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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第7章「地図の外の子どもたち」

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第102話「仮継路札」

名前を書く札は、人を縛るためにも、帰る道を残すためにも使えます。

大切なのは、いつまで有効で、嫌になった時にどう外せるかが書かれていることです。

 白環警報が解除された翌朝、レイルたちは灰橋宿の地図塔へ呼ばれた。

 受付台には、七日間有効の【仮継路札(かりけいろふだ)】と、灰色の紙束が並んでいる。

 人間圏の学院証は身元資料として扱われたが、それだけで信用を得られるわけではない。


「ここで何をしたか。何を壊したか。危険な時に誰へ言うか。それを書く」


 ミュラが宿守の説明を訳す。


 レイルは危険申告欄へ、【未完(ノット・コンプ)】、オムニアの破損、白環からの追跡、仮導杖の制限を書き始めた。


 一枚目が埋まる。

 二枚目も埋まる。

 宿守が三枚目を差し出した。


「書くこと、多い人?」

「まだ把握できていない危険もあります」

「把握してないこと、全部書けない」

「だから“詳細不明”と書いて、考えられる条件を――」


 セレネが、ひったくるようにレイルから紙を取り上げた。


「もう。三項目へまとめます。本人の能力、白環の追跡、破損装備。未知の危険については、変化があれば再申告と書きます」

「それでは詳細条件が落ちるだろう?」

「必要なら別紙で保管します。受付へ全部書いたら、緊急時に読み終わる前に事が起きます」


 宿守がセレネへ頷いた。


「そっち、分かりやすい」

「俺の説明も正確ではあるんだが――」

「長い正確さは、急ぐ時には使えません! やっぱりレイルはレイルですよね」


 次はニアの登録だった。


 書記は最初、【所有物/魔導具付属人格】の欄へ印を付けようとした。


 少女型ニアが受付台へ両手をつく。勢いで黒銀色の髪が揺れ、猫耳は抗議するように前へ向いた。


 足元はまだ薄く透けているが、上半身だけを見れば、人間の少女が自分の席を守ろうとしているようにしか見えない。


『ちょい待ちです。それ、ナシ寄りのナシ。ニアちゃん、オムニアの機能でもありますけど、今は同行者なんですケド――!?』


 宿守が目を丸くする。


 ミュラが訳すと、書記は所有物欄を二本線で消した。


【同行者/媒体依存型疑似精霊/分類継続】


『分類継続って、なんか未完成でよきですね!』

「普通は、きちんと分類されたいものじゃないのか?」

『今のニアちゃんを一語で決められるより、これから増やせる方がアガります』


 レイルは、その言葉を記録しておきたいと思った。


 けれど今回は、本人が話した直後に紙へ逃げず、声で答えた。


「分かった。ニアは同行者だ。それに、これから増えていく」

『はい。今の回答、好感度高めです!』


 ノアの札には、定期的な血液摂取が必要だと記載された。


「提供者本人の同意。量。途中の拒否。飢餓時の隔離。母の血封管を使う条件」


 宿守が一つずつ確認する。


「私は百三十歳を越えています。子供のような管理は不要です」

「年齢と、他人の血を取る時の約束に何か関係があるのか?」


 レイルが言うと、ノアの赤紫色の瞳が少し輝いた。


「正論です。もう少し厳しく、具体的に決めてください」

「おい、ノア。なぜ嬉しそうなんだ」

「良い否定は理論を強くします!」


 そう答えた直後、ノアは細い赤縁眼鏡を押し上げた。


 なぜだかその瞬間、眼鏡の縁と、その奥の目が輝いたような気がした。


 一度。


 続けて、もう一度。


 その視線が、受付台に置かれた新品の採血器へ吸い寄せられている。


 昨夜、【灰環仮導杖グレイ・サークル・ロッド】を組み上げるため、大規模な演算を続けたせいだろう。


 普段から白い肌が、今朝はさらに血の気を失っていた。赤紫色の瞳も僅かに潤み、閉じた唇の端から小さな牙が覗いている。


「ノア。大丈夫なのか?」


 レイルが尋ねると、ノアは答えず、隣に立つアルドへ顔を向けた。


「アルド。腕を出しなさい」

「負傷確認か」

「血が要ります」

「分かった」


 アルドは一切迷わず左袖をまくった。


 さらに腰の短剣へ手を伸ばしたところで、ノアがその手首を両手で止める。


「待ちなさい。なぜ刃物を抜くのですか!」

「血が必要なのだろう?」

「必要量は十ミリリットルです! 腕を切り開く必要はありません!」

「早い方がいいと思ったんだが」

「豪快なのは嫌いじゃありませんが、自分の身体をそんなに雑に扱わないでください!」


 地図塔の中に、ノアの声が響いた。


 宿守が、開いたままの登録札と二人を見比べる。


「今、書いた約束。量、説明。嫌なら嫌と言う」

「その通りです」


 ノアは咳払いし、乱れた呼吸を整えた。


 それからアルドの正面へ立ち直り、研究報告を読み上げる時と同じ口調へ戻ろうとする。


「血素不足を補うため、十ミリリットルの血液提供を申請します。滅菌済みの採血器を使用し、直接吸血は行いません。途中で気分が悪くなった場合は即座に中止します。拒否権もあります」

「分かった。提供する」

「即答しないでください」

「説明は聞いた」

「聞き終わった直後に了承しただけでしょう。もう少し自分の身体を大事にしてください」

「必要なのだろう?」

「必要ですが、簡単に差し出されると、それはそれで腹が立つんですよねえ」


 アルドが困ったようにレイルを見る。


「どう答えるのが正解だ、おい」

「俺に聞くなよ。たぶん、ノア自身にも分かってないんじゃないか?」

「分かっています。適切に検討したうえで、自発的に提供すると答えるのが正解です」

「適切に検討した。自発的に提供する!」

「ああ、もう。早すぎます!」


『同意手順、ガッチガチですねー。でも大事なので、ニアちゃん的には高評価でーす!』


 少女型ニアが受付台へ腰かけ、半透明の脚を楽しそうに揺らす。


 ノアは採血器を手に取った。


「ニア。提供者の意識、脈拍、魔力循環を監視してください」

『りょーかい。アルド様、嫌になったら、いつでも“ナシ”って言ってくださいね』

「嫌ではないぞ」

『決断が速い! 男前というより、契約書を読まないタイプでしょー、あなた!』

「今回は読んだぞ」

「普段から読んでくださいね」


 ノアはアルドの腕を消毒し、細い針を当てた。


「はい、動かないでください。腕はその位置。呼吸を一定に。こちらを見なくて結構です」


 血素不足の影響か、先ほどより声が低い。


 普段は叱責されることさえ研究刺激として喜ぶノアが、今は完全に相手を管理する側へ回っていた。


 赤紫色の瞳が鋭く細まり、アルドの姿勢から指先の力まで、一つずつ修正していく。


「肩の力を抜いて。そうです。勝手に筋肉へ力を入れない。採血が遅くなります」

「分かった」

「返事は一度で十分です」

「……分かった」

「今ので二度目です」

「む……」


 アルドは黙った。


 目盛りが十ミリリットルへ届くと、ノアは即座に針を抜き、止血布を押し当てた。


「終了です。五分間は重い物を持たないでください。止血布は、血が止まるまで押さえていてください」

「荷車の荷下ろしが残っているが」

「五分間です」

「しかし――」

「いいから座りなさい!」


 アルドは素直に椅子へ座った。


 レイルは目を瞬かせる。


(アルドが一言で座ったぞ……)


 ノアは小瓶を術式筒へ装着した。


 赤い液体が細い管を通り、魔導衣の内側に組み込まれた補給術式へ吸収されていく。


 青ざめていた頬へ、少しずつ血色が戻った。


 唇から覗いていた牙も、ほどなく目立たなくなる。


「どうだ」


 アルドが尋ねる。


「質問が雑ですよ」

「身体に合わなかったか?」

「鉄分は十分。筋肉疲労が多く、塩分も過剰です。昨日から水分補給が足りていません」

「他には?」


 ノアは赤縁眼鏡を押し上げ、真面目な顔で答えた。


「方向感覚に関係する成分は、検出できませんでした」

「最後は血液と関係がないな」

「現状から導いた補足所見です」


『採血しても方向音痴の原因、分からず! 研究継続案件ですね!』

「継続しなくていい」


 アルドが止血布を押さえたまま答える。


 ノアは空になった採血器を丁寧に洗浄し、僅かに顔を背けた。


「……提供には感謝しています」

「聞こえなかった」

「聞こえているでしょう。今の一文は記録しなくて結構です」

『音声記録、ばっちり完了してまーす!』

「消してください」

『保護設定で永久保存しときますね!』

「それは削除ではありません!」


 いつもの調子を取り戻したノアを見て、レイルは小さく息を吐いた。


 登録札へ書かれた「同意」「量」「途中拒否」という言葉が、単なる規則ではなくなった。


 守らなければならない約束であると同時に、ノアが誰かへ頼るための手順でもあった。


 また、アルドの札には、昨夜までの証言から【単独道案内禁止】と書かれた。


「俺はノアを連れて到着しただろ!?」

「偶然見つけた荷車が、”たまたま灰橋宿へ向かっていたから”です」

「途中の護衛は完遂しているぞ!」

「道案内とは別ですねー」


 宿守は迷わず印を押した。


 登録後、ミュラが最初の灰環交易語を十語だけ教えた。


 水。飲む。食べる。危険。待て。助ける。止める。嫌だ。帰る。出口。


「ありがとうより、“嫌だ”を先に覚えるのか」


 レイルが尋ねる。


「知らない人と約束する時、嫌って言えないと危ない。出口、知らないと帰れない」


 セレネが頷いた。


「開始の言葉より、撤回と終了を先に覚える。合理的です」

『“嫌”と“出口”、超だいじ。ニアちゃんも無断吸引はナシって学びましたし』

「その言い方だけは説得力がある」


 昼食後、セレネはレイルの隣へ座り、ノアの術式図について小声で尋ねた。


「本当に、一枚だけですか」

「一枚だけだ。名前も知らなかった」

「疑っているわけではありません」

「では、なぜ聞く」

「確認です。私は三年分でしたから。レイルのことです。知らずに何枚もやっている可能性があります」


 また同じ比較を口にし、セレネは少しだけ俯いた。


 整えた淡い金髪が頬へ落ち、眼鏡の奥の青紫色の瞳を隠す。


 理屈で勝ち負けを決められない話になると、普段の堂々とした美しさが、同年代の少女らしい不安へ変わる。


(セレネでも、研究以外で比べずにはいられないことがあるんだな)


 それを嬉しいと思った自分へ気づき、レイルは少しだけ困った。


「私らしくありませんね」

「……嬉しかった」

「何が?」

「さっき、やっぱり俺はレイルだと言ったこと。余白魔導士と呼ばれて、ここへ来る前の自分まで見つけてもらった気がした」


 セレネは目を上げた。


「そうですか」


 それだけ答えたが、頬は僅かに赤かった。


「では、七年前の一枚に嫉妬したことは、計算誤差として処理します」

「嫉妬していたのか」

「今、言葉にする必要はありませんでしたが、事実です」


 セレネの髪の周囲に、小さな光球が二つ浮かんだ。


 本人は見えていないふりをしているが、ミュラは面白そうに目で追っている。


 レイルは、ここで笑えば怒られると分かっていた。


 それでも、胸の奥へ温かなものが広がるのを止められなかった。


『セレネ様、素直イベント発生!』


 ニアが机の下から顔を出す。


「聞いていたの?」

『偶然です。たまたま音声記録範囲にいまして』

「それを盗み聞きと言います」

『反省しまーす。記録は保護設定で非公開にしときます!』


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 仮継路札を受け取ってからの二日間、一行は灰橋宿の仕事を返しながら、周辺の捜索範囲を少しずつ広げた。


 転移から二十八日目。


 レイルは修理工房で【灰環仮導杖】の冷却周期を測り、セレネは地図塔に保管されている街道記録と、学院製記録札に使われる繊維の特徴を照合した。


 ノアは杖の魔力経路を再点検し、アルドは荷車の護衛を引き受けた。


 ただし、行き先を決める役目だけは任されなかった。


「北東門までの道くらい、俺一人でも分かる」

「昨日、西門へ向かいました」

「朝日で方角を確認していた」

「夕方でしたよ」

「雲が出ていたからだ」

『言い訳の方向まで迷子ですねー』


 転移から二十九日目。


 ミュラは地図塔で古い道札を調べ、リィナとフィアが残しそうな印をレイルたちへ教えた。


「リィナ、剣。石、深く切る。フィア、紙、木の高いところ。雨で流れない」

「二人で動いているなら、剣痕と記録札が近い場所へ残っているはずですね」


 セレネが捜索地図へ印を付ける。


 ニアは朝から犬型となり、北東門から続く三本の谷道を順番に探った。


 一度目は荷車の轍。


 二度目は小角族の子供が残した靴跡。


 三度目は、古い隊商の布切れだった。


 日が傾き始めても、探している二人の痕跡は見つからない。


(もう少し先か。それとも、違う道へ進んだのか)


 レイルは焦りを押し込み、地図へ印を増やした。

 同じ場所を何度も探せば、見つけたつもりになる。


 急いで範囲を広げれば、今度は小さな痕跡を見落とす。

 セレネが決めた区画を、ミュラの順番で一つずつ調べるしかなかった。


 そして、二十九日目の夕方。

 犬型ニアが、灰橋宿の北東門で突然足を止めた。

 黒銀色の耳がぴんと立ち、鼻先を乾いた地面へ近づける。


『剣靴痕、二名。学院製記録札の繊維あり。痕跡鮮度、半日から一日前。灰橋宿方向へ近づいていますワン』


 レイルの胸が強く鳴った。


「リィナとフィアか」

『断定はできません。でも、かなりそうっぽいですワン!』


 セレネが地面へ膝をつき、細い繊維を採取する。


「学院の記録札で間違いありません。切断面も、自然に裂けたものではない。道標として意図的に残されています」

「フィアのやり方だ」


 レイルが答えると、ミュラが剣靴の痕を指した。


「こっち、強く踏む。右足、痛い」

「リィナは負傷しているのか」

「歩ける。でも、速くない」


 今すぐ痕跡を追いたかった。

 けれど、日が落ちれば谷道の地脈が動く。焦って痕跡を踏み荒らせば、明日の捜索まで失う。


 レイルは拳を握り、ゆっくり開いた。


「仮継路札へ、明日の外出予定を書き足そう。夜明けと同時に、全員で出る」

『了解ですワン。勝手な先行、ナシでお願いします』

「分かってる」

「その返事は、記録しておきます」


 セレネが僅かに微笑んだ。


 仮継路札へ、翌朝の外出予定が書き足された。


 転移から二十九日目。


 七日間の滞在札を得たその日ではなく、灰橋宿で二日間働き、探し、待った末に――ようやく、帰ってくるかもしれない二人の痕跡を見つけた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 危険申告を三項目へまとめられ、セレネの嫉妬を聞き逃さず言葉で受け取った少年。


・セレネ・グランツ

 長すぎる登録文を整理し、七年前の一枚へ自分でも意外な嫉妬を覚えた余白筆談の相手。


・ニア

 所有物欄を拒否し、分類継続の同行者として登録された明るい少女型疑似精霊。


・ノア・エルグラム

 血液摂取を本人同意と拒否権のある契約へ書き直し、良い否定を喜んだ九十九魔導士。


・アルド・クロイツ

 救助実績と方向感覚を別項目へ分けられ、単独道案内禁止を正式に記載された完遂者。


・ミュラ・ノクテ

 感謝より先に拒否と退出を教え、仲間らしい二人分の痕跡を一行へ示した案内人見習い。


【今回の能力・設定メモ】


・【仮継路札】は七日間有効で、本人が切片を返せば期限前でも登録を解除できます。

・少女型ニアは【同行者/媒体依存型疑似精霊/分類継続】として記録されました。


【次回】


 二人分の足跡を追う一行。人間圏ではSランク探索隊が針穴ほどの観測窓を開き、二つの世界が同じ星空を一呼吸だけ共有します。


 嫌だと言える言葉と出口を残すように、レビュー、ブックマーク、フォローが物語を閉じ込めず先へ送り出してくれます。

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