第129話「母の血、二度目」
借りた力を使ったからといって、自分の積み重ねが消えるわけではありません。
誰の力を、何のために使うかを決めるのも、その人の選択です。
王核大陸へ転移して、八か月目の五日目。
ノエラの血統反応が示した白環血統庫へ向かうため、レイルたちは三日をかけて装備と食料を整えた。
そのころ、レイルの王核諸語の単語帳は十三冊目へ入っていた。
血統庫は、灰色の荒野に突き出した白い半球の地下にある。
半球の表面には、無数の細い溝が血管のように走り、近づく者の魔力へ合わせて淡く脈打っていた。
ノアは入口の前で立ち止まる。
昨夜のことが、意識の端へ残っていた。
アルドの手。
それを見たフィアの目。
今朝からフィアは、アルドの隣ではなく隊列の前方を歩いている。
「今日は番号を近くで言わないのか」
アルドが尋ねた。
「聞こえる距離です」
「昨日までは隣だった」
「配置変更です」
「俺が何か間違えたか?」
「いいえ」
「なら、なぜ離れる?不自然だ」
「現時点では説明できません。私自身の感情項目が未確認です」
「未確認でも、怒っているかどうかは分かるだろう」
「怒っていると断定するには、対象が不明です」
「対象?」
「その質問は終了します」
フィアは歩調を速めた。
(間違えたのはアルドではありません。ノアでもない。では、私は何に腹を立てているのでしょう)
ノアは二人の会話を聞き、眼鏡を押し上げる。
説明すべきか迷った。
しかし、「手を握っただけです」と言えば、なぜ説明する必要があるのか自分で答えられない。
(再現性のない感情を、報告書へするのは困難です)
白環血統庫の扉へ、ノエラが掌を当てた。
赤黒い光が広がる。
【血統照合】
【個体:ノエラ・ヴェイン】
【分類:離反血統】
【入庫拒否】
「離反とは、随分と一方的な分類ですね」
ノアが表示を睨む。
「妾は保存される側であることを断った。それだけじゃ」
「白環にとっては、自分で生きることが離反なのでしょう」
ノアが扉へ触れる。
【直系血統:確認】
【濃度不足】
【入庫拒否】
「私の血では開きません」
「妾の血を使えばよい」
「まだ受理していません」
「ならば、別の方法を探そう」
ノエラは小瓶を押しつけなかった。
その対応が、かえってノアの胸へ残る。
レイルとセレネが扉の術式を解析する間、フィアが周辺条件を読み上げた。
「白環魔力、増加。地中に少なくとも八個の移動反応があります」
『八じゃないです。十。二つ、床の真下に隠れてます』
少女型ニアが、環状の尾を揺らしながら足元へ赤い表示を出す。
地面が裂けた。
白い外殻を持つ血統守護端末が十体、地下から飛び出す。頭部には顔がなく、胸へ血液採取用の長い針が収納されていた。
「散開しろっ!」
ラガンが吠える。
レイルは【裂息歩法】で横へ滑る。足裏の【生体導出端】から短く魔力を噴き、両手を空けたまま射線を外す。
左手に無詠唱【硬土】。
右手に無詠唱【風弾】。
土の壁で採血針を逸らし、風弾で一体の胴を回転させる。
「前より動きが効率的ですね」
セレネが言った。
「加速じゃない。形成中に立つ場所を変えてるだけだ」
「説明は戦闘後にしてください。右奥、二体追加です!」
レイルは頷き、昨夜から【未完】にしていた【水縄】を敵の背後で完成させる。
「未完記録、第二番――完成」
水の縄が三体を絡め取った。
新規形成二件。
保持済み一件。
三つの発動時刻をずらし、制御負荷を分ける。
のちの、【重層無詠唱】の原型だった。
『新規二、保持一。三層成功です。ただし右腕の魔力遅延、〇・三秒。また、調子に乗るのはナシですよ!』
「乗ってない」
『顔がちょい嬉しそうなんですよねー』
「ニア、敵を見てろ」
『はいはい。そうやって照れ隠しするの、ニアちゃんには通じませーん!』
別の守護端末がノアへ飛びかかる。
ノアは【未結星槍】を形成するが、血統庫の干渉で九十九%の固定位置が崩れた。
術式が散る。
眼鏡の奥で赤紫の瞳が濃くなる。
「血素低下。ノア、後退してください!」
フィアが叫ぶ。
「後退すれば扉の解析が止まります」
「解析より生存を優先してください」
「その評価は正当です。ですが、今は採択できません」
アルドが一体を斬り倒し、ノアの前へ腕を出した。
「俺のを使え」
「今の貴方から取れば、前衛が減ります」
「八十ミリリットル程度なら動ける」
「必要かどうかを決めるのは、提供する側だけではありません。受け取る私にも選ばせてください」
「なら、何を使う?」
ノアの視線がノエラへ向く。
ノエラは、封管の小瓶を掌に載せたまま立っていた。
近づかない。
急かさない。
ノアが選ぶまで待っている。
「妾の意思で与える」
「その言い方は、やはり嫌いです」
「では、どう言えばよい」
ノアは唇を噛んだ。
「私が飲み終わるまで、ここにいてください」
「その後は?」
「勝手に消えないでください。少なくとも、この施設を出るまでは」
「分かった。おぬしが追い出すまで、ここにおる」
ノアは小瓶を受け取った。
「ノエラ。血は借ります」
「母とは呼ばぬか」
「今は呼びません」
「今は、か」
「余計な査読をしないでください」
赤黒い血を飲む。
ノアの淡い金髪、その内側へ夜紫色が走った。
首筋と細い腕へ、赤黒い血紋が浮かび上がる。
瞳が深紅へ染まり、犬歯が僅かに伸びた。
【原血励起】!!。
ノアは迫った守護端末の針を片手でつかんだ。
「動かない」
声が低く、短くなる。
守護端末の腕を引き、二メートル近い白い身体を地面へ叩きつける。
石床が陥没した。
「百二十年以上魔法を研究して、最後に殴るのは納得できません!」
「だが――、効いている」
アルドが答えた。
「結果だけで理論を評価しないでください!」
「力のことではない」
「では何ですか」
「嫌っていた血を、必要だから使うと自分で決めたことだ」
ノアは次の守護端末を蹴り飛ばしながら、一瞬だけ言葉を失った。
「……そういう評価は、反論しづらいのでやめてください」
「事実だ」
「戦闘中に感情の査読文を提出しないで!」
ノエラが別の端末を赤い爪で切り裂く。
「血を飲むと、声まで妾に似るのう」
「その観測結果は却下します」
「却下しても、今の『動かない』は妾そっくりじゃ」
「次に言ったら、貴方から二倍採りますわよ」
「ほれ、その言い方じゃ」
「黙りなさい!!」
母娘の怒鳴り声が重なり、ガズルが笑った。
ノアは血統庫の扉へ拳を叩き込む。
血統認証板が砕け、内部の錠が露出した。
「開きましたね」
アルドが言う。
「まだ、認証を解除したのではありません。構造を露出させただけです」
「入れるなら同じでは?」
「全く違います!」
白環血統庫の内部には、透明な管が何千本も並んでいた。
その多くは空。
残るものには、種族名ではなく役割名が刻まれている。
【長命記録媒体】
【高出力血統】
【従属可能個体】
【王理候補】
ノアの顔から、戦闘時の怒りが消えた。
「人を、血統の用途でしか見ていないわね」
「白環は昔からそうじゃ」
ノエラの声も冷えた。
「妾が逃げた理由の一つじゃ」
最深部で、オムニア修復用の部品が見つかる。
第三環の風圧導線。
光経路用の焦点片。
地質経路の感応石。
人格初期化命令を遮る旧式の絶縁片。
そして帰還ゲートの第二分散座標。
レイルが座標片へ触れた瞬間、人間圏側でも観測杭が強く明滅した。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
違う場所で――王立結着学院地下。
「二種類です」
ロッテが波形を分ける。
「一つはレイル君の魔力構造に近い。もう一つは登録記録にありません。強い血統反応と、大規模な身体強化……同行者が増えている可能性があります」
「人数が増えたということかね?」
学院長が眉をひそめる。
「帰還ゲートは五人分を前提に設計している」
「学院長、ならば、作り直すのじゃ」
エルシアが即答した。
「容量も費用も倍以上になりますよ、エルシア」
「向こうで誰と出会ったかも分からないのに、こっちの都合で帰す人数を決めてはいかぬ」
「しかし、未登録個体まで受信すれば、敵性存在が混入する危険が――」
「危険照合は必要じゃな。だが、排除することを先に決めるなと言っている」
ユノが受信陣の外周へ魔力を流す。
「めんど。何人増えていても、レイルたちが一緒に帰ると決めたなら、その人数が帰還者じゃないの?」
「簡単に言うな」
「難しくするのは先生たちの仕事でしょ。もう寝たい......」
エルシアは一瞬黙り、鼻で笑った。
「言うようになったね、勇者候補」
カインが石板へ記号を書き足す。
【レイル】
【リィナ】
【セレネ】
【アルド】
【フィア】
【不明一】
【疑似人格】
ロッテが七本目の受信線を引いた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
王核大陸側では、原血励起が切れたノアが三歩歩き、膝を折った。
アルドが背負う。
「アルド! 下ろしなさい。歩けます」
「三歩で倒れた」
「四歩目は成功する可能性がありますから」
「却下だ」
「即座に否定するのは理論的ではありません」
「今は身体の話だ」
「……良い否定です。あぁ。不本意ですが」
フィアが二人の横へ来る。
「ノア。現在の移動継続は不許可です」
「アルドが運んでいるので、私自身は移動していません」
「言葉の隙間へ入る癖が移っています」
「誰からですか」
フィアはアルドを見た。
アルドは首を傾げる。
ノアは昨夜の掌の温かさを思い出し、少しだけ顔を伏せた。
後方を歩くノエラは、空になった小瓶をノアが捨てずに持っていることへ気づく。
何も言わなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
遠く離れた街道では、リィナが四腕族の若い剣士三人へ囲まれていた。
一本目を受ければ二本目が来る。
二本目を避ければ、三本目が退路を塞ぐ。
リィナは反撃しようとして何度も地面へ倒された。
「受けた力を捨てるな」
ヴァルカが言う。
「相手がお前へ渡した方向だ。腰へ落とせ。足裏へ流せ。止めるだけでは終わる。次の一歩へ返せ」
リィナは剣圧を腰へ流し、足裏の導出端へ落とす。
初めて、倒される力が次の踏み込みへ変わった。
【噴歩・返脚】の原型だった。
【今回の登場人物】
・ノア・エルグラム
母を許さないまま血を借り、自分の研究と仲間を守る選択として【原血励起】を使用した九十九魔導士。
・ノエラ・ヴェイン
血を押しつけず、娘が自分で選ぶまで待ち、施設を出るまでそばにいると約束したダンピール。
・アルド・クロイツ
自分の血を差し出した後もノアの拒否を受け入れ、母の血を使う選択そのものを評価した少年。
・フィア・レコード
前衛からの採血を止め、感情の整理がつかないままでも任務条件を崩さなかった目録官。
・レイル・アルヴァート
本物の無詠唱二件と保持済み魔法一件を時間差で重ね、重層戦闘の原型を成立させた少年。
・リィナ・アルセイル
三人の剣圧を足裏へ流し、受けられた力を次の一歩へ返す感覚をつかんだ剣士。
・エルシア・ヴァント
未知の同行者を排除せず、帰還ゲートを全員分へ作り直すよう学院へ命じた師匠。
・ロッテ・ベルクマン
新たな血統反応を第六の同行者候補として検出し、受信線を増設した魔導技師。
【今回の能力・設定メモ】
・原血励起
ノエラの血によってノアの身体能力を一時的に大幅強化する。精密魔法の制御は落ち、反動も大きい。
・重層無詠唱の原型
本物の無詠唱、事前形成済み魔法、保持魔法を異なる時刻に発動し、同時発動のように見せるレイルの戦法。
【次回】
回収した部品を使い、オムニアの応急修復が始まります。
借りた血も、受けた剣圧も、何へ使うかを選べば次の一歩になります。レビュー、ブックマーク、フォローで、母の血と自分の理論を両立させるノアたちを応援してください。




