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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第7章「地図の外の子どもたち」

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第101話「九十九%の再修理」

 不器用な修理が、美しい修理に劣るとは限りません。

 それで誰かが今日まで歩けたなら、ほどく前に残すべき意味があります。

 転移して二十六日目。

 白環警報の原因は、回収獣ではなく、谷道へ残された追跡糸だった。


 灰橋宿の見張りが糸を焼き切ろうとした時、外から荷車が一台滑り込んできた。御者台には灰環隊商の男。その荷台から、長身の少年が真っ先に飛び降りる。


「アルド!」


 レイルが名を呼ぶ。


 アルド・クロイツは額に包帯を巻き、学院外套を泥で汚していた。頬にも浅い切り傷があり、長い旅で服装は乱れている。それでも背筋は真っすぐで、立ち姿だけは学院の訓練場と変わらない。道には迷っても、守るべき相手を見つけた後の姿勢だけは一度もぶれなかったのだろう。


「合流を確認した」

「お前、どこへ行っていた!」

「最短経路を選んだ結果、旧観測塔へ到達した」

「最短でどうして観測塔へ行くんだ!?」

「途中で保護対象を発見したため、目的を変更した」


 荷台の奥から、淡い金髪の美しい女性が、細い赤縁眼鏡を押し上げながら降りてきた。


 肩甲骨まで届く柔らかな髪には焦げた粉が絡み、上質な生地で仕立てられた魔導衣も、薬品染みと補修跡だらけになっている。


 背は高いが、肩や腰は細く、一見すると華奢で非力そうに見えた。しかし、身体の線を拾わないよう仕立てられた厚手の魔導衣の下には、細身の印象とは不釣り合いなほど豊かな胸元が隠れていた。


 本人にそれを目立たせる意図はまるでないらしい。胸元まできっちり留めた襟と、何本もの道具帯、術式紙や薬瓶を詰め込んだ外套が、女性らしい曲線よりも研究者としての実用性を前面へ押し出していた。


 整った顔立ちだけを見れば、学院を出たばかりの若い研究者にも見える。赤紫色の瞳には年齢不相応な落ち着きがあり、美しい容姿と、爆発後の研究室をそのまま着込んできたような姿が、ひどくちぐはぐだった。


 首元には、銀製の小さな術式筒が下がっている。


「保護対象という呼び方は訂正してください。私はノア・エルグラム。百三十歳です。彼が迷い込んだ塔で、共同脱出した研究者でもあります」

「ひゃ、百三十歳だって?!」


 レイルは思わず聞き返した。


 どう見ても、目の前の女性は二十歳前後にしか見えない。


「正確には、百三十歳と数か月です。端数まで必要ですか?」

「いや、必要ない。でも、その見た目で……」

「私は半吸血種(ダンピール)。外見年齢は、人間と同じ速度では進みません。今後、子供扱いする前に確認してくださいね、少年」

「俺は子供扱いしていないぞ」

「貴方ではありません。そこの方向感覚に重大な問題を抱えた少年へ言っています」

「迷い込んでいない」

「地図上の目的地と反対側へ進んでいましたよ貴方」

「結果としてお前を見つけただろう?」

「その一件だけは評価しています。だからといって方向感覚が正常になったわけではありません」


 百二十歳だと聞いてから改めて見ると、赤紫色の瞳に宿る静けさにも納得がいった。


 若々しく美しい容姿の奥にあるのは、単なる落ち着きではない。完成しない術式と百年以上向き合い、失敗の数まで研究成果として積み上げてきた者の目だった。


 少し離れた場所で二人を観察していたラガンが、ようやく長刀の柄から手を離した。


「ふぅ。追手かと思ったが、仲間だったか。……俺の早合点だな」

「最初からそう言っている」

 アルドが答える。


 ラガンはアルドの傷と、荷台から降りたノアの汚れた魔導衣を見比べた。


「顔を見るまでは決めつけられん。だが、その様子なら、同じ白環から逃げてきた者で間違いなさそうだ」


「しかし、仲間を見つけるために目的地と反対へ進む人間は初めて見たな」

「俺も意図して反対へ進んだわけではない」とアルドが答えた。


「「そこは胸を張るところではないだろう?」でしょう」

 ラガンとノアの声が重なった。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 セレネが小さく息を吐く。


「学院と同じような会話が聞こえることに、少し安心しました」


 全員の負傷確認を終えた後、ノアはレイルの杖へ目を止めた。

 銀糸、包帯、外套の切れ端、灰色の石。二度の応急処置で、見た目はさらに複雑になっている。


 ノアは一歩近づき、数秒観察した。


「……こりゃひどいわね」


 あまりに素直な一言だった。


 セレネの目が細くなる。


「何か?」

「失礼。疲労で語彙選択が崩れました。正確には、これは修理ではなく、破損箇所へ善意と根性を巻きつけた危険な延命処置です」

「先ほどより悪くなっていますが?」

「ですが、風圧経路を一度だけ外へ逃がし、使用者を逆流から守った判断は正しい。これがなければ、彼はここへ杖を持って来られなかったでしょう」


 セレネの怒りが、少しだけ行き場を失った。


「……では、直せますか」

「九十九%までなら」

「十分ですね」


 二人の返答が同時だった。


 ノアは杖を受け取り、工房へ向かう。途中でレイルの顔を見て、何かに気づいたように止まった。


「もしかして、貴方が、レイル・アルヴァート?」

「そうだ。どこかで会ったか」

「会ってはいません。ですが、七年前、私の大判術式図へ勝手な仮説を書いたでしょう?」


 ノアは革鞄から、焦げ跡と補修紙だらけの術式図を取り出した。


【完成率:九十九%】


 その端には、幼い文字が残っている。


【最後の一工程だけを、術式の外側へ管理できないか】


「……これ、俺が書いたやつだな」

「ええ。私は【子どもの落書きです】と返しました」

「あれはあなただったのか!」

「続けて【媒体が理論へ追いついていません】とも書きました。前半だけを記憶するのは不正確です」


 レイルが反論する横で、セレネは術式図と幼い筆跡を見つめていた。


 やがて、嬉しそうに微笑む。


「やっぱり、あなたはレイルですね。余白魔導士――」

「どういう意味だ」

「知らない相手の術式図でも、最後の一工程が閉じていなければ放っておけない。三年前の練習帳だけではなかったのですね」


 声は柔らかい。


 けれど、術式図の端を押さえる指には、ほんの少し力が入っていた。淡い金髪の周囲には、感情の乱れを示す小さな光球が一つだけ浮かび、すぐに消える。


 レイルには、セレネが笑っているのに機嫌がよくないという、難しい状態だけが分かった。


 (これを指摘したら、たぶん余計に悪化するぞ)


「ただ、余白を通じて議論した相手が私だけではなかった点は、少し計算外です」

「議論と言っても、一度書いただけだ」

「私は三年分ですものね」


 セレネは自信ありげに即座に答えた後、自分が何を競っているのか気づいて視線を逸らした。


 ノアは興味深そうに眼鏡を押し上げる。


「なるほど。継続期間では貴方が上ですね。理論の規模では私ですが」

「比較を始めないでくれ」

『うわ、知性派ヒロイン同士の静かな火花! ニアちゃん、ちょいワクワク――』

「ニア」


 レイルとセレネの声が重なる。


『はーい。空気読んで黙りまーす』


 工房では、ノアがセレネの銀糸を一本ずつ外した。


「この結び目は残します」

「外さないのですか」

「経路としては不格好ですが、逆流時に最初に切れる安全破断点になっている。偶然ですか?」

「半分は。途中で材料が足りなくなり、細い糸へ変えました」

「偶然を記録し、再現可能にすれば、それはもはや設計です」


 セレネは少しだけ胸を張った。


 ノアは旧観測塔から回収した白環部品、ミュラの灰環石、七環導杖の芯材を並べた。閉じた白環の部品を完全にはつながず、一箇所だけ開けたまま、灰色の結晶を排圧口へ置く。


「完全修理ではありません。風圧か光のどちらか一系統だけ。切り替えには一刻の冷却が必要です」

「それでいい。使えない機能を戻したふりはできないだろうしな」

「良い回答です。子どもの落書きを、仮説へ昇格させましょう」

「まだ落書き扱いしてたのかよ!」


 杖頭に、閉じ切らない灰色の環が灯る。


灰環仮導杖グレイ・サークル・ロッド】。


 ニアの少女姿も、これまでよりはっきりと実体を持った。


『うわ、手あります! 指もネイルばり盛れてる! ニアちゃん、完全に映え――』


 足元が一瞬透ける。


『……映え切る前に魔力足りないです。レイル、二%だけ、吸ってよき?』

「用途、上限、停止条件」

『少女型安定、上限二%、三十秒後に自動停止。無断吸引ナシ。これでどう?』

「許可する」


 ニアはレイルの手を握った。


 今度は、指先がすり抜けなかった。人間より少し冷たい、小さな手だった。黒銀色の髪が魔力風に揺れ、猫耳は驚いたように真っすぐ立っている。

『やった。接触成功、マジでアゲです』


 軽い言葉なのに、声は少し震えていた。少女型の笑顔も、いつものお調子者らしい大きなものではなく、初めて触れられたことを壊さないようにする小さな笑みだった。


 (機能が増えたんじゃない。ニア自身に、やりたいことが増えている)


 レイルも手を握り返した。


「次は、リィナとフィアを探す」

「当然です」


 セレネが答え、アルドが頷く。


「開始条件は揃った」

「食料、言語、宿の許可も必要です」


 ノアが加える。


『メンバー増えてテンションは上がりました。でも欠員二名。捜索は継続です』


 ニアは最後だけ、ふざけずに言った。

【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 七年前にノアの九十九%術式へ書いた本人と再会し、完全修理ではなく開いた仮導杖を選んだ少年。


・セレネ・グランツ

 自分の応急修理を酷評されながら、偶然作った安全破断点を正式な設計へ残した術式設計役。


・ノア・エルグラム

 レイルの幼い仮説の相手であり、セレネの不器用な修理をほどきながら意味だけを残した九十九魔導士。


・アルド・クロイツ

 最短経路の末にノアを発見し、方向感覚の問題と救助実績を同時に持ち帰った完遂者。


・ニア

 少女型の接触に成功し、明るい口調の奥で欠員二名の捜索を忘れなかった同行者。


【今回の能力・設定メモ】


・【灰環仮導杖】は風圧か光の一系統だけを通せる応急杖です。完全修理はまだ先です。

・セレネの赤字筆談は長期の練習帳交流、ノアとの接点は一枚の九十九%術式図です。二つの過去は別件です。


【次回】


 灰橋宿で七日間の仮登録。ニアを所有物欄へ書こうとした瞬間、少女型本人が「それ、ナシ寄りのナシです」と訂正を求めます。


 ほどいた銀糸から安全な一箇所を残したように、レビュー、ブックマーク、フォローが過去の一行を未来へつないでくれます。

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