第123話「一人で戻るために」
離れることが、関係を捨てることとは限りません。
自分の足で戻るために、いったん隣を空ける決断もあります。
王核大陸へ転移して、五か月半。
心停止から五日後、レイルはようやく自分の足で診療小屋の外へ出ることができるようになっていた。
ただし左右には、セレネとアルドがついて支えがなければ、まともに動くことはまだ、できていなかった。
「もう歩ける」
「三歩前にも聞きました」
「今は七歩目だ」
「歩数が増えても、ふらつきは減っていませんよ」
セレネが左腕を支える。
右側ではアルドが、いつでも抱えられる距離を保ってついてきていた。
「俺は触っていないぞ」
「触られる前提で話してない」
「倒れたら受けるがな」
「倒れない」
「その言葉は五日前に信用を失った」
レイルは言い返せず、診療小屋の前に置かれた椅子へ座った。
朝の光が眩しい。
魔力経路はまだ焼けており、無詠唱【灯光】すら形成できない。
リィナは少し離れた訓練場の入口へ立っていた。
右足へ包帯。
腰には剣。
背中には、数日分ではなく、長い旅用の荷物がある。
「首はどうだ?」
レイルは最初に尋ねた。
「動く。足も歩ける。腕も剣を振れる」
「足裏の導出端は?」
「軽い炎症だけ」
「ヴァルカの診断では――」
「起きて最初がそれ?」
リィナの声が強くなる。
「私の怪我じゃなくて、自分の心臓の心配してくれない?」
「今は動いている」
「止まったでしょ!」
広場の空気が固まった。
リィナは続けようとして、言葉を飲み込む。
「私、呼んでも返事なかった。胸に触っても何もなくて、ノアが離れろって言っても、離れたらそのまま戻らない気がして……」
怒りの中から、怖かった時間がこぼれた。
レイルは安全条件も治療経過も言えなくなった。
「……悪かった」
「そこ、理屈を言わないんだ」
「言えることがなにもない」
「そういう時だけ素直なの、ずるい」
リィナは目元を擦り、荷物の肩紐を直した。
「ヴァルカと行く」
「どこへ」
「隊商路。四腕族の集落。谷の訓練場。決めてない。ちゃんと、止まれるようになるまで」
「一緒に来てもらったら駄目なのか?」
「駄目」
「俺がいた方が、怪我をした時に治療と退路を――」
「それ。私が失敗しても、レイルが持ってくれる。倒れても、止めてくれる。だから駄目なの」
「俺が勝手にやった」
「だから私が止める。レイルをじゃなくて、私を」
レイルは椅子の肘掛けを掴んだ。
行かせたくない。
危険だから。
治療が不十分だから。
帰還ゲートの調査に前衛が必要だから。
理由はいくつも出てくる。
けれど、その奥にある一番幼い言葉だけを避けている。
(離れるのが嫌だ)
「どのくらい行くつもりだ。十日か、一か月か、それとも止まれるまで期限を決めないのか」
「分からない。ヴァルカの隊商路を回って、四腕族の集落にも行く。戻れるって自分で思えるまで、日にちだけ先に決めたくない」
「帰還ゲートの起動方法が途中で見つかったら、連絡は残せる。でも、遠い街道なら間に合わない可能性が――」
「連絡を残して。私は自分で戻る。誰かを迎えに寄こさないでね」
「間に合わなかったらどうする。ゲートの安定時間が一日しかなければ、待てないかもしれない」
「間に合うように戻る。毎日、帰る方向を確認する。だから今度は、私が間に合わせる側になる」
「それは保証になっていないぞ。道が崩れた場合も、負傷した場合も、通信が途切れた場合も――」
「レイルの計画だって、全部に保証があるわけじゃないでしょ。それでも進む時は進む。私にだけ、絶対を用意できないから行くなって言わないで」
「危険条件が違う。俺が一緒なら、少なくとも保持と治療が――」
「またそれ。私が聞きたいのは条件じゃない。離れたくないなら、そう言って。その上で、それでも行かせるかを二人で決めたい」
リィナは一歩近づいた。
「行ってほしくない?」
真っすぐな質問だった。
レイルは逃げる場所を失う。
「行ってほしくない。安全条件の話じゃない。朝練で隣が空くのも、食事で一人分多く作るのも、連絡が来ない夜を待つのも嫌だ」
「……うん。私も離れたいわけじゃない。レイルが起きない五日間、もう一度同じことが起きる方が嫌だった」
「でも、止めない。俺が追いかけて止めたら、白環が書いた『分離』と同じくらい、リィナの選択を無視することになる」
「うん。だから、自分で戻ってくる。逃げたままにはしない」
「毎日、戻る方角を書け。怪我と食料と次の町も。連絡は三日に一度。ヴァルカが不要だと言っても送ってくれ。返事がなくても、こちらから送り続けるから」
「急に条件が増えた。でも、そのくらいなら守る。私も、帰ってくる場所が動いてないって分かるから」
「条件じゃない。……お願いだ」
「分かった。お願いとして受け取る」
命令ではなく言われると、リィナは少し困った顔をした。
「分かった。全部は無理かもしれないけど、三日に一度は絶対連絡送る」
「全部書け」
「お願いって言った直後に強くしないで」
レイルは自分の単語帳から、王核交易語の簡易頁を外した。
予備地図と一緒にリィナへ渡す。
「食べ物の単語ばっかり印がついてる」
「リィナが先に覚えると思って」
「私用に作ってたの?」
「隊商路では食料の確認が重要だから」
「……最後までそういう理由つけるんだ」
呆れながらも、リィナは地図を胸元へしまった。
アルドが前へ出る。
「護衛として同行する」
「ありがとう。でも、一人で戻れるようになるために行くから」
「ヴァルカはいる」
「師匠は、助けてくれない人だから」
「褒め言葉なのか?」
「今はね」
アルドはしばらく黙った。
(護衛なら隣へ行けると思った。だが、それではリィナが選んだ一人分の道を、俺の都合で狭くする)
好きだと告げるより先に、行かせることを選ぶ。その方が、自分らしい完遂に思えた。
祭りの食券を渡した時より、胸の奥が重い。
けれど、自分が同行すればリィナの目的を壊すと分かった。
「なら、戻る道だけは忘れるな」
「うん。アルドも迷わないで」
「俺は迷っていない」
「帰る場所を間違えないでって意味」
アルドは返事をしなかった。
リィナの言葉が、自分のところへ帰ってくる約束ではないと理解している。
出発直前、道札の表面へ白い文字が浮かぶ。
【剣士個体:分離処理開始】
リィナの顔が強張った。
ヴァルカが剣を抜こうとするが、リィナが先に止める。
「いい。斬っても消えないから、これ」
道札を裏返し、自分の字で書き足す。
【”これは私が決めたこと”】
「白環が言ったから離れるんじゃない。ディルガが正しいって証明するためでもない。私が、自分で帰ってくるために行く」
レイルは椅子から立ち上がった。
足元が揺れ、セレネが支えようとする。
それでも、一歩だけ自分で立つ。
「待ってる。連絡が遅れても、帰還ゲートの調査が進んでも、リィナが戻る場所は動かさない」
「追いかけない? 私が怪我したって聞いたら、レイルは絶対に来そうだけど」
「追いかけたい。今だって、犬型ニアを出して後ろから確認したい」
「そこまで正直に言われると、止めにくいね」
「でも、待つ。リィナが自分で戻るって決めたなら、その決定まで俺が持つのは違うから」
「うん。じゃあ、待ってて。今度はちゃんと、自分の足で戻る」
リィナは笑った。
「じゃあ、ちゃんと治してよね。私が戻った時、また寝てたら怒るから」
「次は倒れない!」
「次は、じゃなくて、できる範囲で」
「リィナに言われたくないけどな」
「今から私の方が上手くなるから、言っていいの」
最後まで言い合いながら、リィナはヴァルカと街道を下っていく。
一度だけ肩が動いた。
振り返りそうになって、振り返らない。
姿が見えなくなるまで、レイルは立っていた。
ニアが少女型で隣へ浮かぶ。
『追跡用の犬型、出さなくていいんです?』
「出さない」
『めちゃくちゃ心配そうですけど』
「心配だから出さない」
『それ、前のレイルなら言えなかったかもですね』
レイルは空になった街道を見た。
隣の空席は、捨てられた場所ではない。
戻ってくるために、リィナ自身が空けた席だった。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
安全条件へ逃げず「行ってほしくない」と本音を言い、それでも追わずに待つことを選んだ少年。
・リィナ・アルセイル
白環やディルガに分けられるのではなく、自分で止まり、自分で戻るためヴァルカとの旅を選んだ剣士。
・アルド・クロイツ
護衛を断られ、初恋の行き先を悟りながらも、戻る道を忘れるなと送り出した少年。
・セレネ・グランツ
レイルが自分で立つ一歩を奪わず、倒れそうな距離だけを静かに支えた少女。
・ヴァルカ・ゼイン
本人へ言えない決断は逃げだとリィナへ突きつけ、正面から別行動を選ばせた剣豪。
・ニア
犬型追跡を勧めつつ、心配だから追わないというレイルの変化を明るく認めた疑似精霊。
【今回の能力・設定メモ】
・リィナの別行動
白環の矯正処理ではなく、本人が選んだ修行。ヴァルカと隊商路を巡り、加速・制動・帰還を学ぶ。
【次回】
リィナの席が空いた灰橋宿で、レイルとアルドはそれぞれ違う形で彼女を待ちます。
空けた席は別れの印ではなく、自分の足で戻るための約束です。レビュー、ブックマーク、フォローで、離れた二人の修行と再会を見守ってください。




