第160話「弟子一号は未承認です」
弟子になりたいと言う人は、師匠の強さだけを見ているとは限りません。
けれど憧れた背中に無理の跡があれば、それまで立派な歩き方に見えてしまいます。
王城から戻った翌朝、レイルの机には弟子入り志願書が二通置かれていた。
一通は金縁の上質紙。署名欄の横に、金環商会の決済印と「授業料前納済み」の追記がある。
もう一通は学院指定の安い練習紙。文字は小さく密集し、余白へ「雑用、記録、荷物持ち、睡眠監視、全部やるッス」と書き込まれていた。
差出人を確認する必要はなかった。
「当然、両方却下だ」
レイルが言うと、机の向こうでリオンとエリオが同時に身を乗り出した。
「な、なんでですかぁぁぁぁっ!理由をお聞かせください、大師匠!」
「改善して再申請するッス!」
「俺は、弟子を取る予定がない」
「予定は変更できます」
「師匠、未定ならゼロじゃないッス!」
「二人で同じ方向から詰めるなって」
リオンは蜂蜜色の髪を整え、王城帰りの上質な制服を着ている。エリオは一年次の襟章を少し斜めに付け、丸眼鏡の紐へ新しい筆記具を一本増やしていた。
机の端では、猫型ニアが二通の志願書を前足で押さえている。
『候補者二名。正式認定、ゼロ名です』
「ニア殿、私は長期実績があります」
『捜索費ノ授業料変換ハ、本人同意ナシです』
「師匠、ニア先輩も自分側ッス!」
『ニアちゃん、どっち側でもないです。観戦側だもーん』
リオンは自分の手帳を開いた。
「では公平に、弟子として提供できる能力を比較しましょう。私は資金、補給、契約、輸送、宿泊、出版、保険を担当できます」
「自分は記録、紙の見分け、地図の清書、インク調合、荷物の一覧、あと走るのも超速いッス!」
「一年次平均でしょう」
「リオン先輩よりは速いッスよ?!」
「補給責任者が自分で走る必要はありません。走る者を雇えばよいのです」
「そうやって金で弟子競争するのズルいッスね!」
「金貨で買えないものがあるから、契約と実績を積んでいるのです」
「師匠の返事も買えないッス!」
「それは最初から分かっていますっ!」
珍しくリオンの声が少し低くなった。
エリオも口を閉じる。
レイルは二人を見る。
「分かっているなら、なぜ弟子にこだわるんだ?」
リオンは手帳の角を指で整えた。
「大師匠の慎重さを学びたいからです。私は金で準備を増やせます。増やせるせいで、必要な準備と、自分が安心するためだけの準備を混同する。大師匠はそこを見分けられると思っていました」
「俺も増やしすぎる」
「だから、失敗した後にどう直すかまで学びたいッス。何でも成功する師匠を探してるんじゃないッス」
エリオは擦り切れた大陸記を胸へ抱えた。
「自分は、師匠みたいに強くなりたいって最初は思ってたッス。でも七回読んだら、強い場面より、帰還届とか食料表とか、言葉を間違えた頁が気になったッス。自分の兄貴みたいに、格好いい人の真似だけして帰れなくなるのは嫌ッス。だから、師匠が間違えた時に誰が止めたのかも知りたいッス」
レイルは返答に詰まった。
弟子を取れるほど完成していない、と言えば二人は喜びそうだった。未完成だからこそ学べると言い返すに決まっている。
「......なら、条件を出す」
二人の目が同時に輝いた。
「弟子入り条件ッスか!?」
「正式認定の前段階ですね!」
「違う。弟子にならないための条件だ」
「ええ? 意味が分かりません」
レイルは二通の志願書を返した。
「俺の真似をするな。リオンは、自分が金を出した相手の決定を買わない契約を作れ。エリオは、大陸記を写すのをやめて、自分が見た学院一年次の記録を一冊作れ。俺の技や言葉を集めても、お前たちの得意が増えるわけじゃないからな」
「完成したら弟子に?」
「完成した後で、なぜ弟子になりたいかもう一度聞いてやる」
「おお、可能性は残ったッス!」
「残してない」
エリオは志願書を鞄へ入れようとして、別の紙束を落とした。
床へ散った紙には、レイルの一週間分の行動時刻が細かく書かれている。
【起床 五時十分】
【朝練 五時四十分】
【朝食 七時】
【授業 八時】
【昼食 十二時】
【自主練 十八時】
【執筆 二十一時】
【就寝予定 二十三時】
【実際の消灯 一時三十分】
最後の欄だけ赤い。
「おい、これは何だ」
「師匠の効率的な一日を再現するための時間表ッス!」
「実際の消灯まで、どうして知っているんだお前」
「寮の向かいの記録塔から灯りを――」
「監視はやめろ......」
「すみませんッス!」
レイルは紙を拾い、次の頁を見た。
エリオ自身の時間表もある。
【就寝 二時】
【起床 五時】
「お前も三時間しか寝てないのか」
「師匠は二時間半の日もあるッス!」
「そこを真似するなと言ってる!」
自分の声が講義室へ響いた。
扉が開き、ミレアが眠そうな顔を覗かせる。
「ふわぁぁ……睡眠不足の人が二人いる声でした」
「俺は昨夜六時間寝た」
「では一人ですね」
ミレアはエリオの前へ来て、手袋を外した。
「あなた、手を見せてください」
「元気ッス!」
「元気な人は、脈を取ればわかります」
前にも聞いた言葉だった。
エリオは少し緊張しながら手首を差し出す。
ミレアは紫の瞳を細めた。
「脈が速い。指先が冷たい。瞼の動きも遅いです。今日は授業後、記録作業をせず眠ってください」
「でも師匠の課題が――」
「師匠本人が寝ろと言っていますよね?」
「師匠命令ッスね!」
「上級生の指示だ」
「どちらでも、今日は寝てください、ふわぁ......私も寝ます」
ミレアはレイルにも視線を移した。
「それから、真似されたくない習慣は自分も減らしてください。言葉より、灯りの方がよく見えます」
「昨夜は六時間だ」
「一昨日は?」
「……四時間半」
「明日から七時間です」
「急に増やすと生活周期が――」
「ふわぁ……では六時間半から始めます。交渉できたと思わないでください」
エリオが尊敬の目でミレアを見る。
「ミレア先生、師匠を寝かせられるんスね!」
「完全には成功していません」
「弟子入りするならミレア先生の方がよくないか」
レイルが言うと、エリオは真剣に考えた。
「治療は才能が足りないッス。でも睡眠監視だけ習えるなら――」
「弟子候補を譲ろうとしないでください」
ミレアの声が少しだけ鋭くなった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その日の午後、書籍の十万部突破と勲章授与を受けた学院記者会見が開かれた。
壇上には帰還組全員が座り、リオンは出版と基金の説明役として端へ立つ。会場には新聞社、出版社、学院広報、冒険者向け通信紙の記者が集まった。
質問は大陸記の内容から、王核大陸との外交、勲章、総合大会、恋愛まで広がった。
「レイルさん、あなたはセレネさんとリィナさんのどちらと交際しているのですか?」
前列の若い記者が尋ねた。
レイルの呼吸が止まる。
「現在、返答を考えている段階です」
セレネが先に答えた。
「私は好意を伝えています。撤回していません」
「私も好きだって言ってる。だから勝手にどっちかと付き合ってることにしないで」
リィナも真っすぐ言った。
会場の筆記音が急に増える。
「レイルさんは?」
「二人の気持ちは知っています。知らないふりはしません。ただ、まだ返事を決めていません」
「期限は?」
「外の人が勝手に決めることじゃないでしょう?」
セレネの声は穏やかだったが、青紫色の瞳は記者から離れなかった。
リィナも腕を組む。
「記事の締切より先に答えを出すつもりはないから」
記者は少し怯み、質問を変えた。
次に、総合大会会場でのサイン会と握手会が発表される。
予定人数は千五百人。通常版、児童向け版、教材版を合わせ、一人三冊まで。公開質問は事前審査制。インク、紙、贈答品は警備検査を通す。
「せ、千五百人か?」
レイルが小声で聞き返す。
「当初希望は四千人でした」
リオンが答える。
「これでも、減らしました」
「腕が持たないぞ......」
「休憩は四回。握手は片手五秒です。子供と高齢者には、少し長く時間を取ります」
「五秒をどう測るんだ?」
「エリオ君が担当します」
客席の端で、エリオが立ち上がった。
「師匠、一人三冊、五秒、休憩時間、全部記録するッス!」
「今日は寝る約束だろ」
「これは来月の予定ッス!」
会場に笑いが起きる。
会見終了後、リオンはレイルへ一枚の偽版本を見せた。
表紙には【未完の大魔導士・王核征服記】と書かれ、レイルが巨大な魔王を片手で倒す挿絵がある。
「俺は征服していない」
「当然です。内容も九割が捏造です」
「残り一割は?」
「リィナ殿が大量に食べる部分だけ、原典より控えめです」
「そこだけ正確にしないでよ!」
リオンは偽版を閉じた。
「有名になれば、好意的な偽物も増えます。英雄へ見せたい人、怖い兵器へ見せたい人、王核大陸を征服対象へ戻したい人。それぞれ都合のよいレイル像を売ります」
「全部止められるか?」
「無理です。ですが、公式版の権利表示、訂正文、本人の発言記録、販売経路の追跡はできます」
「金で解決できないな」
「はい。だから金で、解決する人が働ける時間を買います」
リオンは商会印の手帳を閉じる。
「大師匠の返事は買いません。ですが、大師匠が自分の言葉を届ける紙と印刷機と護衛の食事は用意します」
普段なら大声で言うところを、静かに言った。
レイルは少し考え、弟子入り志願書を返す代わりに、別の紙を渡した。
「サイン会の補給計画を作ってくれ。参加者の待ち時間、水、雨天時の屋根、体調不良者の休憩所。販売数より先に」
「承知しました、大師匠!」
声量は一瞬で戻った。
エリオが横から飛び込む。
「師匠、自分の課題は?」
「一年次の一週間を記録しろ。強い人の名前を一行も使わずに」
「師匠の名前も駄目ッスか?」
「駄目だ」
「難易度高いッス……でもやるッス!」
二人はそれぞれの紙を持って走り出した。
未承認の弟子候補は、まだレイルの後ろを歩けない。
だから別々の場所へ向かい、自分の得意を作り始めた。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
弟子二人を認めず、自分の真似をやめて各自の得意を完成させる課題を渡した大陸記著者。
・リオン・ゴルディス
資金を出した相手の返事を買わない契約作りと、サイン会の待機者を守る補給計画を任された弟子志願者。
・エリオ・フェーン
「師匠、弟子入りに来たッス!」の勢いで不眠まで真似し、学院一年次を自分の視点で記録する課題を受けた少年。
・ミレア・ノクス
師匠と弟子候補の睡眠不足を同じ手首から見抜き、二人とも先に眠らせた治療生命科生。
・リィナ・アルセイル
記者の前でもレイルへの好意を隠さず、記事の締切に恋愛の返事を合わせないよう釘を刺した少女。
・セレネ・グランツ
告白を撤回していないと公言しながら、返答期限を外部へ決めさせなかった少女。
・ニア
未承認の弟子候補を観戦し、捜索費の授業料変換へ本人同意がないと指摘した疑似人格。
【今回の能力・設定メモ】
・サイン会・握手会
総合大会会場で千五百人を予定。インク、紙、贈答品は検査し、休憩、水、雨天対策、体調不良者の導線を先に設計する。
・大陸記の偽版
英雄化、兵器化、王核大陸への排外意識を利用する無許可出版物。公式表示を付け、誤りを一冊ずつ訂正記録へ残して対抗する。
【次回】
レイルは生命魔法の実習で、見えている傷を閉じる前に、見えない傷を探すことになります。
未承認の弟子二人は、補給表と一年次記録へそれぞれ走り出しました。レビュー、ブックマーク、フォローで、買わない返事と千五百人分の水を先に用意する計画を応援していただければ幸いです。




