第130話「開けていません、取り外しました」
正しい方法で開かなければ、別の場所から外してしまう人もいます。
大切なのは、壊した後に直す責任まで忘れないことです。
転移から八か月目の十二日目。
白環血統庫から持ち帰った部品を七日かけて洗浄し、適合検査を終えて滞在札が九度目の更新を終えたころ、レイルたちは、オムニアを応急修復するため、施設のさらに奥環状整備層へ入った。
正確には、入口の前まで来ていた。
巨大な白い扉は、九十九%まで解除されている。
残る一%だけが、白環中枢の認証を要求していた。
ノアは扉の前へ座り込み、三時間近く術式を調べていた。
淡い金髪は乱れ、赤縁眼鏡が鼻先まで下がっている。昨夜と血統庫で感情を使いすぎたせいか、普段より少しだけ顔色が悪い。
「結論。術式では開きません」
ノアは立ち上がった。
「戻るか」
アルドが言う。
「いいえ」
ノアは扉ではなく、左右の蝶番を見始めた。
工具箱を開く。
「今、術式では開かないと言っただろう」
「扉そのものを開く必要がないと判明しました」
「どういう意味ですか」
セレネが眼鏡越しに覗き込む。
「固定軸を外します」
「それは扉を壊すのでは?」
「壊しません。再取付可能な形で分解します」
「何時間かかりそうだ?」
「理論上、二時間です」
『ノア様の理論上二時間って、だいたい夕食後までコースですよね』
「過去の誤差を現在の予測へ混ぜないでください」
少女型ニアが、腰へ手を当てる。猫耳と環状の尾を残した幼い少女姿は、王核大陸の高濃度魔力で輪郭が安定していた。
『でも今回は、アルドがいるから早いかも。ノア様が外した部品、全部持ってくれますし』
「運搬役としては有用です」
「俺は部品ではなく扉を持つ」
「扉ごとは想定していません」
アルドが蝶番へ剣を差し込み、ノアの指示どおり三本の固定軸を抜いた。
巨大扉がゆっくり傾く。
「待ってください。倒す方向を――」
「大丈夫だ。支える」
アルドは両腕で扉を受け、そのまま壁際へ立てかけた。
全員が沈黙する。
「これで、入れるな」
「開けていません。取り外しました」
「中へ入れるなら同じでは?」
「術式上は全く違います。訂正してください」
『百二十年の魔法研究、また物理に負けてません?』
「必要な物理は魔法理論の敗北ではありません!」
フィアが記録札へ書く。
「扉解放方法――物理分解」
「【構造的迂回】と記載してください」
「事実と異なります」
「査読が冷たい。素晴らしいですが、今は少し傷つきます」
環状整備層の中央には、七本の導線を束ねる修理台があった。
そこへ【万式魔導環】の破損部品を並べる。
今回の応急修復で戻すのは、三経路。
風圧。
光。
地質。
これは、完全修復ではない。
王核大陸で帰還ゲートを作るために必要な機能だけを戻すための修復だ。
ノアが回路図を広げた。
「役割を確認します。私は三経路の固定と干渉防止。セレネは各経路を並列形成。フィアは修理順、中止条件、魔力吸引上限。レイルは最後の完成圧力だけを一件ずつ保持。ニアは内部から接続位置を表示。独自判断による魔法発動は禁止です」
『分かってます。ニアちゃん、勝手に魔法は撃ちません。今回は中の道案内と、部品を押さえる係でしょ』
「軽い言い方ですが、正確です」
「俺は?」
アルドが尋ねる。
「重い部品の運搬、緊急時の物理切断、ノアが倒れた場合の搬送です」
「最後の項目は不要です」
ノアが即座に反論する。
フィアは記録を見たまま答えた。
「過去三件の実績から必要です」
「三件も倒れていません」
「血統庫、観測塔、灰橋宿の結界修理。三件です」
「もっと厳密に否定してください。その程度では――いえ、今のは十分厳密でした」
作業が始まる。
セレネの周囲へ三つの術式環が浮かぶ。
淡金髪の間から覗く青紫色の瞳が、三本の経路を別々に追う。
「風圧経路、形成八十二%。光経路、七十六%。地質経路は感応石の反応が遅れています」
「同時完成させる必要はない」
レイルが言う。
「一つずつ終端を渡してくれ。俺も同時には持たない」
「北東旧街道で心停止した時のように、四件を抱えない確認ですか」
「確認じゃない。条件だ」
「分かりました。風圧から渡します」
レイルは風圧経路の最後の一工程を【未完】として受け取る。
「未完記録、第一番」
フィアが時刻を記録する。
「保持負荷、低。光経路は待機。地質経路は未確認」
ノアが風圧部品を固定する。
「第一番、返してください」
「まだ固定爪が――」
「九十九%で足ります。最後を貴方が持ち続ける必要はありません」
レイルは一瞬だけ迷い、頷いた。
「第一番――完成」
風圧経路へ灰色の光が走る。
次に光。
最後に地質。
三つを順番に戻していく。
修復が八割を越えた時、整備層の壁全体が白く発光した。
【疑似人格:感情模倣削除】
【形態:標準猫型へ固定】
【使用者との私的記録:除去】
【初期状態へ復元】
少女型ニアの身体が乱れる。
黒銀猫型。
追跡犬型。
無表情な少女型。
三つの姿が重なり、声が途切れた。
『これ……普通に最悪なんですけど。ニアちゃんの黒歴史だけ消すなら一瞬迷いますけど、レイルたちとの記録まで勝手に消すのはマジでナシです』
レイルは白環命令の終端へ触れる。
「未完記録、第四――いや、違う」
四件目として持たない。
「フィア、命令経路だけを一件に分けられるか」
「可能です。人格削除、形態固定、私的記録除去を一つの命令束として登録します」
「セレネ、他の修復経路から切り離してくれ」
「分岐します。ニアの人格記録を、修理対象ではなく既存保存領域へ戻します」
「ノア、絶縁片を」
「受理。白環命令の九十九%を遮断します。最後の一%は、ニア自身が拒否してください」
ノアが絶縁片を打ち込む。フィアが読み上げる。
「条件確認。本人意思が必要です」
レイルはニアを見る。
「どの姿で続けたい?」
ニアは乱れる身体の中で、猫耳のある少女型を選んだ。
『少女型。今は手が必要です。猫も犬もニアちゃんだけど、今の作業は、この姿で続けます』
「それでいい」
『一個に決めなくていいんです?』
「今の十五分を選べばいい。次は次に決めろ」
『……その答え、かなりアゲですねっ』
ニア自身の拒否によって、白環命令が砕けた。
少女型の両手が半実体化し、三枚の媒体札を物理的に押さえる。
『位置固定。風圧、光、地質、全部つながってます。ノア様、最後の爪、ちょい右です!』
「右へ〇・三ミリ。確認しました」
『細かっ。でも、そういうの嫌いじゃないです』
修復が完了する。これで使用可能になった機能は限定的だった。
風圧経路は中級相当まで。
光経路は照準、解析表示、短時間の閃光。
地質経路は地脈感知と地盤診断。
少女型半実体は一戦闘、または十五分。
犬型は分散座標の追跡。猫型は低消費の夜間監視。
レイルからの魔力吸引は、本人同意、上限三%、フィアの強制停止条件つき。
『やった! ニアちゃん、正式復活……ではない感じです?』
「応急修復です」
ノアが即答する。
「風圧は出力制限。光は焦点誤差あり。地質は深度不足。人格遮断層も警告表示へ変えただけで、完全遮断ではありません」
『喜んでるところに欠点を四つ載せるの、ノア様らしいけど空気読んでくださいよ』
「欠点が四つしかないのです。十分な成功でしょう」
『……それ、褒めてます?』
「最大限に」
少女型ニアが笑った。
作業が終わった後、ノアはアルドの手元を見ていた。
重い扉を支えた指には、浅い裂傷がある。
ニアが横から覗き込む。
『ノア様、昨日からアルドの手、見すぎじゃないです?』
「筋肉疲労と外傷を確認しています」
『指先だけを十秒見る筋肉検査、初めて聞きました』
「ニア。修理が終わったら発話制限を検討します」
『それ、完全に私怨のやつでーす』
フィアもそのやり取りを聞いていた。
胸の内側へ、昨夜と同じ小さな痛みが生まれる。
だが、今回は目を逸らさなかった。
「アルド。左手の裂傷を洗浄してください。ノアの観測が長引いています」
「私の観測は必要です」
「十秒を超えています」
「時間まで測っていたのですか?」
「記録官ですから」
アルドが二人を見る。
「二人とも俺の手が気になるのか」
「そういう結論ではありません」
「訂正します。今の聞き方は不適切です」
ノアとフィアが同時に否定した。
アルドだけが、なぜ二人の声が重なったのか分からない。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
同じ頃、人間圏では、オムニアの再起動信号が断航海域を越えていた。
「この間隔……オムニアの自己診断符号です」
ロッテが机から身を乗り出す。
「間違いないのか?」
エルシアが問う。
「完全には。でも最後の三拍だけ、製作者規格にありません」
「規格外?」
「ニアが自分で付け加えた癖かもしれません」
短、短、長。
短、長、短。
最後に、妙に跳ねる軽い三拍。
ユノが笑う。
「――生きていますね」
「まだ断定はするな」
「先生は、こういう時まで慎重ですね」
「期待を持たせて外した時、一番傷つくのは待っている家族だからね」
その夜、エルシアはレイルの両親を学院へ呼んだ。
「生存している可能性が、以前より高くなりました」
母エナは、涙を拭わずに答える。
「可能性で十分です。あの子が帰る場所は、片づけていませんから」
父バルドは握った拳を膝へ置いた。
「帰る人数が増えているなら、その分の椅子も用意する」
「誰が来るか分からないよ」
「なら、余分に置けばいい」
エルシアは少しだけ笑った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
一方、王核大陸の遠い街道では、リィナが夜襲を受けた隊商を守っていた。
敵を追えば倒せる。だが、負傷者から離れる。
リィナは剣を収め、負傷者とともに撤退する道を選んだ。
「逃げたと思う?」
宿へ戻った後、リィナがヴァルカへ尋ねる。
「帰る道を選んだだけだ」
「倒せたのに」
「倒した後、お前一人が戻っても意味はない」
「前の私なら追ってた」
「ああ」
「レイルなら、たぶん止めた」
「今は誰が止めた?」
リィナは自分の足を見る。
「私」
「なら、その一歩を忘れるな」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
環状整備層では、犬型へ変わったニアが鼻先を地図へ近づけていた。
『分散座標反応と、リィナの道札、両方見つけました。どっちから追います?』
「リィナは自分で戻る」
レイルは一度、息を止めた。
「座標を追う。リィナが戻る場所を、こっちで守ろう」
『めちゃくちゃ追いかけたい顔してますけど』
「心配だから追わない」
『その我慢、前よりちょっと大人です』
「ちょっとだけか」
『かなりって言うと調子乗るので、ちょっとです』
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
三つの修復終端を一件ずつ返し、ニアの人格削除命令も四件目へ抱えず仲間へ分けた少年。
・ニア
猫、犬、少女の全てを自分の形として認め、今の作業には少女型を選んだ疑似人格。
・ノア・エルグラム
開かない扉を蝶番から外し、オムニアの三経路を応急修復した理論家兼物理解決担当。
・セレネ・グランツ
風圧、光、地質の三経路を並列形成し、人格記録を修理対象から分離した術式設計者。
・フィア・レコード
修理順と中止条件を管理し、ノアのアルド観察時間まで正確に測っていた目録官。
・アルド・クロイツ
巨大扉を丸ごと支え、修理部品とノアの両方を運ぶ役目を当然のように完遂した少年。
・ロッテ・ベルクマン
オムニアの自己診断信号から、ニア独自の発話リズムらしき三拍を検出した魔導技師。
・エナ・アルヴァート
生存の可能性だけで待ち続ける理由は十分だと答え、帰る場所を片づけなかった母親。
・バルド・アルヴァート
同行者が増えているなら椅子を余分に用意すると決めた父親。
・リィナ・アルセイル
倒せる敵を追わず、負傷者と帰る道を自分で選んだ剣士。
【今回の能力・設定メモ】
・オムニア応急修復
風圧、光、地質の三経路、少女型半実体十五分、犬型追跡、猫型省魔力監視を回復。正式修復は人間圏帰還後に必要。
・人格初期化遮断
白環命令を完全に消したのではなく、強制命令を警告表示へ弱めた状態。再干渉の危険は残る。
【次回】
四か月の修行を終えたリィナが、自分の足で灰橋宿へ帰る準備を整えます。
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