第159話「勲章は首輪ではありません」
勲章は、過去の功績へ与えられるものです。
けれど胸元へ輝く印を見て、未来の持ち主まで決めようとする人もいます。
王城の謁見室は、レイルが想像していたより明るかった。
高い窓から冬の終わりの光が入り、白い石床へ七本の色硝子を落としている。天井には王国の七環紋。 左右には近衛騎士、官僚、教会代表、冒険者組合、学院関係者が並び、最奥の一段高い場所へ国王レグナート四世が座っていた。
五十代後半。濃い金褐色の髪には白いものが混じり、短く整えた髭の奥に疲労が見える。王冠は大きくない。代わりに、肩へ掛かる深紅の外套の留め具へ、歴代の戦役と災害復興を示す小さな章が並んでいた。
レイルたちは入室線で止まり、習った通り揃って膝をついた。
リィナは儀礼用短剣だけを帯び、赤栗色の髪を銀紐でまとめている。セレネは肩甲骨までの淡金髪へ小さな銀飾りを留め、青灰色の礼装を規則どおり着ていた。
アルドは金髪と蒼眼を正面へ向け、同年代より高い長身へ白銀の儀礼鎧をまとっている。
小柄なフィアは黒髪の短いボブを整え、淡い青の瞳で列順を確認しながら、記録札の代わりに小型目録帳だけを胸元へ収めていた。
ノアは焦げ跡を目立たせない濃紫の礼装用魔導衣を選び、肩甲骨までの淡い金髪を整え、細い赤縁眼鏡の位置を二度直した。
ニアは猫型の光学投影でレイルの足元へ座る。
「一同、顔を上げよ」
国王の声は、広い室内でも聞き取りやすかった。
レイルは礼法どおり顔を上げる。青灰色の瞳を国王へ向けながら、左右の出入口と騎士の配置も視界の端へ入れた。
王はそれに気づいたらしく、口元を僅かに緩めた。
「非常口は二つ。余の後ろにも退路がある。これで安心したか、レイル・アルヴァート」
謁見室の何人かが息を呑んだ。
レイルは一瞬迷い、正直に答える。
「はい。教本の見取り図には一つしかありませんでした」
「王の退路を一般向け教本へ載せるわけにはいかぬからな」
「納得しました」
国王は豪快に笑った。
「堅苦しい言葉だけでは、お前が本当に帰還したのか分からぬと思っていた。学院の報告どおりらしい」
国王の脇に立つ礼部官が勲記を開いた。
帰還組が王核大陸で行ったことが、一つずつ読み上げられる。
強制転移からの生還。
現地語の習得。
灰橋宿を始めとする現地住民との協力。
白環施設からの脱出。
人間圏と王核大陸を結ぶ【双岸継信網】の成立。
大陸記による生活文化と協力者の記録。
勲記の途中で、レイルは僅かに眉を寄せた。
読み上げられる主語が、ほとんど「レイル・アルヴァート及び同行者」になっている。
「陛下、無礼を承知で発言をお許しください」
礼法では、声を掛けられる前に発言を求めない。
それでもレイルは口を開いた。
室内が静まる。
「発言を許す」
「勲記の主語を訂正していただけますか」
礼部官の指が止まった。
「俺一人では帰ってこれませんでした。リィナが前を開き、セレネが術式を組み、フィアが条件を残し、アルドが運び、ノアが修理し、ニアが言葉を繋いだ。人間圏側では学院、冒険者の青渡り、天渡り、資金面では金環商会、そして家族が捜索を続けてくれた。王核側ではミュラ、ラガン、灰橋宿、ガズル、灰環盟約の人たちが助けてくれました。『及び同行者』では、後から俺だけの功績に読まれます」
近衛の一人が僅かに身じろぎした。
国王は怒らず、勲記へ目を落とす。
「礼部官。原案は誰が作った」
「政策院と礼部の共同案です」
「名前を増やせ。王核側の名は、本人の公開同意が確認できた者に限る。確認不能な者は所属と役割を記せ」
「は、ただちに」
レオハルトは列の中から一歩出た。
「私の監督不足です。政治文書は代表者を一人へ寄せる傾向があります」
「訂正されるなら、それでいいです」
「訂正記録も残します」
フィアが小さく頷いた。
礼部官は勲記を差し替え、今度は一人ずつの名と役割を読み上げた。
リィナ・アルセイル。
セレネ・グランツ。
アルド・クロイツ。
フィア・レコード。
ノア・エルグラム。
疑似人格ニア。
さらに現地協力者と、人間圏の捜索・技術・補給担当。
載せきれない名は残った。それでも、代表者の影へ全員を隠す文面は改められた。
授与された勲章は【双岸帰還章】と名付けられていた。
開いた二つの環を細い銀線が繋ぎ、中央には完成していない小さな橋が刻まれている。
国王自らではなく、礼部官が一人ずつ胸元へ留めた。
ニアには黒銀色の細いリボンが用意され、猫型投影の首元へ光学同期された。
『ニアちゃん、叙勲映えしてます?』
謁見室で言うには軽すぎる声だった。
リィナの肩が揺れ、国王も笑いを堪えなかった。
「よく似合っているぞ。ニア殿」
『王様、見る目ありますねー』
「おいっ! ニア」
『礼法モードへ戻ります』
「よいよい、ニア殿の事は周りから聞かされておったからな」
その後、褒賞希望を尋ねられ、レイルは事前に用意した紙を開いた。
「希望は、四つあります」
「聞こう」
「行方不明者家族への捜索支援基金。王核諸語の翻訳研究費。双岸継信網は王国単独管理を避け、学院、冒険者組合、金環商会、王核側窓口で共同管理すること。最後に、王核大陸の協力者へ王国名義の謝辞を送ることです」
「ふむ。爵位も屋敷も望まぬか」
「僕は子供です。管理できません」
「即答だな」
「屋敷は掃除と維持費がかかります。爵位は領民へ責任が発生する」
「大師匠、もう少し夢のある断り方を!」
前室にいるはずのリオンの声が扉越しに聞こえた。
近衛が驚いて扉を見る。
国王は声を上げて笑った。
「金環商会の子息は、壁を越えてくるな」
「へ、陛下――、も、申し訳ありません!」
レイルは紙を持ったまま続ける。
「今は、できる仕事の範囲を広げる方へ使いたいです」
「よかろう。四件とも制度設計へ回す。共同管理には責任者と停止権を置くぞ。お前の希望が、そのまま通るとは思わぬことだ」
「協議できれば十分です」
王がレイルの希望書を側近へ渡すと、冒険者組合の列から一人の男が進み出た。
濃緑の外套へ、開いた環と道標を組み合わせた中央組合章が縫い付けられている。四十代ほどの監査官は国王へ一礼し、革張りの細長い箱を卓上へ置いた。
「陛下からの褒賞は、これで一区切りですね。続いて、大陸継路組合から資格更新を行います」
「ここで!?」
レイルが思わず聞き返す。
「証人と記録が、これほど揃う日は滅多にありません。王城を借りる機会も、そう何度もありませんから」
「余の謁見室を、組合窓口のように言うな」
「ランク査定へ王命を混ぜないため、先に申し上げました」
「そこまできっぱり切り分けられると、少し余も寂しいがな」
国王が苦笑し、謁見室の張り詰めた空気が僅かに緩んだ。
監査官は箱を開く。中には、使い込まれた三枚の冒険者証があった。レイル、リィナ、アルドが人間圏へ戻った際、更新審査のため組合へ預けたEランク証だった。
「レイル・アルヴァート。リィナ・アルセイル。アルド・クロイツ。三名の公的ランクは、帰還時までEで止まっていました」
「実力だけなら、もっと上だと言われてた」
リィナが自分の古い証を見つめる。
「承知しています。十一歳でEへ上がった後、学院在籍、年齢、監督条件を理由に昇格審査を見送ってきました。今回は人間圏の依頼回数だけで判断しません」
監査官が卓上へ記録束を重ねた。
灰橋宿と灰環継路組合の依頼記録。王核大陸での救助、護衛、交易、街道修復。学院の帰還報告。Aランク【青渡り】とSランク【天渡り】の証言。双岸継信網の設置記録まで、紙の色も書式も異なる束が一つの紐で綴じられている。
「Dランクの依頼回数は足りていません。ですが、未知大陸で生き延び、現地の規則を学び、依頼を受け、仲間を帰し、報告を残した。薬草採取からやり直させる方が、組合の信用を損ないます」
「段階を飛ばすのか」
「本日付で、三名を正式Cランクへ昇格させます」
箱の奥から、新しい証が三枚取り出された。
深い青銅色の縁へ、地域を越える依頼を受けられる三本線が刻まれている。
レイルが受け取ると、十一歳の頃から使っていたEランク証より僅かに重かった。
「Bランクには届かないの?」
リィナが率直に尋ねる。
監査官は首を横へ振らず、別の薄い札を三枚差し出した。
「そちらは、特別審査へ進めます。通常の依頼回数と在籍年数は免除します。残るのは、人間圏の法と組合指揮下で、大規模災害か高危険度任務を完了すること。自分の班だけでなく、他人の退路と損害まで判断してください」
「王核大陸での実績では足りないのか」
アルドの問いに、監査官は少し考えてから答えた。
「十分に大きな実績です。だからこそ、Cから始められる。Bの証を持てば、組合は見知らぬ人間の命をあなたたちへ預けます。人間圏の規則の中で、それを一度確認させてください」
「期限は?」
「今年度中。四学院総合魔剣競技会の救助・総合競技、学院の高危険度実地、卒業研究を査定対象へ入れます」
フィアが目録帳を開く。
「審査中の事故、撤退、失敗も記録対象ですか」
「当然です。成功だけ抜き出した記録で、Bランクを渡すつもりはありません」
レイルは新しい証と特別審査札を見比べた。
国王から受け取った勲章は、過去の功績を記すものだった。組合の証は、これから引き受けられる責任の範囲を示している。
「Cランクの報酬表は、後でリオンが持ってくると思う」
レイルが呟くと、閉じた扉の向こうから即座に声が返った。
「すでに用意しています、大師匠!」
「前室へ戻れ」
「ずっと前室です!」
監査官は咳払いで笑いを隠し、三人の旧証を箱へ戻した。
国王は椅子から立った。
「勲章は礼だ。鎖ではない。だが、鎖へ作り替えたがる者は現れる。余も王である以上、お前の功績を王国の利益へ使わぬとは言えん。王核大陸との外交、他国への説明、国内の不安。お前の名を借りる場面はある」
王の灰色がかった青い瞳が、レイルへ真っすぐ向く。
「その時は、何に使うか明示する。断る道も残す。余がそれを破ったなら、今日の勲記とこの場の証人を使って抗議せよ」
「王様へ抗議していいんですか」
リィナが思わず尋ねた。
「間違えぬ王を待つより、間違えた時に止める者を残す方が国は長く持つものだ」
謁見はそこで終わらなかった。
王はレイルたち一人ずつへ質問をした。
リィナへは、王核大陸で最も戻りたい食卓を尋ねた。
セレネへは、通信術式の完成より先に破棄した記録を。
アルドへは、任務を完遂しなかった判断を。
フィアへは、記録できなかった感情を。
ノアへは、百三十年待った最後の一%を誰へ返したかを。
ニアへは、次にどの形を選びたいかを。
誰もが答えは短くなかった。
王も途中で遮らず、各人の話をしっかりとよく聞いていた。
謁見後の夜、王城の大広間で星環舞踏会が開かれた。
七色の灯具が天井から吊られ、磨かれた床へ環状の光を落としている。楽団の音は控えめで、会話を邪魔しない。貴族、官僚、学院、冒険者組合、教会の代表が入り混じり、勲章を付けた帰還組へ次々に声を掛けた。
レイルは最初の半刻だけで、五件の研究援助、三件の名誉騎士推薦、二件の養子縁組、十一件の会食招待を受けた。
「なぜ俺が、貴方の養子になる必要がある」
人の少ない柱の陰へ逃れ、レイルが呟く。
「貴族家の後見へ入れば、身分と警護を得られます。その代わり、家の名と義務が付きますが」
セレネが説明した。
「断ったら失礼?」
「正式書面を確認してから返答すると伝えれば構いません」
「全部それで返した」
「正解です」
淡金髪の上には小さな銀飾りがあり、舞踏会の光を受けて静かに瞬く。セレネは礼法講習より少し柔らかな表情で、レイルへ手を差し出した。
「一曲、お願いします」
「練習の感想を聞くためか?」
「それもあります。でも今日は、私が貴方と踊りたいからです」
理由を術式や礼法へ逃がさない言い方だった。
レイルは手を取る。
楽団の三拍子に合わせて床へ出た。
セレネの歩みは正確だったが、練習より僅かに速い。周囲の目が多いせいか、掌に力が入っている。
「緊張してる?」
「しています。貴方は?」
「足を踏まないことと、周囲の接近経路を――」
「今は私だけを見てください」
青紫色の瞳が正面にある。
レイルは周囲の動きを完全には捨てられない。それでも視線の中心をセレネへ戻した。
「練習の時より、きれいだと思う」
「『思う』で逃げるのですか?」
「きれいだよ」
セレネは微笑んだ。耳は赤いが、足は止まらない。
「ありがとうございます。告白の返事ではないと理解しています。でも、そういう言葉を省略しないでください」
「努力する」
「時々では困ります」
曲が終わると、リィナが壁際で待っていた。
深い青の礼装は動きやすく仕立て直され、腰へ剣がない分だけ落ち着かないらしく、右手が何度も空の剣帯へ触れている。
「次、私」
「順番を決めていたのか」
「決めてないけど、セレネだけで終わったら嫌だしね」
リィナは手を差し出すより先に、レイルの袖を掴んだ。
「今日は足を踏まない」
「前回は俺が悪いことになっていたな」
「変なことを急に言ったから」
「今日は言わない方がいい?」
「そういう確認をしないで!」
曲が始まる。
リィナの歩みは型から少し外れるが、身体の軸が強い。レイルが遅れれば引き、早ければ腰の向きで止める。朝練のように呼吸が合う。
「やっぱり剣がないと変な感じ」
「舞踏会で抜く必要はない」
「分かってる。でも、レイルの手だけ持ってると、他にすることがなくて落ち着かない」
「俺の手は剣の代わりか」
「違う! そうじゃなくて……普段なら剣を持ってる手で、今はレイルを持ってるから、意識するの!」
言い切った後、リィナの顔が一気に赤くなった。
足が止まりかける。
レイルは練習でセレネに教えられたように、掌の圧を僅かに変えて次の一歩へ導いた。
「離した方がいい?」
「離したら怒る」
「分かった」
リィナは俯いたまま、それでも最後まで踊った。
曲が終わると、離れた手の温度だけが残る。
セレネが二人を迎え、リィナの赤い顔を見て何かを察したが、問い詰めなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その頃、大広間の二階回廊では、白髪の聖職者が杯を持たずに舞踏会を眺めていた。
ベネディクトの隣には、灰色の礼装を着た細身の女がいる。香料商の代理として入城したレムナ・ヴェスパだった。
「警備線は?」
「三重です。食事、酒、贈答品は全て検査。今夜は無理です」
「急ぐ必要はありません。勲章は、目印としてよく働く」
ベネディクトの穏やかな視線が、レイルの胸元へ向く。
「人は英雄を守ろうと集まります。集まった人間は、一度に不安へ変えられる......」
階下では、国王がレイルを呼び止めていた。
「レイル、お前に一つ忠告しておく」
王は周囲へ聞こえない声で言う。
「今日から、お前を知らぬ者より、お前を知ったつもりの者の方が危険になる。勲章は盾になる。狙う場所を示す印にもなる」
レイルは胸元の二つの環へ触れた。
「外した方がいいですか?」
「外す日は、己で決めよ。誰かに付けられたからといって、誰かに外させる必要もない」
舞踏会の光の下で、銀の橋は静かに輝いていた。
礼であり、記録であり、これから伸びる手の目印でもあった。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
自分一人へ寄せられた勲記を訂正させ、爵位より捜索基金と共同管理を褒賞として求めた受章者。
・リィナ・アルセイル
儀礼用短剣で謁見へ臨み、舞踏では剣を持つ手でレイルを意識していると口走った少女。
・セレネ・グランツ
告白後の好意を礼法へ隠さず、踊りたいから手を取ったと伝え、レイルから素直な称賛を受け取った少女。
・アルド・クロイツ
任務を続けない判断も完遂の一部だと国王へ説明し、帰還組の一人として双岸帰還章を受けた護衛科生。
・フィア・レコード
代表者へ寄せられた勲記の訂正履歴を残し、帰還組全員の役割を公式記録へ戻した目録官。
・ノア・エルグラム
最後の一%をニア本人の選択へ返した経緯を国王へ説明し、百三十年分の研究を一人の英雄譚へしなかった研究者。
・ニア
猫型投影へ専用勲章リボンを同期され、国王から似合うと認められた疑似人格。
・国王レグナート四世
功績を外交へ使う現実を隠さず、勲章を忠誠契約や拘束へ変えないと公言した国王。
・レオハルト・グレイヴ
代表者へ功績を集約した文面の監督不足を認め、訂正記録まで残した政策院次官。
・ベネディクト・オルドレイ、レムナ・ヴェスパ
勲章と大勢の観客を、レイルを狙うための目印と不安の材料として見ていた二人。
【今回の能力・設定メモ】
・【双岸帰還章】
王核大陸からの帰還と双岸継信網成立へ与えられた勲章。軍務義務や忠誠契約は付属しない。
・王国褒賞四項目
捜索支援基金、王核諸語研究費、通信網共同管理、王核協力者への正式謝辞。制度化には今後の協議が必要。
・正式Cランク昇格、Bランク特別審査
大陸継路組合が王命とは切り離して査定。レイル、リィナ、アルドの三名を正式Cランクへ上げ、通常の依頼回数を免除したBランク特別審査へ進めた。大会、卒業研究、高危険度実地における救助、撤退、報告まで審査する。
【次回】
王城から戻った学院へ、未承認の弟子二人と、増えすぎた有名税が待っています。
一人分だった勲記へ仲間の名前を戻し、二つの環を結ぶ銀橋を全員で受け取りました。レビュー、ブックマーク、フォローで、首輪にしない勲章と二曲の舞踏を応援していただければ幸いです。




