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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第9章「九十九パーセントの魔法」

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第145話「書かなかった名前」

 記録へ残すことが、いつも誠実とは限りません。

 誰かを守るために書かない余白も、書いた人の責任です。


 大陸記の初稿が半分を越えた頃、レイルたちは学院の小会議室へ集まった。

 卓上には、赤、青、黒、灰の札が並ぶ。

 赤は公開不可。

 青は本人同意が必要。

 黒は公開可能。

 灰は、通信がつながるまで保留。

 フィアが一枚ずつ読み上げた。


「ミュラ・ノクテ。未成年。地脈聴取能力と故郷の位置が記載されています。公開すると白環、灰環利用派、他国の探索対象になる可能性があります」

「名前は伏せる」


 レイルが赤札へ置く。


「小角族の地図師見習い、まで」

「本人へ確認できるまで灰札でもよいのでは?」


 セレネが尋ねる。


「大陸通信はまだ安定していない。出版を待てば、支援費の返済も遅れる」

「返済を急ぐために、当事者の安全を急いではいけません」

「分かってる。だから固有名は出さない」


 リィナはミュラの記録頁を撫でた。


「石を投げて助けてくれたことは書いていいよね」

「場所と能力が特定されない形なら」


 フィアが黒札と灰札の間へ置く。


「ラガン・ティグリス。成人。A級相当の戦闘能力、裂息戦技、灰環保護派との関係」

「名前を出しても、本人は気にしなさそう」


 リィナが言う。


「気にしないと推測することと、同意は別です」


 フィアが訂正する。


「灰札です」


 ノアは自分とノエラの頁を読んでいた。

 赤縁眼鏡の奥で、赤紫の瞳が何度も同じ行を行き来する。

【百年以上会わなかった母娘】

【第一世代と第二世代の半吸血種】

【母の血による血脈励起】

「血統構造は研究価値があります」


 ノアが言う。


「ですが、私とノエラの関係を一般読者へ感動的な再会として売るなら、全て削除してください」

「そうは書いていない」


 レイルが答える。


「母と呼ばなかったことも、許していないことも書いた」

「それはそれで私生活です」

「公開しない方がいい?」


 ノアはすぐ答えなかった。


「父のことは、名前も研究室の場所も出さないでください。白環血統庫の構造も簡略化。ノエラの血を使った回数は事実として残して構いません。ただし、母の愛によって覚醒した、などという表現を一文字でも入れたら、原稿を燃やします」

「入れない」

「後ほど、精読します」

「お願いします」


 ノアは少し驚いた顔をした。


「反論しないのですか?」

「専門部分はノアの方が正しい。本人の話でもある」

「……その判断は適切です」


 フィアが次の札を持つ。


「アルド・クロイツ。王核大陸で迷った回数、暫定二十九回」

「削除を申請する」


 アルドが即座に言う。


「理由は?」

「帰還と関係がない」


 ニアが少女型で卓上へ浮かぶ。


『かなり関係ありますよ。迷った先でノアを見つけたので、物語的には重要ですねー』

「一回で十分だ!」

「二十九回が一回になるのは改竄です」


 フィアが言う。


「全回数を書く必要はない」

「では、『頻繁に迷った』へ置換します」

「頻繁ではない」

「二十九回です」

「一年間なら、月三回未満だ」

「平均化で印象を変えないでくださいよ」


 会議室に笑いが起きた。

 最後に残ったのは、恋愛に関わる頁だった。

 環越祭で、リィナとレイルが手をつないだ夜。

 古書市で、セレネがレイルの肩へ額を預けた再会。

 灰橋宿で三人が同じ毛布を分けた夜。

 ノアがアルドの手を握り、「しばらくこのままで」と頼んだ場面。

 フィアがそれを見て、記録できなかったこと。

 レイルは全てへ赤札を置いた。


「全部削る」


 リィナが顔を上げる。


「どうして?」

「個人的な場面だから」

「私が嫌だと言う前に、レイルが決めるの?」

「公開されたいのか?」

「そうじゃない。でも、私との場面も、セレネとの場面も、ノアたちの場面も、全部同じ理由で消すのが嫌」

「公平だと思った」

「公平に消されたら、特別じゃなかったことになる」


 レイルは返事に詰まる。

 セレネが、自分の再会場面の原稿を指で押さえた。


「私も公開を求めません。ただ、レイルが”個人的だから”としか説明できない点は問題だと思います」

「他に何がある?」

「書けば、自分がどう感じたかまで言葉へしなければならない。それを避けているのではありませんか」

「事実だけなら書ける」

「額を肩へ預けた、という事実だけ書けば、読者は勝手に意味を決めます。意味を書けば、貴方が選ばなければならない。だから削る」


 レイルは否定しようとした。

 だが、自分の初稿を思い出す。

 戦闘や術式は、失敗まで細かく書いた。

 リィナと再会した時、胸の奥がどれほど軽くなったかは書かなかった。

 セレネが告白した夜のことも、事実だけで止めた。

 名前を付けなければ、選ばずに済むと思っていた。


「二人とも大事だから、同じように書かないのは駄目なのか」


 リィナの表情が曇る。


「それ、優しい言い方に聞こえるけど、ずっと答えを出さないためにも使えるよ?」


 セレネも目を逸らさない。


「私は告白しました。返事を急かさないと決めましたが、存在しなかったことにはしていません。レイルも、知らないふりはしないと言いました」

「してない」

「では、書かない理由を”公平”だけにしないでください」


 会議室が静かになる。

 レイルは赤札を一度外した。


「公開はしない。でも、原稿から完全には消さない。関係者用の非公開記録へ移す」

「どう書くの?」


 リィナが問う。


「環越祭の夜、帰る場所を選ぶ前に、リィナと手をつないだ。離れたくなかったから」


 声へ出した途端、リィナの顔が赤くなる。


「そこまで言えって言ってない!バカ」

「意味を書けと言っただろ」

「今、みんないるじゃんか!」


 セレネの髪の周囲へ小さな光球が浮かぶ。


「もちろん、私の場面も、同じ精度でお願いします」

「張り合うところか?」

「公平ではなく、正確さの問題です」

「セレネ、ちょっと楽しんでるよね?」

「半分は、ですね」


 ノアが咳払いをした。


「私たちの場面は、非公開記録にも詳細不要です」


 アルドが尋ねる。


「手を握ったことが問題なのか」

「問題ではありません。貴方が真面目な顔で尋ねることが問題です」


 フィアは記録札へ視線を落とした。


「私は、灰橋宿の石段で見た接触を記録対象外としました。しかし、今は判断を訂正します」

「記録するのですか」


 ノアが問う。


「医療記録ではありません。当事者間の非公開記録として、ノアが自分からそばにいてほしいと頼んだ事実を残します」

「感情まで?」

「私が見た感情を、ノア本人の感情として断定しません。私が見て、胸が痛んだことは、私の記録へ残します」


 ノアはフィアを見つめた。


「それは、私への宣戦布告ですか」

「未確定事項の共有です」

「厳密ですね」

「貴方に教わりました」


 アルドだけが意味を理解できず、二人を交互に見ていた。


「俺は何を記録すればいい」

「今は何も」


 ノアとフィアが同時に答える。

 会議後、レイルは一人で原稿の非公開頁を整理した。

 公開版には、私的な恋愛場面を細かく書かない。

 だが、存在しなかったことにも戻さない。

 書かない理由と、残す場所を自分で決める。

 最終頁へ、見覚えのない一文があった。


【彼らは人間圏へ帰還し、二度と地図の外へ戻らなかった】


 レイルの筆跡ではない。

 セレネの整った文字でも、フィアの記録字でもない。

 白く、線の太さが一切変わらない文字。


 アルケインの文法だった。

 レイルはその一文へ筆先を置く。

 【未完(ノット・コンプ)】で止めるのではなく、自分の筆で拒む。


 線を引こうとした瞬間、胸の奥で”間宮玲司”という前世名が響いた。

 手が止まる。

 それでも、線を引き切った。

 代わりに書く。


【この記録は、次に会うまでの途中経過である】

 完成した結末を、他人に先へ置かせない。

 書かなかった名前も、書き直した最後の一行も、レイル自身の選択だった。

【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 当事者の安全を守るため名前を伏せ、感情から逃げるための公平さも捨て、他人に書かれた結末を自分で直した少年。


・リィナ・アルセイル

 恋愛場面を消されることより、特別だった時間を同じ理由で平らにされることへ怒った幼なじみ。


・セレネ・グランツ

 返事を急かさなくても告白は存在すると伝え、レイルが感情を言葉へしない理由を正確に指摘した少女。


・フィア・レコード

 記録対象外として逃がした痛みを、自分自身の非公開記録へ残すと決めた目録官。


・ノア・エルグラム

 母娘関係を感動的な商品へされることを拒み、フィアの感情共有を宣戦布告かと受け取った研究者。


・アルド・クロイツ

 二十九回の迷子記録を月平均へ薄めようとし、恋愛記録では最後まで何を書けばよいか分からなかった少年。


・ニア

 アルドの迷子を物語上重要と主張し、公開情報と個人情報の境界整理へ参加した疑似人格。


・アルケイン

 大陸記の終章へ「二度と戻らない」という完成済みの一文を混入させ、前世名の記憶を刺激した神格。


【今回の能力・設定メモ】


・公開記録と非公開記録

 一般出版版では現地人の位置、能力、私生活を伏せ、当事者用記録には存在した出来事を消さずに残す。


・アルケインの文章干渉

 完成した結末を記録へ混入させるが、レイルは【未完】で止めず、筆による選択として線を引き書き直した。


【次回】


 書かなかったものを守った本が、今度は大勢の読者へ届きます。


 公開しない赤札も、次に会うまで残す灰札も、記録を守るための選択です。レビュー、ブックマーク、フォローで、書かなかった余白まで見届けてください。

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