇者光の一部を足場へ変え、流れの中へ横の一歩を作った。正式な【道開き】は、レイルが保持する攻撃や転移の完成地点まで敵陣を切り開く対軍技であり、現段階では未成立。
・ユノの感情変化
普段は強い倦怠感と自己否定を抱え、評価や肩書きへ過敏に反応する。興味や好意が刺激されると急激に高揚し、早口、過剰な接近、執着的な要求が増えるが、直後に自分の言動を嫌悪して急落する。
【次回】
声も光も予備動作も少ないカインの剣へ、リィナは石板一枚分の情報だけで踏み込みます。
返せば増える光を足場へ変えたリィナと、笑った直後に泣き、嫌いと言った直後に離れない勇者候補が、勝敗だけでは閉じない道を残しました。レビュー、ブックマーク、フォローで、明日の無言剣と【零間】の再挑戦を応援していただければ幸いです。




