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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第9章「九十九パーセントの魔法」

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第152話「残り一%を選ぶ者」

 最後の一枠が空いていると、人は答えを書き込みたくなります。

 けれど、その欄が自分の名前を書く場所とは限りません。

 三年次継路遠習サード・ルート・エクスペディション六日目。

 断航岬(だんこうみさき)の旧観測塔では、朝から同じ九十九秒が繰り返されていた。

 石壁の割れ目へ潮風が入り、吊り下げられた術式紙を絶えず揺らしている。中央の長机には【外部環状魔力槽エクスターナル・マナ・セル】、音声変換板(おんせいへんかんばん)王核諸語対照表おうかくしょごたいしょうひょう、昨日受信した三件の信号記録が並んでいた。


 少女型ニアは、九十九秒目に必ず消える。

 一回目は右手で音声板へ触れた瞬間。

 二回目は椅子から立ち上がった瞬間。

 三回目は何もせず、ただ座っていても同じだった。

 槽内魔力は三割以上残る。人格記録に異常はない。安全停止命令も出ていない。それでも九十九秒目になると、少女の輪郭は足元から崩れ、猫型へ戻った。


『本日三回目の強制ちび化。ニアちゃんの尊厳、だいぶ削られてません?』


 猫型ニアが机の上で前脚を広げる。


「削られているのは魔力槽の検証時間です」


 ノアは赤縁眼鏡の位置を直し、九十九枚目の停止記録へ線を引いた。


「同一条件で同一結果。再現率は十分です。原因だけが存在しません」

「存在しないなら、外部から完成条件を与える」


 レイルが術式環へ指を近づける。

 ノアの細い杖が、その手の甲を叩いた。


「痛い」

「口頭で約束した翌週に手を出したので、物理的な再確認です」

「触っていない」

「近づけました」

「構造を見るためだ」

「貴方は構造を見た後、試したくなります。前半を止めれば後半も起きません」


 レイルは手を引いた。

 セレネが三つの設計案を並べる。


「停止時刻を百秒へ延長するだけなら、外周計時環の改変で可能です。ただ、百秒目に同じ現象が起こります。千秒へ伸ばしても、原因は残ります」

「通信へ必要なのは十二秒以上の音声変換です。九十九秒あれば、理論上は足りるのでは?」


 フィアが尋ねた。


「変換準備に七十秒から八十秒使います。王核側の受信を待つ時間を加えると不足します」


 セレネは第一案を消し、第二案へ書き込む。


「外部槽を二基交代させる方法も、人格投影が一度途切れます。音声の途中でニアが猫型へ戻れば、王核側の言葉を変換できません」

『猫型でも喋れますけど、音声板へ触れませんねー』

「俺が触る」


 レイルが言う。


『レイル、王核側の発音候補三十七個を同時に聞き分けられます?』

「......まぁ無理だな」

『ニアちゃん必要判定、満場一致でーす』


 ロッテは外部槽の裏へ潜り込み、接続爪を一本ずつ確かめていた。革前掛けから工具が何本も垂れ、床へ仰向けになったまま声を上げる。


「最後の一%って、何かが足りないんじゃなくて、何かを決めすぎてる可能性は?」


 ノアが手を止めた。


「具体的には」

「この槽、少女型を出す装置として作ったよね。猫型と犬型はオムニア本体。外部槽を起動したら、少女型へ固定。終了時刻も外から決める。出力も手足の実体率も設計者が決めてる」

「人間圏で会話と作業を行うなら、少女型が最も適しています」

「適してる。でも、選んでない」


 ロッテが台の下から顔を出した。


「王核大陸では、ニアが猫、犬、少女を状況ごとに選んでた。今の槽は、こっちが少女になれって命令してる。九十九秒で止まるのは、ニアの人格側が、これ以上固定される前に逃げてるんじゃない?」


 猫型ニアの尾が止まった。


『形態選択記録、確認します』


 黒銀色の文字列が空中へ開く。

 王核大陸での選択履歴。

 ミュラを支えるため少女型。

 アルドを追うため犬型。

 低魔力の夜は猫型。

 白環の初期化命令を拒んだ時も、ニアは自分で少女型を選んでいた。

 外部槽の起動記録だけ、選択欄がない。


【形態:少女型固定】

【選択者:設計者】


「私が書きました」


 ノアの声が低くなる。


「実用上の最適形態として、疑う必要がないと判断しました」

「ニアへ聞かなかったのか」


 レイルが尋ねる。


「聞いていません。少女型を戻したいと本人が繰り返していたため、希望と一致していると思いました」

『希望は合ってます』


 ニアが答える。


『でも、毎回それしかダメって決められるのは、ちょい違うかも気味です。猫でいたい日もあるし、追跡なら犬がいい。少女型になりたい時も、ニアちゃんが今日はこれって選びたいんですぅ』


 ノアは設計紙の最後の空欄を見た。

 完成率九十九%。

 不足していた魔力式は一つもなかった。設計から抜け落ちていたのは、ニア本人へ残す入力欄だった。


「……私の設計ミスです」


 ノアは言い切った。

 セレネが顔を上げる。


「珍しく認めるのが早いですね」

「明確な反証があります。ここで抵抗すれば研究者ではありません」

「落ち込んでいますか?」

「非常に。もっと厳しく指摘してください、もっと」

「今は先へ進めます」

「その冷静さは好みですが、少し物足りませんね、ちっ」


 ノアの口元が本当に僅かに緩み、ロッテが呆れた顔をした。

 設計の変更が始まる。

 固定された少女型指定を削除。

 起動時に猫、犬、少女の三形態を表示。

 ニア本人が選択。

 途中変更も本人の申請で可能。

 終了は外部槽だけで決めず、ニアの停止意思を優先。

 人格記録へ異常が出た場合のみ、強制的に猫型へ退避する。

 最後の一環には新しい命令を書き込まず、ニアが選べる入力欄だけを開いた。

 レイルはその作業を見守っていた。


「俺の【未完(ノット・コンプ)】なら、選択が終わるまで完成圧力を保留できる」

「今回は許可します」


 ノアが答えた。


「ただし、貴方が形態を決めてはいけません。保持するのは選択待機の圧力だけ。ニアが選んだ瞬間、私の術式が自動で結着します」

「対象は一件」

「はい。中級無詠唱との併用は禁止します」


 フィアが条件を読み上げる。


「午前の選択試験では、レイルからの吸引は〇%。外部槽へ蓄えた周辺魔力だけを使います。開始時のレイル魔力残量は八一%。指先温度、正常。保持番号、第一番。ニアの選択が十秒を超えた場合、一度解除します」

『そんな迷わないです』

「選択肢が増えると迷う傾向があります」

『服選びと形態選び、一緒にしないでください』

「昨日、案内衣の袖を三種類比較して十二分使いました」

『そこ記録してたんです?』


 外部槽が起動した。

 三つの小さな輪郭が空中へ並ぶ。

 黒銀猫。

 追跡犬。

 少女。

 ニアは一度レイルを見た。次にノア、セレネ、フィア、ロッテを見る。


『今日は、声を届けたいです』


 少女型へ触れる。


『だから少女型。ニアちゃんが選びます』


 レイルが保持していた完成圧力が軽くなる。

 ノアの術式環が、初めて最後まで閉じた。

 少女型ニアの両足が石床へ降りる。左右とも透けていない。黒銀色の髪が肩へ落ち、指先が音声変換板を持ち上げた。

 計時板が九十九秒を越える。

 百。

 百一。

 百十。


『続いてます』


 ニアは自分の手を開閉し、笑った。

 レイルが手を伸ばしかけ、今度は途中で止める。


『触らないんです?』

「ニアが選んだ直後だから、先に聞こうと思った」

『じゃ、触っていいです』


 指先が重なる。

 昨日より温かい。

 外部槽へ蓄えた周辺魔力と、ニア自身の選択が、一つの手へ集まっていた。


 午後、音声通信の試験へ入る前に、レイルの中級無詠唱訓練が行われた。

 通信中は吸引と保持を優先するため、訓練は完全に別の時間へ置かれている。

 今日の課題は【炎槍(フレイム・ランス)】と【水流刃(アクア・カッター)】。

 どちらも監督下で一回ずつ。成功しても実戦認定にはしない。

 炎槍は一度目、熱量が槍先へ集まらず、短い火柱になった。二度目は形を作れたが、標的へ届く前に燃焼が途切れる。


「終了です」


 ノアが止める。


「もう一回なら形が分かる」

「本日は二回と決めました」

「一回目は槍になっていない」

「失敗も一回です」

「成功回数で数えないのか」

「魔力経路は、成功した時だけ発熱するほど親切ではありません」


 レイルは不満を残したまま、炎槍を諦めた。

 水流刃は、セレネが内部工程を三つへ減らした。


「水を刃へ変えようとしないでください。最初から薄い流れを作り、進路の片側だけを速くします。回転差で切断力が出ます」

「水の量は?」

「通常の六割。今日は切断より形状維持を優先します」


 リィナは訓練区画の端へ立ち、レイルの足元を見ていた。


「呼吸、昨日より浅いよ」

「午前は吸引されていない」

「魔力じゃなくて、朝から考えすぎてる時の呼吸」

「区別できるのか」

「毎朝見てるからね」


 レイルは一度構えを解き、深く息を吸った。

 声を出さず、掌の前へ薄い水膜を作る。

 右側の流れを速める。

 水膜が細長く伸び、木の標的へ当たった。表面へ浅い切れ目を残し、形を保ったまま床の排水溝へ落ちる。


「条件付き成功です」


 セレネが記録する。


「威力は通常詠唱の五八%。射程は三分の二。形状維持は基準内です」

「これで認定は?」

「監督下限定です。次回、移動なしで三回再現してください」

「今日は一回で終わりか」

「終わりです」


 リィナがレイルの手から訓練媒体を取り上げた。


「通信前に空っぽになったら、ミュラに怒られるよ」

「向こうへ声が届くとは限らない」

「届くように、残すの」


 レイルは媒体を取り返さなかった。


 訓練終了から二時間の回復時間を置いた夕刻、一本目の通信杭と外部槽が接続された。

 ナディルが海域の流れを聞き、イレーネが岬全体へ境界結界(きょうかいけっかい)を張る。通信に異常が起きた場合、海側へ術式を切り落とすための結界だった。

 少女型ニアは音声板の前へ立つ。


『形態、少女型。選択者、ニア。吸引量、二%。通信変換、始めます』


 送信符号を三度繰り返した。

 最初の応答は雑音だった。

 二度目は、地脈を擦る低い音。

 三度目に、人の声らしい高低が混じった。

 ニアの指が音声板へ食い込む。


『王核側音声、受信。翻訳候補を絞ります。話者、小角族女性候補』


 雑音の中から、短い声が立ち上がった。


「……レ、イル?」


 時間が止まったように、誰も動かなかった。

 レイルは返事を忘れた。

 声は遠く、途切れ、半分は砂を噛んだように崩れている。それでも、自分の名を呼ぶ発音だった。

 リィナがレイルの背中を叩く。


「呼ばれてるよ」


 息が戻った。


「聞こえる。ミュラ、聞こえる」


 音声板の向こうで、何かが倒れる音と、別の声が重なる。


「ほんと……帰った?」

「帰った。全員いる。リィナも、セレネも、フィアも、アルドも、ノアもいる」

「ニアもいまーす!」


 ニアが変換板へ顔を寄せた。


「……ニア、うるさい」

『本人確認、精度上がりました!』


 リィナは笑いながら目元を拭った。


「ミュラ、そっちは?」

「生きてる。地図、続き……描いた。ラガン、隣……うるさ――」


 低い虎獣人の声が遠くで何か怒鳴った。

 次の瞬間、海域魔力が乱れた。


「残り五秒!」


 ナディルが叫ぶ。


「ミュラ、またつなぐ!」

「次は、客で来て!」


 音声が切れた。

 十二秒。

 会話と呼ぶには短い。

 けれど、声だった。

 少女型ニアは二分を越えて立ち続け、音声板から手を離した後、自分で猫型を選んだ。身体が光へほどけ、黒銀色の猫がレイルの腕へ収まる。


『終了形態、猫型。ニアちゃんの選択でーす』

「よくやった」

『今日は素直ですね』

「今日くらいはいいだろ」


 夜、アルドの傷を確認した後、ノアとフィアは観測塔の外へ出た。

 海は暗く、一本目の通信杭だけが淡く光っている。


「昨日、貴方の撤退判断へ反対したことを謝罪します」


 ノアが先に言った。


「治療へ異論があったわけではありません。アルドを戻せると証明したかったのでしょう」

「証明したかったのは、私の能力です。それだけではありません」


 ノアは冷たい風へ髪を押さえた。


「私は、アルドが貴方の指示へ迷わず従う姿を見て、置いていかれたように感じました。だから治療後も私の管理下へ置きたかった。その感情が判断へ混ざっています」


 フィアはすぐ答えなかった。


「私も、灰橋宿の外階段でノアとアルドの手を見た夜から、二人の手を見るたび、離してほしいと思うことがあります」

「場所と出来事で説明してください」

「訂正します。灰橋宿の外階段で、貴方がアルドの手を握った夜からです」


 ノアは赤縁眼鏡の奥で目を細めた。


「貴方は、アルドを好いているのですか」

「まだ、その語を確定欄へ書けません。ですが、何も感じていないという記録は誤りです」

「慎重ですね」

「貴方に言われたくありません」


 潮風が二人の外套を同じ方向へ引いた。

 フィアが尋ねる。


「アルドが成人した後も、そばにいたいと思いますか」


 ノアは海を見た。


「分かりません。今の感情を十年後のアルドへ契約として押しつけるつもりはありません。今伝えれば、彼は真面目に答えを探します。子供へ待つ約束をさせるほど、私は自分の感情を正しいと思っていません」

「私は同年代です。その立場が自動的に正しいとも思いません」

「分かっています」

「それでも、私は何も感じていないふりをやめます」


 ノアはフィアを見た。


「宣戦布告ですか」

「未確定事項の共有です」

「貴方らしい言葉です」

「ノアに学びました」


 二人は笑わなかった。

 敵にもならなかった。

 誰かを選ばせる前に、自分の感情を本人のいない場所で正解へしてしまわない。その一点だけは、二人とも同じだった。

 観測塔の中では、レイルがリィナとセレネの間へ座っていた。

 十二秒の音声記録を三人で何度も聞き直す。

 セレネが、再生を止めた。


「私の告白を、保留したまま忘れてはいませんね」

「忘れていない」

「リィナの気持ちも?」


 レイルはリィナを見る。

 リィナは逃げずに見返した。


「分かっている」

「なら、今はそれで構いません」


 セレネは膝の上へ手を重ねた。


「ただ、次に王核大陸へ行く時、私は研究者として役に立つから同行したいだけではありません。私自身が、貴方の隣へ行きたいと思っています。告白した時より、その気持ちは深くなりました」


 リィナも続ける。


「私は、朝練だけ一緒ならいいわけじゃない。旅も、ご飯も、失敗して帰るところも一緒がいい。幼なじみだから当然みたいに隣にいるんじゃなくて、私が選んで隣にいたい」


 レイルは胸の奥が重くなるのを感じた。

 嫌ではない。

 むしろ、二人が描いた未来はどちらも魅力的だった。それを喜んだまま答えを出さない自分が、二人へ何をしているのかも、以前より分かる。


「まだ決められない」

「でも、分からないふりはしない。二人の気持ちも、俺が返事を止めていることも、知っている」

「うん」


 リィナが答える。


「今すぐじゃなくていい。でも、考えてるって言ってくれた方がいい」

「私も同意します。未確認と未着手を同じ欄へ置かないでください」

「恋愛まで記録用語にするのか」

「話しやすいので」


 セレネの耳が少し赤い。

 外部魔力槽の最後の一%は、ニアへ返された。

 レイルの返事は、まだ誰にも渡していない。

 同じ空欄に見えても、そこへ名前を書く人は最初から違っていた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート


 外部槽の形態選択が終わるまで完成圧力だけを保持し、恋愛についても分からないふりをせず、まだ決められないと初めて言葉にした少年。


・ニア


 猫、犬、少女の中から声を届ける少女型を自分で選び、九十九秒を越えてミュラとの十二秒間の会話を変換した疑似人格。


・ノア・エルグラム


 少女型固定を自分の設計ミスと認め、アルドへの感情を未来の本人へ契約として押しつけないとフィアへ話した研究者。


・フィア・レコード


 何も感じていないという自分の記録を訂正し、ノアを敵と決めず、アルドへの感情を未確定事項として共有した目録官。


・セレネ・グランツ


 水流刃の無詠唱工程を整理し、告白時より深くなった思いと、王核大陸へ自分自身として同行したい未来を伝えた少女。


・リィナ・アルセイル


 レイルの呼吸を整えて水流刃の初成功を支え、幼なじみだから居るのではなく、自分の意志で隣を選びたいと告げた剣士。


・ロッテ・ベルクマン


 部品の不足を疑う視線を変え、設計者が形態を固定しすぎたことから九十九秒停止の原因を見つけた魔導技師。


・ミュラ


 断航海域の向こうからレイルの名を呼び、全員の帰還を確かめ、次は客として来るよう十二秒の声で伝えた少女。


【今回の能力・設定メモ】


・外部魔力槽の最後の一%


 ニア本人が形態と終了を選ぶための入力欄。部品を追加せず、選択を本人へ返すことで術式が初めて完成した。


・中級無詠唱【水流刃(アクア・カッター)


 監督下で条件付き初成功。通常威力の約六割、射程三分の二。三回再現するまで実戦認定されない。


・中級無詠唱【炎槍(フレイム・ランス)


 二回失敗。熱量制御と燃焼維持が不足し、本話では成功扱いにならない。


【次回】


 完成した通信網へ白環の命令が逆流し、別々だった未完対象が互いの終了条件を取り違えます。


 十二秒の声も、本人が選んだ最後の一%も、短くても消せない到達点です。レビュー、ブックマーク、フォローで、選ぶ者へ返された空欄を応援していただければ幸いです。

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