第137話「七つの『帰る』でゲートを編む」
同じ「帰る」という言葉でも、戻る場所も、残すものも、人によって違います。
違う意味を消さずにつなぐことが、契約になる場合もあります。
王核大陸へ転移して、三百六十三日目。
帰還ゲートを完成させるために必要だったのは、全員が同じ意味で「帰る」と言うことではなかった。
レイルにとっては、両親と師匠が待つ人間圏へ戻ること。
リィナにとっては、自分の足で帰り、また王核大陸へ来られる道を残すこと。
セレネにとっては、ここで得た術式文法を削らず、研究の続きを持ち帰ること。
フィアにとっては、全員の意思と安全条件が揃わない限り、帰還を完了と記録しないこと。
アルドにとっては、始めた帰還を最後の一人まで運び切ること。
ノアにとっては、母との関係も、王核大陸で得た研究も、未成立のまま持ち帰ること。
ニアにとっては、所有物ではなく一人分の帰還者として受け止められること。
その違いを一つたりとして潰さず、七つの条項として編み込む。
正式名称は――。
【開環帰還契約】である。
灰橋宿の地図塔には、王核側の全員が集まっていた。
床一面へ灰色の開環術式が描かれ、その中心に五枚の分散座標とオムニアが置かれている。
セレネは術式図の端へ膝をつき、淡金髪を肩から前へ流していた。青紫色の瞳は疲労で赤くなっているが、三本の筆を交互に使い、異なる言語の契約句を書き込んでいく。
「第一条。帰る者が、自分で帰還を選ぶ」
フィアが読み上げる。
「第二条。残る者の意思を、置き去りとして扱わない」
ミュラが小さく頷いた。
「第三条。途中中止と再試行を認める」
レイルが追加する。
「第四条。王核大陸で得た記憶、契約、技能を削除しない」
リィナが剣帯へ触れる。
「第五条。全員の通過時刻を揃える」
アルドが言う。
「第六条。帰還後も王核大陸の座標を消去しない」
ノアが続ける。
「第七条。再訪時には、現地側の同意を改めて得る」
ラガンが最後を言った。
「観光気分で勝手に来られても困る」
「客として来いって言ったのはラガンだよ」
ミュラが頬を膨らませる。
「客なら宿代を払う」
「友達料金は?」
「倍だな」
『それ、友達に厳しすぎません?』
「帰る場所が二つある者は、稼ぐ理由も二つあるだろう」
レイルは苦笑した。
「次は仕事でも持って来るよ」
「遭難じゃなくな」
「最初から遭難したかったわけじゃないんだが」
「結果の話だ」
ミュラが地図を抱えてレイルの前へ来る。
小角の先には、環越祭で買った赤い紐が結ばれている。
「レイル、地図、置く?」
「一冊は持って帰る。こっちはミュラに頼む」
レイルは、自分が書き続けた王核大陸の地図を二冊に分けていた。
一冊は人間圏へ。もう一冊はミュラへ。
「次に来るまで、続きを頼む」
「次、いつ?」
「分からない」
「何日?」
「計算できない」
「レイル、計算できない顔、珍しい」
「だから約束だけする。また来るってな」
「次も迷う?」
「迷わないように来るよ」
「それ、アルドみたい」
「比較対象が悪すぎだ」
背後でアルドが振り返る。
「俺は迷わない」
「昨日、鍋炉の倉庫へ行く途中で屋上に出たろ?お前」
「階段が続いていた」
「上へ行く階段だったよ?!」
ミュラは泣きながら笑った。
地図の余白へ、現地語で書く。
【次に会う道】
ノエラはノアへ、二本目の血の小瓶を差し出した。
前回と同じ封管。
だが、今度はノアが手を伸ばすまで待つ時間が短かった。
「必要なら使え」
「今回は受け取ります」
「......やはり、母とは呼ばぬか」
「まだ呼びません」
ノアは小瓶を術式筒へ収めた。
「ですが、貴方は帰還ゲートが閉じるまで、そこにいてください」
「その後は?」
「次に会った時、続きを審査します」
「審査、か。ならば、次を待とう」
「長命種の待つは、期間が長すぎます。時々は連絡してください」
「それは、会いたいという意味かえ?」
「研究進捗の確認です」
「うむ。今はそういうことにしておこう」
「余計な解釈を加えないでください」
ノエラは微笑んだが、娘へ触れなかった。
ノアも、自分から抱きつくことはしない。
ただ、次の約束を言葉にした。
それで十分だった。
アルドは帰還用の荷を運んでいるところに、フィアが札を見ながら近づいた。
「人間圏へ帰還後も、移動時の道案内は私が担当します」
「頼む」
「契約期間は、帰還地点から学院の安全区画へ到着するまでです」
「少し、短いな」
「延長は、その時に判断します」
「では、その時に頼む」
フィアの筆が止まる。
「即答するのですね」
「必要だからだ」
「私が必要ですか」
「フィアの指示なら道を失わないのだ」
以前と同じ言葉。
だが今は、フィアの胸へ違う重さで入る。
ノアが二人の会話へ割り込んだ。
「その契約には退出条件を入れてください」
「貴方には関係ありません」
「共同研究者の移動安全に関係します」
「アルドのことですか。共同研究のことですか」
「……両方です」
ノアは言い切った後、自分で驚いた。
フィアも、目を僅かに見開く。
アルドが真面目に考える。
「二人とも案内すれば迷わない」
「「そういう話ではありません」」
ノアとフィアの声が重なった。
少女型ニアが横で指を鳴らす。
『息ぴったり。相性評価、白環に見せたらまた勝手に数値化されそう』
「数値化は不要です」
「同意します」
フィアとノアが再び同時に答える。
少し静かになった。
ノアは母娘対話の夜を思い出し、アルドの手へ視線を落とす。
フィアはその視線へ気づいた。
今度は目を逸らさない。
「帰還後、改めて話しましょう」
「何についてですか」
「まだ言葉へできない感情についてです」
「……私にも該当する話かもしれません」
「おそらく」
アルドが二人を見る。
「俺も必要か」
「最終的には」
フィアが答える。
「ただし、最初はノアと二人で整理します」
「なぜだ?」
「貴方がいると、話の意味を一つずつ質問して進みません」
「質問は必要だろう」
「今それを証明しました」
ノアが眼鏡を押し上げる。
「アルド。貴方は今、荷物を運んでください」
「分かった」
「素直に行くのですね」
「命令が明確だからだ」
アルドは本当に去った。
ノアとフィアは顔を見合わせ、同時に小さく息を吐いた。
『お二人とも、恋愛より先にアルド取扱説明書の共同執筆から始めた方がよさそうですね』
「ニア」
『はーい、媒体見まーす』
人間圏側でも、別の契約が組み上げられていた。
名称は【多点帰着式】。
王立結着学院の中央演習場へ、七本の受信杭が円ではなく開いた環として配置される。
エルシアが条件を読み上げる。
「第一。一人ずつ固定しない」
ロッテが続ける。
「第二。全反応が揃うまで転移を完了しない」
学院長。
「第三。未登録同行者を、登録外という理由だけで排除しない」
ユノ。
「第四。疑似人格を所有物として分類しない」
カインが石板を掲げる。
【第五。王核側契約を切断しない】
エルシアが頷く。
「第六。時刻差を補正する」
ロッテが最後を言う。
「第七。王核側が中止した場合、こちらも即座に接続を切る」
受信側の役割も決まる。
エルシアは全体指揮。
ロッテはオムニアとニアの独立波形を受信。
ユノはゲート外縁へ発生する魔力嵐だけを斬って逃がす。
カインは七反応の同時到着を石板へ記録。
学院教官と魔導技師は魔力炉と結界を維持。
A級、S級捜索隊は暴走時の避難、封鎖、外周防御。
家族たちは血縁アンカー。
学院の仲間は、各人の所持品や過去の魔力残滓を受信杭へ接続する。
エナは、レイルが幼い頃に使った焦げた練習布を杭へ結ぶ。
バルドは、息子が初めて依頼へ持っていった古い革袋を置く。
リィナの家族は木剣。
セレネの関係者は、彼女が書いた最初の術式ノート。
アルドとフィアの学院記録も集められる。
だが、学院側が知らないノアには魔力残滓がなかった。
「第六杭は何を基準にしますか」
技師が問う。
エルシアは観測記録を見る。
「王核側から届いた血統波形そのものを基準にする。過去の物がないなら、今の本人を初回記録にすればいい」
「疑似人格の第七杭は?」
「オムニア本体ではなく、ニアが付け足したものを人格識別に使います」
ロッテが答える。
「道具の規格信号ではなく、本人が増やした癖を受信します」
両大陸は、別の言語で同じ条件を作っていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その夜、王核大陸側では誰もよく眠れなかった。
リィナは剣の手入れを繰り返す。
セレネは術式を三度書き直す。
フィアは時刻表を見直し、ノアは九十九式の失敗条件を増やす。
アルドは荷を全部運び終えた後、行く場所がなくなって同じ廊下を三周した。
そこをニアに見つかった。
『アルド、さっきもここ通りましたよ』
「見回りだ」
『三回とも同じ方向に曲がってます』
「異常がないことを確認した」
『”迷った”って言った方が早くないです?』
「始めた見回りは終えた」
『そういう完遂、今は要らないでーす』
レイルは地図塔の屋上へ出た。
白環中枢の上空に、アルケインの完全な白い円がある。
その周囲には、アポリアの欠けた無数の円。
どちらも、最後まで自分たちの答えを待っていた。リィナが隣へ来る。
「眠れない?」
「寝た方がいい」
「レイルに聞いてる」
「眠れない」
「私も」
二人で夜空を見る。
「怖い?」
リィナが尋ねる。
「失敗するのは怖い」
「帰るのは?」
「それも怖い。帰ったら、王核大陸での生活が終わる気がする」
「終わらないよ」
「根拠は?」
「また来るって決めたから」
「計画がない」
「帰ってから作ればいい」
「それは準備不足だ」
「今は、帰る準備で手いっぱいでしょ」
リィナがレイルの手を取った。
「安全確認?」
「違う。私が握りたいから」
レイルの顔が赤くなる。
「脈が速いよ」
「緊張している」
「ゲートの?」
「……複数要因」
「そこは私って言ってよ」
「リィナも要因に入っている」
「そういうところ!」
怒りながらも、リィナは手を離さなかった。
レイルも、今回は理由を増やさず握り返す。
残り二日。
七つの「帰る」は、まだ完成していない。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
帰還者、残る者、再訪する者の意思を七条項へ分け、リィナの手を理由なしに握り返した少年。
・リィナ・アルセイル
また来るという約束を帰還後の計画より先に置き、眠れないレイルへ自分から手を伸ばした剣士。
・セレネ・グランツ
七つの異なる帰還意思を一つへ潰さず、複数言語の契約句として術式へ編んだ少女。
・フィア・レコード
帰還後の道案内契約をアルドへ提示し、ノアと未整理の感情について話す約束を交わした目録官。
・アルド・クロイツ
フィアとの契約延長を即座に求め、恋愛会議からは明確な命令によって荷運びへ戻された少年。
・ノア・エルグラム
母との次の審査を約束し、アルドと共同研究の両方が気になるとフィアの前で認めた九十九魔導士。
・ニア
ノアとフィアへアルド取扱説明書の共同執筆を勧め、アルドの三周迷子も見逃さなかった少女型ナビゲータ。
・ミュラ
レイルから地図の続きを託され、余白へ【次に会う道】と書いた王核大陸の案内人。
・ラガン、ノエラ、ガズル
王核側に残り、退路、血統経路、魔力炉をそれぞれ支える役目を引き受けた現地組。
・エルシア、ロッテ、ユノ、カイン
人間圏側で七条件の【多点帰着式】を組み、今の帰還者を一人ずつではなく全員同時に受け止める準備を整えた支援組。
【今回の能力・設定メモ】
・開環帰還契約
本人同意、残る者の尊重、途中中止、記憶技能保持、同時通過、座標保持、再訪時再同意の七条項を持つ王核側契約。
・多点帰着式
七つの独立反応を一人へ集めず、人間圏側で同時受信するための複核式帰還設備。
【次回】
転移から三百六十五日目。海の両側から同じ帰還ゲートを支える最終戦が始まります。
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