第135話「正しい帰還ゲート」
間違いのない道が、必ずしも自分の道とは限りません。
失敗も傷も消してしまえば、帰る人まで別人になることがあります。
王核大陸へ転移して、十一か月と二十日。
アルケインが提示した正規帰還ゲートは、レイルたちが一年近く探したどの設備より静かで、正確で、美しかった。
白い円の向こうには、現在の王立結着学院がある。
石床の傷。 増設された受信杭。
待つ家族の影。
手を伸ばせば届きそうなほど近い。
「条件を説明しろ」
レイルは円へ近づかず、アルケインを見る。
「使用者は一人ずつ通過します」
「全員同時ではない?」
「同時通過は座標干渉を生みます。一人ずつが最も安全です」
「王核大陸で結んだ契約はどうなる」
「切断されます」
リィナの眉が動く。
「切断って、ミュラたちとの仕事札も?」
「帰還に不要な現地契約は除去されます」
「不要って誰が決めるの」
「白環の標準帰着規則です」
アルケインの声には悪意がない。
だからこそ、寒かった。
アルケインは一人ずつ、帰還時に行われる処理を示す。
リィナ。
【王核剣理:除去】
【脚部噴射戦技:出発時状態へ矯正】
【現地師弟契約:切断】
「せっかく止まれるようになった足を、前の私へ戻すわけ?」
「負傷と異常経路を除去し、転移前の健全な状態へ復元するのです」
「今の私は異常じゃない!」
リィナは剣帯へ手を置く。
「転んで、休んで、戻れるようになった。全部私の足」
セレネ。
【分岐術式設計:標準単路へ復元】
【王核諸語由来文法:削除】
【現地共同研究契約:切断】
「不完全な三案を残せるようになったのに、一つの正解へ戻るつもりはありません」
「単路術式の方が再現性は高いのです」
「再現性のために現場判断を失うなら、それは改善ではありません」
フィア。
【未確認判断:削除】
【記録待機状態へ復元】
【感情項目:標準外として整理】
フィアの指が記録札を強く押さえる。
「空欄を残す判断も、記録できない感情も、現在の私です。標準外という理由で消すことは受理しません」
アルド。
【命令中断経験:削除】
【単独完遂律:復元】
【現地関係適合:解除】
「間違った命令を止めたことを、間違いへ戻す気はない」
「完遂能力は高い状態へ復元されます」
「誤りを最後まで続けることは完遂ではない」
ノア。
【未登録転移個体:原位置へ返還】
【母系血統接続:切断】
【現地母娘関係:標準処理】
「標準処理とは何ですか」
「血縁関係へ基づき、母子役割を復元します」
「却下します」
ノアの声が低くなる。
「ノエラとの関係が未成立であることも、私が決めた現在です。勝手に母親へ完成させないでください。血統を切ることも、母娘へ戻すことも、どちらも貴方の権限ではありません」
ニア。
【疑似人格成長:初期化】
【少女型・犬型記録:削除】
【標準猫型へ固定】
【私的発話:除去】
少女型ニアの環状の尾が逆立つ。
『それ、帰還じゃなくて巻き戻しじゃーん。ニアちゃんの成長を“不要データ”扱いとか、普通にマジでナシです。猫型だって好きですけど、猫しか選べないのは別問題です』
最後に、レイル。
【未完保持数:転移前へ復元】
【王核諸語魔法:削除】
【裂息歩法:除去】
【現地契約:切断】
【欠環魂偏差:再処理】
「再処理だと?」
レイルが問う。
アルケインは初めて、彼を今の名ではなく呼んだ。
「間宮玲司」
世界が止まったように感じた。
レイルが今の誰にも話していない、前世の名。
自室で未完の原稿を積み上げ、何も終えられなかった男の名前。
リィナがレイルを見る。
「今、何て呼んだの」
「……俺の、前の名前だ」
「前世のってこと?」
「ああ」
アルケインから目を離せない。
「お前、どうして知ってる」
「あなたがこの世界へ到達する以前から、記録されていたためです」
「誰が記録した」
「今は答えられません」
「俺をこの世界へ送ったのは、お前か」
「それは、正確ではありません」
「何が正確じゃないんだ」
アルケインの白い瞳へ、初めて僅かな揺らぎが生じる。
「あなたは送られたのではなく、処理から外れた存在なのです」
【欠環魂】。
神々の魂処理からこぼれた存在。
だが、それ以上は語らない。
「条件を受け入れれば、全員が安全に帰還できます」
「一年分を切り落として、か?」
「帰還に必要な人格と記憶は保持されます」
「必要かどうかを誰が決める」
「完成した帰着規則です」
レイルは白い円の向こうを見る。
母と父の姿、そして父の言葉を思い出す。
”帰ると言った全員を連れてこい”。
「一年分を切り落として帰るなら、帰るのは俺たちじゃない」
リィナが隣へ立つ。
「私も行かない」
セレネが反対側へ立つ。
「私もです」
フィア、アルド、ノア、ニアが続く。
アルケインは責めなかった。
「それでも、最も苦痛の少ない答えです」
「苦痛が少なければ、勝手に選んでいいわけじゃない」
レイルは白い円へ手を伸ばす。
通るためではない。
円の完成圧力を【未完】にして、崩すためでもない。
自分の意思で、接続を拒否する。
「正規帰還ゲートは使用しない」
白い円が閉じた。
同じ瞬間、人間圏側にも強い白環式信号が届いていた。
「帰還経路、出ました!」
学院技師が叫ぶ。
「一人ずつなら、今すぐ引けます」
「待ってください」
ロッテが受信情報を拡大する。
「王核大陸で増えた魔力経路が送られていません。リィナさんの脚部噴射、セレネさんの分岐術式、未知同行者の血統接続、疑似人格の独立波形……全て受信対象から外れています」
「命が戻るなら十分では?」
学院上層部の一人が言う。
「十分ではない」
エルシアが断言した。
「帰ってくるのは、一年前の教え子の複製じゃない。”今、向こうで生きている本人たち”だ」
「しかし、この機会を逃せば次は――」
「だからって、向こうで得た一年をこちらの都合で捨てちまうっていうのかい?」
ユノが白環信号の外周へ剣を差し込む。
「楽な道だから正しいとは限らないしねーだるっ」
「切れば接続を失うぞ!」
「本人たちが選んでいない道を、こちらから固定する方が危険だっつーの」
カインが石板を掲げる。
【現在情報、不足】
【受理せず】
ロッテが白環信号を受信陣から切り離す。
正規帰還ゲートは、人間圏側からも拒否された。
王核大陸では、アルケインが消える直前に警告を残す。
「唯一を拒んだ者は、無数へ呑まれやすい」
白い円の背後へ、数え切れない光景が開き始めた。
「未定神が全てを開きます」
アルケインの姿が消える。
レイルの前に、一つではなく無数の帰還先が現れた。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
前世名をアルケインに呼ばれながらも、王核大陸で得た一年を削る正規帰還ゲートを拒否した少年。
・リィナ・アルセイル
止まれるようになった足も、ヴァルカとの師弟関係も現在の自分だと主張した剣士。
・セレネ・グランツ
一つの正解へ戻るより、不完全な三案を現場で選べる現在を残した術式設計者。
・フィア・レコード
記録不能な感情を標準外として消す処理を拒み、空欄も自分の現在だと認めた目録官。
・アルド・クロイツ
誤った命令を止めた経験を削らず、完遂の意味を白環へ返した少年。
・ノア・エルグラム
ノエラとの関係を切断することも強制完成させることも、双方とも拒否した九十九魔導士。
・ニア
猫型を好きであることと、猫型だけへ固定されることは別だと白環初期化へ反発した疑似人格。
・エルシア、ロッテ、ユノ、カイン
人間圏側でも一年前の状態しか受け取らない白環経路を見抜き、今の本人たちを待つため接続を拒否した支援組。
・アルケイン
最も安全で苦痛の少ない帰還と引き換えに、王核大陸で得た変化を標準状態へ戻そうとした白い案内人。
【今回の能力・設定メモ】
・正規帰還ゲート
白環の標準規則に従い、一人ずつ安全に帰還させる代わりに、現地で得た契約、技能、人格変化を帰還不要情報として切り落とす。
・欠環魂
神々の魂処理から外れた魂を示す語。レイルの前世と転生に関わるが、詳細は未判明。
【次回】
アポリアは、誰も失わずに済むように見える無数の帰還先を開きます。
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