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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第8章「帰還ゲートは完成しない」

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第111話「嫌だと言える契約」

 条件の多い契約が危険とは限りません。

 本当に怖いのは、断った後まで続く一行が、小さな文字で隠されていることです。


 東の旧観測塔へ向かう許可を得るため、レイルたちは灰環盟約(アッシュ・サークル)の審査卓へ呼ばれた。


 灰橋宿(はいばしやど)の集会場には、三つの机が半円状に並んでいる。


 左は保護派(ほごは)。中央は封印派(ふういんは)。右は利用派(りようは)


 どの机にも開いた灰色の環が置かれているが、その開き方は違った。

 保護派の環には柔らかな布が巻かれ、封印派の環には鎖が通り、利用派の環には計量用の分銅が吊られている。


 灰環盟約は一つの善意でまとまった組織ではない。

 白環の強制に反対していても、危険な力を自由にしてよいと考える者ばかりではなかった。


「観測塔を起動すれば、人間圏座標の一部を得られる可能性があります」


 セレネが資料を広げる。


「同時に、白環回収網へ私たちの位置を通知する危険があります。起動前に周辺避難、停止手順、追跡時の迎撃配置を決める必要があります」


 封印派の代表は、石色の肌を持つ老女だった。


「最も安全なのは、塔へ近づかないことだ」

「それでは帰還座標を得られません」

「帰還できないことと、大陸全体へ回収網を呼ぶこと。どちらが重い?」


 レイルは答えを急がなかった。


「比較するには、塔の起動範囲と回収網の再起動規模が足りない。調べるための限定調査を申請します」

「危険だから調べる。調べるために危険へ近づく。便利な循環だ」

「だから、撤退条件を先に決める」


 利用派の机から、細身の男が笑った。


 ヴェリク・マルカート。灰色の長衣へ金属製の計算札を何枚も下げ、言葉を話すたび指で一枚ずつ弾く。


「撤退条件だけでは足りない。費用は誰が払う? 護衛、地図、媒体(ばいたい)、塔を壊した場合の修理。君たちは帰れば消える。残る損失は、こちらの共同体が負う」

「依頼報酬と労働で返すが」

「何年かかる?」

「必要額を出してくれ」


 レイルが即答すると、ヴェリクは僅かに目を細めた。


「話が早い。では提案しよう」


 一枚の契約書が差し出される。


 観測塔調査費用を利用派が負担する代わりに、レイルの【未完(ノット・コンプ)】反応を計測し、帰還術式(じゅつしき)完成後も研究記録を共有する。


「帰還後も?」

「人間圏へ記録を送れるようになった場合だ。君の力は大陸間物流を変える。白環にも人間国家にも独占させるべきではない」

「俺が独占される前提なのか?」

「独占されないために、複数の所有権を作る」

「人に所有権を付けるな」


 リィナの声が鋭く飛んだ。


 ヴェリクは怒らず、分銅を一つ持ち上げる。


「自由を守るにも価格がある。誰も費用を払わない自由は、最初の強者に買われるだけだ」

「だからレイルを先に買うって?」

「“買う”ではない。使用条件を共有するのだ」

「言い方を変えても嫌よ.」


 リィナは契約書へ触れようとしなかった。


 セレネは最初の頁から順に読み、フィアが項目番号を付ける。ノアは術式繊維(じゅつしきせんい)を透かし、ニアは少女型で文字の裏へ重なった魔力印(まりょくいん)を解析していた。


『第七条。拒否した後の処理、表と裏で食い違ってます』


 ニアの猫耳が低く伏せる。


「どこ?」


 レイルが覗き込む。


『表では、本人が拒否したら観測停止。でも術式繊維(じゅつしきせんい)の方は、対象反応の自動記録が続く設定です』


 セレネの表情が冷えた。


「書面上の停止と、媒体上の停止が一致していません」

「自動記録は安全確認だ」


 ヴェリクが答える。


「本人が拒否した後も?」

「暴走兆候まで見ないというのか?」

「危険監視と能力研究を分けてください」

「同じ魔力波形だろう」

「目的が違います」


 セレネは怒るほど声が静かになり、文章が精密になる。


「危険監視なら、記録項目を生命兆候、周辺被害、保持数へ限定できます。固有律の内部構造、反応式、再現条件を保存する必要はありません」

「それでは、研究が進まない」

「拒否された研究は進めないでください」


 フィアが第七条へ赤い線を引く。


「訂正します。“拒否時停止”は表面文だけでは成立していません」


 ノアも契約書を机へ戻した。


「理論上は巧妙です。契約違反として指摘された時、表面文だけを示せる。術式繊維は“安全機構”と主張できる」

「褒めているのか?」


 ヴェリクが聞く。


「構造は評価します。倫理は否定します。もっと反論してください。穴を全部潰しますから」

「おいノア、楽しむな」


 アルドが止める。


「良い否定ですわ......」

「今は喜ぶな」

「さらに良いっ――」


 審査卓の空気が一瞬だけ崩れた。

 リィナは笑いそうになり、慌てて真顔へ戻る。


 レイルは契約書を閉じた。


「この条件では受けられないぞ」

「塔へ行けなくてもか?」

「行くために、嫌だと言った後まで力を取られる契約は結ばない」


 ヴェリクは分銅を机へ置く。


「感情論かね?」

「違う。停止できない契約は事故が起きた時に止められない。研究としても危険だ」

「なら、どこまでなら受けられる?」


 拒否した瞬間に交渉が終わると思っていたリィナが、少し驚いてレイルを見る。


 レイルは別紙を引き寄せた。


「観測期間は塔への出発から灰橋宿への帰還まで。記録項目は保持数、外部魔力変動、身体負荷。内部構造の解析は毎回、本人へ目的を説明して別同意。拒否後は記録媒体も停止。生命危機の監視だけは継続していいが、研究利用は禁止」

「費用に見合わない」

「不足分は依頼で返す」

「三十日で?」

「更新する。返済が終わる前に帰還ゲートができた場合は、人間圏側の組合を通した支払い方法を協議する」

「帰った後も責任を残すのか?」

「借りたまま消えたくないからな」


 ヴェリクは初めて、計算札を弾く手を止めた。


「はぁ。少年、君は利用しにくいな」

「褒め言葉として受け取っておこう」

「褒めてはいないがな」


 封印派の老女が口を開く。


「私は塔へ行くこと自体に反対だ。だが、拒否経路を消す契約は白環と変わらん」


 保護派の代表も頷いた。


「費用は三派で分担する。条件は、三十日ごとの再審査、現地案内人同行、白環表示発生時の即時報告。塔本体へ触れるのは次回審査後だ」

「今は周辺調査まで?」

「そうだ。帰りたいからと、ここに住む者の逃げ道を消さないこと」


 レイルは契約書を読み直す。


 リィナが横から袖を引いた。


「今度は大丈夫?」

「まだ、しっかりと確認中」

「長い?」

「長い。でも必要なことだから」

「じゃあ待つ」


 いつもなら急かす彼女が、椅子へ座り直した。

 レイルはその変化に気づき、確認項目を一つ減らした。


 同じ内容を別の表現で二度書いていたからだ。


 (急かさず待ってくれるなら、俺も必要以上に時間を引き延ばすわけにはいかない)


 契約の最終頁へ、全員の署名欄が並ぶ。その下へ白い光が滲んだ。


【拒否経路:不要】

【沈黙を受諾として処理】


 レイルが見るより先に、ニアが半実体(はんじったい)の手で文字へ触れた。


『“嫌だ”って言った後も続く契約とか、マジでナシよりのナシですよねー』


 少女型ニアの声は、普段の明るさを残しながらも低かった。

 白い文字が彼女の指へ絡みつく。


【疑似人格:所有者判断へ従属】


『訂正します。ニアちゃんはレイルの判断を代行しません。誰かの所有物として従う気も、ないです』


 レイルは【未完】へ触れようとした。


 だが、文字は完成直前の術式ではない。古い命令の表示だけで、奪える終端(しゅうたん)が見つからない。


「消せない」

「なら、上から書く」


 リィナが契約書の余白へ大きく書いた。


【”嫌だと言ったら、そこで終わり”】


 字は少し曲がっていた。

 セレネがその下へ正式文を加える。


【明示的拒否後、生命保護を除く全観測・記録・解析を停止する】


 フィアが番号を付ける。


【停止条件・第一】


 アルドが署名する。


「この条件を完遂(コンプ)する」

「誤った命令なら途中で止めてください」


 フィアが言う。


「分かっている」


 ノアは術式繊維を切り、拒否後も動く自動記録を取り除いた。


「九十九%まで接続します。最後の一%は、毎回の本人同意がなければ埋まりません」


 ヴェリクは苦笑しながら、自分の印を押した。


「高くつく契約になった」

「自由には価格があるんだろ?」


 レイルが返す。


「その言葉を使われると腹が立つな」

「良い否定ですか?」


 ノアが嬉しそうに割り込む。


「君は黙っていてくれ」

「さらに良い」


 審査卓の全員が、今度こそ笑った。

 契約成立後、レイルたちは観測塔の周辺調査許可と、灰橋宿での冒険者活動継続を得た。


 ただし本体への接触はまだ許されない。

 帰り道、リィナがレイルの横へ並ぶ。


「私、最初は破って帰ろうと思った」

「契約書を?」

「うん。でも、破ったら観測塔へ行けないし、費用も借りられない」

「よく我慢したな」

「レイルが嫌だって言ったから。私が先に怒鳴らなくても、ちゃんと言えた」


 少しだけ悔しそうだった。


「怒鳴ってくれたから、俺も言いやすかった」

「ほんと? 私、また先に怒っちゃったって思ってた」

「人に所有権を付けるな、は正しかった。あれで契約卓の空気も変わった」

「じゃあ、ちゃんと褒めて」

「正しい指摘だった」

「それは評価。もっと、レイルの言葉で」

「……俺一人なら、条件を整理している間に押し切られてた。助かった。ありがとう」

「うん。次も、嫌な時は一緒に言おう」


 リィナは満足そうに笑った。


 灰色の契約書には、退出路と停止条件が残った。

 帰還路を探すための最初の正式な許可は、何をするかより、何をされたくないかを言葉にするところから始まった。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 観測塔へ行くためでも拒否後に続く研究契約を受けず、自分から許容条件を組み直した交渉役。


・リィナ・アルセイル

 人へ所有権を付ける言葉を真っ先に拒み、最後にはレイルと「両方が嫌と言う」約束を交わした幼なじみ。


・セレネ・グランツ

 表面文と術式繊維の目的差を見抜き、生命監視と能力研究を精密に切り分けた設計者。


・フィア・レコード

 拒否と停止を番号条件へ変え、誤った完遂を止める言葉まで契約へ加えた目録官。


・ノア・エルグラム

 契約の巧妙さを評価しながら倫理を否定し、九十九%接続へ本人同意の空白を残した研究者。


・アルド・クロイツ

 開始した命令でも誤りなら止めると認め、契約の停止条件を自分の完遂へ組み込んだ騎士。


・ニア

 拒否後も続く自動記録を発見し、所有物でも従属人格でもない立場から白環命令を拒んだ同行者。


・ヴェリク・マルカート

 自由を守る費用と能力利用の条件を提示し、レイルたちとの厳しい再交渉を受け入れた利用派代表。


・封印派代表

 観測塔起動には反対しながら、拒否経路を消す契約は白環と同じだと利用派を退けた老女。


・保護派代表

 三派分担、三十日更新、現地案内人同行という条件で期限付き調査許可をまとめた調整役。


【今回の能力・設定メモ】


・灰環盟約は保護派、封印派、利用派を含み、レイルたちへ無条件で味方する組織ではない。

・契約には期限、拒否、停止、退出方法を明示する。

・白環は沈黙を同意として扱い、拒否経路そのものを不要と判断する。


 余白へ書いた「嫌だ」で契約の終わり方が変わりました。ブックマークとフォローはいつでも読者の意思で、レビューは書きたい時にだけ。無理のない形で次の依頼まで付き合っていただけると嬉しいです。

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