第127話「灰環は一つではない」
閉じていない環の中にも、考え方の違う者がいます。
自由を守るための同盟が、いつでも一つの正義になるわけではありません。
王核大陸へ転移して、七か月目の終わり。
レイルたちが帰還ゲートの座標を探し始めてから、灰環盟約の内部では、彼らを帰すべきか、残すべきか、利用すべきかという議論が公然と交わされるようになった。
灰橋宿の大評議場には、一箇所が開いた灰色の環が三重に吊るされている。
中央に保護派。
右に封印派。
左に利用派。
レイルたちは証言者として、その間へ立った。
最初に発言したのは保護派だった。
「彼らは白環転移の被害者であり、転移後の七か月間、組合依頼と救助へ参加した。帰還ゲート探索を支援する。ただし【未完】の暴走監視は続ける」
封印派の老術師が杖を鳴らす。
「監視で心停止を防げなかった。四件目は本人だけでなく、周辺術式を同時に停止させた。善意と成長へ大陸の安全を預けられない。オムニアと中心対象を分離し、永久封印すべきだ」
利用派代表ヴェリク・マルカートは、机へ分散座標の写しを置いた。
「ディルガ・ザンに座標部品を奪われた。四極戦団が帰還ゲートを先に安定起動すれば、人間圏との接触権を独占される。道を持つ者が価格と通行条件を決める。ならば灰環が先に完成させるべきだ」
「そのためにレイルの能力使用権を要求するのですか?」
セレネが尋ねる。
「要求ではない。契約だ。帰還支援、修理部品、護衛、座標。こちらが費用を負担する以上、一定期間の使用権は担保になる」
「本人が拒否した場合は?」
「契約しなければ支援しない。それも選択だ」
レイルはヴェリクを見る。
「帰還ゲートを一度安定起動できれば、その後は誰が使う。事故で落ちた俺たちだけか、それとも商人や兵士も通すのか」
「出資者が優先権を持つ。当然だ。座標部品、護衛、修復費用を負担した共同体が、最初の使用権を得る」
「使用順だけじゃない。通る人間の行き先や、帰ってよいかどうかまで出資者が決めるのか」
「安全保障上、審査は必要だ。自由に通せば、人間国家も魔王種も兵を送り込める」
「審査が必要なのは分かる。でも、道を作った人間が、通る全員の人生まで所有していいわけじゃない。帰るか残るかは、本人が決めるべきだ」
「力を持ちながら決めない者は、決められない者を見捨てる。責任を恐れて選択権を細かく分ければ、結局は最も強い者が奪う」
「決めないんじゃない。決める範囲を分ける。ゲートを作る責任、危険を止める責任、誰がどこへ行くかを選ぶ権利は別だ。全部を一人や一派へまとめたら、それこそ白環と同じになる」
ヴェリクは薄く笑った。
「子供の理想だ」
「大人が決めた白環の正解よりはましだ」
評議場がざわつく。
封印派の一人が警備役のアルドへ命令札を差し出した。
「中心対象の武器と仮導杖を回収しろ。評議終了まで預かる」
正式な灰環印がある。
アルドは札を受け取り、レイルへ近づいた。
「アルド?」
リィナ不在の場所で、レイルは立ち上がる。
アルドは仮導杖へ手を伸ばし――途中で止めた。
命令札を二つに折る。
「開始した命令が間違っているなら、最後まで進むことが完遂ではない」
「命令違反だぞ」
「責任は取る。だが、レイルの武器は取らない」
フィアが隣へ立つ。
「命令発行時の安全条件が不足しています。押収期間、返却条件、本人の異議申立て、緊急時の代替装備が未記載です」
「フィアまで逆らうのか」
「逆らうのではありません。条件不成立として訂正します」
ノアは二人の背後で、僅かにふらついた。
評議場の高密度術式と緊張で血素濃度が落ちているようだ。
「アルド。……いえ、結構です」
「必要ではないのか」
「今の貴方から取れば、戦闘力が下がります」
「八十ミリ程度なら」
「必要だからと簡単に差し出さないでください。今は、貴方が倒れる方が困ります」
フィアが保存血の在庫を提示する。
「保存血の代替があります。量も鮮度も、今回の維持には足りますが」
「分かっています。ただ、アルドの血の方が術式反応は安定するので、先に候補として考えただけです」
「では今は、保存血を使ってください。警備中の前衛から採る理由にはなりません」
「相変わらず容赦がありませんね。私の効率より、任務全体を優先する」
「必要な指示です。貴方が不満でも、今回は変更しません」
「……良い判断です。腹は立ちますが、査読としては正確です」
「怒るか喜ぶか、どちらかにしてください」
「両方だから困っているのですよ」
三人のやり取りを見て、ヴェリクが言う。
「白環の適合評価も、全て誤りではないらしい」
「正しい数字を出せば、勝手に決めてよい理由になると思わないでください」
ノアは保存血を術式筒へ入れながら、はっきり返した。
評議が最も荒れた時、レイルの視界だけにアルケインが現れた。
「封印派の案を受け入れれば、仲間は安全に人間圏へ帰還できます」
「一人用帰還ゲートを使えというのか」
「はい」
「代償はなんだ?」
「あなたが王核大陸へ残ること」
「俺を座標の固定具にする?」
「中心対象が残れば、他の座標は安定します」
「リィナも戻れるのか?」
「剣士個体を含め、他の全員が帰還可能です」
「俺の意思は?」
「多数の生存へ比べれば、優先度は下がります」
正しい計算だった。
だからこそ、レイルは首を横へ振る。
「だが断る。俺一人の犠牲が嫌だからだけじゃない。俺を残すと勝手に決めるゲートで、他の誰かの意思も守れると思えない」
アルケインの姿が薄れる。
次に、評議場の壁へ欠けた文字が広がった。
【”誰も帰らなければ、誰も置き去りにならない”】
【帰還を選ばなければ、別れは完成しない】
【ここで暮らし続ける可能性も残せる】
アポリアの声。
一見すれば、アルケインと逆だった。
誰も犠牲にしない。
何も閉じない。
しかし、選ばないことを永遠に続けさせる。
「帰るか残るかを、選ばないままにはしない」
レイルは文字へ答えた。
評議の結論は一つにならなかった。
即時封印は僅差で否決。
帰還ゲート調査は条件付きで継続。
利用派の使用権要求は保留。
灰環盟約は味方としても、敵としても結論付けなかった。
評議場を出る直前、ラガンへ四極戦団の伝令札が届いた。
【次は剣士が戻ってから試す】
【中心対象へ伝えろ。四件目を持てぬなら、帰還ゲートは我らが使う】
ラガンは札を握り潰す。
「次は、試す側が帰れなくなる」
その時、評議場の扉が開いた。
血の気の薄い絶世の美貌を持つ、小柄な女が立っている。
不老の第一世代半吸血種、ノエラ・ヴェイン。
その後ろには大鍋を担いだガズルがいた。
ノアの赤紫色の瞳が揺れる。
ノエラも、ノアの顔を見て動きを止めた。
二人の間で血統鍵が反応し、赤い光の糸が一瞬だけ結ばれる。
ノアは立ち上がる。けれど「母」とは呼ばない。
「ノエラ・ヴェイン......」
ノエラも娘へ駆け寄らなかった。
「……ノア」
七か月を越えた帰還探索は、ここで別の過去へ触れた。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
利用派の契約、アルケインの一人犠牲、アポリアの無限保留を全て拒み、決める範囲を分けると答えた少年。
・アルド・クロイツ
正式な押収命令を途中で折り、誤った開始を止めることも完遂だと行動で示した少年。
・フィア・レコード
命令の不足条件を公の場で読み上げ、アルドの拒否を感情ではなく記録で支えた目録官。
・ノア・エルグラム
アルドから血を取らずフィアの保存血案へ従い、白環の適合数字を決定権として拒んだ九十九魔導士。
・セレネ・グランツ
帰還支援の対価としてレイルの使用権を求める利用派へ、拒否後の扱いまで問い詰めた少女。
・ヴェリク・マルカート
帰還ゲートを交易と抑止の資産として捉え、支援費用と引き換えに能力使用権を要求した利用派代表。
・アルケイン
レイル一人を王核大陸へ残すことで他全員を帰す、苦痛の少ない最適解を示した白い案内人。
・ノエラ・ヴェイン
評議場の扉に現れ、百年以上を隔てた娘ノアと初めて正面から向き合ったダンピール。
・ガズル・ヴァルグ
ノエラの後ろで大鍋を担ぎ、母娘が言葉を選ぶ場へ余計な介入をしなかった冠魔王。
【今回の能力・設定メモ】
・灰環盟約の三派
保護派、封印派、利用派。白環へ反対する点は共通するが、レイルの自由と大陸の安全を巡る結論は一致しない。
・一人用帰還ゲート案
レイルを王核側の座標固定へ残せば、他の仲間を帰還させられるアルケインの最適解。本人の意思を犠牲にするため拒否。
【次回】
ノアとノエラは、血縁の証明と母親としての実績を分けて話し始めます。
【読者応援文】
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