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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第8章「帰還ゲートは完成しない」

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第117話「止まれなければ、ただの通過だ」

 速く進めるようになった時ほど、止まる場所を決めなければなりません。

 たどり着くだけでは、帰ってきたことにはならないからです。

 王核大陸(おうかくたいりく)へ転移して、四か月目が過ぎていた。


 灰橋宿(はいばしやど)の朝霧が薄くなる頃には、レイルたちは宿守から「異邦の子供アウトランド・チルドレン」ではなく、正式な仕事札を持つ客員冒険者きゃくいんぼうけんしゃとして呼ばれるようになっていた。


 その日の夜明け前、宿の外れにある訓練場へ、三本の白い杭が立てられた。


 一本目は加速開始地点。

 二本目は斬撃位置。

 三本目は停止限界。


 リィナは二本目の杭を睨み、靴底を地面へ押しつけた。足裏の【生体導出端(マナ・ポート)】へ魔力を流し、腰を落とす。


「吐け」


 その背後でラガン・ティグリスが言った。


「息なら吐いてる」

「ただ漏らすな。腹、腰、膝、足裏へ順番に落とせ。一息で全部を動かそうとするから、身体だけ先へ飛ぶ」

「そんなに細かく考えてたら遅くなるじゃん」

「考えるのは今だけだ。身体が覚えれば、戦場では考えずに済むのだ」


 ラガンは自分の胸へ手を当て、短く三度、息を吐いた。


 一度目で巨体が沈む。

 二度目で腰が前へ出る。

 三度目――足裏から灰色の魔力が弾け、二メートル近い身体が音もなく三歩先へ移った。


裂息駆動(ブレス・ブースト)】。


 彼が飛び上がったのではない。地面を蹴った動作すら、ほとんど見えなかった。ただ、ラガンの立っていた場所だけに霧が渦を巻き、次の瞬間には三本目の杭の横へいる。


「うわ、速っ……! 今、地面を蹴ったところが全然見えなかった。足裏から一気に噴かせたの?」

「速さだけを見るな。胸が沈んだ瞬間と、腰が前へ出た順番を見ろ。足裏は最後だ」

「息は見えないし、胸と腰を別々に見る余裕なんてないよ。戦ってる最中なら、なおさら無理」

「だから今、身体へ覚えさせる。戦場で考えずに済むよう、考えられる時に分けて練習するんだ」

「説明を諦めてるわけじゃないんだね。難しいことを、私が分かるまで同じ言い方で押し切る気なんだ」


 リィナが不満そうに眉を寄せる横で、レイルは記録帳へ呼吸の間隔を書き込んでいた。


「一息目と二息目の間が〇・二秒。三息目だけ足裏出力が――」

「お前も書くな。やれ」

「構造を理解してからの方が再現率は上がる」

「走る時に全部喋ろうとするから転ぶんだぞ」


 ラガンの太い指が、レイルの記録帳を閉じた。


 リィナが吹き出す。


「レイル、走りながら説明しすぎなんだよ」

「リィナは息を全部加速へ使って、止まる分を残していないじゃないか」

「今は私の話じゃないでしょ」


「二人とも同じだ」


 ラガンは二人の額を順番に指で押した。


「速くなる前に、”帰ってこられる息”を残せ」


 (速さを増す訓練なのに、最初に教えられるのが帰り方なのか。先生を思い出すな)


 レイルは、その順番がエルシアの授業とよく似ていることに気づいた。撃ち方より消し方、始め方より終わらせ方。王核大陸の戦士もまた、別の言葉で同じ責任を教えている。


 リィナは口を尖らせながらも、もう一度、一本目の杭へ立った。


 吸う。

 腹へ落とす。

 腰を進行方向へ向ける。

 足裏から短く噴く。


「【噴歩・瞬駆(ふんぽ・しゅんく)】!」


 土が弾け、赤栗色の髪が一直線に走った。


 二本目の杭が斜めに斬れる。


 リィナは勝ったように笑った――直後、三本目の杭を越え、訓練場の土壁へ肩から突っ込んだ。


「斬れた! 今の踏み込みなら、同じ距離にいた敵は絶対に避けられないよ!」

「ああ。斬れたことは認める。だが、お前自身は止まれていない。敵を倒した直後に壁へ刺さる剣士を、隊商は前衛とは呼ばんぞ。お荷物だ」

「敵が倒れてるなら、その間に立てばいいでしょ。すぐ起きれば、次にも間に合う」


「その先に仲間や守るべき客がいたら、お前が倒してしまう。速さを強さと言い張る前に、斬った後も自分の足で立っていろ」


 訓練を見ていたヴァルカ・ゼインが、四本の腕を組んだまま言った。


 四腕族の女剣豪は、今朝から一度も剣を抜いていない。それでも、リィナが壁から起き上がるより早く、三本目の杭の位置へ立っていた。


「じゃあ、どうすればいいの」

「進んだ方向と逆へ噴け。剣より先に、自分を止めろ」

「前へ行くために出した魔力を、後ろへ使うの?」

「違う。前へ出した力を消すために、別の力を出す」

「もったいない」

「止まれず死ぬ方が、よほど無駄だ」


 ヴァルカは三本目の杭の手前へ、剣先で一本の線を引いた。


「ここで止まれ。足だけで止まろうとするな。息を残せ。腰を落とせ。刃を振り抜いたまま身体を放り出すな」

「注文、多くない?」

「命は一つだ。注文が少ないと思うか?」


 リィナは返事をせず、再び一本目へ戻った。


 今度は二本目を斬った直後、右足から逆向きの魔力を噴く。


噴歩・逆制(ふんぽ・ぎゃくせい)】。


 身体が急に引かれ、右膝が内側へ折れかけた。


「痛っ……!」


 倒れる前にレイルの【微風(ブリーズ)】が背中を支えた。


 無詠唱で生まれた風はまだまだ弱い。それでも転倒の向きを横へずらし、リィナは肩から地面へ転がった。


「右膝は?」

「平気。ちょっと(ひね)っただけ」

「ちょっとの定義を――」


「助けるな」


 ヴァルカの声が落ちた。レイルは右掌を閉じる。


「壁へぶつかる」

「致命傷にはならん」

「分かっていて見ていろと?」

「こいつが自分で止まる訓練だ。お前が止めれば、またお前を頼るだろ」


 胸の奥へ、冷たい石を押し込まれたようだった。


 (助けないことが訓練だとしても、見ているだけなのは嫌だ......)


 リィナが土を払いながら立ち上がる。


「レイル、今のはありがと。でも次は、私が”自分で止まる”ところまで見ていて」


 (助けてもらえて安心した自分がいる。だからこそ、このままでは駄目よね)


 リィナは痛む膝へ力を入れ、レイルの風がなくても立てることを確かめた。

「膝を壊したらどうする」

「壊さないように止まる練習をしてるの」

「壊す前に止める方が安全だ」

「安全の話だけしてるんじゃない。私が自分でできるって、少しくらい信じてよ」


 そこで初めて、レイルはリィナが痛みより悔しさを隠していると気づいた。


 (心配しているつもりで、失敗する権利まで奪っていたのかもしれない)


 認めたくない考えだった。だが、自分の魔法だけは何百回失敗しても続けたことを思えば、否定する言葉は出なかった。


「信じてないわけじゃない」

「じゃあ、なんで毎回先に手を出すの?」

「……失敗した後では遅いから」

「私だって失敗したいわけじゃない。でも、一度も失敗しないまま上手くなるなんて無理でしょ。レイルは自分の魔法なら何百回でも失敗するくせに、私の失敗だけ先に取るの、ずるいよ」


 長く言い切った後、リィナは息を乱した。


 ラガンは何も口を挟まなかった。

 レイルは反論の形を作れないまま、握っていた掌を開いた。


「……次は、危険線を越えるまで手を出さない」

「危険線って?」

「三本目の杭から半歩先」

「まだ条件つけるんだ」

「全部放っておくとは言ってない」

「じゃあ、それでいい。半歩までは私が止まる」


 言葉で完全に折り合ったわけではない。

 それでも、次の一回へ進む条件だけは二人で決められた。


 その後訓練は昼まで続いた。

 フィア・レコードは回数と足裏温度を記録し、十二回目が終わったところで札を閉じた。


「本日の【瞬駆】は終了です。【逆制】は六回。右足裏の熱量が基準を超え、膝の軸も二度ずれています。続行を認めません」

「まだできるよ。最後の二回は、さっきより停止線へ近づけた。ここで止めたら、その感覚まで逃げる」

「現在の問題は、今この一回を出せるかではありません。明日も同じ足で立ち、今日の感覚を試せるかです。壊して覚える方法は記録上も非効率です」

「じゃあ、あと一回だけ。成功したら終わるし、失敗しても終わる。それなら条件は同じでしょ」

「昨日も同じ交渉をし、その一回を追加しました。結果、今朝の開始時点で回復が一割遅れています」

「昨日の一回と今日の一回は別だよ。今日の私は、昨日より上手くなってる」

「技術は更新されています。しかし身体は昨日から連続しています。上達した貴方が明日も訓練できるよう、今日は終了です」


 リィナがレイルへ助けを求めるように見る。


「レイルはどう思う?」

「フィアが正しい。足を壊したら帰還ゲート(きかんゲート)を起動できても歩けない」

「そういう話じゃない!」

「じゃあ、どういう――」

「もういい。あんたは自分の練習してて!」


 リィナは木剣を抱え、訓練場を出ていった。

 レイルは残された土の足跡を見つめる。


 ニアが少女型で隣へ浮かび、黒銀色の猫耳を伏せた。


『レイル、今の回答、正解ではあるんですけど、気持ちへの点数はかなり低めですねー』

「俺は怪我をしない方を――」

『それはリィナも分かってます。たぶん欲しかったの、“明日ならできる”とか、“今日はここまで一緒にやった”とか、そっちです』

「先に言ってくれ」

『ニアちゃんが言ったら意味ないじゃないですか。本人から言わないと、好感度イベントは成立しません』

「何のイベントだ」

『そこからです? 恋愛シミュレーションゲームとかやったことないんでしたっけ?』


 夜。


 リィナは一人で訓練場へ戻ってきた。

 三本の杭はそのまま残っている。


 もう一度だけなら、誰にも見つからず試せると思った。

 だが、一本目の杭の前にはアルド・クロイツが座っていた。


「規定回数は終わった」

「見張ってたの?」

「監督を頼まれた」

「誰に?」

「フィアとヴァルカとラガンとレイルだ」

「うわ、多すぎ!」

「全員、同じことを考えたらしい」


 リィナは木剣の先を地面へ突いた。


「レイルなら、もう少し話を聞いてくれるのに」

「俺はレイルではない」

「分かってるよ」

「なら、止める。お前が怒ってもだ。明日、最初の一回だけ付き合う。今日は帰れ」

「約束だからね。寝坊したら承知しないよ」

「開始した約束は完遂(コンプ)する」

「道を間違えて来なかったら?」

「ここで寝る」

「そこまでしなくていい!」


 リィナは呆れた末に笑った。


 翌朝、アルドは本当に訓練場へ来ていた。

 ただし柵の外側で待っていた。


「来てるなら入ればいいじゃん」

「入口が二つあった」

「一つしかないよ」

「なら、こちらは出口だ」

「朝から真面目な顔で何言ってるの!」


 笑いながら始めた最初の【逆制】は、停止線を一歩だけ越えた。

 前日より、半歩短かった。


 誰もいなくなった後、斬られた杭の断面へ白い文字が浮かぶ。


【剣士個体】

【停止能力:不足】

【中心対象による補助を確認】

【分離訓練による最適化を推奨】


 ニアだけが、その文字を記録していた。

【今回の登場人物】


・リィナ・アルセイル

 速くなるほど止まれなくなり、失敗までレイルへ取られたくないと初めて言葉にした剣士。


・レイル・アルヴァート

 危険を先に取り除く優しさが、相手の練習を奪うこともあると突きつけられた魔法使い。


・ラガン・ティグリス

 【裂息駆動(ブレス・ブースト)】を二人へ教え、速さより先に帰ってこられる呼吸を残せと命じた虎獣人。


・ヴァルカ・ゼイン

 斬撃の成功より、斬った後に自分と仲間が立っているかを問う四腕族の剣豪。


・アルド・クロイツ

 入口を間違えても約束の場所には到着し、夜間訓練だけはきっちり止めた完遂の少年。


・フィア・レコード

 リィナの「あと一回」を、昨日から連続する身体の記録で封じた目録官。


・ニア

 少女型の明るい口調で、レイルの安全回答へ恋愛点だけ低いと採点した疑似精霊。


【今回の能力・設定メモ】


・【裂息駆動(ブレス・ブースト)

 呼吸、腰、膝、足裏を順番につなぐ王核式の瞬間加速戦技。


・【噴歩・逆制(ふんぽ・ぎゃくせい)

 進行方向と逆へ脚部魔力を噴射し、突入後の身体を間合いへ残す制動技。現在は訓練段階。


【次回】


 ノアの血素不足が、レイルとアルドの腕を巡る妙な争いを起こします。


 停止線を半歩ずつ縮めるリィナのように、物語も一話ずつ次の景色へ進みます。レビュー、ブックマーク、フォローで、その足元を支えていただけると嬉しいです。

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