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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第9章「九十九パーセントの魔法」

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第139話「帰ってきた翌日は休みです」


 無事家に帰ることは、長い旅の終わりです。

 けれど帰った身体が、すぐ日常へ追いつけるとは限りません。

 人間圏へ帰還した翌朝、レイル・アルヴァートは、眠ったまま夢の中で四つの術式を探していた。

 瞼の裏では、まだ王核大陸(おうかくたいりく)の空が白く割れている。第一番は人間圏の帰着座標。第二番は王核側の出発座標。第三番は断航海域(だんこうかいいき)を避ける迂回路。第四番は、全員の通過時刻。


 もう何一つ保持していないはずなのに、眠りが深くなるたび、胸の奥で誰かが「()()()()()()()」と(ささや)いた。


「第四番は、まだ登録しないでくれ――!」


 自分の声で目が覚めた。

 白い天井。薬草と消毒液の匂い。薄い朝日を通す高窓。ここは王立結着学院おうりつけっちゃくがくいん療養棟(りょうようとう)だった。

 起き上がろうとした途端、胸から腹にかけて重い痛みが走る。レイルは息を止め、腕だけで身体を支えた。


「何をしているの、レイル?」


 低い声が横から飛んだ。

 簡素な寝台の隣で、リィナ・アルセイルが椅子から立ち上がっていた。赤みを含む長い茶髪は寝癖のまま片側へ流れ、王核大陸から持ち帰った外套を肩へ引っかけている。剣帯こそ外しているが、木剣は手の届く壁際へ立ててあった。


「報告書を書かないと」

「帰ってきた翌朝に?」

「帰還時の記憶が新しいうちに、座標の揺れと保持順を――」

「昨日、帰ってきたんだよ。しかも最後に倒れたの、レイルだからね?」

「倒れてはいない。膝が抜けただけだ!」

「床に寝たら倒れたって言うの」

「自分で横になった可能性もある」

「じゃあ今から私が床に落として、違いを確認しよっか?」


 リィナは笑っていなかった。

 レイルは寝台へ背を戻した。抵抗する理由より、今のリィナに逆らった場合のリスクが高い。


「分かった。今日は書かないよ」

「今日”は”?」

「少なくとも朝食までは!」

「一日休むって言ってくれない?」

「一日休むと、忘れる情報が増える」

「忘れたくないからって、身体まで王核大陸に置いてこないでよ」


 声の最後だけが揺れた。

 リィナは寝台の縁へ手を置き、視線を落とす。


「昨日、戻ってきた時、ちゃんと触れたのに。朝になって目を開けなかったら、また向こうへ行ったのかと思った」


 レイルは言葉を探した。安全だと説明するには、眠りの中で四件保持の幻覚を見たことを話さなければならない。話せば、余計に心配させる。

 黙っている間に、リィナの眉が寄る。


「また考えてるー」

「何を言えば不安を増やさないか考えていた」

「そういう時は、先に『ここにいる』って言って」

「……ここにいる」

「遅い」

「ごめん」

「謝るのは早かったね」


 リィナの指先が、寝台の上に置かれたレイルの手へ触れた。握るというより、熱があることを確かめる触れ方だった。

 高窓の下では、黒銀色の猫型ニアが丸くなっている。輪のような尾が一度だけ揺れた。


『朝から重めの幼なじみイベントですね。ニアちゃん、空気読んで猫型継続中でーす』

「起きていたのか」

『疑似人格に睡眠は必須じゃありません。あと猫じゃなくて、省魔力操作補助形態です』

「声を抑えてくれる?」

『リィナ、目が本気なので了解です』


 扉が二度叩かれ、返事を待たずに開いた。


「おいバカ弟子。目が覚めたからって、さっそく仕事を始めたようなツラするんじゃないよ」


 エルシア・ヴァントが入ってきた。長い金髪を一つに束ね、学院の研究外套の下へ旅装のままの革ズボンを穿いている。王核大陸へ届かなかった転移実験の後始末を続けたせいか、目の下には薄い影が残っていた。

 その後ろに、レイルの両親がいる。

 母エナは淡い栗色の髪を急いで結んだらしく、後れ毛が頬へ落ちていた。父バルドは大きな手に湯気の立つ木杯を二つ持ち、扉を通る時に肩をぶつけた。


「目が覚めたか」

「父さん。母さん」


 エナは何も言わず、寝台の横へ座った。昨日は抱きしめられて泣いただけで終わった。今朝になってようやく、互いの顔を落ち着いて見られる。

 レイルの髪は一年で少し伸び、頬は旅立つ前より細くなっている。腕には古い裂傷と、白環施設で受けた薄い火傷跡が残っていた。エナの指が一つずつそれらの傷へ触れ、途中で止まる。


「全部、説明しなくていいわ」

「でも、何があったかは――」

「聞く。何日かかっても聞くから、今日一日で終わらせようとしないでいいのよ」


 父が木杯を差し出す。


「母さんが昨日から煮たものだ。飲めるか」

「飲める」

「なら飲め。働くのは、その後だぞ」

「父さんまで一日休めって言うのか」

「働く身体を直すのも仕事のうちだ。木材でも、ひびが入ったまま釘を打てば割れる」

「俺は木材じゃない」

「木材の方が言うことを聞いてくれるな、確かに」


 リィナが小さく吹き出した。エナも口元を緩める。

 レイルは温かい薬草湯を飲んだ。王核大陸の灰麦茶より苦く、懐かしい味がした。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 その頃、同じ療養棟の別室では、ノア・エルグラムがアルド・クロイツの手を握ったまま眠っていた。

 淡い金髪は枕の上へ乱れ、赤縁眼鏡は小卓へ置かれている。【血脈励起(ブラッド・ドライブ)】の反動で白くなった頬には、まだ薄い赤黒い血紋が残っていた。


対するアルドは、銀髪を整える余裕もなく寝台脇の椅子へ座り、背筋だけは護衛中のように真っすぐだった。


 フィア・レコードは、二人から半歩離れた場所で記録札を開いていた。灰銀色の髪を耳の後ろへきちんと流し、帰還時刻、脈拍、魔力残量、血脈励起の継続時間を順番に記していく。


 最後の欄で、筆が止まった。

【接触継続:七時間十三分】


 医療上、ノアの震えと悪夢は減っている。アルドが離れれば起きる可能性がある。だから、この手を離す理由はない。


 それでも胸の奥では、別の条件が数字へならずに残った。


(私は、離してほしいと思っています)


 認めた瞬間、息が僅かに浅くなる。

 フィアはその感情を削除しなかった。記録札にも書かなかった。ただ、存在するものとして自分の中へ置いた。

 ノアの睫毛(まつげ)が動く。


「……アルド」

「起きたか」

「手が痺れています」

「離すか?」

「貴方の手ではなく、私の腕が痺れています。姿勢を変えてください」

「了解した」


 アルドは握った手を離さず、椅子の位置だけを直した。

 ノアがようやくフィアへ気づく。


「いつからいましたか」

「一時間四十二分前からです」

「!!なぜ起こさなかったのです」

「睡眠継続を優先しました。血脈励起(オリジン・ドライブ)後の回復率は、過去二回より良好そうです」

「そうではなく……いえ、質問を変更します。何か言いたいことがありますか?」


 フィアはすぐには答えなかった。


「あります。ただし、今ここで言う内容ではありません」

「帰還後に話す約束の件ですか」

「はい」


 ノアはアルドの手を見た後、ゆっくり指を離した。

 フィアは、その動作に安堵してしまった自分も否定しなかった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 午前の診察が終わる頃、学院側からノアの扱いについて仮決定が届いた。

 百三十年以上生きた研究者を三年次生として編入させることはできない。

 かといって、王核大陸から帰還した重要参考人を学院外へ放置することもできない。

 

 今回の決定は三つであった。

【|学院客員共同研究員《がくいんきゃくいんきょうどうけんきゅういん》】

特別聴講生とくべつちょうこうせい

医療監督付居住者いりょうかんとくつききょじゅうしゃ

 書面を読んだノアは、眉間へ深い皺を寄せた。


「最後だけ、なんだか囚人の分類に見えませんか? ちょっと、イイですけど......」

「血液管理と白環干渉の監督が必要です」


 フィアが答える。


「貴方が監督するのですか」

「記録補助として参加します」

「では受理します」

「私が担当なら即決なのですか」

「見知らぬ医療官へ私の吸血周期を預けるより合理的です。勘違いしないでください」

「何を勘違いするのか、条件が不足しています」


 アルドが二人を見た。


「なんだか二人、仲が良くなったのか?」

「なっていません!」


 二人の声が重なった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 昼前、レイルはようやく眠気に負けた。

 リィナは椅子へ座ったまま、手を離さない。エナは薄い毛布を掛け、バルドは窓の立て付けを直していた。

 猫型ニアがレイルの枕元へ移動する。


『未完対象、現在ゼロ。呼吸安定。睡眠、推奨ですにゃ』

「何か起きたら起こして」


 リィナが小声で頼む。


『了解。でもリィナも寝た方がよくないです?』

「レイルが寝たら寝る」

『それ、昨日も言ってました』

「今日は本当に寝る」


 レイルは薄れていく意識の中で、握られた指の温かさを感じた。

 四つの完成圧力は戻ってこなかった。

 代わりに、人間圏ならではの朝の音がした。


 窓を直す父の金槌。母が薬草湯を注ぐ音。リィナの小さな欠伸。触れられない猫型ニアの尾が、枕へ光の輪を描く音。

 今度こそ、レイルは何も保持せずに眠った。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 帰還翌朝から報告書を書こうとして家族と幼なじみに止められ、何も保持しない睡眠をようやく受け入れた少年。


・リィナ・アルセイル

 再びレイルを失う夢を隠し切れず、理屈より先に「ここにいる」と言わせて手を握った幼なじみ。


・エルシア・ヴァント

 帰還した弟子の仕事顔を一目で見抜き、療養も授業だと叱った師匠。


・エナ、バルド

 一年分の説明を一日で求めず、薬草湯と壊れた窓を直す日常で息子を迎えた両親。


・ノア・エルグラム

 血脈励起の反動から目覚めてもアルドの手をすぐには離せず、学院での新しい身分を受け入れた研究者。


・アルド・クロイツ

 七時間以上手を握ったまま護衛を続け、姿勢だけを変えるという不器用な配慮を見せた少年。


・フィア・レコード

 二人の接触を止めず、自分の嫉妬も削除せず、後で話すべき感情として保持した目録官。


・ニア

 猫型のまま空気を読み、レイルが未完を抱えず眠るまで呼吸を監視した疑似人格。


【今回の能力・設定メモ】


・四件保持後遺症

 レイルは帰還後、保持対象が存在しないにもかかわらず、眠りへ入る際に四件目の完成圧力を探す幻覚と覚醒反応が残っている。


・ノアの学院内資格

 客員共同研究員、特別聴講生、医療監督付居住者の三資格を暫定付与され、正式な所属は学院評議後に確定する。


【次回】


 生きて帰っても、書類の上ではまだ死亡者です。


 ひびの入った身体も、立て付けの悪い窓も、直す時間を飛ばしては先へ進めません。レビュー、ブックマーク、フォローで、帰還翌日の静かな修理を見守っていただければ幸いです。

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