第140話「死亡した生徒は出席できません」
生きていることは、本人には明白です。
けれど制度は、本人より先に届いた紙を信じることがあります。
帰還から三日目。
レイルたちは学院中央事務塔の三階で、自分たちが生きていることを証明していた。
磨かれた石床。天井まで届く書類棚。番号札を握った生徒と教職員の列。窓口の向こうでは、青い腕章を付けた事務官たちが、羽根筆を休みなく動かしている。
レイルの前へ置かれた書類の最上段には、大きな赤字でこう記されていた。
【推定死亡認定・取消申請】
「本人が署名すれば取り消せるんですよね?」
レイルが尋ねると、丸眼鏡の事務官は書類を三枚めくった。
「本人確認者二名、血縁者一名、学院教員一名、帰還時立会人一名の証明が必要です」
「本人が目の前にいるのにですか?」
「規則ですので――」
「死亡した本人が、死亡扱いの取消申請へ署名する規則ですか」
「はい」
「なんだか矛盾していませんか」
「制度上、死亡認定を受けた方が申請する事例を想定していませんでした」
「では今、想定できました。規則を直した方がいいと思います」
「改定意見書は隣の窓口へどうぞ」
レイルが隣を見る。そこには今の列より長い列が伸びていた。
「はぁ。まず生き返ってからにしよう」
セレネ・グランツが静かに書類を引き寄せた。
淡い金髪を学院規則どおり背へ流し、胸元には青白い魔導演算石が下がっている。帰還時の旅装から制服へ着替えているが、袖口には王核大陸で縫い直した灰色の糸をあえて残していた。
「死亡認定の取消、学籍の復旧、寮籍の返還、装備保管品の受領。今日中に必要なのは四件です。制度改定は五件目へ回してください」
「五件目まで増やした覚えはない」
「レイルが今、増やしました」
「意見を言っただけだ」
「貴方の意見は、放置すると作業になります」
リィナは別窓口で自分の署名を終え、紙束を抱えて戻ってきた。
「私、死亡した日付より後に食堂の未払いがあるんだけど、なにこれ」
「誰かが学生証を使ったのか?」
「寮の子たちが、私の戻る席を残すために月一回食券を買っててくれてたみたい」
「いい話じゃないですか」
セレネが言う。
「でも未払いの請求は私へくるわけ?」
「まあ、名義上は」
「帰って最初に借金が増えてるんですけど!」
少し離れた窓口では、アルドが同じ書類を読んでいた。
「本人確認者欄へ、俺が俺を確認したと書いてはいけないのか」
「自己確認は証明になりません」
フィアが答える。
「生存していることは俺が最も知っている」
「記録制度では、本人の認識と第三者の確認を分けます」
「ではフィアが確認してくれ」
「既に署名しました。次は帰還時立会人です」
ノアが横から書類を覗く。淡い金髪、赤紫の瞳、細い赤縁眼鏡。補修跡だらけの魔導衣の上へ、学院が貸した白い研究外套を着せられているが、本人は袖の長さがどうにも気に入らないらしく、先ほどから何度も折り返していた。
「私が署名します」
「ノアは学院外の未登録同行者です。立会資格の審査中です」
「百三十年以上生きている私より、十四歳の学生の方が信用されるのですか?」
「年齢と公的資格は別の項目です」
フィアは淡々と答える。
「その制度設計は正しいですが、今は腹が立ちます」
「感情は審査項目へ入りません」
「却下ですか」
「はい」
「では資格要件を全部ください。最短で一項目ずつ潰しますわ、ふふ......」
アルドは二人を見比べた。
「やはり仲が良くなったように見える」
「訂正します。なっていません」
「なっていないことに同意します」
また声が重なった。
その後、昼までに各人の死亡認定は無事、取り消された。
だが、学籍を戻す段階で別の問題が出た。
レイルたちの寮部屋は一年間封鎖され、荷物は保管倉庫へ移されている。学院側は捜索継続のため在籍を完全抹消せず、特別留保にしており、その費用を誰かが払い続けていたのだ。
「支払いは金環商会名義です」
事務官が帳簿を開く。
「ご家族の学院近郊滞在費、寮保管費、捜索隊への食料供給、遠距離通信用結晶、海上索敵艇の補修費の一部も、同じ保証人から出ています」
レイルは金額欄を見た。桁が多すぎて、一度では読みきれない。
「保証人は誰ですか?」
「リオン・ゴルディス様です」
呼ばれた本人は、待合席の端で帳簿を読んでいた。
リオンは同年代ながら、学院制服の上へ金糸の入った短外套を羽織り、柔らかな金茶色の髪をきちんと整えている。細身で戦士には見えないが、指には契約印を押すための銀環が幾つもはまっていた。
「呼びましたか、師匠」
「久しぶりんにあったと思ったら、その呼び方をやめろ」
「帰還祝いとして一日だけ許可してもらえるないですかね?」
「許可していない。――で、これを説明してくれ」
レイルは帳簿を持って、別室の小さな相談机へ移った。リオンは向かいへ座り、金額を見られないよう帳簿を閉じる。
「合計を出してくれ。両親の滞在費、捜索隊へ回した装備代、寮の荷物保管費、学院の手続き、それからオムニアの修理準備。俺たちがいない間に、リオンが出した分を全部だ」
「全部を知って、どうするつもりですか」
「すぐには無理でも返す。返せる順番を決めたい」
「返さなくて結構です」
「なぜだ」
「師匠への授業料と思えば、安いものですから」
「誰が師匠だって?」
「レイル、あなたです」
「俺はお前を弟子にしていない」
「まだ正式には認められていませんが、私は以前から弟子入りを希望していますよ」
「希望しただけで授業料を払うなって」
「先に払っておけば、断りづらくなるかと」
「商売のやり方が汚いな......さすが商売人」
リオンは胸へ手を当てた。
「有望な師匠を早期に囲い込む、健全な先行投資です」
「弟子を取る予定はない」
「では、将来気が変わった時の予約金で」
「予約も受けていない」
「大陸越境、異種族交渉、複数言語、帰還ゲート構築、無詠唱、合成魔法。これだけの実地経験を持つ同級生へ弟子入りする機会など、普通は金貨を積んでも得られません」
「だから、俺は授業をしていない」
「王核大陸の話を聞かせてもらうだけでも、十分に勉強になります」
「それは友人同士の会話だろ」
「私にとっては講義です」
「勝手に講義へ変換するな」
レイルが帳簿へ手を伸ばす。
リオンは素早く自分の側へ引き寄せた。
「おい見せろ」
「い、嫌です」
「金額を知らなければ返せないだろうが!」
「知ったら、高危険度の依頼を探すでしょう師匠は」
「探さない」
「本当に?」
「……学院から禁止されている」
「禁止されていなければ探す返答ですねそれ」
レイルは言い返せなかった。
リオンは帳簿を抱えたまま、声から冗談を少しだけ引いた。
「捜索費は、私が勝手に出した金です。レイルから貸してくれと頼まれたわけではありません」
「それでも、俺たちを探すために使った」
「友人が行方不明になったのです。使えるものを使うのは当然でしょう」
「金貨を何枚もか?」
「私は剣士ではありません。転移術師でも、探索魔法の専門家でもない。リィナのように剣を持って探しに行くことも、セレネのように術式を組むこともできません」
リオンは帳簿の表紙を指で軽く叩いた。
「......私が使えるものは、金と商会の人脈でした。それを使っただけです」
「だから返さなくていい、とはならない」
「師匠は頑固ですね」
「お前も頑固だろ、――だから師匠じゃない」
「では、レイル先輩」
「同級生だ」
「レイル先生」
「授業をしていない」
「レイル大先生」
「おいおいおい悪化してるぞ」
リオンは楽しそうに笑った。
けれど、レイルは笑わなかった。
「冗談で流すな。俺は、助けてもらったことをなかったことにしたくない」
「なかったことにはしていません。私は将来、弟子として何倍にもして返してもらう予定です」
「弟子入りを認める前提で話すな」
「なら、別の方法を考えましょう」
リオンは帳簿の下から、表紙に何も書かれていない新しい冊子を取り出した。
「レイルにしか作れない商品があります」
「魔導具なら、今は修理費の方が高くつく」
「それは知っています」
「即答するな」
「王核大陸の記録です」
リオンは白紙の冊子をレイルの前へ置いた。
「学院へ提出する報告書ではありません。普通の人が読める本にしてください」
「本――か?」
「どんな場所で、何を食べ、どんな言葉を覚え、誰に助けられ、どうやって帰ってきたのか。王核大陸を『魔境』の二文字で終わらせない記録です」
「売れるのか」
「書き方次第です」
「売れなかったら?」
「出版にかかる費用は、師匠への授業料として諦めます」
「まだ言うのか」
「では、売れるまで書いてください」
「簡単に言うな」
「一年かけて大陸から帰ってきた人が、本一冊ごときを完成させられないのですか?」
レイルは白紙の最初の頁を見た。
(前世では、存在しない世界を書き始めて、何度も途中で投げ出したんだぞ、俺は)
今度は違う。
実際に歩いた土地がある。助けてくれた人がいる。帰ると約束した場所もある。
「……書けば、返済として受け取るのか」
「利益が出た後で相談しましょう」
「先に決めろ」
「嫌です。金額を知ったら、レイルは必要以上に背負いますから」
「なら、本が売れた分だけでも返す」
「師匠から授業料を返されたら困ります」
「俺は師匠じゃないって」
「その主張を本の後書きへ書きますか?」
「絶対に書くなよ、絶対にだ」
リオンは笑いながら、筆を一本差し出した。
「では、まず一冊完成させてください。返済も弟子入りも、その後に改めて交渉しましょう」
「弟子入りは交渉しない」
「師匠候補がそう言っている、と記録しておきます」
「リオン」
「はい、師匠」
「……本当に返すからな」
レイルは筆を受け取り、まだ題名のない頁へ向き直った。
相談室の外では、フィアとノアがアルドの生活管理表を挟んで向き合っていた。
「朝食後の剣術訓練は、学籍復旧期間中も継続します」
フィアが予定表を指す。
「血液提供候補者へ過負荷をかける計画は承認できません」
「アルドは提供候補者である前に武装戦技科の学生です」
「健康管理上の助言です」
「朝食の席、訓練相手、帰寮時刻まで健康管理へ含めるのですか」
「生活全体は健康へ影響します」
「では、記録官である私にも同じ範囲の確認権限があります」
「なぜ張り合うのですか」
「先に範囲を広げたのは貴方です」
アルドは二人の間で、返却された学生証を見つめていた。
「俺はどちらに従えばいい」
「学院規則です」
「医療上の安全条件です」
答えが同時に出る。
「両方守れる時間割を作るか......」
アルドが結論を出すと、二人は一度黙った。
フィアは予定表の余白へ線を引く。ノアはその線を覗き込み、二分だけ休憩時間を増やした。
レイルが白紙へ書いた最初の言葉は、題名ではなかった。
【王核大陸ゼルハーン】
人間圏の地図で”魔境”と呼ばれていた場所へ、そこに住む者たちの名前を戻す。
これが、返済になるかは分からない。
売れるかどうかも分からない。
それでも、今の自分にできる仕事として、レイルは一行目を書き始めた。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
死亡認定の取消書類より先に支援費の返済を背負い、自分にしか書けない王核大陸の記録へ筆を置いた少年。
・リオン・ゴルディス
捜索へ金と人脈を使い、「師匠への授業料」と笑って返済を拒みながら、大陸記という商品を提案した同級生。
・セレネ・グランツ
レイルが増やした制度改定を五件目へ回し、死亡者を生徒へ戻す手続きを現実的に進めた少女。
・リィナ・アルセイル
寮の仲間が守った食堂の席と未払い食券を一緒に受け取り、帰還後最初の借金へ叫んだ剣士。
・フィア・レコード
アルドの学生生活を学院規則から整理し、ノアの健康管理と静かにぶつかった目録官。
・ノア・エルグラム
未登録同行者ゆえ署名を認められず腹を立て、アルドの生活全体を医療対象へ広げようとした研究者。
・アルド・クロイツ
二人の主張をどちらか一方へ決めず、両方守れる時間割を作るという正面突破を選んだ少年。
【今回の能力・設定メモ】
・帰還者の学籍復旧
推定死亡認定の取消、学籍復旧、寮籍返還、保管品受領は別手続きであり、本人の生存だけでは自動復旧しない。
・大陸記の発端
レイルは支援費を返すため危険な依頼へ出るのではなく、自分の経験と言葉を商品へ変える方法を選び始めた。
【次回】
一年分の空白を埋める前に、一年で何が変わったかを測ります。
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