第106話「最初の依頼は迷子探し」
討伐数が多くても、帰ってこなければ成功ではありません。
最初の依頼で問われるのは、強さより先に、誰を連れて戻れるかでした。
最初に受けるクエストとなった、水運び人が戻らなくなってから、すでに一日半が過ぎていた。
運び人の名はジルバ。頬に細かな鱗を持つ流鱗族の青年で、灰橋宿から北東の水場へ二日に一度、荷獣を連れて往復しているそうだ。
普段なら日暮れ前には戻る。昨日は夜になっても姿がなく、朝の捜索班が途中で血の付いた水桶だけを見つけた。
「血液量は少ない。桶の縁に擦った程度です」
フィアが報告札と現物を照合する。
「荷獣の毛も付いています。人間一名と荷獣一頭が同じ場所で負傷したとは限りません」
「一匹見つかったからといって、一匹しかいない証明にならないな」
レイルは地図へ赤い線を三本引いた。
通常の谷道。崖沿いの近道。雨期にだけ使われる旧水路。
「水運び人を最後に見た者は誰だ?」
「北東門の番人。出発時、荷獣の右後脚が少し硬かったって」
ミュラが現地語の証言を訳す。
「なら、崖沿いは選ばない可能性が高いですね」
セレネが近道へ細い斜線を引く。
「――誰かを避けて予定外の道へ入った場合は別です」
「四眼跳狼】の痕跡が北で増えている」
虎獣人ラガンは鉤縄を肩へ掛けながら言った。
「群れなら水場を直接襲わず、帰り道で荷を重くした相手を狙う。生きているなら、荷獣を捨てて岩陰にいるかもしれん」
「ちがう。捨てない人」
ミュラが首を横へ振った。
「ジルバ、荷獣の名前、毎回呼ぶ。家族、みたいに」
レイルは旧水路へ丸を付けた。
「荷獣を連れたまま逃げるなら、道幅のある旧水路だ」
「決まり、かな?」
リィナが剣帯を締め直す。
「最有力だ。だが、通常道へ確認班を一人も出さないのは危険だから――」
「班を分けるのはなし」
リィナの返事は早かった。
「白環はさ、私たちを分けたがってる。最初の依頼で、自分たちから別々になるのは嫌だもん」
「感情だけで捜索範囲を狭めれば、救助が遅れるぞ?」
「分かってる。でも、効率のために誰かを一人へ戻すのも違うでしょ。ニアを犬型にして三本の痕跡を比べない? 私たちは一緒に進む。最初の依頼くらい、全員で行って、みんなで帰りたい」
「……その案なら、確認速度も落とさずに済むか」
レイルは考えた。
犬型ニアの追跡精度は、地面へ痕跡が残る場所なら高い。ただし、オムニアの濾過器は壊れたままで、長時間の犬型維持には周辺魔力かレイルの補助が必要になる。
「ニア。犬型を十五分。周辺魔力だけで足りるか?」
『現在の魔力濃度なら可能だよー。レイルの魔力は使いませーん』
「三本の分岐で匂いと魔力痕を比較。深追いはしない」
『了解です。せっかく犬型なので、ワン成分も追加しますワン!』
「追加しなくていいぞそれは」
少女型の輪郭が縮み、黒銀色の犬へ変わる。耳だけは猫型の名残で少し尖っていた。
『追跡を始めます。ワン』
「やっぱり言うんだ」
リィナが笑い、緊張していた肩を少し下げた。
北東門を出て一刻ほど進むと、谷道は三方向へ分かれた。
犬型ニアが通常道の土を嗅ぎ、崖道の岩肌へ前脚を掛け、最後に旧水路の乾いた泥へ鼻先を寄せる。
『くんくん、荷獣の毛を確認。人型の足跡は一名分。追跡対象との一致率は七十八%です。旧水路が最有力です』
「七十八もあれば十分だ」
「十分ではありません。候補として最優先なだけですよ」
セレネがレイルの言葉を訂正する。
「そう言ったつもりだが」
「言葉に出ていません」
「......頭の中では条件付きだった」
「依頼人は頭の中を読めません。報告時には明示してくださいね」
レイルは記録帳へ【最有力・断定せず】と書いた。
旧水路は、かつて谷間の集落へ水を運んでいた石造りの溝だった。今は半分が砂へ埋まり、両側の壁だけが腰の高さまで残っている。
レイルは歩きながら、右手へ【微風】を無詠唱で形成した。
匂いを前へ押すのではなく、自分たちの体臭を後方へ流す。四眼跳狼は嗅覚と魔力感知を併用する。完全には隠せなくても、発見を一呼吸遅らせられる可能性がある。
風は五歩で散った。
『無詠唱【微風】、持続三・二秒。歩きながらの形成は、これが初成功です』
「記録は後だ」
『もう記録してあります』
「なら報告だけ後にしてくれ」
『了解しました』
少し先で、アルドが立ち止まった。
「右から声がしたぞ」
全員が息を止める。
風の途切れた谷に、かすかな鳴き声が響いた。
人の声ではない。荷獣が喉を震わせる低い声だった。
ミュラが地面へ片膝をつき、角を土へ近づける。
「右、空洞。水路の下。生きてるの、二つ」
「跳狼は?」
「上。いっぱい」
リィナが剣を抜いた。
「いっぱいって何匹?」
「足、八……違う。目の音もある。六匹以上」
「目の音?」
「魔力、目から出す」
ラガンが低く唸る。
「【四眼跳狼】だ。前の二眼で獲物を見て、額の二眼で魔力の動きを読む。魔法を形成した瞬間に跳んでくるぞ」
「詠唱より形成を読むなら、無詠唱でも同じか」
「むしろ声がない分、仲間が気づきにくい」
レイルは右手を閉じた。
(”無詠唱を使うこと”が目的じゃない。救助を遅らせたら訓練が無駄になる)
旧水路の石壁の上へ、灰色の影が一つ現れた。
狼に似ているが、肩は人の腰ほど高い。黄色い二眼の上に、青白い小さな眼が左右へ開き、レイルの掌へ向いていた。
続けて二匹。さらに奥へ三匹。
「六匹確認」
フィアが番号を振る。
「救助対象、下部空洞に二。敵対対象、現時点六。未確認を一件残します」
「私とラガンが前。アルドは空洞を開ける道へ」
リィナが即座に配置を決める。
「セレネは防壁。フィアとノアは救助。レイルは後ろと横」
「俺も前へ出られる。リィナの右脚は、まだ完全じゃないだろ」
「だから横を守って。前へ出る余裕があるなら、私が見られない場所を埋めてほしい。今、そこが一番怖いから」
「……分かった。俺は横から跳ぶ個体を止める」
「うん。私が前を見る」
最初の跳狼が石壁を蹴った。
リィナは正面から受けず、刃の腹で前脚を外へ流す。着地の瞬間へ踏み込み、【無終剣・継歩】で二匹目への間合いを途切れさせない。
ラガンの長刀が三匹目の進路を塞いだ。
左右の壁から、残る三匹が同時に跳ぶ。
「セレネ、右壁!」
「形成済みです。【土壁】!」
地面から斜めの土壁がせり上がり、一匹を空中で押し返す。
しかし、額の眼が光った二匹は壁の起動を読んで軌道を変えた。
一匹がフィアへ向かう。
レイルは声を出さず、右掌へ圧縮した空気を集める。
無詠唱【風弾】はまだ安定していない。形成に時間がかかり、外せばフィアの横へ抜ける。
だから、今朝作って【未完】へ保持していた一発を使う。
胸の奥へ引っ掛けていた完成圧力を、右の射線へ戻す。
「【未完記録・第一番】――完成!」
圧縮空気が跳狼の脇腹へ当たり、軌道を半歩分だけずらした。
フィアの肩を爪が掠める寸前、アルドが盾で弾き飛ばす。
「”助かった”」
「負傷確認は後だ。空洞を開ける!」
アルドは石壁へ剣を差し込み、崩れた板を持ち上げた。
空洞の中には、脚を挟まれた流鱗族の青年と、横倒しになった角のある荷獣がいた。
「ジルバ!」
ミュラが現地語で呼ぶ。
青年が目を開き、何か叫んだ。
「荷獣を先にって」
「同時に出す」
ノアが杖を掲げる。
「【未結星槍】――形成方向を横へ。支柱として九十九%固定します!」
魔力槍が崩れかけた天井を支え、一本分の隙間を残して止まる。
「フィア、順番を」
「一番、青年の脚を解放。二番、荷獣の首周り。三番、支柱の退避」
「了解した」
アルドが石を持ち上げ、ノアが重さを支え、フィアが負傷位置を指示する。
その間にも、跳狼は増えていた。
七匹目が水路の奥から現れる。
「未確認一件、敵対へ訂正。合計七」
フィアの声が飛ぶ。
リィナは一匹を倒し切らず、足を払って壁の外へ転がした。殺せば血の匂いで群れが興奮する。ラガンも刃を浅く使い、谷の出口側へ追い込んでいる。
「レイル、左!」
リィナの声に、レイルは振り向かず手を地面へついた。
「【硬土】!」
今度は唱える。
左側の砂が固まり、跳狼の着地点だけを高くする。前脚が滑り、体勢を崩した個体へリィナの剣が届く。
「無詠唱じゃないの?」
「成功率が足りない!」
「よし!」
リィナは迷いなく、レイルが作った一段を踏んだ。
敵を斬るのではなく、剣の峰で額の魔力眼を打ち、群れの感知を乱す。
その瞬間、空洞からアルドが青年を抱えて出た。ノアとフィアが荷獣を引き、ミュラが安全な足場を示す。
「救助対象、二件とも空洞外!」
「撤退する。ラガン、最後尾を頼めるか」
「最初からそのつもりだ」
レイルは煙玉を使おうとして、跳狼の額の眼を見た。
視界だけではなく魔力を見るなら、煙だけでは止まらない。
「セレネ。土壁を二枚、谷側へ傾けられるか」
「二枚同時完成はできません。形成を二つ、完成は順番なら」
「第一を右、第二を左。間に風を通す」
「意図を説明してください」
「匂いと魔力残滓を谷の外へ流して、別方向へ群れを誘導する」
「成立可能です。失敗時は私たちの退路へ匂いが戻ります」
「それでも、ただ逃げるより追跡を切れる」
「採用します」
セレネが左右へ術式を形成する。
レイルは【微風】を無詠唱で作ろうとした。
一度目は散った。
二度目、呼吸を整える。
敵の目が掌へ向く。
リィナがその視線を遮るように前へ立った。
「焦らないで。私が一呼吸稼ぐ」
「二呼吸ほしい」
「欲張り!!」
それでも彼女は二歩踏み込み、二匹の跳躍を連続で外へ流した。
レイルの掌に、細い風路が生まれる。
「今だ、セレネ!」
「右壁、完成。左壁、完成!」
二枚の斜壁の間を風が抜け、血と魔力の匂いを谷の外へ運ぶ。
ラガンが最後に大きな石を蹴り落とし、追いかけようとした群れの進路を塞いだ。
一行は青年と荷獣を連れ、旧水路を離れた。
灰橋宿へ戻った時には、日が傾いていた。
ジルバの脚は骨折していたが、命に別状はない。荷獣も右後脚を痛めただけで、診療小屋の前で主人の袖を噛んでいた。
組合の受付役は報告書を読み、討伐数の欄へ目を止めた。
「討伐、ゼロ?」
「追跡を切り、群れを水路の外へ誘導しました。負傷個体はいますが、殺していません」
セレネが説明する。
「依頼は水運び人の捜索と救助です。討伐は追加条件に含まれていません」
「七匹いたなら、倒した方が報酬増えない?」
受付役の問いに、リィナが少しだけ口を尖らせた。
「倒せたと思う。でも、ジルバと荷獣を連れて帰る方を先にした」
「それでいい」
受付役は討伐欄ではなく、帰還欄へ大きな灰色の印を押した。
【依頼対象・全員帰還】
「最初の仕事としては、十分。戦えることより、戻ることを優先した。客員評価、一段追加」
報酬は灰片貨と、食堂の食券。それに共同浴場の利用札だった。
リィナが食券を数える。
「一人二枚?」
「一枚だ」
「でも、助けたの二人だよ?」
「荷獣を人数へ入れるなって」
「働いたじゃん!」
「食券の制度に言ってくれ」
ジルバが寝台から笑い、現地語で宿守へ何か頼んだ。
ミュラが訳す。
「彼が、自分の食券、リィナに一枚あげるって」
「え、いいの!?」
「怪我人から受け取るのか?」
レイルが聞くと、リィナは嬉しそうに伸ばした手を途中で止めた。
「……半分なら?」
「食券は半分にできないぞ」
「じゃあ、元気になったら一緒に食べよ!ジルバさん」
ジルバが頷いた。
(依頼は終わった。でも、助けた後の約束は続くんだな)
報告書の最後へ、レイルは追記した。
【再発防止:旧水路入口へ警告札。荷獣の脚の事前確認。跳狼の群れ位置を三日後に再調査】
フィアが横から覗き込む。
「一件不足しています」
「何が?」
「無詠唱【微風】を戦闘中に二度失敗。成功だけを記録しないでください」
「依頼報告に必要か?」
「個人訓練記録には必要です」
レイルは別欄へ失敗を二つ書き足した。
リィナが満足そうに頷く。
「朝の続き、ちゃんとできたね」
「依頼中にやる予定ではなかった」
「でも、足は止まらなかった」
その言葉だけは、報告書のどこへ書けばいいか分からなかった。
【今回の登場人物】
・レイル・アルヴァート
無詠唱に固執せず詠唱魔法も使い、保持済み【風弾】と匂いを流す【微風】で救助の帰路を作った少年。
・リィナ・アルセイル
跳狼を倒し切るより救助の時間を稼ぎ、食券一枚にも全力で交渉した前衛剣士。
・セレネ・グランツ
二枚の土壁を順番に完成させ、レイルの風路案を危険条件込みで実戦へ落とした設計役。
・フィア・レコード
敵を七件まで数え、救助順とレイルの無詠唱失敗二件を成功と同じ重さで記録した目録官。
・アルド・クロイツ
フィアを守りながら空洞を開き、負傷者を抱えて指定された帰路を完遂した騎士。
・ノア・エルグラム
九十九%で止まる魔力槍を欠陥ではなく救助用支柱へ転用した魔導士。
・ミュラ・ノクテ
地面の空洞と生存反応を聞き分け、救助対象の位置を最初に特定した現地案内人。
・ラガン・ティグリス
跳狼を殺しすぎず谷の外へ押し返し、最後尾から一行の撤退を守った剣士。
・ニア
犬型で三本の分岐を比較し、戦闘中は無詠唱の成功と失敗を即時記録した同行者。
【今回の能力・設定メモ】
・【四眼跳狼】は通常の二眼に加え、魔力形成を読む額の二眼を持つ群れ型魔物。
・レイルは保持済み【風弾】一件を安全に完成。歩行・戦闘中の無詠唱【微風】は成功と失敗が混在する段階。
・灰環継路組合は討伐数より、依頼目的、帰還、報告、再発防止を評価する。
【読者応援文】
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