第125話「迷わない指示」
全てが見えてから決めるのでは、間に合わない時があります。
不明を不明のまま残し、それでも一つを選ぶ責任が必要です。
王核大陸へ転移して、六か月半。
灰橋宿の滞在札は、最初の七日札から数えて六度目の更新を迎えていた。
その朝、灰環継路組合の掲示板へ黒い救助札が貼られた。
【鳴霧谷・測量班二名未帰還】
鳴霧谷では、霧の中へ音が残る。
昨日の声が今日の壁から聞こえ、魔物の鳴き声が人の助けを真似る。
大人数で入れば、互いの声を追って散開する危険がある。
組合が先遣へ選んだのは、アルドとフィアだった。
「なぜ俺たち二人だ」
「前回の夜番で、指示番号への追従率が百%だったためです」
「戦闘力では?」
「貴方が前衛、私が位置と条件を管理します。相性判定は白環の数字ではなく、組合実績に基づいています」
「なら問題ない」
ノアが横から口を挟む。
「問題はあります。医療担当なしで負傷者を連れ帰れるのですか」
「谷入口で待機してください。内部の反響を増やす人数は避けます」
「私なら静かに歩けます」
「貴方は議論中の声量が最大です」
「良い指摘ですが、今は腹が立ちます」
アルドは装備を締める。
「戻る」
「当然です」
「フィアの指示なら迷わないからな」
「その言葉を任務前に言うと、私の失敗条件が増えます」
「信頼していると言っただけだが......」
「……では、重くしすぎないよう受け取ります」
鳴霧谷の入口で、フィアは道を四つへ番号分けした。
第一枝路。
第二枝路。
第三枝路。
帰還用の零番路。
「方角は見ないでください。分岐の札と番号だけを追います」
「了解した」
霧の中へ入ると、すぐに声が聞こえた。
「助けてーっ!」
右から。
続けて、左奥から同じ声。
さらに頭上から、僅かに遅れて響く。
「三つ声が確認できるな」
「行方不明者は二名です。一つ以上は偽物です」
「どれを選ぶ」
フィアは記録札へ音の間隔を書く。
第一枝路には足跡がある。
第二枝路には血痕。
第三枝路には人の装備片。
どれも本物らしい。 さらに観測すれば、確度は上がる。
しかし霧の魔力濃度も上がっている。
以前のフィアなら、未確認のまま進むことを避けた。
「第二枝路を捨てます。救助対象の声が混じっている可能性はありますが、ここへは入りません」
「根拠を聞かせろ。俺は従うが、何を捨てる判断なのかは知っておきたい」
「不十分です。ただ、第二枝路だけ、こちらの声が返ってきません。入った音を飲み込み、帰還用の反響を返さない構造です。救助できても、私たちまで戻れない可能性が高い」
「間違っている可能性はどうだ?」
「あります。本物の声を捨てる可能性も、偽物を選ぶ可能性も残っています」
「それでも、お前は第二枝路へ入らないと決めたのだろう?」
「はい。正解だからではなく、失敗した時に帰路を残せる方を選びます」
「なら進む。間違っていた場合は、戻って次を選ぶ。ここで止まり続けるよりいい」
アルドは迷わなかった。
第三枝路の奥で、測量班を発見する。
一人は脚を負傷。
もう一人は、長い腕を持つ猿型魔物に追われていた。
【声盗猿】。
喉の袋へ人の声を保存し、擬態して別方向から助けを呼ぶ魔物である。
「右、一体。上、二体。後方は空欄です」
「空欄?」
「見えていません。安全とは言っていません」
「分かった。背後も警戒する」
アルドは盾で右の一体を受け、剣の腹で谷壁へ押しつける。
頭上から二体が落ちる。
フィアは石を投げ、落下位置を半歩ずらす。
「第三体、左肩。四秒後!」
「見えた」
アルドの剣が振り返りざまに魔物の爪を弾く。長く戦闘も行わなかった。
だが、全ての声が別方向から聞こえる谷で、二人は一度も互いを見失わなかった。
負傷者を担ぎ、零番路へ戻ろうとした時、谷壁が崩れた。
予定した帰路が塞がる。
「追加観測に三分必要です」
「負傷者は三分持ちそうか?」
「保証できません」
「なら決めろ」
フィアは谷壁の薄い箇所を指す。
「新しい出口を作ります。地図にはない道です」
「組合規則ではどうなっていた?」
「緊急時の地形破壊を許可。修復報告必須です」
「了解」
アルドは剣を両手で握り、岩壁の亀裂へ叩き込む。
一度。
二度。
三度目で外気が入った。
全員が谷外へ出た時、フィアは初めて深く息を吐いた。
(間違っていたかもしれない。それでも、待ち続けて失うより、自分で選んで全員を戻した)
膝が僅かに震えているのは、魔力切れではない。判断を自分のものとして引き受けた反動だった。
「お前の指示だけは、道を失わないな」
「また同じ評価ですね」
「前より確信になった」
「個人的な発言として受け取っても?」
「違いが分からないが――」
「……今は、それで結構です」
入口で待っていたノアは、負傷者より先にアルドの腕と肩を確認した。
「筋肉損傷あり。魔力消費過多。睡眠不足。フィア、なぜもっと早く戻さなかったのですか」
「予定より十三分早いです」
「十三分しか早くない!」
「救助者二名を連れていました」
「正論です。ですが今日は素直に喜べませんね」
『ノア様、二人で成功したの普通に気にしてません?』
「医療担当として心配しているだけです!」
「声が大きいです」
「フィアは黙っていてください。いえ、今の指摘は正しいです、もっと言ってください」
組合評価札へ、一瞬だけ白い文字が浮かんだ。
【完遂個体+記録個体】
【適合率:上昇】
【九十九個体:排他反応を確認】
フィアは最後の一行だけを手で隠した。
ノアは文字を見なくても、隠されたことには気づく。
「何を隠しました?」
「未確認の感情評価です。本人へ提示する価値がありません」
「私本人の評価では?」
「だからこそです」
ノアは追及しかけ、やめた。代わりに保存血を取り出す。
「今日はアルドから取らないでおきます。負傷者を助けた者を、帰還直後に弱らせるほど、私は非合理ではありません」
「必要ならいくらでも提供するぞ?」
「簡単に差し出さないでください!!」
アルドが困った顔でフィアを見る。
「どう答えるべきだ」
「自分で考えてください」
「フィアの指示なら迷わないんだが......」
「この件だけは対象外です」
灰橋宿へ戻る荷車の中、三人の会話は最後まで結論へ着かなかった。
ただ、アルドの札から【単独道案内禁止】は消えなかった。
「今回、俺は迷わなかった」
「フィアがいましたね」
「次もフィアがいればいい」
「……その条件なら、訂正候補へ入れます」
【今回の登場人物】
・フィア・レコード
根拠不足を隠さず第二枝路を捨て、地図にない出口を自分の判断で選んだ目録官。
・アルド・クロイツ
フィアが選んだ道を疑わず進み、番号指示だけで霧の谷から全員を連れ帰った少年。
・ノア・エルグラム
二人の成功へ複雑な反応を見せながら、負傷したアルドから血を取らない判断を選んだ九十九魔導士。
・ニア
少女型のギャル口調でノアの排他反応を即座に見抜き、本人から大声で否定された疑似精霊。
【今回の能力・設定メモ】
・【鳴霧谷】
過去の声と魔物の模倣音が残響し、方角による判断を狂わせる灰橋宿近郊の谷。
・【声盗猿】
人の声を喉袋へ保存し、別方向から助けを呼んで獲物を分断する魔物。
【次回】
小角族集落を襲う魔力洪水で、レイルたちはリィナ不在の新しい連携を作ります。
【読者応援文】
霧の中でも番号を一つずつ追えば、戻る道は作れます。レビュー、ブックマーク、フォローで、フィアとアルドの迷わない一歩を応援してください。




