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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第9章「九十九パーセントの魔法」

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第154話「次は出発届を出してから」

 事故の後に残るのは、壊れた部品と失敗した記録だけではありません。

 次に同じ場所へ立つ時、誰が止め、誰が帰るかを書き直す仕事が残ります。

 未完崩壊アンフィニッシュド・ブレイクの翌朝、遠習は中止にならなかった。

 予定していた断航岬(だんこうみさき)での実地作業は全て停止された。学生は蒼潮港の宿舎へ戻り、残り三日を事故報告、負傷者支援、通信杭の再設計へ使うことになった。

 観光も港湾依頼もなくなった。

 それでも、帰還命令は出なかった。


 朝の講堂代わりに使われた港倉庫で、イレーネ・ヴァルセイドが学生たちを見渡した。

 【界層義腕(レイヤード・アーム)】の結界板は一枚欠け、右腕の輪郭に空隙ができている。昨夜の封鎖で焼けた外套の裾も、そのままだった。


「事故原因の一部は白環干渉です。学生だけでは予測できない外部要因でした」


 誰かが安堵しかける前に、イレーネは続けた。


「だからといって、こちらの安全設計へ問題がなかったとは言いません。外部命令を受けた時、通信、外部魔力槽、訓練記録、防壁が同じ系統へ接続されました。一つの異常が四つの設備へ届いた。設計した大人の責任です」


 教官たちは黙って聞いている。


「学生側にも報告すべき行動があります。レイルは訓練術式の解体記録を通信系へ保存していました。セレネは音声記録の複製先を人格保護槽(じんかくほごそう)と共有していた。フィアの番号体系は術式と設備へ同じ数字を使い、緊急時に対象確認が遅れた。どれも単独なら事故になりません。重なった時、出口を奪い合いました」


 レイルは机の上の事故報告へ目を落とした。

 白環だけのせいにすれば、次に何を変えるべきか分からない。

 イレーネが言う。


「失敗した学生を遠ざければ、同じ設備を別の学生が知らずに使います。残り三日で、自分たちが壊した経路を描き直してください。再設計案は学院へ持ち帰り、専門家が検証します。危険を隠した班は、次の実習資格を失います」


 ナディル・セオンが倉庫の扉へ背を預け、帆槍(セイル・ランス)を腕の中へ抱えていた。


「帰るまでが遠習だ。予定どおり遊べなかったから失敗、事故が起きたから全部無駄、みたいに話を閉じるな。人を連れ帰り、何が壊れたか持ち帰れば、次の航路は一本増やせるのだ」


 学生たちは班ごとに机へ散った。

 レイルたちの再設計は、最初から意見が割れた。


「通信杭と外部槽を完全に分離します」


 セレネが図面を広げる。


「共通するのは音声板だけ。人格記録、訓練記録、保持記録は接続しません。変換中にニアが停止した場合、音声はその場で破棄します」

「音声記録を残さないの?」


 リィナが尋ねる。


「残します。ただし、通信終了後に別の媒体へ複製します。接続中の保存は禁止です」

「次にミュラの声が聞けても、途中で切れたら残らない?」

「......はい」


 セレネは苦しそうに答えた。


「昨日の原記録を失った時、私も残したいと思いました。だから接続中に複製を増やした。その経路がレイルの記憶とニアの人格槽をつなぎました。次は、聞いた私たちが覚えます。記録は安全に終わってから作ります」


 リィナはしばらく図面を見ていたが、やがて頷いた。


「分かった。次に聞こえたら、私もちゃんと覚える」


 フィアは番号体系を三種類へ分けた。


【人物番号】

【設備番号】

【保持番号】


「昨日は全てを第一番、第二番と呼びました。対象を言い直す時間が増えました。今後は、人物を人一、人二。設備を機一、機二。レイルの保持だけを未一、未二とします」

「呼びにくくないか」


 アルドが尋ねる。


「緊急時に短くします。アルドは人四。通信杭は機一。レイルの選択待機は未一です」

「俺が四番なのは理由があるか」

「登録順です」

「ノアは?」

「人六」


 ノアが赤縁眼鏡を押し上げる。


「アルドと離れていませんか、私」

「番号へ距離の意味はありません」

「分かっています。確認しただけです、ええ」


 フィアは何も言わず、人六の横へ【医療・外部槽】と役割を書いた。

 ノアの再設計は、最後の一%へ二つの出口を増やした。


「ニアが形態を選ばない場合、外部槽は起動しません。選択後も、ニア本人が停止を要求すれば一秒以内に猫型へ退避。白環式の完了命令を検出した場合、私の九十九%固定へ接続せず、ロッテが残した破断線を自動的に切ります」

「外部槽はまた壊れるだろう?」


 レイルが言う。


「壊れます」

「毎回作り直すのか?」

「人格記録が壊れるより安価です。今回、貴方も同じ判断をしたでしょう」

「した」

「なら、修理費を稼いでください。大陸記の第二版が売れていますし」

「使い道を先に決めるなよ、売れるかもわからないものに」

「共同研究費ですから」


 ノアは当然のように予算欄へ書き込んだ。

 ニアは猫型で図面の中央へ座る。


『ニアちゃん側から追加条件。形態選択は毎回聞く。昨日少女だったから今日も少女、みたいな自動継続ナシ。あと、外部命令で口調まで変えられたら即停止すっからねー』

「口調は人格記録に含めるのですか?」


 セレネが聞く。


『含めます。ギャル口調、わりと大事です。この世界で聞いたことのない言葉ですし』

「危険警告時は?」

『そこは正確さ優先。キャラより命でしょ?』

「採用します」


 レイルは自分の項目へ、保持対象の禁止範囲を書いた。


【通信中、音声・映像・記憶を保持対象にしない】

【外部槽の選択待機は一件まで】

【中級無詠唱との併用禁止】

【保持対象の名称を本人が言えない場合、即時解除】

【前世記録へ接続した場合、固有律を自分の人格へ使用しない】


 最後の一行を書く手が少し止まった。

 セレネが隣から紙を見る。


「アルケインが、なぜレイルの前世の名を知っているのでしょう」

「分からない」

「今回の白環命令にも入っていました。偶然ではありません」

「調べよう。でも通信網へ前世記録をつなぐのは止める」

「はい。調査は学院で、エルシアと行いましょう」


 レイルは頷いた。

 リィナが二人の紙へ、太い字で一行足す。


【レイルが一人で調べ始めたら、朝練場へ連行】


「安全条件か?」

「一番大事」

「術式条件ではありません」


 セレネが言いながら、その下へ小さく追記する。


【セレネまたはリィナへ事前共有】


「二人とも俺を信用してないな」

「ある意味信用してるから、先に止めるの」

「隠す癖については信用していませんかね」

「わかる」とリィナ。二人がお互いを見合って、少し表情が緩んだ。


 この三日間で、再設計案は四十二頁にものぼることとなった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 遠習最終日、学生たちは予定どおり魔導車へ乗った。

 断航岬の通信杭は停止したまま残された。白環干渉を切り離すまでは起動しない。倒さず、捨てず、次に直す設備として封鎖札が巻かれている。


 帰りの車内で、誰も初日のように騒がなかった。

 疲れと事故の余韻はある。それでも、全員が自分の席へ座り、荷物も人数も揃っている。

 レイルは窓側へ座り、母の毛布を膝へ掛けていた。猫型ニアがその上で眠り、セレネは隣で事故報告の最後の誤字を直している。

 停車地では、リィナが第四車両から走ってきた。


「今日は先に食べてもよかったのに」

「待つって決めたから」


 リィナは三人分のパンを出す。


「帰ったら、何からする?」

「外部槽の修理」


 レイルとセレネが同時に答えた。


「二人とも研究から離れて」

「では朝練か?」

「それも休む。最初は寝る。次に家族へ話す。その後、みんなでご飯だね」

「予定が全部休息だな」

「昨日寝られなかった人が言わないの!」


 レイルは反論せず、パンを受け取った。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 学院へ戻って十二日後。

 第三魔導工房だいさんまどうこうぼうと断航岬を結ぶ遠隔試験回線えんかくしけんかいせんが開かれた。

 ロッテは事故で大破した外部槽を、前より小さな二基へ分けていた。一基は投影専用。もう一基は音声変換専用。どちらかへ白環命令が入れば、接続爪が物理的に外れる。


「一個で全部やらせたから、全部巻き込んだ」


 ロッテは工具を回しながら言う。


「今回は二つ。投影が壊れても通信は文字で続く。通信が壊れたら、ニアは猫型で戻る。七環導杖も、通信経路と戦闘経路を別の環へ分けた」

「重量は?」

「前より三十八グラム増えた」

「減らせなかったのか」

「安全は軽くない」

「格好良いことを言っても重いものは重い」

「大陸記の印税で軽量素材を買えば?」

「また使い道を決められてるな、俺の印税」


 正式修理後の【万式魔導環(オムニア)】は、新品の光沢を取り戻さなかった。

 王核大陸で付いた傷。

 灰環式の退出線。

 白環部品を外した穴。

 ロッテが増設した安全破断爪。

 それらが黒銀色の環へ残っている。

 ニアは外部槽の前へ立った。


『形態選択、少女型。理由、通信試験と、今日は椅子に座りたいからでーっす』

「後半は必要か」

『本人の希望、一番大事でしょ?』


 少女型が投影される。

 今日はレイルからの吸引一%、外部槽から二%。両足が床へ着き、少女は自分で椅子を引いて座った。

 九十九秒を越えても消えない。

 三分。

 五分。

 七分でニア自身が手を上げた。


『疲労感アリ。猫型へ戻ります』


 誰も強制しない。

 ニアが猫型を選び、投影が縮む。


「正常終了」


 フィアが記録した。


「吸引量一・〇一%。終了後のレイル残量、八八%。頭痛、冷え、経路炎症なし」

『日常循環負荷、今月も優良運用です』

「月末測定では、帰還直後より総魔力量が九・一%増えています」

「ニアのおかげ?」


 リィナが尋ねる。


「一因です」


 ノアが答えた。


「少量消費後に回復する周期、成長期、朝練、中級無詠唱、食事、睡眠。どれか一つへ限定できません。吸引量を増やせば伸びるという結論も誤りです。三%を越えた日は、翌朝の回復が明確に遅れています」

『毎日一~二%で、コツコツ育てるのが正解ってことですね』

「正解候補です。正確な結論には、数年単位の追検証が必要です」

『ノア、もちょっと夢のある言い方できません?』

「研究へ夢を混ぜると、都合の良い結果だけ拾っちゃいます」

「ニア、俺は今のままでいいんだ」


 レイルが言う。


「吸われる量を増やして早く強くなるつもりはない。今の上限で続けよう。地道にだ」

『りょーかい。ニアちゃんも、レイルが倒れたら座れなくなるので』

「理由が自分中心だな」

『相互利益っていうんですよ、レイル』


 その二日後、レイルは中級無詠唱の仮認定試験を受けた。

 【風刃(ウインド・カッター)】。

 三回連続成功。移動中は一回のみ、威力七割。

 【石槍(ストーン・ランス)】。

 三回中三回成功。攻撃だけでなく、崩れた梁を支える救助用途も認められた。

 【水流刃(アクア・カッター)】。

 三回中二回成功。監督下限定。

 【炎槍(フレイム・ランス)】。

 一回目は短い。二回目は標的へ届いたが、槍先が崩れた。三回目、レイルは熱量を増やさず、燃焼時間を短くした。

 声なしで赤い槍が形成され、十歩先の耐火標的へ刺さる。命中と同時に燃焼が止まり、周囲へ火が散らなかった。


「条件付き成功ってとこさね」


 エルシアが採点板へ書く。


「威力は通常の六割。射程も短い。けど、外した火を自分で消せる。監督下なら使っていいレベルまで上達してるよ」

「中級四種類を無詠唱で使える?」

「その言い方は禁止じゃ、バカ弟子」


 エルシアは採点板でレイルの額を軽く叩いた。


「風刃と石槍は仮認定。水流刃と炎槍は監督下限定。一度に一種類。連続二回まで。【重層無詠唱レイヤード・サイレント】へ混ぜる時は事前申請せい。お前が四つを自由に使えるみたいに言ったら、次の授業で全部取り消してやるからな」

「分かってる」

「本当にか?」

「分かってる。師匠みたいに移動しながら属性を変えられない。撃った後は経路が熱くなるのは、自分が一番よく理解ってるつもりだ」

「よし。少しは人間へ戻ったね」

「測定値は前より増えたけどな」

「能力じゃなくて、判断の話だよ。アンタは少し目を離すとすぐ病気がでがちだからね」


 訓練場の外で、同学年の学生たちが試験を見ていた。

 一人が呆れたように言う。


「中級四種類を無詠唱で形にして、人間へ戻った扱いなのか、やべぇな......」


 別の学生が答える。


「比較対象がエルシア先生だからだろ」


 レイル本人は聞こえないふりをした。


 さらに一週間後、断航岬の一本目が再起動した。

 新しい正式名称は【双岸継信網ツイン・ショア・リンク】。

 運用条件は厳しくなった。

 一日一回、文字通信三十秒。

 音声は週一回、最大二十秒。

 映像は静止画一枚だけ。

 人間圏側と王核側、双方の開始信号が揃わなければ開かない。

 どちらかが停止を選べば即切断。

 転移機能は持たせない。

 白環式命令を検出した場合、通信杭の破断爪が自動で海側回線を切る。

 初回の正式通信は、学院地下の受信室で行われた。

 レイルたち、ロッテ、ノア、エルシア、学院長、ナディル、イレーネ。さらに家族が安全区画から見守っている。

 ニアは少女型を選び、音声板へ手を置いた。


『王核側、開始信号を確認。話者候補、ミュラです』


 文字が先に届く。


【地図 続き描いた】


 次に、ラガンの符号。


【次は客で来い】


 ガズルからは、数字と鍋の記号が届いた。


【人数 食事量 先に送れ】


 リィナが顔を輝かせる。


「食事量も送るの?」

「正確な申告が必要です」


 フィアが言う。


「リィナ一人の食事量を一般人数へ換算しないよう注記します」

「私だけ別枠って!?」

「現地の備蓄を守るためです」


 最後に、ノア宛の短い血統符号が届いた。

 ノエラのものだった。


【次の対話を待つ】


 ノアは返事をすぐ書かなかった。


「何と返すのですか」


 フィアが尋ねる。


「【受信した】だけにします。関係の結論は通信三十秒では決められません」

「妥当です」


 ノアは符号を送る。


【受信した】


 その後、灰環側の報告へ不穏な一文が混じった。


【北東中継路 四極戦団の斥候】

【ディルガ 白環観測具なし】

【通信点を探している】


 強敵・ディルガ・ザンは生きている。

 白環の目を失ったまま、ガルヴァド戦団の将として動いている。通信網が新しい道になるなら、利用しようとする者も、壊そうとする者も現れる。


 通信終了後、学院、冒険者組合、金環商会は【|王核大陸共同調査準備班《おうかくたいりくきょうどうちょうさじゅんびはん》】の設立を発表した。


 青渡りと天渡りが外海航路を調査。

 学院が通信と転移技術を研究。

 金環商会が物資と保険を整える。

 王核側の灰環盟約と、再訪条件を通信で協議する。

 レイルたちは、学生協力員として参加を認められた。

 卒業前の王核大陸本土への越境は禁止。

 最初の調査範囲は、断航海域外縁、無人中継島、漂流帯、旧観測塔まで。

 学院長から渡された参加申請書には、出発日、帰還予定日、同行者、撤退条件、通信不能時の行動を書く欄があった。


 レイルは申請書を持ち、学院中庭へ出た。

 噴水脇では、リィナとセレネが待っていた。


 夕方の光で、リィナの髪はいつもより赤みを帯び、セレネの淡金髪は白く透けて見える。二人とも、遠習前より少し疲れた顔をしている。それでも逃げずにレイルを見た。


「その紙、次の調査?」


 リィナが聞く。


「ああ。無人中継島まで七日間」

「誰と行くの」

「ナディルさんの青渡り。学生は俺たちから二人まで」

「二人?」


 リィナとセレネの視線が同時に申請書へ落ちる。


「まだ決めてない」

「公平に抽選すると言ったら怒ります」


 セレネが先に釘を刺した。


「言わない」

「成長したね」


 リィナが少し笑った。

 レイルは申請書を折らず、二人へ見せる。


「戦闘班と通信班から一人ずつ必要だ。条件だけなら、リィナとセレネが一番合う。でも学生枠は二人で、俺を入れると残り一人になる」

「レイルが外れれば、私たち二人で行けます」


 セレネが言う。


「それも考えた」

「本気?」


 リィナの声が強くなる。


「レイルが行かない選択を、私たちに選ばせるの?」

「通信周期と王核諸語の経験は渡せる。俺がいなくても――」

「そういう話じゃない」


 リィナは申請書の端を押さえた。


「行きたいなら行きたいって言って。私たちのために外れるみたいな顔をしないで。私はレイルと行きたい。でも、セレネも必要だと思う。だから一人を選べって急に言われたら困る。それをレイルだけ先に諦めて、綺麗に終わらせないで」


 セレネも続ける。


「今回は、学生枠そのものへ再交渉できます。通信班の研究枠として私が参加し、救助班の学生枠をリィナへ使う方法もあります。ただし、安全条件と教員数が増えます」

「また条件を増やすのか」

「必要な条件です。貴方一人が外れるより、交渉する価値があります」


 レイルは二人の顔を見た。

 恋愛の答えとは別の話だ。

 けれど、誰かを選ぶ場面で、自分だけを除けば公平になると思う癖は、同じところから出ているのかもしれない。


「三人で参加できる案を出す。駄目なら、役割と安全条件を見て決める。俺だけで決めない」

「うん」

「賛成します」


 レイルは申請書を鞄へ戻さなかった。


「それから、二人のことも」


 言葉が詰まる。

 リィナは急かさない。

 セレネも視線を外さなかった。


「まだ答えは出ていない。でも、遠習で分かった。セレネと術式を考える時間は好きだ。リィナと朝走って、失敗を隠せない時間も必要だ。どちらも同じだから決められない、と逃げるつもりはない」


 リィナが少し眉を寄せる。


「好きって、どっちの意味?」

「それを今考えてる」

「そこはまだなんだ」

「分からないふりはしていない」

「うん。前よりはいい」


 セレネは胸元へ手を重ねた。


「私は待ちます。ただし、無期限とは言いません。貴方が考えていることを、時々言葉へしてくださいね」

「私も。何も言わないまま二人とも隣に置くのは駄目だからね!」

「分かった」


 リィナが申請書を指す。


「まずはこれ。次の七日間からちゃんと決めよ」

「恋愛の返事と一緒にしないでくれ」

「一緒にしてない。どっちも、レイルが黙って勝手に外れない話」


 セレネが小さく頷いた。


「的確です」

「二人で結論を固めるな」


 三人は申請書を持って学院長室へ戻った。

 その裏で、アルドは治療室の前へ立っていた。

 右腕の傷は抜糸を終え、訓練復帰の許可が出ている。

 フィアが診療記録を閉じ、ノアが傷跡へ最後の保護薬を塗った。


「フィアの撤退判断がなければ、傷が広がった」


 アルドが言う。


「ノアの治療がなければ、今日まで訓練へ戻れなかった。二人に感謝する」

「順番に意味はありますか」


 ノアが尋ねる。


「起きた順だ」

「そうですか」

「なぜ残念そうなのですか」

「残念ではありません」


 フィアの口元が僅かに動いた。


「フィアは、なぜ笑う」

「ノアの表情と発言が一致していないためです」

「貴方も人のことを言えません」

「私は笑ったことを認めています」

「では私も、少し残念だったことを認めます」


 アルドは二人を交互に見る。


「最近、二人は俺を見る時だけ、言っている内容と顔が合わない」


 ノアとフィアが同時に固まった。


「理由を聞いてもいいか」

「まだ説明条件が揃っていません」


 フィアが答える。


「アルドが成人し、自分の感情を判断できる年齢になった後、必要なら話します」


 ノアが続けた。


「成人まで待つ話なのか」

「今は傷の経過だけ考えてください」

「治っている」

「では訓練計画を考えてください」


 二人から同時に話題を変えられ、アルドは納得していない顔のまま治療室を出た。

 学院長室で調査枠の再交渉を終えたレイルは、その日のうちに両親の部屋へ向かった。

 申請書を机へ広げる。

 外海中継島調査。

 期間七日。

 同行は青渡り、学院教官、学生協力員。

 通信不能時は三日目で撤退。

 白環命令検出時は即時帰還。

 レイルの保持は二件まで。

 中級無詠唱は救助時を除き一回まで。

 バルドは一行ずつ読んだ。


「今度は、いつ帰る」

「七日後」

「遅れる時は」

「通信する」

「通信できなかったら」

「三日目で戻る。ナディルさんの判断へ従う」

「向こうから助けを求められたら」

「座標と状況を持ち帰る。学生だけでは渡らない」

「自分で全部持たないか」

「持たない」


 バルドはレイルの顔を長く見た。


「前にも同じことを聞いた」

「ああ」

「今度は、少し信じられる」


 父は署名した。

 エナは新しい毛布を出そうとした。


「前のがある」

「海風で潮臭くなったでしょう」

「洗った」

「では、予備を」

「荷物が増える」

「母親枠は残っています」


 制度化されていた。

 レイルは諦めて、小さな予備毛布を受け取った。


 夜、自室の机へ申請書を置く。

 前回は、行き先を選べないまま学院地下から消えた。

 王核大陸から帰る時は、全員分の帰還条件を海の両側で揃えた。

 今度の紙には、出発日、同行者、撤退時刻、帰る日が自分の字で書かれている。

 レイルは署名欄へ名を書いた。


「次は、行方不明じゃなくて――」


 猫型ニアが机の端から覗く。


『ちゃんと何です?』

「出発届を出してから行く」


 窓の外で、学院の七塔灯が一つずつ消えていく。

 断航海域の向こうでは、ミュラが地図の続きを描いている。

 こちら側では、次に会うための一枚が、ようやく正式な書類になった。

【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート


 未完崩壊の責任を白環だけへ預けず、中級無詠唱の制限を受け入れ、次は帰還日まで書いた出発届で海へ向かう少年。


・リィナ・アルセイル


 レイルが自分だけ外れて二人を公平にしようとする癖を止め、恋愛も調査も黙って外れず一緒に考えるよう求めた剣士。


・セレネ・グランツ


 通信記録を接続中に保存しない設計へ改め、告白の返事を無期限には待たず、考えている内容を言葉にするよう伝えた少女。


・ニア


 毎回の形態を自分で選び、七分で疲労を申告して猫型へ戻り、安全な日常循環負荷と正式通信を成立させた疑似人格。


・ノア・エルグラム


 白環命令時には自分の九十九%術式へ接続せず装置を壊す出口を作り、アルドへの感情を成人前の約束にしない姿勢を守った研究者。


・フィア・レコード


 人物、設備、保持の番号を分け、ノアと敵対せず、アルドへ今は説明条件が揃っていないと正直に伝えた目録官。


・アルド・クロイツ


 ノアとフィアの表情と言葉が自分を見る時だけ一致しないと気づき、三角関係へようやく入口から足を踏み入れた護衛科生。


・ロッテ・ベルクマン


 外部魔力槽を投影用と音声用へ分離し、傷跡と安全破断爪を残したままオムニアと七環導杖の正式修理を完成させた技師。


・ナディル・セオン


 事故後も学生を報告と再設計へ参加させ、外海中継島までの次の調査航路を率いるAランク探索隊長。


・イレーネ・ヴァルセイド


 大人側の設計責任を明言し、失敗した学生を排除せず、危険を隠さない再設計を遠習の最後の課題としたSランク冒険者。


・ミュラ、ラガン、ガズル、ノエラ


 正式通信網の向こうから、地図、再訪条件、必要な食事量、次の対話をそれぞれ短い符号で送った王核大陸の仲間たち。


・エナ、バルド


 同じ質問へ以前より少し信頼を加え、母親枠の予備毛布と父親の署名を次の出発へ渡した両親。


【今回の能力・設定メモ】


・【双岸継信網ツイン・ショア・リンク


 人間圏と王核大陸を結ぶ定期通信網。文字は一日一回、音声は週一回、映像は静止画一枚。転移機能を持たず、双方の同意と停止権を必要とする。


・中級無詠唱仮認定


 【風刃】【石槍】は実戦仮認定。【水流刃】【炎槍】は監督下限定。一度に一種類、連続二回までで、重層無詠唱との併用には制限がある。


・【|王核大陸共同調査準備班《おうかくたいりくきょうどうちょうさじゅんびはん》】


 学院、冒険者組合、金環商会、青渡り、天渡りが参加する共同組織。卒業前の本土越境は禁止し、外海中継島から段階的に調査する。


【章終了・現在ステータス】


【レイル・アルヴァート】


年齢:十四歳後半。十五歳目前。

所属・立場:王立結着学院三年次・総合術式科特別監督枠。王核大陸共同調査準備班・学生協力員。

冒険者資格・公的資格:Eランク冒険者。王核大陸帰還者。大陸記著者。中級無詠唱仮認定。

魔法認定:六基礎現象・初級無詠唱安定。【風刃】【石槍】は中級無詠唱仮認定。【水流刃】【炎槍】は監督下限定。

戦技:【裂息歩法(ブレス・ステップ)】実戦使用。

固有律:【未完(ノット・コンプ)】二件安定。三件は監督下の短時間のみ。四件再使用禁止。

固有律【未完】・能力段階:第二段階入口。術式だけでなく装置の選択待機、通信接続へ反応するが、音声、記憶、人格へ接続する危険が判明。

危険度評価:戦術級。未完崩壊時は測定不能。

保持可能数:通常二件。三件目はフィア、セレネ、ニアいずれかの監督下。四件禁止。

対象選択:自作魔法、形成済み術式、合意済み装置工程。記憶、人格、生命現象は対象外として安全規則へ明記。

任意解除:可能。ただし未完崩壊時は対象識別から仲間の補助が必要。

未完負荷:複数対象の終了条件が混線すると、過去の術式、通信、記憶まで一括完成する危険がある。

安全装置:保持番号の専用分類、通信中の中級無詠唱禁止、音声・映像・記憶の保持禁止、フィア・ニアの二重確認。

魔力性能:総魔力量指数は帰還直後五二八から約九%増。回復速度と低残量時精度が向上したが、日常吸引三%超では回復遅延が起きる。

主要技能:【重層無詠唱】【裂息歩法】、灰環交易語日常会話、王核諸語の基礎読解、大陸記執筆。

装備:【万式魔導環(オムニア)】正式修理。【七環導杖(セプテム・ロッド)】通信・戦闘経路分離、安全破断爪追加。

章内の更新:同年代人間として人外級の魔力量と回復力が判明。中級四種の無詠唱へ段階的に到達。最初の未完崩壊を仲間への役割移管で停止。

現在の制限:睡眠障害の経過観察。四件保持禁止。前世記録へ接続した白環・アルケインの調査は単独で行わない。


【リィナ・アルセイル】


年齢:レイルと同年代。

所属・立場:王立結着学院三年次・武装戦技科。王核大陸共同調査準備班・学生協力員候補。

冒険者資格・公的資格:Eランク冒険者。王核大陸帰還者。

剣術:中級剣士上位から上級入口相当。学院査定継続。

戦技:【噴歩・瞬駆(ふんぽ・しゅんく)】【噴歩・逆制(ふんぽ・ぎゃくせい)】【噴歩・返脚(ふんぽ・へんきゃく)】。

独自流派:【無終剣・返環むしゅうけん・へんかん】。

主要技能:高速接近、精密制動、力の転流、救助対象を守る前衛判断。

章内の更新:学院測定上限級の加速と制動を記録。未完崩壊中、レイルを中級魔法から基礎へ戻し、白環の刃を退路へ返した。

現在の関係:レイルへ好意を明示。朝練や幼なじみの立場だけへ頼らず、旅、食事、帰還まで自分で隣を選びたいと伝えた。

現在の制限:噴歩の屋内・施設内出力制限。契約文、人間圏地理、長文筆記の補習。


【セレネ・グランツ】


年齢:レイルと同年代。

所属・立場:王立結着学院三年次・術式設計科。王核大陸共同調査準備班・学生協力員候補。

固有律:【並列思考(パラレル・シンク)】。

主要技能:【分岐術式設計ブランチ・フォーミング】三案形成、終点変更、中級無詠唱工程整理、通信規格接続。

章内の更新:レイルの【風刃】【石槍】【水流刃】【炎槍】を内在工程へ変換。未完崩壊ではミュラの音声原記録を破棄し、通信接続を引き受けた。

現在の関係:告白済み。研究だけでなく移動、生活、卒業後、王核大陸再訪までレイルと共有したい思いへ深まっている。

現在の制限:三案同時完成不可。情報を残したい欲求が、安全な破棄判断を遅らせる場合がある。


【フィア・レコード】


年齢:レイルたちと同年代。

所属・立場:王立結着学院三年次・記録契約科。王核大陸共同調査準備班・安全記録候補。

主要技能:【可変条件目録】、人物・設備・保持番号の分離管理、誤情報照合、撤退条件の途中変更。

章内の更新:アルドを治療後も復帰させず撤退へ切り替え、未完崩壊では識別不能な対象へ番号を戻した。

現在の関係:アルドへの感情が存在する可能性を認め、ノアと敵対せず未確定事項として共有。本人へは成人後を含めた説明条件が揃っていない。

現在の制限:安全管理を一人で抱えない。身体治療判断はノア、ミレア、学院治療師へ委ねる。


【アルド・クロイツ】


年齢:レイルたちと同年代。

所属・立場:王立結着学院三年次・武装護衛科。王核大陸共同調査準備班・護衛候補。

冒険者資格・公的資格:Eランク冒険者。王核大陸帰還者。

固有律:【完遂】。

主要技能:【誤命断ち】、長時間護衛、重量物搬送、変更された完遂条件の受理。

章内の更新:負傷後、自分でフィアの撤退判断を選択。未完崩壊では右腕を使わず外部槽を支え、ノアとフィアの指示を順に完遂。

現在の関係:ノアとフィアの表情と言葉が自分を見る時だけ一致しないと気づき始めた。恋愛上の答えは未形成。

現在の制限:単独地図運用禁止。右腕の負傷は治癒済みだが、再発確認を継続。


【ノア・エルグラム】


年齢:百三十歳以上。外見二十代前半から半ば。

所属・立場:学院客員共同研究員、特別聴講生、医療監督付居住者。王核大陸共同調査準備班・魔導研究候補。

称号:【九十九魔導士きゅうじゅうきゅうまどうし】。

主要技能:九十九%固定術式、白環制式語解析、血統魔法、外部魔力槽・オムニア修復理論。

章内の更新:少女型固定を設計ミスとして認め、最後の一%をニア本人の選択欄へ変更。未完崩壊では父由来の部品を捨て、安全破断を実行。

現在の関係:アルドを特別に思う感情を認めるが、未成年の本人へ恋愛上の約束を求めない。フィアと感情を共有し、敵対しない。

現在の制限:採血は学院医療規則下。白環施設再現禁止。感情を医療・研究上の理由へ偽装しないよう自己検査中。


【ニア】


所属・立場:疑似人格、王核大陸帰還者、学院疑似人格聴講員、共同調査準備班・通信翻訳候補。

形態:猫型省魔力安定。犬型追跡。少女型は外部槽使用時に半実体化可能。

主要機能:術式表示、危険照合、王核諸語翻訳、通信変換、魔力残量監視、形態選択。

魔導具解放階梯:オムニア正式修理。第三階梯安定。外部魔力槽による少女型半実体は七分程度まで確認。

章内の更新:最後の一%として自分の形態と終了を選択。未完崩壊時にも選択記録を守り、猫型へ自力退避。

日常循環負荷:通常一~二%。週一回休止。中級無詠唱前、負傷、睡眠不足、経路炎症時は減量または禁止。

現在の制限:人間圏での半実体は外部槽が必要。白環命令検出時は人格保護を優先して即停止。


【ロッテ・ベルクマン】


所属・立場:王立結着学院魔導工房科生、オムニア・七環導杖正式修理主担当。

主要技能:安全破断設計、魔導具再設計、異規格部品統合、故障位置の選択。

章内の更新:オムニアを旧状態へ戻さず、灰環退出路、王核部品、傷跡を残して正式修理。外部槽を投影用と音声用へ分離した。

現在の制限:未知魔法理論はノア、術式配列はセレネ、安全条件はフィアの確認が必要。


【ナディル・セオン】


年齢:二十九歳。

所属・立場:Aランク探索隊【青渡り】隊長。王核大陸共同調査準備班・外海航路責任者。

専門:海上探索、魔力嵐聴取、長距離通信、撤退航路、漂流者救助。

章内の更新:一本目の通信杭を設置し、未完崩壊では学生全員を第二退避線まで帰還させた。

現在の制限:左耳の肉声聴力を喪失。断航海域中央の航路は未確立。


【イレーネ・ヴァルセイド】


年齢:四十二歳。

所属・立場:Sランク特例指定冒険者。【天渡り】代表。王核大陸共同調査準備班・境界安全責任者。

専門:世界境界、都市級結界、大規模転送、災害封鎖。

章内の更新:白環円を界層封鎖し、事故後は大人側の安全設計責任を明言して学生を再設計へ参加させた。

現在の制限:界層義腕の結界板を一枚損傷。断航海域を単独で安全化する能力はない。


【章終了・言語/通信状況】


・灰環交易語:レイルたちは日常会話をほぼ自立。短い音声通信ならニアの補助を受けて会話可能。


・王核諸語:専門用語、方言、古語は未完成。重要な外交、契約、白環文は複数人で照合する。


・双岸継信網:文字一日一回、音声週一回、静止画一枚。転移不可。


・大陸記:初版完売、第二版増刷中。通信で得た情報は本人同意なしに続巻へ掲載しない。


【次章への課題】


・外海中継島と旧観測塔の調査。


・白環およびアルケインが前世名を保持する理由。


・未完崩壊の再発防止と睡眠時安全装置。


・三年次補習と四年次進級。


・ニア半実体の長時間運用と独立魔力源。


・王核大陸通信点を狙うディルガ、ガルヴァド戦団の動向。


・ノアとノエラの次回通信。


・レイル、リィナ、セレネの返事を先送りし続けない関係。


・アルド、フィア、ノアが本人の意思と年齢を尊重しながら感情を扱うこと。


・王核大陸共同調査隊の正式編成と、本土再訪条件。


【読者応援文】


 行方不明ではなく、帰る日を書いた出発届で次の海へ向かいます。レビュー、ブックマーク、フォローで、九十九%から本人へ返された一%と、両岸へ伸びた新しい通信線を応援していただければ幸いです。

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