第158話「王城からの召喚状」
礼儀は、相手へ従うためだけの形ではありません。
何を受け取り、どこから先を渡さないか、自分の立ち位置を示すための言葉でもあります。
王城礼法の初日、レイルは入室前に三度止められた。
一度目は、扉の蝶番と退路を確認したため。
二度目は、謁見室の見取り図へ非常口を書き足したため。
三度目は、礼法教本の余白へ「国王が魔力暴走した場合」と書き始めたためだった。
「大師匠」
向かいに座ったリオンが、両手で額を押さえた。
「国王陛下が突然暴走する想定を、礼法教本の一頁目へ置かないでください。不敬罪で表彰どころじゃなくなりますぞ」
「可能性がゼロとは書いていない」
「それに、礼法書へ危険度一覧を書き込まないでください!」
「人が集まる場所ほど避難経路は必要だろうが、常識だぞ」
「......確認自体は否定しません。見取り図へ赤線を五本引くなと言っています!」
礼法教官は、深く息を吸ってから次の頁を開いた。
「入室後、国王陛下から声を掛けられるまで顔を上げてはなりません。王からの質問へは簡潔に答え、こちらから『要件は何ですか』等と聞かないこと」
「先に要件を確認した方が話が早いだろ?」
「大師匠ォォォォォォ!」
リオンの声が裏返る。
教室の後方で、リィナが笑いをこらえきれず肩を震わせていた。
彼女は礼装用の長い上着を着せられ、いつものように袖をまくろうとして三度直されている。高い位置で結んだ赤栗色の髪には、王城用の細い銀紐が編み込まれていた。
「レイルだけ怒られてるけど、私は剣を置く方が納得できない。あとこの服、動きづらいし暑い!」
「王城内へ長剣を持ち込む場合は事前申請が必要です」
セレネが肩甲骨まで届く美しい淡金髪を耳へかきあげながら答えた。実験用の眼鏡は研究室へ置き、青紫色の瞳をまっすぐ教官へ向けている。淡い青灰色の正装は飾りが少なく、襟元だけに術式設計科の銀糸が入っていた。
「申請は出したよ」
「通ったのは儀礼用短剣だけでしたね」
「使い慣れてない武器の方が危なくない?」
「王城では使わないことが大前提です」
「でも、さっきレイルが暴走した国王の想定を――」
「その話を広げないでくださいッ!」
セレネの声が少し強くなった。
レイルは教本を閉じる。
「分かった。要件は聞かない。退出許可が出る前に立たない。褒賞を勧められても、その場で契約へ署名しない」
「最後だけ契約の話になりましたが、ここも覚えてください」
リオンは商会印の手帳を開いた。
「王城では、署名がなくても言葉を契約へ仕立てる人がいます。『今後とも力を貸してほしい』へ曖昧に頷けば、後から同意したと言われかねません。返事は三つだけです。検討します。学院と相談します。正式な書面を確認してから改めてお返事します」
「リオンがついてくるのか?」
「私は――残念ながら帰還組に入らないので、行けるのは前室までです。それでも、このリオン・ゴルディス、大師匠が貴族へ囲まれる場面を蚊帳の外から眺めるほど薄情ではありませんぞおおおおおおおおおおおおっ!」
「う る さ い。 声量を下げろ」
礼法教官は疲れた顔で鐘を鳴らした。
「次は舞踏です」
リィナの表情から笑いが消えた。
「ええ......今日やるの?」
「王城の【星環舞踏会】へ招かれています。基本歩だけでも覚えてください」
「試合なら相手の足を踏んでも勝ちになるのに?」
「なりません!」
「踏まれた方が負けじゃないの?」
「舞踏は勝敗を決めません」
「難しいなぁ」
練習相手を決める段階で、さらに時間が止まった。
帰還組の中で、正式な舞踏経験があるのはセレネだけだった。フィアは手順を記録できるが実践経験がなく、アルドは騎士式の儀礼歩法なら知っている。ノアは百年以上前の舞踏なら踊れると言ったが、現行式と三テンポずれていて話にならなかった。
「レイルは、まず私と練習しますね?」
セレネが手を差し出した。
「私もやる!」
リィナが反対側から張り合う。
「順番です。基本を教える人が二人いると混乱します」
「セレネとだけ踊って慣れたら、私の時に比べるでしょ」
「比較するつもりはない」
レイルが言うと、二人の視線が同時に向いた。
「今のは、比較しないから安心しろという意味だ」
「説明を足すほど悪化しています」
「レイル、女の子二人へ『比べない』って言えば正解だと思ってる?」
「違うのか」
「違う」
リィナは腕を組んだ。
「セレネは上手い。私は下手かもしれない。でも、最初から同じじゃないって分かってる。比べないでって言いたいんじゃなくて、私と踊ってる時にセレネのやり方を正解みたいに持ち出さないでって言ってるの」
セレネは少し驚いた後、静かに頷いた。
「私も、リィナの方が身体の動きを読める場面で、貴方と同じ歩幅を求めるつもりはありません。舞踏では私が教えますが、二人の時まで私の型へ合わせる必要はないと思います」
レイルは二人の言葉を頭の中で整理し、途中でやめた。
「分かった。まずセレネから習う。その後、リィナとはリィナの歩き方で合わせる」
「うん」
「私も、それで構いません」
セレネの手を取る。
細い指は術式紙を扱う時より少し温かく、掌へ緊張が残っていた。告白前なら、こうして触れる理由があっても互いに必要以上の距離を取ったはずだ。今はセレネの方から半歩近づき、レイルの右手を自分の腰より高い位置へ導く。
「レイル――肩へ力が入りすぎています」
「足を踏まないために固定している」
「固定すると余計に遅れます。私が次にどちらへ動くか、手だけで決めないでください」
「術式より曖昧だな」
「それが、人間ですから」
青紫色の瞳が近い。
レイルが視線を足元へ落とすと、セレネは少し不満そうに眉を寄せた。
「足だけ見ないでください。相手の顔を見るのも礼儀です」
「踏む危険が増える」
「私を信じてください」
言われた通り顔を上げる。
淡金髪の毛先が動くたび、頬へかかる光が変わった。セレネは緊張している。それでも逃げずに、レイルを見たまま一歩ずつ導く。
三拍目で、レイルの踵が僅かに遅れた。
セレネは責めず、手の圧を変えて軌道を修正した。
「今のが、隣で歩く練習です」
「舞踏じゃないのか」
「両方です」
次にリィナと組む。
リィナの掌には剣だこがあり、握られた瞬間、レイルはいつもの朝練の距離を思い出した。
「足を踏んだらごめん」
「始める前に謝らないで」
「踏むかもしれないから」
「踏んだ時に言えばいいし」
音楽が始まる。
リィナは初めの二歩こそ硬かったが、三歩目から身体の軸を掴んだ。剣術の間合いと同じように、レイルの重心を足裏から読む。決められた型からは少し外れるが、ぶつからない。
「上手いじゃないか」
「ダンス、剣より遅いから」
「踏み込みの向きも――」
「分析はいらない。もう一回、普通に言ってくれる?」
レイルは息を止めた。
「……きれいだ」
リィナの足が止まった。
次の瞬間、靴先がレイルのつま先へ落ちる。
「い、痛いって」
「ご、ごめん! 今のはレイルが急に変なこと言うから!」
「普通に言えと言っただろ」
「普通の範囲を考えてよ!ばかぁ!」
教室に笑いが広がった。
セレネは口元へ手を当てながらも、少しだけ複雑そうに二人を見ていた。
レイルがそれに気づくと、彼女は視線を逸らさず言った。
「私の時にも、後で感想を聞きます」
「今ここで?」
「後で聞きます。レイル、逃げられると思わないでください」
セレネの目は、怖かった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
舞踏講習の翌日、学院長室で王城関係者との事前面談が行われた。
最初に来たのは、王国魔導政策院次官レオハルト・グレイヴだった。
四十代後半。濃い灰髪を短く整え、装飾の少ない黒紺の官服を着ている。机へ置いた書類は薄いが、一枚ごとに王国印と複数省庁の署名があった。
「レイル・アルヴァート。王核大陸からの生還、双岸継信網の成立、大陸記による民間理解の促進。王国として感謝します」
「ありがとうございます」
「同時に、あなたの安全と能力運用について、現行法では足りません」
レオハルトは書面を開いた。
「国家戦略級術師の暫定登録。国外移動時の事前許可。双岸継信網の技術部分の機密指定。【未完】の緊急使用契約。これらを王城謁見後に協議したい」
「緊急使用契約とは?」
「王都、都市結界、王族、大規模災害が危機へ陥った際、王国があなたへ協力要請を出す制度です」
「拒否権は?」
「拒否はできます。その時は、理由と代替案を出してもらいます」
「国外移動の許可制は拒否します」
「理由を聞いても?」
「王核大陸へ再訪するたび、王国の都合だけで許可を止められる。通信網は両岸で作った。片側だけの所有物にできない」
レオハルトは怒らなかった。
「予想した回答です。私はあなたを兵器と呼びません。命令で縛れば、人格のある協力者を兵器へ変えてしまう。だから契約を作ります。あなた一人の善意へ王国の存亡を預ける気はありませんし、王国の命令へあなたの人生を預けさせる気もありません。双方が拒否でき、断った理由と責任を残せる文面が必要です」
敵意はない。
だが、譲るつもりもない声だった。
レイルは書面を受け取る。
「その場では署名しません」
「正しい対応です。リオン・ゴルディスにも読ませてください。彼はあなたへ甘いですが、契約条項には厳しい」
「本人が聞いたら喜びそうだ」
「喜ばせようとして言ったわけではありません。厳然たる事実ですよ」
次に現れたのは、王都有力貴族グレモア侯爵だった。
丸みのある体格へ深緑の礼服をまとい、指には大粒の宝石が三つ。しかし差し出した契約書は見た目より細かく、出版、研究、警備、住居、社交、移動費の全てを一括で支援すると書かれていた。
「若き英雄へ、金の心配をさせたくないのです」
「貴公は、支援の代わりに僕に何を求めますか」
「条件は多くありません。出版前の原稿確認、研究成果の優先購入権、王都滞在時の当家利用、年六回ほどの社交行事、それと国外へ出る前のご相談ですかな」
リオンが書面を受け取り、頁をめくる速度が上がった。
「相談の形をしていますが、第十四条を見てください。侯爵家が危険と判断すれば、出発を六十日延ばせます。第十九条では警備費用が売上から先に引かれる。第二十二条の『必要な社交協力』には、回数の上限さえありません」
「若者の安全を思えば当然でしょう」
「大師匠の安全を、侯爵家が大師匠の予定を決める権利へ変えています」
リオンの声から普段の勢いが消えていた。
「金貨は必要です。警護も必要です。ですが、費用を出した側が返事まで所有する契約へ、私は署名を勧めません」
侯爵は笑みを崩さない。
「商会のご子息は手厳しいですな、ほっほっほ」
「金を扱う家の者ですから、厳しく見させていただいて申し訳ありません」
その言葉を聞いて、侯爵は笑顔ではあったが、目は笑っていなかった。
最後に、白い手袋の聖職者が入室した。
成環教会中央慈救局長、ベネディクト・オルドレイ。
痩せた長身、整えられた白髪、血色の薄い穏やかな顔。聖衣の裾に汚れはなく、香の匂いだけが先に室内へ入ってくる。
彼はレイルではなく、部屋の端にいたミレアへ目を向けた。
「久しぶりですね、ミレアよ」
ミレアの紫の瞳が、僅かに開いた。
「ふわぁぁ……できれば、もう少し久しぶりのままがよかったですねぇ」
「眠れるようになったと聞きました」
「はい。眠い時に寝ています」
「せっかくの力が鈍りませんか?」
「鈍って困る使い方をやめました」
ベネディクトは柔らかく笑った。
「王城では、あなたを正式な聖女候補として紹介する話もあります。レイル君の意識維持と組み合わせれば、王国へ大きな安心を与えられるのです」
「私は見世物になるために治療を学んでいません」
「見せることで救える人もいるのですよ」
ミレアは欠伸をしなかった。
白い手袋を外し、机へ置く。
「私が誰を起こすかは、その人の身体と意思を見て決めます。あなたの観客数では決めません」
室内が静かになった。
ベネディクトは一瞬だけミレアを見つめ、それからレイルへ向き直る。
「失礼しました。王城でお会いできることを楽しみにしています、若き英雄殿」
彼が去った後も、香の匂いだけが残った。
ミレアは手袋をはめ直す。指先が僅かに震えていた。
「ミレア、知っている人か?」
レイルが尋ねる。
「昔、私の覚醒術を管理していた人です」
「管理だって?」
「その話は昼にしましょう。今夜始めると眠れなくなります」
軽く言ったように聞こえた。
だが紫の瞳は扉から離れなかった。
王城へ向かう前から、勲章の周囲には複数の手が伸びていた。
守ろうとする手。
契約へ繋ごうとする手。
過去へ連れ戻そうとする白い手。
レイルは礼法教本の余白へ、新しい一文を書いた。
【褒賞と契約を同じ日に決めない事――厳守】
今度は礼法教官も消さなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
王城へ向かう当日、学院の正門を出た馬車は、王都中央街へ入る前から速度を落とした。
事故ではない。道の両側へ人が集まりすぎていて速度が出せなかったのだ。
大陸記を胸に抱えた子供、仕事着のまま駆けてきた職人、旅装の冒険者、窓辺から身を乗り出す商家の娘たち。王城へ続く大通りの石柵には、いつの間に作ったのか【英雄レイル様ご一行 祝・十万部】と書かれた布まで結ばれている。
先頭馬車の御者が困ったように振り返った。
「この先は歩いた方が早そうです」
「王城へ行くだけで、どうしてこんなに集まるんだ」
レイルが窓から外を見ると、すぐに誰かと目が合った。
一瞬遅れて、甲高い声が大通りへ響く。
「きゃあああああああっ、レイル様!」
「本物だ! 大陸記を書いたレイル様よおおおっ!」
「こっちを向いてください!」
「握手して! 一度だけでいいから!」
「サインもお願いします!!」
声が声を呼び、馬車の周囲へ人波が寄せてきた。
近衛の先導役が腕を広げたが、押し返せば転ぶ者が出る。レイルは仕方なく馬車を降り、まず足元にいた子供が潰されないよう抱き上げて柵の内側へ戻した。
「押さないでくれ。前の人が倒れる」
「レイル様、お優しい!」
「今のところ、もう一度お願いします!」
「何をもう一度やるんだ一体」
差し出された本へ一冊だけ署名すると、左右から十冊以上が伸びた。紙の束に紛れて、花束、手紙、刺繍入りの布、菓子箱まで押し寄せる。
フィアが小柄な身体を人波の隙間へ滑り込ませ、黒髪の短いボブを揺らしながら贈答品へ番号札を付けた。
「手紙と本は右側です。飲食物、香料、薬品は受け取りません。包みを開けず、学院の検査所へ回してください」
「手作りの香水も駄目ですか?」
「本人の皮膚へ触れる物は、今ここで渡さないでください」
「レイル様へ似合う香りを作ったのに」
「似合うかどうかと、安全かどうかは別に確認が必要です」
フィアの淡い青の瞳は、笑顔のまま差し出される手元まで一つずつ追っていた。
その横では、アルドが白銀の儀礼鎧を壁代わりにし、長身を生かして細い通路を作っている。
「王城へ向かう者は、こちらを通ってくれ。急がなくていい」
「あっ、方向音痴の騎士様ですわ!」
「本で読んだより格好いい!」
「握手してもらえますか?」
金髪の騎士は一瞬だけ言葉を失った。
「名誉とは言い難い部分で覚えられている気がする」
「その認識はおおむね正しいです」
フィアが目録帳へ何かを書き込む。
若い女性がアルドの右手へ両手を伸ばしたところで、ノアが細い赤縁眼鏡を押し上げ、間へ白い手袋を差し入れた。
「彼は警護中です。握手は任務が終わってからにしてください」
「手を痛めているんですか?」
「今は痛めていません」
「では、どうしてノア先生が止めるんです?」
「……今から痛める可能性があります」
ノアの深紅の瞳が、女性の手とアルドの手を交互に見た。
フィアは筆先を止めずに言う。
「任務中の接触を減らす判断には賛成します。理由は警備で統一してください」
「私は最初から警備の話をしています」
「途中から少し違いましたよね?」
「違っていませんが」
「二人とも、俺の手の話で争わなくていい」
アルドが真面目な顔で割って入ると、ノアとフィアは同時に黙った。
周囲の読者から小さな笑いが起きる。
その間にも、レイルの前では握手の列が勝手に増えていた。
若い女性が両手でレイルの右手を包み、頬を赤くする。
「王核大陸で魔王種を助けた場面、何度読んでも泣きました。レイル様みたいな人と結婚できたら――」
「ちょっと待って」
リィナの声が、笑顔のまま一段低くなった。
赤栗色の髪へ編み込まれた銀紐を揺らし、女性とレイルの間へ肩を差し入れる。
「握手は一人一回。時間も長すぎ」
「リィナさん、本物だ!」
「本当にきれい!」
「ありがとう。だから、次の人へ代わって」
褒められても頬は緩まなかった。
リィナはレイルの右袖をつかみ、そのまま自分の側へ引き寄せる。
反対側から、セレネがレイルの左腕へ手を添えた。肩甲骨までの淡金髪は王城用の銀飾りでまとめられ、青紫色の瞳だけが静かに笑っていない。
「申し訳ありません。謁見の時刻が迫っています。署名も握手も、後日の正式な会でお願いします」
「セレネさんも素敵!」
「レイル様とは、いつも一緒に研究しているんですよね?」
「はい。授業も研究も、多くの時間を共有させていただいてます」
返答は丁寧だった。
最後の一言だけ、必要以上にはっきりしていた。
リィナが横目でセレネを見る。
「それ、今わざわざ言うこと?」
「事実を尋ねられたので答えました」
「私だって朝練も旅も一緒だもんね!」
「リィナへは聞かれていません」
「聞かれなくても言うし」
左右から袖を引かれ、レイルの身体がわずかに揺れた。
「二人とも、同じ方向へ引いてくれ、痛い」
「戻ろうとしなければ引かない」
「戻るつもりはない」
「では、さっきの方へ手を伸ばさないでください」
「本を返そうとしただけだ」
「本はリオンへ渡してください」
いつの間にか群衆の前へ出ていたリオンが、蜂蜜色の髪を風に揺らしながら、臨時の受取箱を両手で掲げた。
「署名会は本日開催しません! 贈答品はこちら、弟子入り志願書は受け付けておりません!」
「吾輩も弟子にしてください、レイル先生!」
口髭を立派に整えた中年の魔導具職人が、群衆の後ろから手を挙げた。
リオンの表情が引き締まる。
「年齢順でも資産順でも弟子枠は決まりません!」
「リオン、お前が言うのか」
「大師匠、今は受付を閉める方が先です!」
「では、吾輩は二番弟子でも――」
「一番弟子も存在していません!」
レイルの言葉は歓声に呑まれた。
さらに別の場所から、「三番でも構わない!」という声まで上がる。
セレネの指がレイルの左腕へ少し深くかかり、リィナも右袖を離さない。
「レイル、女の人に囲まれて、少し嬉しそうじゃなかった?」
「正直、困っていた」
「最初の握手より、三人目の方が長かったです」
「向こうが離さなかった」
「……そうですか」
「セレネ、その言い方は絶対に納得してないよね」
「リィナも同じ顔をしています」
「私は隠してないから」
「私も隠しているつもりはありません」
レイルは二人を見比べた。
礼法教本にも、大勢の読者の前で告白済みの二人が同時に嫉妬した場合の対処法は載っていない。
「次から、握手は五秒で切る」
「そういう管理の話じゃない」
「同感です」
「では、どう答えればいい」
「自分で考えて」
「それも同感です」
珍しく意見の揃った二人に挟まれたまま、レイルは王城へ続く道を進んだ。
アルドが後方を守り、フィアが受け取った物と接触者を記録し、ノアが時折アルドへ近づく読者を目で追っている。リオンは即席の列を解散させながら、弟子志願書だけは一枚も受け取らなかった。
外郭門をくぐる頃、背後の黄色い声援はようやく遠のいた。
静かになった石畳の上で、レイルは左右の袖を見る。リィナとセレネは門を越えても、まだ離していない。
「もう人はいない」
「知ってる」
「私も承知しています」
「では、なぜ」
「王城へ着くまで」
「同じです」
理由になっているようで、なっていない。
それでもレイルは両腕を振りほどかなかった。
大陸記で先に広まった名前へ、本人が追いつくには、まだ少し時間がかかりそうだった。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
舞踏と契約の両方で相手の動きを読み、王城へ向かう途中では大陸記の読者にもみくちゃにされ、リィナとセレネの両側から確保された学院生。
・リィナ・アルセイル
舞踏では自分の歩き方へ合わせるよう求め、移動中にはレイルと長く握手する女性へ嫉妬し、右袖をつかんだ剣士。
・セレネ・グランツ
レイルへ舞踏の基本を教え、読者へ授業と研究の時間を共有している事実を明言し、左腕を確保した少女。
・リオン・ゴルディス
礼法指導と契約確認を担当し、王城への道では即席の群衆整理と贈答品受付を行いながら、追加の弟子志願を断った補給担当。
・アルド・クロイツ
白銀の儀礼鎧で人波から通路を作り、「方向音痴の騎士様」と呼ばれながら読者の握手希望を集めた護衛科生。
・フィア
贈答品と接触者へ番号を付け、飲食物、香料、薬品をその場で受け取らないよう整理した記録担当。
・ノア・エルグラム
アルドへ伸びる女性の手を警備の名目で止め、フィアから理由の一部が変わっていたと指摘された研究者。
・レオハルト・グレイヴ
レイルを兵器と呼ばず、国家と本人の双方が拒否できる緊急契約を求めた魔導政策院次官。
・グレモア侯爵
出版、警護、住居を支援する代わりに、原稿と移動と社交を自家の管理へ置こうとした有力貴族。
・ミレア・ノクス
眠そうな日常口調を消し、元管理者ベネディクトへ自分の覚醒術を観客数で決めさせないと言った治療師。
・ベネディクト・オルドレイ
ミレアを正式な聖女候補として再利用し、レイルとの組み合わせを王国の安心へ変えようとする中央慈救局長。
【今回の能力・設定メモ】
・国家戦略級術師暫定登録案
国外移動、双岸継信網、【未完】緊急使用の法的枠組みを作る案。現段階では未契約で、拒否権や責任範囲も未確定。
・後見契約
資金、警護、住居を一括支援する一方、出版前確認、研究成果の優先権、移動延期などを含む場合がある。
【次回】
国王の前で勲章を受け取る日、レイルたちは誰の功績として帰還を記録するかを選びます。
礼法教本の非常口と契約書の細字を確かめ、王城へ向かう道では黄色い声援と弟子志願者の波まで越えました。レビュー、ブックマーク、フォローで、二種類の舞踏と、レイルの両袖を離さない二人を応援していただければ幸いです。




