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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第9章「九十九パーセントの魔法」

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第143話「三年次特例編入試験――実地」


 試験は、正解を知っているかだけを見るものではありません。

 正解が一つに決まらない時、誰を置いていかないかも見ています。

 筆記試験の三日後、旧市街演習区へ朝霧が残っていた。

 王立結着学院の北側に広がる模擬災害街区(もぎさいがいがいく)は、崩れた石造家屋、細い路地、傾いた鐘楼、地下水路まで本物の町と同じ寸法で造られている。壁の亀裂も瓦礫の重量も、見た目だけの飾りではない。毎年、上級学年の救助試験に合わせて組み直される。


 今年は、レイルたち帰還者五人の特例編入試験のため、通常より複雑な条件が追加されていた。

 負傷者役が十二人。

 行方不明者が三人。

 魔物の痕跡。

 誤った避難案内。

 未確認の契約札。


 制限時間は一時間。

 試験開始時に与えられる地図は、意図的に一部が古い。

 レイルは開始線の前で地図を折り直した。


「北西路地は使わない」

「地図では最短です」


 セレネが指摘する。


「昨日の雨量だと、地下水路が溢れている可能性がある。石壁に水染みが出てる」


 フィアが条件札へ書く。


「北西路地、未確認。安全扱いから除外します」

「回り道は?」


 リィナが尋ねる。


「東の市場跡。ただし鐘楼が倒れたら塞がる」

「倒れる前に通る?」

「全員を急がせると負傷者を落とす。先に支えを入れる」


 アルドが背負い帯を締めた。


「俺が鐘楼(しょうろう)へ行く」

「一人では行かないでください。番号指示が届かなくなります」


 フィアが言う。


「ではフィアと行く」

「受理します」


 開始鐘が鳴った。

 試験官を務めるナディル・セオンは、半壊した屋根の上へ帆槍を立てている。青い外套が朝風に膨らみ、左耳の魔導補聴具が淡く光っていた。


「制限は一時間。救助人数だけで採点しない。帰還報告、二次災害、未確認者の扱いまで含める。死ぬほど頑張った、は加点にならないからな」


 街区の外周では、イレーネ・ヴァルセイドが【界層義腕(レイヤード・アーム)】を展開していた。薄い透明板が空中へ幾重にも重なり、演習区全体を覆う。事故が起きれば瞬時に区画を切り離すための安全結界だ。


「私が止めた時点で試験は終了する。中止命令へ従えなかった者は、救助人数にかかわらず不合格とする」


 その言葉に、レイルの胸の奥が一瞬だけ硬くなる。

 中止。

 王核大陸では、止められない状況の方が多かった。止めれば誰かが残る。止めなければ全員が死ぬ。その間で、何度も完成条件を抱えた。

 横から、リィナが肘で軽く触れる。


「今は試験。帰れなくなるまでやらないの」

「分かってる」

「分かってる顔じゃない」

「中止命令を優先する」

「うん。私も止めるからさ」


 五人は街区へ入った。

 最初の負傷者は、市場跡の荷車の下にいた。脚を挟まれた少年役の人形が、魔導音声で助けを求めている。

 リィナが荷車へ手を掛ける。


「上げるよ」

「待って。車軸の反対側に重りがある」


 レイルが地面へ触れる。無詠唱の【硬土(ハード・ソイル)】が荷車の下へ薄い支えを作った。

 セレネが二案を形成する。荷車を浮かす風圧。地面を沈めて脚を抜く軟土。どちらも完成直前で止める。


「負傷箇所が見えません。浮かせると骨片が動く可能性があります」


 フィアが言う。


「第三案を作ります」


 セレネの周囲へ青白い光球が増える。水膜で脚を固定し、荷車だけを横へずらす案。


「それで行こう」


 レイルが完成時刻を短く保持し、リィナが荷車を持ち上げる動きへ合わせて解除する。

 救助は成功。

 だが二人目の負傷者へ向かう途中、路地の壁へ白い避難札が出た。

【安全路:北西】

「古い地図と同じ方向です」


 フィアが立ち止まる。


「誰が設置した札だ?」


 アルドが問う。


「署名なし。更新日なし。安全認定できません」

「従わない」


 レイルが即答する。

 次の瞬間、北西路地の地下から水が噴き上がった。石畳が割れ、濁流が路地を埋める。

 ナディルの声が屋根の上から飛ぶ。


「無署名の安全札を切った判断、加点。だが水路の噴出は予定より早い! 鐘楼側へ圧が回るぞ!」


 東の鐘楼が軋んだ。


「アルド、フィア!」

「向かっています!」


 フィアが番号札を投げる。


「第一番、鐘楼基部。第二番、南側住民三名。第三番、退路確保。順序は一、二、三です」

「受理した」


 アルドが走る。王核大陸で鍛えた長距離の足は、同年代の学生より速くはないが、重い背負い帯を付けても速度が落ちず安定していた。

 フィアは半歩後ろから、倒壊角度と避難者の位置を読み続ける。


「右の路地へ」

「地図では左だ」

「地図を見ないでください。私の右です」

「了解」


 今回は迷わなかった。

 鐘楼の基部へ着くと、亀裂が一気に広がった。アルドが支柱を入れ、肩で押さえる。


「第一番、着手。完遂(コンプ)まで七十秒」

「七十秒は持たせません。五十秒で二番へ変更します」

「一番を終えていない」

「一番の完遂条件(かんすいじょうけん)を”倒れないこと”から”避難者が通過するまで”へ訂正します」


 アルドの目が僅かに見開く。

 以前なら、最初に受けた命令を最後まで遂行した。

 今は違う。


「訂正を受理する。五十秒後、二番へ移る」


 演習区の観覧塔から、ノアがその連携を見ていた。

 白い研究外套の下で腕を組み、赤紫の瞳を細めている。隣にはロッテと学院医療官がいた。

 アルドとフィアは、長い説明を必要としない。番号と訂正だけで、同じ時間を動ける。


(私がアルドへ渡せるのは、治療、知識、血液管理です。フィアは、彼と同じ戦場の”今”を共有できる)


 胸に生まれた痛みを、ノアは理論へ逃がさなかった。

 代わりに、治療具を開く。


「試験後の経路検査は私が行います」

「まだ負傷していません」


 ロッテが言う。


「負傷してから準備するのは遅いでしょう」

「心配なんですね」

「合理的な事前準備です」


 ロッテは笑ったが、追及しなかった。

 街区中央では、レイルたちが三人目の行方不明者を探していた。

 犬型ニアが地面近くを走る。黒銀色の光で形作られた鼻先が、瓦礫の隙間へ向いた。


『微弱な呼吸反応。地下室、一名。ただし上の梁、荷重限界まで残り二分ですワン!』


 地下室の入口は、太い石梁で塞がれている。

 リィナが剣を抜く。


「斬る」

「梁を切ると上が落ちるぞ」


 レイルが止める。


「じゃあ支えを作る」


 セレネが【石槍(ストーン・ランス)】を形成しかける。


「角度が足りません。この幅では一本だと折れます」

「二本なら?」

「形成に時間がかかります」


 レイルは梁の継ぎ目を見た。王核大陸で何度も使った風刃なら、石梁そのものではなく、横へ食い込んだ木枠だけを切れる。

 通常詠唱なら間に合う。

 だが地下室の呼吸反応は弱く、詠唱の間に上の瓦礫が動く可能性がある。


「中級無詠唱を使う」

「まだ一度も成功していません」


 セレネが言う。


「通常詠唱では、振動が大きい」

「成功率で判断していません。工程が安定していないと言っています。始動と収束を分けられず、照準前に刃形を固定する癖が残っています」

「なら、工程を言ってくれ」

「私が言えば詠唱と同じです」

「答えじゃなく、順序だけでいい」


 リィナがレイルの前へ立った。

 上から小石が落ちる。剣の腹で弾く。


「セレネ、順番。私が時間を作る」

「リィナ、梁の震動を止められますか」

「全部は無理。でもレイルが撃つまで、上から来るのは落とす」


 セレネは一瞬迷い、眼鏡の奥で青紫の瞳を定めた。


「始動は呼吸。収束は掌の外。刃幅は木枠一枚。照準は梁ではなく、右側の継ぎ目。終了条件は切断直後の消散です」


 レイルは目を閉じなかった。

 息を吸う。

 風を集める前に、終了を決める。

 木枠が切れた直後、刃は消える。

 次に始動。掌の外で収束。刃幅を細く。最後に照準。

 詠唱を声へ出さず、五工程を一つずつ内側へ通す。

 上から石片が落ちた。

 リィナの剣が弾く。


「後ろは見なくていい。私がいる」


 セレネの声が続く。


「形成率七十三。八十一。刃幅を広げないでください。今のままです」


 レイルが右手を振った。

 音は遅れて届いた。

 薄い風の刃が木枠だけを走り、埋まっていた端を切り落とす。石梁は傾かない。

風刃(ウインド・カッター)

 本物の中級無詠唱。

 威力は通常詠唱の七割にも届かない。射程も短い。それでも必要な一箇所だけを切った。


「成功です」


 セレネが息を吐く。


「まだ救助が終わってない」


 リィナが地下室へ飛び込む。

 レイルも続こうとしたが、右腕に熱が走った。魔力経路(まりょくけいろ)が焼けるように痛む。


「レイル、停止」


 フィアの声が遠くから届いた。鐘楼側の救助を終え、戻ってきている。


「まだ動ける」

「中級術式経路に炎症反応。次の中級形成を禁止します」

「初級なら」

「二十回まで。二十一回目は私が中止します」


 レイルは反論を飲み込んだ。

 地下室からリィナが負傷者役を抱えて戻る。セレネが支柱を二本形成し、レイルは初級の硬土だけで足元を固めた。

 残り時間十二分。

 最短なら、最後の行方不明者だけを先に出口へ運べる。

 だが市場跡には、まだ歩けない負傷者が四人いる。

 試験札には、こう書かれていた。

【一名を先に帰着(きちゃく)させた場合、評価加点】

 アルドが札を見る。


「一人を先に運ぶか」

「その場合、残りの退路が閉じます」


 フィアが古い地図と現在の倒壊を照合する。


「出口の門は一度開くと、重りが落ちて再閉鎖される構造です。先行者を出せば、四人分の搬送路が消えます」

「加点条件が誤っている?」

「誤りではありません。一人を確実に救う選択も成立します。ただし、残りを見捨てる条件が隠されています」


 レイルは試験札を裏返した。


「全員で別の出口を作る」

「時間は十二分です」


 セレネが言う。


「足りない?」


 リィナが問う。


「通常なら足りません」

「なら、私が運ぶ。アルドと二人で二往復」

「鐘楼で脚へ負荷が出ています」


 フィアがアルドを見る。


「動ける」

「動けても、動かして良いかは別です。アルドは一往復。リィナは二往復。レイルは出口形成。セレネは支柱。私は残り時間と中止条件を管理します」

「受理した」


 全員が別の役割へ動いた。

 最後の一人が出口線を越えた時、残りは二十七秒。

 レイルたちは一人も先に帰着させなかった。

 全員が揃ってから、同時に試験区画を出た。

 終了鐘が鳴る。

 ナディルが屋根から降り、帆槍を畳んだ。


「救助十二、行方不明三、二次災害なし。中級無詠唱は一回だけ。規定外の先行加点は捨てた。理由は?」

「一人を出すと、残りの出口が閉じるからです」


 レイルが答える。


「一人だけでも確実に救う考えはなかったか?」

「ありました。だから迷いました。でも、残りを見捨てると理解した上で加点を選ぶのは違うと思った」

「思った、で試験官を説得するのか?」

「全員を救える作業時間を計算しました。足りると判断したから選んだ。足りなければ、一人を先に出す可能性も残しました」


 ナディルは少し笑う。


「英雄の答えじゃないな」

「英雄ではありませんから」

「そこは合格だ」


 イレーネが前へ出る。


「全員、条件付きで三年次編入を認める。ただし、レイル・アルヴァート」

「はい」

「四件保持は禁止。三件目も監督下に限る。中級無詠唱は【風刃】一種類、静止または低速状態のみ仮認定。連続使用は禁止する」

「わかりました」


「次――リィナ・アルセイル。噴歩は屋内出力制限。停止線を守れたことは評価する」

「はい」


「セレネ・グランツ。三案を保持したまま現場へ残しすぎる傾向がある。破棄も判断だと学べ」

「受理します」


「フィア・レコード。全員の安全を一人で背負うな。記録官が倒れれば、条件そのものが失われる」

「……受理します」


「アルド・クロイツ。貴様は地図を単独で持つな」

「了解した」

「そこだけ返事が早いですね」


 フィアが言い、周囲に笑いが起きた。

 試験後、ノアは真っ先にアルドの腕を取った。


「鐘楼を支えた側の肩を出してください」

「痛みはない」

「痛みの申告を信用していません。貴方は痛みを完遂条件から除外する癖があります」


 フィアが横から記録札を出す。


「肩関節の可動域は私が記録します」

「診療補助を頼んだ覚えはありません」

「試験中の負荷記録は私の担当です」

「では、数値だけ読んでください」

「アルドの表情も記録対象です」

「私が診ます」


 アルドは二人へ肩を向けた。


「左右を分ければいい」

「片方の肩です」

「では交代で」


 ノアとフィアは同時に溜息をついた。

 少し離れた場所では、セレネがレイルの右腕へ冷却布を巻いていた。


「構築を理解していたのは私です」


 唐突に言う。


「何の話だ?」

「風刃です。レイルの内部工程を整理したのは私です」

「そうだな」


 リィナが反対側から割り込む。


「撃つまで立っていられたのは、私が上を守ったから」

「それもそうだ」

「二人とも必要だった、で終わらせるつもり?」

「事実だろ」

「事実だけど、言い方!」


 セレネが眼鏡を外し、冷却布の端を留める。


「私は、レイルが成功した瞬間に最初にこちらを見たことも記憶しています」


 リィナの眉が動く。


「私は前にいたから、見えなかっただけでしょ」

「視界へ入る位置も、連携の一部です」

「それ、今考えたよね?」

「半分は」


 レイルは口を挟もうとした。


「二人とも――」

「レイルは黙ってて」

「今は黙っていてください」


 左右から同時に止められる。

 少女型ニアが、少し離れて浮かんだ。


『三年次編入試験、恋愛実地だけ採点不能っぽいです』


 レイルは冷却された右腕より、別のところが熱くなるのを感じた。

 三年次編入は認められた。

 中級無詠唱も一度だけ成功した。

 それでも、何を言えば二人とも納得するのかだけは、測定器にも試験官にも答えがなかった。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 セレネの工程整理とリィナの防護を受けて中級無詠唱【風刃】へ初成功し、加点より全員の帰着を選んだ少年。


・リィナ・アルセイル

 落石を斬ってレイルの発動時間を守り、試験後は成功の瞬間に自分が見えなかったことまで悔しがった剣士。


・セレネ・グランツ

 中級術式の五工程を短く導き、レイルが最初に自分を見た事実を恋愛上の加点として主張した少女。


・フィア・レコード

 誤った安全札を弾き、アルドの完遂条件を途中で訂正し、全員の帰着まで時間を管理した目録官。


・アルド・クロイツ

 最初の命令を最後まで守るのではなく、フィアの訂正を受けて役割を変更できるようになった少年。


・ノア・エルグラム

 アルドとフィアの戦場連携へ複雑な痛みを覚えながら、試験後の治療という自分の役割を手放さなかった研究者。


・ナディル・セオン

 救助人数だけでなく、帰還と二次災害まで採点し、英雄的な無茶を加点しなかったAランク試験官。


・イレーネ・ヴァルセイド

 帰還者全員を条件付き三年次へ認め、能力ごとの危険な使い方を明確に制限したSランク監督者。


【今回の能力・設定メモ】


・中級無詠唱【風刃】

 レイルが初めて本物の無詠唱で成立させた中級魔法。通常詠唱より威力と射程が低く、一回で魔力経路へ炎症が出るため連続使用不可。


・三年次特例編入

 帰還者五人は実地技能を認められ、一般教養補習、身体検査、能力制限を条件として三年次へ編入する。


【次回】


 試験用の報告書は、読者が歩ける大陸記へ書き直されます。


【読者応援文】


 一人だけ先に出る出口ではなく、全員が揃うまで支えた石梁のように、レビュー、ブックマーク、フォローで特例編入の合格を支えていただければ幸いです。

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