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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第8章「帰還ゲートは完成しない」

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第124話「空いた席と夜番」

 誰かがいなくなった時、日常はすぐには新しい形へ馴染みません。

 鍋の量も、朝の足音も、呼びかける癖も、少し遅れて不在を知るのです。

 転移から六か月目。

 リィナが灰橋宿を離れて三日が過ぎても、朝食の鍋だけは以前と同じ量で煮込まれていた。それを見るたび余計、彼女がいなくなったことを思い出してしまう。


「多いですね」


 セレネが鍋と空いた椅子を見比べた。


「明日の携帯食だ」

「温かい煮込みなのに?」

「冷ませば保存できる」

『レイル、言い訳の保存性が低すぎですケド?』

「ニアは黙ってろ」


 レイルはいつもの三倍ほど盛った椀を見てから、無言で保存容器へ移した。


 ミュラが空いた席へ、小さな木札を置く。


「”戻る席”。片づけない」

「邪魔にならないか?」

「邪魔になるくらい、がいい。忘れない、でしょ」


 レイルは答えず、木札が倒れないよう椅子の背へ紐で結んだ。


 朝食を済ませた後は訓練場へ向かう。


 リィナが決めていた走り込み、受け身、短杖防御。

 今までは彼女が回数を数え、少なければ追加し、多ければ食事へ急いだ。


 今は少女型ニアが空中へ数字を出す。


『八回目、成功。九回目、出力ちょい弱め。十回目――レイル、そっちは壁です』

「分かってる」

『分かっててぶつかる人の動きじゃなかったんですけど』

「走りながら形成すると視野が狭くなる」

『じゃあ次の課題、“前を見る”。基礎だけど超重要でーす』


 レイルは【裂息歩法(ブレス・ステップ)】で横へ滑りながら、左右の掌へ無詠唱【微風(ブリーズ)】と【灯光(ライト)】を形成する。


 足裏の噴射へ息を使いすぎると、灯光が消える。

 魔法を優先すると、身体が止まる。

 百日以上続けても、移動と形成を完全には分けられなかった。


「リィナは一息を強く使いすぎた。俺は細かく分けすぎてるのかな」

『二人とも極端なんですよねー。真ん中を仲良く半分ずつ持てばいいのに』

「技術の話か?」

『そこはご想像にお任せしまーす』


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 夕方、アルドとフィアが夜番へ出た。


「第一地点は井戸、第二地点は北東門、第三地点は修理工房です。順番は変えず、道札の番号だけを追ってください」

「分かった。番号が見えなくなった場合は、その場で止まる」

「はい。方角を見て自己判断しないでください。貴方は方角を確認した直後ほど、正しい道から外れます」

「それも分かった。だが、理由は自分でも不明だ」

「私も原因は特定できていません。ただし、再現性は十分です。貴方の場合、方向感覚を使わないことが安全手順になります」

「欠点を封じれば任務へ使えるなら、それでいい。フィアが終点を示してくれる限り、俺は途中を完遂する」

「……そういう言い方をされると、私も終点を間違えられませんね」


 フィアは答えを記録せず、番号札だけをアルドへ渡した。

 二人は灰橋宿の外周を回る。

 夜の街道では、昼に消えた魔物の足跡が淡く光り、古い白環溝から低い音が聞こえる。


 アルドは正面を警戒し、フィアは時間と位置を記録する。


「リィナのことを考えていますか?」


 第三地点へ向かう途中、フィアが尋ねた。


「なぜ分かった」

「第二地点で同じ道札を二度見ました。迷った時とは視線が違います」

「俺は迷っていない」

「承知しています。だから聞きました」


 アルドは少し歩いてから答える。


「戻ってくると思っている。だが、戻った時に俺を選ぶとは思っていない」

「選ぶ、とは」

「言葉どおりだ」

「……記録してよい内容ですか」

「好きにしろ」

「では記録しません」

「なぜだ?」

「今の言葉は任務へ必要ありません。それに、誰かの気持ちを本人より先に台帳へ固定したくないので」


 アルドはフィアを見る。


「お前は、白い文字と逆だな。あれは人の気持ちを先に決めるが、お前は本人が選ぶまで空欄を残してくれる」

「それは、褒めていますか。それとも記録者として遅いと評価していますか」

「褒めている。俺は急いで結論を出しすぎる。お前が空欄を残すから、間違った完遂(コンプ)を止められる」

「……なら、受け取ります。私も、貴方が実行してくれるから判断を空欄のまま放置せずに済みます」


 夜番は一度も道を外れず終わった。


 入口では、ノアが腕を組んで待っていた。


「アルド。健康検査をしますよ」

「今からか?」

「夜番後は循環状態の確認が必要です」

「昨日も検査したのだが」

「昨日と今日は別です」


 フィアが即座に記録札を開く。


「本日の採血は不要です」

「採血するとは言っていません」

「腕を見ています」

「脈拍確認です」

「手首で足りますよ」

「……良い否定です。しかし、少し腹が立ちますね」


 アルドは二人を見比べる。


「なぜお前たち、張り合っている?」

「張り合っていません」

「医療判断です」

『回答が重なったので、ニアちゃん的には張り合い認定でーす』


 ノアとフィアが同時にニアを睨んだ。


 ♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 一方、リィナはヴァルカと灰色の街道を進んでいた。

 レイルたちと離れて三日目。

 宿へ着く前に、ヴァルカは街道脇の地面へ一本の線を引いた。


「人形を斬れ。その線の前で止まれ」


 リィナは【瞬駆(しゅんく)】で人形を斬る。


 線を二歩越える。


「斬れた。今の踏み込みなら、前より深く入れたよ」

「だが、止まれていない。深く入れた分だけ、戻る距離も増えている」

「敵なら倒してる。倒した後に向きを変えれば――」

「その先にレイルがいたらどうする気だ。敵を倒した勢いのまま、守りたい相手へ刃と身体を運ぶのか」

「……それは嫌だ。だから、もう一回。今度は斬った後の場所まで自分で決めるんだから!」


 リィナは黙って元の位置へ戻った。


 十回。二十回。三十回。


 足裏の皮が裂け、息が乱れても、線を越える。

 夕方、ヴァルカが訓練終了を告げた。


「まだできる」

「続ければ足を壊すぞ」

「壊さないようにやる」

「その言葉を、誰かから聞いたことはないか?」


 レイルの顔が浮かんだ。

 リィナは木剣を下ろす。


「……明日は止まれるよう頑張る」

「今日止まっておけ」

「訓練を?」

「そうだ」


 夜、毛布の中で欠けた文字が浮かんだ。


【止まる必要はない】

【進む自分も、戻る自分も、どちらも残せばよい】


 リィナは毛布を頭まで被る。


「どっちも選ばないのは嫌い。私は止まる」


 翌朝。

 人形を斬った直後、リィナは自分から肩を落とし、地面へ転がった。

 綺麗な停止ではない。


 それでも線の手前で止まる。


「今のは失敗だ」

「線は越えてない」

「なら次は、立ったまま止まれ」


 リィナは土まみれの顔で笑った。

 初めて、止まるための失敗を一つ作れた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 リィナの分まで煮込みを作り、一人でも朝練を続けながら壁との距離だけはまだ測り損ねた少年。


・アルド・クロイツ

 リィナへの気持ちをフィアへ話し、記録へ固定されないことで少し救われた少年。


・フィア・レコード

 任務外の感情を台帳へ閉じず、番号だけでアルドを一度も迷わせなかった目録官。


・ノア・エルグラム

 夜番帰りのアルドを検査しようとして、フィアと無意識に張り合った九十九魔導士。


・リィナ・アルセイル

 線の手前で転がるという不格好な失敗を、自分で止まる最初の一歩へ変えた剣士。


・ヴァルカ・ゼイン

 速さも根性も褒めず、今日の訓練を今日止めることから教えた剣豪。


・ニア

 少女型のギャル口調でレイルの壁衝突と、ノア・フィアの張り合いを遠慮なく採点した疑似精霊。


【今回の能力・設定メモ】


・停止線訓練

 敵を斬る成功より、斬撃後に設定地点へ自力で残ることを優先するリィナの基礎修行。


【次回】


 アルドとフィアが二人だけで霧の谷へ入り、行方不明の測量班を救助します。


 空いた席へ木札を残すように、物語を待つ場所も消さずにいてくださると嬉しいです。レビュー、ブックマーク、フォローで、離れて進む二人の帰る席を守ってください。


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