第149話「荷物は一人三袋まで」
十日間に必要な物を選ぶと、その人が何を怖がり、何を手放せないかが見えてきます。
荷物を減らす相談は、たいてい荷物だけの話では終わりません。
三年次継路遠習出発前日。
レイルたちが使う学院寮の共同談話室は、朝から荷物で埋まっていた。
長机の上には折り畳み毛布、着替え、雨具、携帯食、保存水、救急布、方位磁針、筆記具、術式紙、予備媒体。床には各自の鞄が並び、その周囲へ「念のため」と持ち込まれた物が小山を作っている。
壁には、フィアが大きく書いた規定が貼られていた。
【個人荷物:一人三袋まで】
【一袋の最大重量:十二キログラム】
【武器・制服・学院指定救命具は別枠】
【共有器材は班ごとに申請】
その下へ、リィナの食料袋が五つ並んでいる。
「はぁ。減らしてください」
フィアは袋の前へ立ち、感情の見えにくい声で告げた。
「まだ三袋だけだよ?」
「背後に隠した二袋も数えてます」
「隠してない。机の脚で見えにくかっただけー」
「袋の色を床と同じ茶色へ揃えています!」
「汚れが目立たないから」
「中身を確認します」
フィアが一つ目を開く。
干し肉、硬焼きパン、果実餅、塩漬け豆、蜜菓子。
二つ目も食料。
三つ目には着替えの間へ乾燥麺が挟まっていた。
「これは衣類袋ですよ」
「服だけだと隙間ができるから」
「隙間は空気を通し、衣類の皺を防ぎます」
「麺でも形は保てるよ」
「割れます」
「割れたら短く茹でられるじゃん」
リィナは本気だった。
レイルは自分の荷物から携帯鍋を取り出し、共有食料の一覧と見比べた。
「学院側で一日三食と予備二日分が出る。自分で持つのは間食一袋で足りるだろ」
「足りないよ。レイルの一袋と私の一袋は同じ大きさでも、必要量が違う」
「規定は同じだ」
「身体が使う量は規定に合わせてくれないよ」
「それは分かるが、五袋は多すぎだ」
「朝練、中級無詠唱、ニアの魔力吸引、港の依頼。レイルも途中でお腹空くでしょ」
「俺の分まで入ってるのか?」
「三分の一くらい、かな てへ」
レイルはフィアを見た。
「共有食料として一袋へまとめられないか」
「申請者と用途を記載すれば可能です」
「じゃあ一袋は共有。残りは三袋以内にする」
「私の分、減ってない気がする」
「レイルが食べます」
フィアが言った。
「日常循環負荷と中級無詠唱訓練を続けるなら、補食は必要です。リィナの過剰持ち込みを、レイルの回復食へ一部転用します」
「過剰って言わなくてもよくない?」
「規定超過は二袋です」
「数字にすると多く見える」
「実際に多いからです」
次に問題となったのは、セレネの本だった。
淡金髪の少女は、自分の三袋を整然と閉じていた。見た目だけなら規則を守っている。だが、一袋目を持ち上げようとしたアルドの腕へ、わずかな力が入った。
「重い」
「十二キログラム以内です」
「十一・九八キログラムあります」
フィアが携帯秤を確認する。
「規定内です」
「三袋とも同じ重さか」
「一袋目は術式辞典。二袋目は王核諸語対照資料。三袋目は授業用参考書と大陸記の校閲見本です」
「十日間で全部読むのか」
レイルが尋ねる。
「必要になった箇所を参照します」
「必要にならない本もあるだろ」
「必要になるまで、必要かどうかは確定しません」
「その理屈で持っていくと、図書室ごと必要になる」
「図書室は建物です。持ち運べません」
「そういう意味じゃない、たとえだ」
セレネは普段、眼鏡を使わないが、細かな文字を読む時だけ目を少し細める。今も自分の持ち物一覧へ視線を落とし、削減対象を探していた。
「術式辞典はレイルと共用できます」
「俺の一袋へ移すのか」
「はい」
「俺も三袋埋まってる」
「何を入れたのですか」
レイルの袋が開かれる。
一つ目は着替えと救命具。
二つ目は予備媒体、術式紙、王核大陸の単語帳、測定具。
三つ目には、用途別に縛られた計画書が十七冊入っていた。
「あなたも多すぎます」
セレネが即座に言った。
「経路別、天候別、通信失敗別、負傷者数別、物資損失別に分けた」
「同じ項目が重複しています」
「雨天と強風が同時に起きた場合の冊子は別だ」
「目次で参照できます」
「混乱時に探す時間がかかる」
「十七冊から選ぶ方が時間を使います」
セレネは一冊ずつ開き、重複頁へ赤い札を挟み始めた。
「三冊へ統合します。基本計画、通信障害、緊急撤退」
「地形崩落は?」
「緊急撤退です」
「複数負傷者は?」
「同じです」
「ニアの停止は?」
「通信障害と緊急撤退へ同じ条件を記載します」
「海獣が――」
「ナディルの指示へ従います。貴方が海獣の専門計画まで作る必要はありません」
セレネは赤札を打つ手を止め、レイルの顔を見た。
「不安なのは分かります。前回は計画へない場所へ飛ばされました。だから今回は、あらゆる場合を紙へ入れたいのでしょう」
「……書いてあれば、考えなくて済む」
「逆です。書いた条件に合わない時、貴方はその場で考えます。十七冊は、その判断を助ける量を越えています」
レイルは反論を飲み込んだ。
セレネは三冊だけを残し、残りを机の端へ積む。
「私も本を減らします。術式辞典は一冊、王核諸語は薄い対照表だけ。空いた重量へ、貴方の単語帳を二冊預かります」
「俺の荷物を移したら、セレネが減らした意味がない」
「二人で使う資料です。共同荷物として申請します」
「共同、か」
「嫌ですか」
「嫌ではない」
セレネの口元が少し緩んだ。
そのやり取りを、リィナは乾燥麺の袋を抱えたまま見ていた。
「二人の共同荷物、また増えたね」
「必要資料です」
「分かってる。私も共有食料ができたから、同じってことにしておいてあげる」
「同じでしょうか」
「今は同じでいいの!」
リィナはそう言って、レイルの三冊の計画書の上へ補食一覧を置いた。
「朝と昼に食べる分も、こっちへ書いて。ニアが吸った日は多め」
「吸引量はフィアが管理する」
「食べた量は私が見る。レイル、数値が平気でも歩き方が重い日があるから」
「自分の食事まで管理してから言ってくれ」
「私は足りないことはあっても、忘れない」
「そこは反論できないな」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
談話室の奥では、ノアが共有器材申請書を四枚目まで書いていた。
床に並ぶ研究箱は七つ。
白環制式語の解析板、血統反応槽、予備採血瓶、魔力顕微鏡、術式固定具、薬品箱、外部魔力槽の交換部品。
「客員研究員も三袋です」
フィアが言う。
「私は学生ではありません」
「同行者規則の第四項をご覧ください。教員、研究員、外部協力者も個人荷物は三袋。追加器材は班単位で申請します」
「申請しています」
「七箱全てに【生命維持上必要】と書かれています」
「研究は私の生命です」
「比喩は申請理由になりません」
「では、どこまでなら認めますか」
「外部魔力槽の予備部品、血統反応槽、薬品箱。残りは学院の通信研究便へ回します」
「到着が一日遅れます」
「初日に全てを使う予定ですか」
「使わない可能性はあります」
「なら後便で間に合います」
ノアは不満そうに申請書を見た。
アルドが七箱へ手を掛ける。
「俺が持てばいい」
「一人で持たせません」
フィアが止めた。
「全部で四十三キログラムです。武器、救命具、自分の荷物を加えれば、移動時の負担が大きすぎます」
「俺なら全部運べる」
「平地なら運べるでしょう。階段、船着場、濡れた石畳では足元が変わります。荷物を守って転倒すれば、護衛班が一人減ります」
「なら二回に分ける」
「出発時刻が遅れます」
ノアが箱の取っ手を握った。
「私の器材です。私も持ちます」
「研究員に重量物を持たせる必要は――」
「百三十年以上生きています。箱一つを持つ許可まで年少者へ求めません」
「年齢ではなく、普段持ち慣れているかの話です」
「血脈励起なしでも八キログラム程度は扱えますよ」
フィアも二つ目の箱を持つ。
「では三人で分けます。アルドは二箱、ノアと私は一箱ずつ。残りは後便です」
「フィアの荷物が増える」
「私の個人荷物は二袋です。一袋分余っています」
「なぜ二袋で足りる」
「必要な物だけを入れたからです」
ノアの眉がわずかに動いた。
「今の発言は私への批評ですか?」
「事実です」
「良い指摘です。腹立たしいので採用します。もっと言ってください」
三人が同時に箱を持ち上げる。
アルドは一人で運ぶ時より歩幅を狭くした。フィアの速度へ合わせ、ノアが段差で箱を傾けないよう中央に立つ。
「重くないか」
「問題ありません」
ノアが答える。
「フィアは?」
「八・二キログラムです。予定範囲内です」
「なら進む」
短い会話だったが、三人の歩調は揃っていた。
談話室へ戻ると、少女型ニアが窓際へ薄く投影されていた。今日は光学表示だけで、床へ影は落ちていない。黒銀色の髪を揺らし、レイルの魔力記録を空中へ展開する。
『荷物より大事な、ニアちゃん維持費の話いきまーす』
「その妙な言い方を変えろ」
『正式名称、決まりました。【日常循環負荷】。毎日ちょい吸い、しっかり回復、魔力経路を健康に育てる計画です』
「毎日ちょい吸い、は正式説明から外してください」
ノアが記録紙を取り上げた。
「通常授業日は安全余剰量の一%以内。工房で指先だけ半実体化する日は二~三%。全身半実体は救助、通信、研究上必要な場合のみ。週一日は吸引休止。睡眠不足、中級無詠唱訓練、魔力経路炎症がある日は、量を減らすか停止します」
「遠習中は?」
レイルが尋ねる。
「初日と移動日は一%。通信杭の設置日は、作業前の吸引を禁止。作業後、必要なら二%まで申請できます」
『全身半実体の日、五%欲しいです』
「上限は五%ですが、毎回許可されるわけではありません」
『上限って、使っていい数字じゃないんです?』
「それ以上は危険だという線です」
『夢がないですねぇーさげぽよ』
「健康管理に夢を求めないでください」
フィアが吸引記録帳を開く。
「過去二か月の結果では、一~二%の吸引後、十分な食事と睡眠を取った翌朝の回復率が高い傾向があります。三%を超えた日は、回復に時間がかかりました」
「魔力量そのものは?」
「帰還直後から約四%増えています。ただし、成長期、中級無詠唱訓練、裂息歩法、食事改善も同時に進んでいます。ニアの吸引だけを原因にはできません」
『でも貢献はしてますよね?』
「しています」
フィアが認めると、ニアは胸を張った。
『毎日レイルから魔力吸ってるだけじゃなく、ちゃんと育成してるニアちゃん、優秀すぎ』
「吸われる側の許可を忘れるな」
『本日の少女型維持、二・五%申請しまーす』
「明日は移動日だ。一%」
『それだと椅子に座れません』
「ずっと立っていろ」
『遠習前日くらい、学生っぽく座りたいですう』
セレネが自分の隣の椅子を引いた。
「私の外部槽試作品を使えば、レイルからの吸引を一・五%まで下げられます」
「まだ試作品だろ」
「安定試験は終わっています」
「誰の魔力を使う」
「私が事前に充填しました」
「セレネの負担が増える」
「毎日ではありません。今日だけです」
セレネはレイルを見た。
「告白した相手へ何か渡すたび、全て負担として返されると困ります。私が自分で決めて用意したものです」
「でも」
「ありがとう、と言ってください」
レイルはしばらく黙り、頭を下げた。
「ありがとう」
「はい」
ニアはセレネの隣へ半実体で座り、満足そうに脚を組んだ。左足はまだ薄い。
『学生生活、アゲです』
「座るために魔力槽を使った最初の疑似人格として記録します」
フィアが言う。
『そこ、もっと良い名前にできません?』
午後、班別行動表が届いた。
通信術式班の欄には、レイルとセレネが連日並んでいる。
沿岸救助班のリィナとは、早朝訓練、昼食、共通夕食以外は別行動だった。
リィナは紙を見てから、レイルへ向き直る。
「出発前に決める。朝は一緒に走る。昼は三人で食べる。放課後じゃなくて、遠習中は夕食後に今日あったことを話す」
「報告会か」
「報告書みたいにしない。嬉しかったことと、嫌だったことも言う」
「毎日?」
「毎日。セレネも来て」
セレネは少し驚いた顔をした。
「私もですか」
「二人だけで知らない話を増やされるより、三人で聞いた方がいい。私も救助班の話をする」
「分かりました」
レイルが行動表を指した。
「公平に一時間ずつ分けるなら――」
「公平の話じゃない!」
「公平ではありません」
リィナとセレネの声が重なった。
「二人とも同じ時間なら問題が減ると思った」
「私が欲しいのは、割り当てられた一時間じゃない。レイルが私と話したいと思って時間を作ること」
「私は授業で長く一緒にいるから、私的な時間を減らされても公平だとは思いません。好意は授業時間数で相殺されません」
「……難しいな」
「分からないふりで終わらせないで」
リィナは強く言った後、少し声を落とした。
「考えて。今すぐ答えを出せって言ってない。でも、時間割を作れば二人とも同じ、みたいに片づけないで」
セレネも頷く。
「私も、数で勝ちたいわけではありません。貴方と過ごした時間が何だったかを、貴方自身に見てほしいのです」
レイルは紙を折らずに持った。
割り振れば安全になる問題ではないらしい。
「夕食後、三人で話す。朝練も続ける。セレネとの研究日は、リィナにも先に伝える」
「うん」
「それで終わりではありませんが、今は十分です」
セレネも答えた。
夕方、荷物はようやく規定内へ収まった。
リィナの食料は個人三袋と共有一袋。
セレネの本とレイルの単語帳は共同資料箱。
ノアの器材は三箱だけ先発。
アルドの地図は十二枚から三枚へ減らされた。
「三枚の向きは確認しましたか」
フィアが尋ねる。
「全て北が上だ」
「今、二枚が逆です」
「持ち方の問題だ」
「明日は私が持ちます」
「俺の地図では?」
「所有者と管理者を分けます」
ノアが横から一枚を取り、正しい向きへ直した。
「この方が合理的です。アルドは地図を見ず、フィアの指示へ従ってください」
「二人とも同じ結論か」
「今回は一致しました」
「不本意ですが」
また声が重なった。
出発前夜、レイルは両親の借りた学院近くの部屋へ寄った。
エナは新しい毛布を畳み、鞄の一番上へ入れた。
「学院支給品がある」
「海辺は冷えるでしょう。使わなくても持っていきなさい」
「荷物が増える」
「母親枠は別でしょう?」
「規定にはない」
「なら、先生に交渉します」
バルドは出発届の写しを机へ置いた。
「帰還予定は十日後」
「ああ」
「一日でも遅れたら」
「通信する」
「通信が壊れたら」
「撤退班へ従う」
「王核大陸から声が聞こえても」
レイルは一度、目を閉じた。
「海へは出ない。聞こえた場所と内容を報告する」
「よし」
父はそれ以上言わず、毛布を鞄の底へ押し込むのを手伝った。
学院へ戻る道で、リィナが待っていた。
「今度は、いなくなる冒険じゃないからね」
「出発届も帰還予定日もある」
「遅れたら?」
「通信する」
「それでも遅れたら?」
「迎えに来て」
リィナは目を瞬いた。
「最初からそう言えばいいの」
「来られる場所までだぞ」
「そうやって条件を足す」
「断航海域へ飛び込めとは言えない」
「分かってる。でも、待ってるだけにはしない」
リィナはレイルの鞄の紐を引き、緩んでいた結び目を締め直した。
「帰ってこなかったら探す。だから、探される前に帰ってきて」
「ああ」
荷物は三袋へ収まった。
持っていけない物も、言い残したくない言葉も、全て収まったわけではない。
それでも明日の朝、決めた数の荷物を持ち、決めた道から出発できる。
前回にはなかった、それだけで十分な違いだった。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
十七冊の安全計画を三冊へ減らし、恋愛感情まで時間割で公平に分けようとして二人から同時に止められた少年。
・リィナ・アルセイル
五袋の食料を三袋と共有一袋へ収め、遠習中も朝、昼、夕食後の時間を自分から確保した剣士。
・セレネ・グランツ
本を減らしてレイルの単語帳を共同荷物として預かり、好意は授業時間数では相殺されないと伝えた少女。
・フィア・レコード
荷物重量、吸引量、回復率を一つずつ管理し、ノアの研究箱も規則どおり三箱へ減らした目録官。
・ノア・エルグラム
研究を生命維持へ分類しようとして却下され、感情ではなく安全を優先してアルド、フィアと荷物を分けた研究者。
・アルド・クロイツ
四十三キログラムを一人で運ぼうとして止められ、十二枚の地図を三枚へ減らしても二枚を逆に持った護衛科生。
・ニア
安全な少量吸引と十分な回復を繰り返す【日常循環負荷】の貢献を主張し、椅子へ座るための魔力まで交渉した疑似人格。
・エナ、バルド
母親枠の毛布と帰還条件を息子の鞄へ入れ、声が届いても海へ出ない約束を確認した両親。
【今回の能力・設定メモ】
・【日常循環負荷】
ニアの安全な少量吸引と、食事、睡眠、訓練を組み合わせた魔力循環管理。過剰吸引は成長ではなく回復遅延を招く。
・遠習荷物規定
個人三袋、一袋十二キログラムまで。研究器材や共同資料は班ごとに申請し、一人へ負担を集中させない。
【次回】
学院生たちは魔導車で蒼潮港へ向かい、いつもの仲間とは違う混成班で港の依頼を受けます。
三袋へ収めた荷物にも、収めきれなかった言葉があります。レビュー、ブックマーク、フォローで、今度こそ帰還予定日のある旅立ちを見送っていただければ幸いです。




