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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第8章「帰還ゲートは完成しない」

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第116話「三歩を一歩で消す」

 速さは、遠くへ行くためだけの力ではありません。

 三歩を一歩で消した後、どこへ戻るのかを決めて初めて、踏み込みは剣になります。

 翌朝、リィナは約束の時刻より四半刻早く工房広場へ来ていた。

 ヴァルカはすでに石床へ白い線を三本引いている。


 開始線。

 三歩先の斬撃線。

 さらに二歩先の停止線。


「遅い」


 リィナが言った。


「私は約束より早くついてる」

「私も早く来た」

「なら遅くない」

「私より後」

「お前の基準で時間を無理やり変えるな」


 ヴァルカは木製の標的を斬撃線へ置いた。

 レイルたちも少し遅れて広場へ着く。


 リィナが不満そうに振り返った。


「レイル、三分遅い」

「約束の時刻より二分早いが?」

「私は四半刻前からいるんだけど」

「それはリィナが勝手に早く来ただけだろ――」

「言うと思った! 私、レイルも早く来るかなって待ってたのに、平気な顔で時間の計算を始めるから腹が立つの!」


 リィナは木剣の先を向ける。


「”私が一人で待ってた”のに、平気なの?」

「一人じゃない。ヴァルカがいる」

「そういう意味じゃない! レイルが来ると思って待ってたの!」

「……悪かった。待っていてくれたのは、嬉しいよ」

「急に正解を出さないでよ。怒る場所がなくなるでしょ、もう」


 ヴァルカが二人の間へ模擬剣(もぎけん)を落とした。


「朝から剣以外で間合いを間違えるな」


 レイルは反論を飲み込み、リィナは頬を膨らませたまま剣を拾った。


 今日の訓練は、脚部導出端きゃくぶどうしゅつたんから魔力を放出する【脚圧噴射(レッグ・ブースト)】の基礎だった。


 人類種の足裏も正式な魔力放出口だが、立つ、歩く、跳ぶという日常動作に使うため、両手より制御が難しい。


 片足だけ強く噴射すれば腰を捻る。

 着地が遅れれば足首と膝を壊す。

 剣撃へ勢いを乗せすぎれば、敵を斬った後に間合いを通過する。間違えた間合いは、実戦では死を意味していた。


「最初は単純な、止まる練習だ」


 ヴァルカが停止線を示す。


「斬撃線まで普通に走れ。標的へ触れた後、停止線を越えるな」

噴射(ブースト)は?」

「使うな」

「それ、普通の踏み込みじゃないの?」

「普通に止まれない者へ、噴射は教えん」


 リィナは不満そうにしながらも、走りはじめた。


 標的へ木剣を当て、停止線の直前で止まる。


「できた」

「剣を当てる前から減速しているな」

「止まる練習でしょ?」

「敵へ届く前に遅くなるな」


 二度目。


 速度を保って標的へ入り、当てた後に止まろうとする。


 停止線を半歩越えた。


「もう一回!」

「おい、勝手に始めるな。越えた理由を言え」

「勢いが残っちゃった」

「それは見れば分かる。どこに残った」


 リィナは自分の身体を確認する。


「右脚」

「違う。剣と肩と腰と右脚、全部だ。お前は斬撃の勢いを足だけで止めようとした」


 ヴァルカはリィナの背中へ手を置き、重心を少し下げる。


「止めるのは足ではない。身体全体で進む方向を変える」


 結局、リィナは午前中、噴射は一度も使わせてもらえなかった。

 リィナは百回近く標的へ踏み込み、停止線の手前で止まる。


 後半になると掛け声が変わった。


「七十六! お昼!」

「数字と食事を混ぜるな」

「七十七! お肉!」

「集中しろ」

「七十八! 大盛り!」


 レイルは広場の端で、自分の無詠唱(むえいしょう)訓練をしながら回数を記録していた。


 【微風(ブリーズ)】十回。【灯光(ライト)】十回。【硬土(ハード・ソイル)】十回。


 硬土は六回失敗した。

 そのたび通常詠唱で形を確認し、無詠唱へ戻る。


 リィナが百回目で停止線の内側へ止まると、レイルは記録帳から顔を上げた。


「今のはよかったぞ」

「レイル、ほんと?」

「斬った後に左肩を引いて、腰で勢いを横へ逃がしてた」

「見てたんだ」

「記録係だからな、俺は」


 リィナの笑顔が少し萎む。

 レイルは市場と古書市で学んだことを思い出した。


「それだけじゃない。格好よかった」


 リィナの顔が一気に赤くなる。


「そ、そういうの、急に言わないでくれない!」

「褒めろって顔だったから」

「分析を足すなああああああああああああっ!」


 木剣が飛んできた。

 レイルは朝練で覚えた受け身を使い、ぎりぎりで避ける。


 ヴァルカはその様子を見て、午後からようやく噴射を許可した。


「後ろ足の出力は一割だ。決して跳ぶな。地面を蹴る動作へ、魔力を一瞬だけ足すだけだ」


 リィナは右足を後ろへ引いた。


 足裏の【生体導出端(マナ・ポート)】へ魔力を集める。


 最初の噴射は弱すぎて、砂が少し動いただけだった。


「出てない?」

「出ている。身体へ伝わっていない」


 二度目は強すぎた。

 右足だけが前へ出て、身体が横へ回る。


 リィナは標的へ肩からぶつかった。


「あ痛っ!」

「だから一割と言った」

「一割のつもりだったのに!」

「お前の一割は信用しない。フィア、数えろ」


 フィアが測定環を取り出す。


「今の出力は二割七分です」

「倍以上か」

「気合いが入った」

「魔力量を気合いで測るな」


 アルドが標的を立て直す。


「踏み込みへ使うなら、俺の【白銀直路(はくぎんちょくろ)】と似ているな」

「違う。アルドは真っすぐ走るだけでしょ、しかも迷うし」

「真っすぐは最短だ」

「止まれないと壁に刺さる」

「止まる場所まで直進する」

「その場所を間違えるから問題なんだよ」


 ノアが横から測定値を覗く。


「脚部出力を左右均等にすれば、短距離跳躍へ転用できます。理論上は三歩分を一足で――」

「今、教えるな」


 ヴァルカが遮る。


「先の成功像を見せると、この娘は今日中にやる」

「やるよ!」

「ほらな」


 リィナは否定しなかった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 その後練習を続け、夕方までに、出力一割前後の短い噴射を安定して出せるようになった。


 ただし、加速は半歩分にも満たない。

 訓練は数日続いた。


 二日目、リィナは踏み込みへ噴射を重ね、標的までの三歩を二歩半へ縮めた。

 三日目、二歩。

 四日目、一歩半。

 五日目の朝、ヴァルカは開始線をさらに一歩後ろへ下げた。


「今日は跳べ」


 リィナの目が輝く。


「地面すれすれ。上へ逃げるな。後ろ足から一発。標的へ初太刀を当てたら、停止は考えなくていい」

「止まらなくていいの?」

「まず、間合いを消す感覚を覚えろ。止める技は別に作る」

「分かった!」


 レイルは嫌な予感がした。


「停止線の先に何もないか確認した方が」

「干し肉棚がありますね」


 セレネが工房の壁際を指す。


「移動させるべきです」

「必要ない」


 ヴァルカは平然としている。


「失敗したら、止まらない危険を身体で覚える」

「食料被害が出るだろ」

「本人に弁償させる」

「確かに。それは効く」


 レイルは納得してしまった。


 リィナは腰を落とす。


 後ろ足の魔力経路(まりょくけいろ)を開き、踵から足裏へ圧力を集める。


 一度深く沈む。

 魔力が足元で破裂した。


「【噴歩・瞬駆(ふんぽ・しゅんく)】!」


 砂と灰が後方へ弾けた。

 走ったのではない。


 身体が地面すれすれを短く跳び、三歩分の間合いが一瞬で消える。

 赤栗色の髪が遅れて宙へ流れた時には、木剣が標的の首へ入っていた。


「やった!当たった!」


 喜んだ直後も、身体は進み続ける。


「リィナ、前、前!」


 レイルが叫ぶ。


「ああああっ、止まれない!」


 リィナは足を踏ん張ったが、噴射と斬撃の勢いを殺せない。


 標的を通り過ぎ、干し肉棚へ正面から突っ込んだ。

 木箱が倒れ、燻製肉と保存腸詰めが雪崩のように降る。


 ――広場が静まり返った。

 肉の山から、リィナの手だけが上がった。


「成功……?」

「初太刀はな」


 ヴァルカが答える。


「その後は食料庫の敗北だ」


 リィナが肉を頭に乗せたまま起き上がる。


「でも、”三歩消えた”!」

「止まれていない。今のお前は速い剣士ではなく、剣を持った投石だ」

「投石……」


 アルドが堪えきれず吹き出した。

 普段真面目な彼が笑ったため、リィナの顔が赤くなる。


「ねぇ、アルド笑わないでよ!」

「フ、すまない。だが、速さは本物だ」


 アルドは倒れた棚を起こしながら、真っすぐ続けた。


「最初の一歩は、見えなかった。止まれるようになれば、もっと強くなる」


 リィナは怒りを忘れ、一瞬だけ目を逸らした。


「……レイルにも、格好よかったって言われた」

「そうか、よかったな」


 アルドの笑顔が僅かに止まる。

 それでも、すぐに棚へ視線を戻した。


「なら、次は俺にも止まったところを見せてみろ」

「うん」


 少し離れたところで、ノアが赤縁眼鏡を押し上げた。


「青春観察は研究対象外です」


 そう言いながら、アルドの腕を強くつかむ。


「何だ、ノア」

「棚の修理です。貴方は力があるので、こちらへ」

「リィナが壊したのだぞ」

「提供者へ無用な剣撃が飛ぶ前に移動させます」

「誰が飛ばすの?」


 フィアが尋ねる。


「可能性の話です」

「確率は?」

「……算出しません」


 ノアはアルドを引きずっていく。

 リィナは肉を集め、レイルは被害額を数えた。


「干し肉十二本、腸詰め八、棚板二枚」

「全部、私が払う?」

「訓練費から引かれる」

「今日の夕飯、減る?」

「たぶん、な」


 リィナの顔から成功の喜びが消えた。


「でも、もう一回やる!」

「夕飯を取り戻すため?」

「止まれるようになるため! あと夕飯!」


 ヴァルカは首を横へ振る。


「今日は終わりだ。脚部経路が熱を持っている」

「まだできるよ」

「できても、今やれば脚の経路を焼く。明日歩けなくなるぞ」


 フィアが即座に言う。


「本日の噴射上限、到達。追加実施は記録上の失敗とします」

「ね、一回だけ」

「失敗が一件増えます」

「二回なら?」

「二件です」

「増えるだけじゃん!」

「はい」


 交渉の余地がなかった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 その夜、リィナは食事を少し減らされた。

 ただし、工房主が初成功祝いとして、壊れなかった干し肉を一本だけ追加した。


 リィナは半分をレイルへ差し出す。


「壊した食料が元だけど、食べる?」

「床に落ちてない部分なら」

「そういうところ。でも、今日は許す」


 二人で干し肉を分ける。

 レイルは昼間の瞬駆を思い出した。


 (同じ場所で足を止めていたら、今度は俺が置いていかれるな――)


 本当に、最初の動きが見えなかった。

 リィナは確実に強くなっている。


 自分も止まってはいられない。

 翌朝の訓練帳へ、新しい目標を書く。


【無詠唱【風弾(エア・ショット)】――静止状態で三回連続成功】


 その横へ、リィナが勝手に書き足した。


【瞬駆――”肉棚に突っ込まない”】


「俺の帳面だぞ」

「隣で朝練するんだから、一緒でいいでしょ」

「項目は分けてくれ」

「じゃあ線を引く」


 一本の線を挟み、二人の目標が同じ頁へ並んだ。


 速く進むための訓練と、止まるための訓練。

 どちらも、帰る場所を見失わないために続いていく。

【今回の登場人物】


・リィナ・アルセイル

 三歩分の間合いを一足で消す【噴歩・瞬駆(ふんぽ・しゅんく)】へ成功し、その勢いのまま干し肉棚へ敗北した剣士。


・ヴァルカ・ゼイン

 加速より先に百回の停止を教え、成功後の食料被害まで修行代として本人へ返した剣豪。


・レイル・アルヴァート

 リィナの停止を記録しながら自分も六基礎の無詠唱を反復し、同じ頁へ次の目標を並べた幼なじみ。


・アルド・クロイツ

 肉の山へ突っ込んだリィナを笑いながらも、瞬駆の速さを真っすぐ認めて褒めた騎士。


・ノア・エルグラム

 アルドとリィナの会話を研究対象外と言いながら、提供者保護を理由にアルドを即座に回収した魔導士。


・フィア・レコード

 噴射出力と一日の上限を数値化し、追加一回の交渉にも失敗件数で応じた目録官。


・セレネ・グランツ

 停止線の先にある干し肉棚を事前に発見し、被害予測だけは正確に報告した設計者。


・ニア

 レイルの六基礎無詠唱とリィナの脚部経路を並行記録し、二人の朝練目標を可視化した案内役。


【今回の能力・設定メモ】


・【噴歩・瞬駆(ふんぽ・しゅんく)】は後ろ足の生体導出端から一瞬だけ魔力を噴射し、地面すれすれの短距離跳躍で初太刀の間合いを消す技。

・現段階のリィナは加速後の停止技を持たず、間合いを通過する危険が高い。

・レイルは六基礎現象の無詠唱反復を継続し、次の目標を無詠唱【風弾】三回連続成功へ設定した。


 三歩を一歩で消しても、干し肉棚までが訓練でした。ブックマークとフォローで次の停止線を見守り、レビューでリィナが夕飯を取り戻せるよう応援の一本を届けていただけると嬉しいです。

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