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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第9章「九十九パーセントの魔法」

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第153話「未完崩壊」

 別々に止めていたものが、同じ合図で動き始めれば、数が少なくても手には負えません。

 守るべき記録が増えた時こそ、何を残さないかを決める必要があります。

 三年次継路遠習サード・ルート・エクスペディション七日目。

 昨日まで穏やかだった断航岬(だんこうみさき)の空へ、昼過ぎから白い雲が集まり始めた。

 白い雲は、海から流れてきた形をしていなかった。


 一本目の【双岸通信杭ツイン・ショア・アンカー】を中心に、薄い白線が空中へ何重にも描かれ、その線へ周囲の魔力が吸い寄せられている。雲に見えたものは、白環式の命令文が霧状に展開したものだった。


 最初の異常は、通信記録板(つうしんきろくばん)の時刻が戻ったことだった。

 ミュラとの十二秒間の会話が、誰も操作していないのに再生される。


「……レ、イル?」


 雑音混じりの声が観測塔へ響いた。

 レイルは机から顔を上げる。


「再生を止めてくれ」

「操作していません」


 セレネが変換板を確認する。

 音声は二度目へ入った。


「ほんと……帰った?」


 外部魔力槽の環が勝手に回転した。

 猫型で待機していたニアの輪郭が伸び、少女型へ変わる。次の瞬間には犬型となり、さらに黒銀猫へ戻った。三形態が一つの光の中で重なり、声まで別々の口調へ割れる。


『形態選択、未実施――少女型ヲ固定――追跡対象、アルド――省魔力モード――ちょ、待って、選んでない!』


 レイルが遮断動作を行う。

 吸引は止まった。

 それでも外部槽は回り続ける。槽内へ残っていた魔力と、通信杭から逆流する海域魔力が、ニアを強制的に投影していた。


「全員、装置から離れてください!」


 ロッテが工具箱を蹴って退避路を開ける。

 観測塔の外では、学生班が設置した補助結界が一斉に起動した。本来は風圧が基準値を越えた時だけ開く防壁。今は風が弱いにもかかわらず、昨日の試験条件を読み込み、閉じた扉や窓を内側から塞いでいく。


 同時に、レイルの左手首へ二つの完成圧力が戻った。

 一つは、外部魔力槽の形態選択待機。

 もう一つは、午前の訓練で失敗し、完全に解体したはずの【炎槍(フレイム・ランス)】。

 熱が掌の内側へ集まり、赤い槍先が指の間から覗く。


「何――、解除したはずだ!」

「通信杭が過去の終了条件を読み出しています」


 フィアが記録札を開いた。


「外部槽、通信接続、学生防壁、訓練術式。異なる四件へ、同じ【完成】命令が入っています。終了条件が入れ替わっています」

「白環の命令文です」


 ノアは空中の白線を見上げた。


【未完了対象:検出】

【役割未確定:修正】

【選択待機:不要】

【全工程:一括完成】


 白い文字の最後へ、別の一行が混じる。


【間宮玲司:旧記録へ復元】


 レイルの胸の奥で、前世の名が冷たく響いた。

 知らないはずの白環が、なぜその名を持っているのか。

 考える前に、指先の炎槍が長く伸びた。


「レイル、手を海側へ向けて!」


 リィナが叫ぶ。

 レイルは腕を岬の外へ振る。未完成だった炎槍が勝手に結着し、赤い軌跡となって海上へ飛んだ。威力は中級に届かない。それでも訓練区画ではなく、人のいる観測塔で発動した事実が背筋を冷やした。


「保持対象を数えます」


 フィアがレイルの前へ立った。


「第一番、外部魔力槽の選択待機。第二番、炎槍の残留工程。第三番、通信接続。第四番――」

「四番は持っていない」

「レイル自身が認識していない対象があります。左肩の魔力経路へ、別の完成圧が流れています」


 ニアの三つの姿が重なったまま、警告を出す。


『保持対象、識別不能。昨日ノ音声記録ガ、使用者ノ記憶ト接続。レイル、ミュラの声ヲ保持対象ト誤認シテマス!』


 声を失いたくないと思った。

 十二秒の記録を残したいと思った。

 その感情へ【未完(ノット・コンプ)】が反応し、音声記録の終了まで掴み始めている。

 保持対象が術式、装置、通信、記憶へ跨がり、境界を失う。


未完崩壊アンフィニッシュド・ブレイク】。


 レイルが眠りや気絶で一括完成する時とは異なる。今回は、複数の未完対象が互いの出口を奪い合い、どの工程を終えれば何が発動するのか、本人にも判別できなくなっていた。

 観測塔が大きく揺れた。

 海側の空間へ、白い円が開き始める。

 帰還ゲートに似ている。だが座標がない。向こう側へ見えるのは王核大陸ではなく、過去の学院地下、灰橋宿、前世の狭い部屋が重なった光景だった。


「全学生、第二退避線まで下がれ!」


 ナディルが帆槍を展開する。槍の骨が風を受け、巨大な青い帆となって横風を逸らした。


「通信杭へ近づくな! 荷物を捨てろ、負傷者を先に下げろ!」


 学生たちが動く。

 イレーネは観測塔の外へ出て、透明な義腕を海へ向けた。

 何層もの結界板が扇状に開き、断航岬全体を包む【界層封鎖(レイヤード・シール)】を形成する。白い円から漏れた魔力が結界へ当たり、空へ逃がされた。


「イレーネさん、あれを切れますか!」


 レイルが叫ぶ。


「外側からなら封鎖できます。あなたの固有律へ入った完成権は、私には選べません」


 イレーネの額へ汗が浮かぶ。


「Sランクでも、他人の魂へ勝手な答えは書けない。レイル、自分一人で選ぶな。何を持っているか、仲間へ渡しなさい!」


 レイルは呼吸を整えようとした。

 中級無詠唱【風刃(ウインド・カッター)】で通信杭を切断すれば早い。

 【石槍(ストーン・ランス)】で外部槽を床へ固定できる。

 【水流刃(アクア・カッター)】で白環導線だけを切れるかもしれない。

 考えるたび、新しい術式の入口が開く。


「中級を使わないで!」


 リィナがレイルの両肩を掴んだ。


「今のレイル、考えた魔法まで持ちそうになってる。基礎へ戻って」

「でも杭を止めないと」

「私たちが止める。レイルは、今持ってるものだけ見て」


 リィナの金茶色の瞳が、目の前から離れない。


「ミュラの声を消したくないのは分かる。でも、その声を抱えたままレイルが壊れたら、次の返事ができない」


 レイルの指先から風刃の形が消えた。


「わかった……基礎だけ使う」

「うん。足元を固めて。前は私が開ける」


 セレネは空中へ三つの術式図を並べた。


「通信杭の停止案、外部槽の切断案、音声記録の隔離案。全てを完成させる余力はありません」

「一つ捨てろ」


 レイルが言う。


「音声記録です」


 セレネの声が詰まった。


「十二秒の原記録を消せば、記憶接続が弱まります。ただ、複製も同時に破損する可能性があります」

「消してくれ」

「レイル」

「ミュラ本人は生きてる。声を残すために、次の通信を壊せない」


 セレネは頷き、音声隔離案へ赤い破棄線を引いた。


「原記録を解体します。ニア、人格記録と音声記録を分離」

『実行。ミュラ音声、消失可能性八十七%』

「やってくれ」


 ニアの三形態が同時に震えた。


『……実行します』


 観測塔内に、ミュラの声がもう一度流れる。


「次は、客で来て!」


 最後の一言が途中でほどけ、雑音へ変わった。

 レイルの左肩から、一つの完成圧が抜ける。


「第一番を再定義します」


 フィアが記録札をレイルの目の前へ掲げる。


「第一番の名前を変更します。【ニア本人の選択を待つ工程】。装置の形を追わず、待機条件だけを見てください」

「第一番、選択待機」

「第二番、炎槍残留。これは既に発動し、終了しています。番号から削除」

「削除」

「第三番、通信接続。セレネへ管理を移します」

「移せるのか」

「レイルが完成を握る必要はありません。通信杭側の停止環へ渡します」


 セレネが第三案を地脈接続へ重ねた。


「こちらで受けます。レイル、通信が切れても追わないでください」

「分かった」


 第三番の圧が軽くなる。

 残るのは、ニアの形態選択待機と、正体の分からない第四番。

 ノアが外部槽の前へ立った。


「第四番は私の九十九%術式です」


 白環命令が、ノアの固定術式へ一括完成を要求している。ノアの術式は完成直前で止まり続ける性質を持つため、白環はその最後をレイルの【未完】へ押しつけた。


「私が術式を解体します」

「解体したら、外部槽は壊れる」

「直せます」

「九十九秒へ戻るかもしれない」

「ニアの人格より高価な部品はありません」


 ノアは迷わなかった。

 細い杖を捨て、外部槽の側面へ両手を掛ける。


「ロッテ。安全破断位置は第三環外縁ですね」

「そう! 灰色の線、そこだけ割って!」

「術式で切れば白環命令へ接続されます」

「じゃあ工具を――」

「時間がありません」


 ノアの赤紫色の瞳が濃くなる。

 母の血は使わない。通常状態の身体で、意図的に弱く残した外縁環へ力を集中する。


「理論上、ここが最も壊れやすい」


 金属が軋む。


「理論を実証します!」


 ノアは補助環を物理的に引き剥がした。

 外部槽から灰色の魔力が噴き、少女、犬、猫の輪郭が一斉に崩れる。

 アルドが背後から槽本体を支えた。右腕はまだ包帯に覆われているため、左肩と腰で重量を受ける。


「ノア、次はどこだ」

「中央槽を床へ下ろしてください。投げないで、ゆっくり!」

「了解した」


 フィアが避難路と残り時間を告げる。


「白環円の拡大まで四十秒。アルド、十五秒で槽を下ろし、北扉へ向かいなさい。ノアは部品を捨ててください」

「この絶縁片は父の設計と――」

「ノア」


 フィアは名前だけを呼んだ。

 ノアは絶縁片を置いた。


「……捨てます」


 三人の連携に、恋愛の迷いが入る余地はなかった。

 リィナは白環円から伸びる光の刃を【無終剣・返環むしゅうけん・へんかん】で受け、海側へ流す。受けた力を足裏へ落とし、次の一歩で別の刃の進路を変える。


「道は開ける! レイル、後ろへ!」


 レイルは初級【硬土】だけを使い、観測塔の崩れた床を固めた。派手な中級魔法は使わない。保持も増やさない。仲間が運ぶ部品と負傷者の足元を、一枚ずつ支える。

 セレネが通信杭の停止環を完成させる。


「通信接続、切断!」


 一本目の杭から光が消えた。

 海上の白い円が半分まで閉じる。

 それでも前世の部屋だけが残った。

 机の上には、完成した小説が何冊も積まれている。

 表紙には間宮玲司の名。

 白い文字がレイルへ迫る。


【旧記録へ復元】

【未完作品:完成済みへ訂正】

【現在人格:削除】


 レイルの足が止まりかけた。

 前世で欲しかった光景だった。

 完成した本。自分の名。途中で投げなかった人生。

 けれど、その部屋にはリィナもセレネもニアもいない。両親の部屋も、王核大陸の地図も、大陸記の赤字もない。


「間宮玲司は、俺の過去だ」


 レイルは白い文字へ向けて言った。


「消さない。でも、そこへ戻して今を消すな。俺は今、”レイル・アルヴァート”だ」


 固有律【未完(ノット・コンプ)】を、自分の人格へ向けて使わない。

 白い完成命令だけを、受け取らずに手放す。

 前世の部屋が崩れた。

 海上の円が閉じる。

 イレーネの界層封鎖が最後の魔力を空へ逃がし、白い雲は細い糸となって消えた。

 観測塔へ、急に波の音が戻った。

 レイルは立ったまま息をしていた。

 左手首の保持圧は一件。

 ニア本人の選択を待つ工程だけ。


()()


 返事がない。

 壊れた外部槽のそばに、黒銀色の小さな光が震えている。

 猫型にもなれず、耳と尾だけが曖昧に浮かんでいた。


「選べるか?」


 レイルは手を出さず、尋ねた。

 光が少し動く。


『……猫型』


 輪郭が縮み、黒銀色の猫が床へ落ちた。

 レイルが受け止める。


『選択記録、保持。ミュラ音声、原記録消失。ごめんなさい』

「謝るな。ミュラは向こうにいる」

『次、また聞けます?』

「通信杭を直せば」

『じゃあ、直しましょう』


 ニアはそういうと、力なく尾を振った。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 事故から二時間後、学生全員の生存が確認された。

 軽傷者七名。重傷者なし。通信杭一基停止。外部魔力槽大破。音声原記録消失。観測塔の一部損壊。

 ナディルは撤退名簿を閉じ、レイルたちへ言った。


「今日は成功じゃない。だが、生きて戻した。次に直す資格は残った」


 イレーネは義腕の結界板を一枚失っていた。透明な板の端から、淡い光が漏れている。


「遠習をこの時点で終了する案もあります」


 学生たちが静まる。


「決定は明朝です。今夜は事故報告を作成し、負傷者を休ませる。原因が帰還者だけにあると決めつけないこと。通信網、白環命令、学院側の安全設計、全てを調べます」


 レイルは自分の手を見た。

 中級無詠唱を使わず、音声記録を捨て、仲間へ対象を渡した。

 勝った感覚はなかった。

 けれど、誰も白い円の向こうへ消えていない。


 その夜、リィナとセレネはレイルの部屋の前まで来た。

 レイルは眠ると何かが完成する恐怖を思い出し、寝台へ入れずにいた。


「今日は一人で寝かせない」


 リィナが言う。


「同室は禁止です」


 セレネが続ける。


「ですから、扉の外で交代しましょう。最初の二時間は私、次はリィナ」

「必要ない――」

「必要かどうか、今のレイルには決めさせないよ」


 リィナは廊下へ毛布を敷いた。


「眠って何か起きたら、ニアが知らせる。私たちも起きてる。だからレイルは寝て」

「二人が寝不足になる」

「明日は遠習中止かもしれません」


 セレネが椅子を置く。


「今夜の一回だけです。貴方が眠らなければ、明日の判断へ参加できません」


 レイルは扉を閉めきれず、少しだけ開けたまま寝台へ入った。

 廊下から、リィナとセレネの低い話し声が聞こえる。

 猫型ニアは枕元で丸くなっている。

 失った音声は戻らない。

 それでも次の朝を待つ人の声は、扉の向こうに残っていた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート


 複数の未完対象と前世記録が混線する中、中級魔法を増やさず、ミュラの音声記録を捨てて現在の仲間と自分を残した少年。


・リィナ・アルセイル


 考えた魔法まで保持し始めたレイルを基礎へ戻し、白環の刃を返環で海側へ流して退避路を開いた剣士。


・セレネ・グランツ


 三案のうち音声記録を失う案を選び、通信接続をレイルから引き受け、事故後は扉の外で眠りを見守った少女。


・フィア・レコード


 識別不能になった保持対象へ番号を戻し、ノアとアルドへ部品を捨てる時刻まで指示して崩壊を分解した目録官。


・ノア・エルグラム


 九十九%術式が白環命令へ利用されたと知り、父由来の絶縁片まで置いて外部槽を安全破断位置から引き剥がした研究者。


・アルド・クロイツ


 負傷した右腕を使わず外部槽を支え、フィアの時間指示とノアの破断判断を一つずつ完遂した護衛科生。


・ニア


 三形態を強制されながら人格記録と音声を分離し、原記録を失った後も自分で猫型を選んで次の修理を望んだ疑似人格。


・ナディル・セオン


 学生全員を第二退避線へ戻し、通信杭を守るより人を先に帰す撤退指揮を行ったAランク探索隊長。


・イレーネ・ヴァルセイド


 界層義腕の結界板を一枚失って白環円を封鎖し、Sランクでも他人の固有律へ答えは書けないとレイルへ告げた冒険者。


【今回の能力・設定メモ】


・【未完崩壊アンフィニッシュド・ブレイク


 複数の未完対象が互いの終了条件を取り違え、術式、装置、通信、記憶の境界が失われる異常。保持数だけでは危険度を判定できない。


・白環完了命令


 選択待機や役割未確定を不要と判定し、一括完成を要求する干渉。レイルの前世名【間宮玲司】も旧記録として保持している。


【次回】


 壊れた通信杭を学生たち自身が再設計し、今度は出発届と帰還予定日を持つ外海調査へ進みます。


 失った十二秒の記録より、次に返事をする人を残しました。レビュー、ブックマーク、フォローで、白い円を閉じた仲間たちと再設計の朝を支えていただければ幸いです。

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