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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第8章「帰還ゲートは完成しない」

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第107話「血液提供は依頼外」

 頼るためには、頼み方が必要です。

 差し出す側にも、途中で手を引く権利があります。

 最初の依頼(クエスト)を終えた翌朝、アルドは診療小屋の椅子へ座らされていた。


「あなた、背筋を伸ばしなさい」

「伸ばしているぞ」

「それは胸を張っているだけです。採血に気合いなど不要です」

「必要な血を取るのだろう?」

「八十ミリリットルです。それだけで、決闘前のような顔をしないでください」


 半吸血種(ダンピール)であるノア・エルグラムは赤縁眼鏡を押し上げ、滅菌済みの採血器(さいけつき)を机へ並べた。


 昨日の戦闘で大規模な形成術を使い、さらに夜まで【灰環仮導杖グレイ・サークル・ロッド】の調整を続けた結果、彼女の頬は普段より白い。赤紫色の瞳には湿った光があり、閉じた唇の端から小さな牙が覗いている。


 血素(けっそ)不足が進むと、ノアは普段以上に結論が早くなる。


「アルド。左腕。袖は肘より上まで。止血布を押さえる手は右。返事は一度で十分です」

「分かった」

「よろしい」


 診療小屋の入口で、レイルは足を止めた。


 普段のノアなら、否定や指摘を受けるたびに目を輝かせる。今は逆だ。相手へ選択肢を並べながら、実際には一つずつ先回りして管理している。


 (血が足りなくなると、研究者というより指揮官になるんだな)


 隣にいたフィアが記録札をめくる。


「前回提供から二十六日。体温、脈拍、魔力循環に異常なし。提供可能範囲です」

「俺は戦える。二百ミリでも、もっと取っても構わないぞ」

「構います」


 ノアとフィアの声が重なった。


 ノアはアルドの腕を机へ固定する。


「貴方は自分の身体を資材と勘違いしています。それに、私が必要としているのは血液の量ではなく【血素】です。必要量を超えれば、今度は私の側が制御を失います」

「余った分は保存できないのか?」

「保存中にも血素は劣化します。余分に取って捨てるなど、論外です」


 アルドが少し考え、真面目な顔で頷く。


「分かった。八十ミリリットルを完遂する」

「採血に完遂とかいう語を持ち込まないでください。途中で気分が悪くなれば中止します」

「だが、始めた以上――」

「始め方を間違えたなら、途中で止めてください。最後まで続ければ、失敗まで完成してしまいます」


 フィアが淡々と訂正した。

 アルドは反論しかけて、口を閉じる。


「……それは、覚えておく」


 ノアの目が僅かに輝いた。


「良い否定です、フィア。今の論理をもう少し厳しく掘り下げてください」

「採血後にします」

「焦らしますね。でもそんなところが、いいです」

「ただの医療手順ですけど......」


 そのやり取りを聞いて、レイルはますます理解が遠ざかるのを感じた。そもそも自分の10倍近く生きているのだから、理解ができないのも無理はないのかもしれない。


 少女型ニアがアルドの肩の上へ小さな環を表示する。


『提供者の意識、脈拍、魔力循環、まとめて見ます。止めたくなったら“中止”でオッケーです』

「嫌ではない」

『今は平気でも、途中でイヤになった時の話です』

「嫌になる予定はない」

『予定外が起きるから監視するんです。これ、レイルの受け売りですけどね』


 レイルは何も言っていないのに、なぜか自分まで注意された気分になった。


 ノアは針を当てる前に、アルドの顔を正面から見た。


「改めて確認します。血素不足を補うため、八十ミリリットルの血液提供を申請します。直接吸血は行いません。途中で中止できます。拒否しても、同行や治療上の不利益はありません」

「説明を理解した。提供する」

「即答ですね」

「前に聞いた内容と同じだ」

「同じでも、毎回確認します」

「なら毎回、同じように答えるだけだ」


 ノアの指が一瞬だけ止まった。


「……そうですか」


 命令口調が少し薄れた。


 その変化へ本人が気づく前に、フィアが時刻を書き込む。


「提供開始」


 細い針が入り、赤い液体が目盛りへ上がっていく。

 ノアはアルドの呼吸を数えながら、無意識に自分の唇を舐めかけた。途中で気づき、顔を背ける。


 彼女が直接吸血を嫌う理由は、単に衛生や規則だけではない。


 誰かへ噛みつき、相手の体温ごと血を得る行為は、本人の中で「吸血種の自分」を強く認めることになる。だから彼女は器具を使い、量を決め、手順へ変える。


 (必要だから頼む。それを恥じなくていいと、まだ自分で思えていないのか)


 レイルが見つめていたせいか、ノアが鋭く振り向いた。


「おい共同研究者。観察するなら所見を述べなさい?」

「顔色は悪い。手は震えていない。牙が少し伸びてる」

「最後は不要です」

「観察結果を正直に申告しただけだが?」

「女性の牙を凝視するのは礼儀に反しますよ」

「牙に男女差があるのか?」

「そういうところが問題です!」


 診療小屋の外から、リィナの声が飛んだ。


「レイル、何してるの?」

「ノアの牙を見ていた。血素不足の進み方が分かるかと思って」

「なんで、そんなに真剣な顔で女の人の口元を覗き込んでるの!?」


 赤栗色の髪を揺らし、リィナが入口へ顔を出す。背後にはセレネとミュラもいた。


「体調確認だ。吸血種は、症状が牙へ出るらしい」

「理屈は分かる。でも、最初の説明が“牙の観察”なのが変なの! 心配だから見てた、でいいでしょ!」

「……心配はしていた」

「後から正解を足すなああああああああああ!」


 セレネは状況を一度見回し、眼鏡を直した。


「ノアさんが採血中。レイルが牙を観察。リィナさんが誤解。事実関係は理解しました」

「誤解って言い切らないで。ちょっとは変だと思うでしょ?」

「かなり変ですが、レイルですから」

「どういう意味だ?」

「やっぱりレイルはレイル、という意味です」


 レイルだけ説明を受け取れないまま、採血器の目盛りが十へ届いた。


「終了です」


 ノアは即座に針を抜き、止血布を押し当てる。


「アルド、五分間は座ってください。右手で圧迫。重い物は禁止。急に立たない」

「五分後なら荷車を運んでいいのか?」

「今日は午前中、軽作業だけです」

「そこまで弱くない」

「強さの話をしていません。私が取った血で貴方が倒れたら、理論を語る前に私の手順が失敗です」


 アルドが立ち上がろうとすると、ノアは肩を押して椅子へ戻した。


 細い腕とは思えない力だった。


「座りなさい」

「分かった」

「返事は一度で十分です」

「今は一度だ」

「よろしい」


 ノアは採取した血液を術式筒へ接続する。

 赤い液体が細い管を通り、魔導衣の内側へ吸収された。


 白かった頬に、ゆっくりと色が戻る。牙が短くなり、瞳の赤も落ち着いていく。

 それと同時に、ノアの肩から力が抜けた。


「……先ほどの管理口調は、血素不足による一時的な症状です」

「いつもより分かりやすかったぞ」

「忘れなさい」

「良い指示だった」

「褒めないでください!」


 ノアは耳まで赤くし、採血器を洗い始めた。

 フィアが記録札を差し出す。


「手順上の不足を三件確認しました」

「三件も? 読み上げてください」


 ノアは恥ずかしさを忘れたように食いつく。


「一件目。提供者の朝食量を事前記録していません。二件目。採血後の糖分・水分を用意していません。三件目。血素不足時の貴方が、拒否回答を急かす可能性があります」

「三件目は異議があります。私は拒否権を説明しました」

「説明と、拒否しやすい態度は別です」

「……良い否定です、もっと言ってほしい。いやなんでもないです」


 ノアは悔しそうなのに、目だけは嬉しそうだった。


「次回は改善します。さらに不足があれば遠慮なく」

「次回までに手順書を作ります」

「はじめての共同執筆ですね」

「ただの管理記録です」


 フィアは訂正したが、ノアは満足そうに頷いた。


 アルドは止血布を押さえたまま、二人へ尋ねる。


「俺は次回も座っていればいいのか?」

「まず朝食を食べてください」

「次に水を飲む」

「前回提供日を確認」

「説明を聞く」

「嫌なら断る」

「嫌ではない」

「それを毎回、自分で決め直してください」


 フィアの声は変わらない。

 だが、アルドはしばらく考えてから、今度は軽く扱わずに頷いた。


「分かった。次も、その時に決める」


 ノアは答えず、洗い終えた採血器を布へ置いた。

 その横顔は少しだけ安堵していた。


 昼前、レイルたちは昨日の依頼報酬を受け取った。


 灰片貨(かいへんか)は全員で均等に分け、食券は一枚ずつ。


 リィナは自分の分を見つめ、レイルの袖を引いた。


「ねえレイル。市場、行かない?」

「必要な装備があるのか?」

「......ご飯を食べに。二人で」

「食券なら炊事場で使える」

「市場のご飯がいいの。ずっと依頼と訓練ばっかりだったし、今日は普通に歩きたい」

「現地食の価格と保存性を調べるなら――」

「兼ねない。レイルと食べたいから誘ってるの」


 リィナは一度言葉を飲み込み、頬を赤くしたまま言い直した。


「二人で、食べに行くの」


 レイルは、危険条件でも契約条項でもない一言に、なぜかすぐ答えられなかった。

 ニアが肩の上で小さく尻尾を振る。


『回答が遅れています。脈拍も上昇中。ただし採血は不要です』

「分かってる」

「何が?」


 リィナがさらに赤くなる。

 レイルはようやく、袖を引かれたまま頷いた。


「行く。市場の道と、帰りの門限だけ確認してからな」

「もう! 最後までそれなの!?」

「行くとは言っただろ」

「……うん。言った」


 怒った声の最後だけが、少し嬉しそうだった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


【今回の登場人物】


・ノア・エルグラム

 八十ミリリットルの血液提供を厳密に管理し、吸血後は自分の命令口調を誰より恥ずかしがった半吸血種(ダンピール)


・アルド・クロイツ

 血液提供を戦闘任務のように完遂しようとし、毎回その場で同意を決め直すことを覚えた騎士。


・フィア・レコード

 朝食、水分、拒否しやすさの三件を指摘し、ノアの吸血手順を共同管理へ変えた目録官。


・レイル・アルヴァート

 ノアの牙を体調所見として観察し、説明の正しさと会話の正しさが別だとリィナたちに教えられた少年。


・リィナ・アルセイル

 牙の観察へ即座に反応し、最後には勇気を出してレイルを市場の食事へ誘った幼なじみ。


・セレネ・グランツ

 牙の観察をめぐる誤解を事実関係から整理しつつ、レイルらしさへの評価だけは説明しなかった少女。


・ニア

 脈拍と魔力循環を監視し、拒否語と中止条件を提供者へ繰り返し確認した案内役。


・ミュラ・ノクテ

 診療小屋のやり取りを見守り、現地側の生活感を保った小角族(しょうかくぞく)の案内人。


【今回の能力・設定メモ】


・ノアの定期的な血液摂取は、提供者の同意、量、拒否権、体調監視を必須とする。

・血素不足時のノアは管理的で命令口調が強くなり、補給後は平常へ戻って自分の言動を恥じる。

・直接吸血は緊急時以外行わず、通常は滅菌済み採血器を使用する。

・採血(吸血)通常量:八十ミリリットル、緊急時百~二百。

原則間隔:二十八日以上

緊急上限:百二十ミリリットル

二百ミリリットル以上は原則禁止とする。


ノアは第二世代の半吸血種のため、効率よく血から必要とする成分を吸収できます。


 採血にも説明と同意が必要なように、応援も無理のない形で受け取れたら幸いです。ブックマークとフォローで次の市場へ同行し、レビューでノアの手順書へ改善点を一つ加えてください。

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