第131話「四か月分の一歩」
強くなる時間は、勝った回数だけでは測れません。
止まった日、休んだ日、追わずに戻った日も、次の一歩を作っています。
王核大陸へ転移して、九か月半。
リィナ・アルセイルが灰橋宿を離れてから、四か月が過ぎていた。
朝焼けの下、赤栗色の髪が風へ流れる。
リィナは荒れた街道の中央へ立ち、靴底を地面へ押しつけた。何度も焼けて張り替えた革の下には、足裏の【生体導出端】を守る薄い金属板が入っている。膝には補強布。右肩には、停止線を越えて転んだ日にできた古い擦り傷。
けれど、四か月前より傷は減っていた。
速くなったからではない。
止まる場所を、自分で選べるようになったからだ。
対面にはヴァルカ・ゼイン。
褐色の肌と四本の腕を持つ女剣豪は、上腕の二本に長剣、下腕の二本に短剣を構えている。灰色の髪は高い位置で束ねられ、琥珀色の目には、弟子を褒めてやる気配が一つもなかった。
「さあ最後の確認だ」
「確認だけ?」
「勝てれば合格だ」
「それ、確認じゃなくて試験でしょ」
「言葉が違っても、斬る相手は同じだ」
「そういうところ、ラガンに似てるね」
「虎と私を一緒にするな」
「ラガンも、四本腕の人と一緒にするなって言いそう」
ヴァルカの四本の剣が同時に上がる。
「喋る余裕があるなら――来いッ!」
「言われなくても!!」
リィナは短く息を吸った。
一息目を腹へ。
二息目を腰へ。
三息目を足裏へ落とす。
【裂息駆動】から派生した【噴歩・瞬駆】。
地面が弾けた。
赤栗色の軌跡が、三歩分の間合いを一歩で消す。
第一撃。
ヴァルカの右上腕が長剣で受ける。剣圧が外へ流された。
四か月前なら、そのまま横へ抜けていた。
リィナは力へ逆らわない。腰へ落とし、力を自然に左脚へ流す。
足裏の導出端から、受け流された方向へ短く噴く。
【噴歩・返脚】。
身体が半円を描いて戻る。
続いて二撃目がヴァルカの首へ走った。
その剣戟は、左上腕の長剣が防ぐ。
下腕二本の短剣が、リィナの停止位置と退路を同時に塞ぐ。
リィナは前へ逃げなかった。
右足の噴射を逆向きへ切り替える。
【噴歩・逆制】。
刃の半歩手前で止まり、身体を沈める。
「止まったな」
「止まるだけじゃ終わらないよっ!」
地面へ流した剣圧を、もう一度踏み込みへ返す。
第三撃。
ヴァルカの四本目が、喉元の直前で受けた。
衝撃が街道へ円形に広がる。
リィナの剣先は、ヴァルカの首から指二本分の位置。
ヴァルカの短剣は、リィナの脇腹へ触れていた。
「相打ちだ」
「違う。私の方が先に喉へ届いてる!」
「二本指分、届いていない」
「そっちだって斬ってないでしょ」
「止めただけだ」
「私も止めた!」
「なら、勝敗は次へ持ち越しだ」
「またそれなの?」
リィナは悔しそうに剣を下ろした。
息は上がっている。
それでも、立っている。
倒れていない。
ヴァルカは四本の剣を収めた。
「今のお前は、”一人で帰れる”ようになった」
「まだ、勝ってない」
「帰ることと、勝つことは同じではない」
「次は勝つ!」
「その次があるなら、今日は十分だ」
リィナは足元を見る。
最初の一か月は、停止線の前で転ぶことしかできなかった。
二か月目、崖から落ちた子供を救った後、左足を痛めた。
翌朝、訓練へ出ようとして、自分から休んだ。
三か月目、四本の剣に倒されながら、受けた力を足裏へ流した。
四か月目、倒せる敵を追わず、負傷者と一緒に帰った。
(レイルがいなくても止まれた。助けてもらわなくても戻れた。だから今度は、レイルの隣へ戻っても、前と同じ私じゃない!)
ヴァルカが古い剣帯を投げる。
四腕族用の幅広い革帯を、人間の腰へ巻けるよう半分に切ったものだった。
「何これ」
「ディルガは前回の戦いを記録している。同じ技では届かん。腰の魔力を散らす癖を、それで直せ」
「くれるの?」
「貸してやるだけだ」
「いつ返すの」
「次に勝った時だ」
「じゃあ、ずっと借りるかも」
「負けるつもりなら置いていけ」
「返す。絶対に」
道札へ白い文字が浮かんだ。
【剣士個体:分離矯正完了】
【中心対象への依存:低下】
【帰還経路:独立】
リィナは顔をしかめ、剣先で道札の表面を削る。
白い文字の上へ、自分の字を刻んだ。
【これは私が決めたこと】
【帰る場所も私が選ぶ】
今度は、欠けた文字が暗がりへ滲む。
【完成するまで戻らなくてもよい】
【強くなり続ければ、別れを先延ばしにできる】
「完成してから戻るんじゃない」
リィナは剣を鞘へ納めた。
「戻ってから、また強くなる。待ってる人を、修行の言い訳にしない」
欠けた文字が消える。
隊商の小角族たちが、荷車の横で見送っていた。
四か月の間、リィナは護衛、荷運び、火起こし、食料の買い出しまで手伝った。食費だけは、稼ぎより多かった。
老商人が大きな包みを渡す。
「道中の食料だ」
「こんなに?」
「お前の一食分だ」
「三日は持つよ!」
「嘘をつけ。昨日、同じ量を夕方までに食った」
「昨日は訓練がきつかったから」
「今日も帰り道で走るんだろう」
「やっぱ……追加ある?」
老商人は呆れながら、もう一袋出した。
ヴァルカが眉を寄せる。
「剣帯より食料を嬉しそうに受け取るな」
「どっちも嬉しいよ。剣帯は腰、食料はお腹に必要だから」
「比較するもんじゃない、まったく」
リィナは笑った。
出発前、ヴァルカが最後に尋ねる。
「戻る方角は分かるか」
「毎日書いてた」
レイルから渡された地図を開く。
四か月分の線が重なっている。
遠回りした道。
戻った道。
怪我で休んだ宿。
誰かを救った場所。
その全てが、灰橋宿へつながっていた。
「最短ではないな」
「うん。でも、私が通った道だから」
「なら行け!」
リィナは駆け出した。
加速する前に、帰るための息を残す。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
その頃、人間圏では、七本の受信杭が学院の中央演習場へ立てられていた。
一本目はレイル。
二本目はリィナ。
三本目はセレネ。
四本目はアルド。
五本目はフィア。
六本目は未知の同行者。
七本目は疑似人格。
だが、レイルの魔力を中心へ据えると、他の反応が僅かに外れる。
「中心を一人に決めるから外れるんじゃないのコレ?」
ユノが言った。
学院技師たちが振り返る。
「座標核は必要だ。誰か一人を基準にしなければ、転移先が定まらない」
「なら、全員を中心にすればいいじゃん、はぁ......」
「矛盾している」
カインが石板へ七つの円を描いた。
円を一本の線で結ぶのではなく、互いを支える網状につなぐ。
【一人へ集めない】
エルシアは石板を見つめた。
「単核帰着式を捨てる。複核受信杭へ組み直す」
「理論検証に数か月かかります」
技師が青ざめる。
「数か月もかけていられない」
「だから無理だと――」
「完成形を作るんじゃない。向こうのゲートと接続できる一回分を作ればいいんだ」
ロッテが工具を持ち上げる。
「一回使って壊れるなら、壊れた後に直します。今は一回を通しましょう」
学院教官、魔導技師、A級冒険者、S級捜索班が動き始める。
リィナの家族は、彼女が学院へ残していた古い木剣を受信杭へ預けた。
柄には、幼い頃の手汗と魔力残滓が染み込んでいる。
「これで、今のあの子が分かるのですか」
「過去の残滓だけでは足りません」
ロッテが答える。
「でも、帰る場所を思い出す目印にはなります」
――そんなことも知らず、王核大陸の街道を、リィナは走る。
木剣の残滓へ応えるように、第二受信杭が一度だけ赤く光った。
【今回の登場人物】
・リィナ・アルセイル
四か月分の失敗、休養、救助、撤退を一つの一歩へまとめ、自力で灰橋宿へ戻る資格を得た剣士。
・ヴァルカ・ゼイン
勝敗を持ち越しながら、リィナへ剣帯と次の再戦を預けた四腕族の剣豪。
・ユノ
一人を中心へ固定する受信方式へ疑問を投げ、全員を中心にする複核式を提案した勇者候補。
・カイン・ヴェルド
七つの円を網状につなぎ、【一人へ集めない】帰還方式を石板で示した少年。
・エルシア・ヴァント
完成形ではなく一回分の帰還を通すため、受信設備の全面改修を決めた師匠。
・ロッテ・ベルクマン
一回使って壊れる装置でも、帰還後に直せばよいと技師たちを動かした魔導技師。
【今回の能力・設定メモ】
・噴歩・返脚
敵に受け流された力を腰から足裏へ落とし、次の踏み込みへ変換するリィナの新戦技。
・複核受信杭
一人を中心座標へ固定せず、複数の帰還者が互いを基準として同時に到着するための人間圏側設備。
【次回】
灰橋宿が襲撃される中、リィナは約束の日を二日遅れて帰還します。
止まった日も、休んだ日も、遠回りした地図も、四か月分の一歩です。レビュー、ブックマーク、フォローで、自分の足で帰るリィナを応援してください。




