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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第7章「地図の外の子どもたち」

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第98話「再会、そして三本の帰路」

 再会は、名前を呼べば終わるものではありません。

 触れて、確かめて、怒って、ようやく「無事だった」と信じられることがあります。


 岩山の向こうから現れた少女は、初めは歩いていた。


 片手で実験用の細い眼鏡(めがね)を押さえ、もう片方の手には熱を失いかけた演算石(えんざんせき)を抱えている。肩甲骨まで届く淡い金髪は、砂と風に乱されても月光のような色を失っていなかった。規則どおりに着ていたはずの学院外套は左袖が裂け、細身の身体には半月を超える単独行の疲労がはっきり残っている。


 それでも、眼鏡の奥の青紫色の瞳だけは強かった。普段の整った美しさより、今は必死に誰かを捜し続けた顔の方が、レイルにはずっとセレネらしく見えた。


 セレネ・グランツは、レイルの姿を認めた瞬間に駆け出した。


「レイル!!」


 数十歩の距離が、一息で消える。


「セレネ!!」


 レイルも駆け出した。足裏へ風を集めかけ、膝を壊す止まり方になると気づいて出力を落とす。その一瞬の遅れを、セレネの方が埋めた。


 正面まで来た彼女は、抱きつく寸前で両腕を伸ばし、レイルの肩をつかんだ。


「動かないでください」

「え?」

「頭部、出血なし。瞳孔、左右差なし。右肩は?」

「打撲だけだと思う」

「思う、では分かりません。腕を上げて」


 再会の第一声としては、あまりにもセレネらしかった。


 それでも、肩を確かめる指は小さく震えていた。袖口から覗く手首には擦り傷があり、眼鏡の奥の青紫色の瞳は、眠れていない人間の色をしている。


「セレネも怪我してるじゃないか」

「私の確認など後です。腹部は? 足は? 白環の拘束痕は残っていますか?」

「腹は空いてる。左足は少し痛む。拘束痕は――」

「腹部の異常に空腹を含めないでください!」


 叱る声が途中で掠れた。

 セレネは唇を結び、レイルの外套をつかんだまま俯いた。


「……生きていたんですね」

「ああ」

「本当に?」

「本当に。セレネも無事でよかった」


 レイルがそう答えると、彼女の指からようやく力が抜けた。


 胸の奥に溜まっていた安堵(あんど)が、一度に身体へ戻ってきたようだった。セレネは一歩だけ近づき、額をレイルの肩へ預ける。


「半月以上もです」

「何が?」

「半月以上も――、貴方が死んだ可能性を計算から消せませんでした」

「……ごめん」

「謝るなら、次からは転移されないでください」

「それは努力で防げるものじゃないだろ?」

「防げないから腹が立っているんです」


 涙は見せなかった。

 だが、レイルの肩へ当たった眼鏡の縁が、僅かに震えている。


(セレネは、ずっと一人だったんだよな)


 何か言わなければと思った。励ます言葉も、気の利いた言葉も浮かばない。結局、レイルは彼女の背へそっと手を置いた。


「見つけてくれて、ありがとう」

「……当然です。私は座標を合わせる側ですから」


 いつもの返答だった。

 けれど、セレネはすぐには離れなかった。


 その背後で、小さな咳払いが聞こえる。


「レイルー」


 ミュラが数歩離れた場所に立ち、二人を見ていた。黒紫色の短髪から、小さな二本角が覗いている。緑灰色の瞳は年齢より落ち着いて見えるが、何度も縫い直された旅装と、細い腰へ下げた地図札は、彼女もまた帰る場所を探している途中なのだと語っていた。


 右脚を庇いながらも、置いていかれないよう走ってきたらしい。小柄な肩が上下し、レイルの外套をつかむ指には、遅れてきた者の遠慮より、今度こそ離れまいとする力があった。


「ミュラ、脚は――」


 レイルが振り返った途端、セレネも同じ方向を向いた。


 青紫色の瞳が、ミュラの小さな角、包帯を巻いた右脚、そしてレイルの外套を握った指へ順番に落ちる。


「……レイル」

「何だ?」

「で、その子は誰なんですか??」


 声は穏やかだった。

 穏やかすぎて、レイルは一歩だけ姿勢を正した。


「彼女はミュラ・ノクテ。転移先で倒れていた俺を助けてくれた。怪我をしていたから、今は一緒に仲間を探してる」

「倒れていた貴方を、その子が?」

「最初に水場へ連れていってくれたのはミュラだ。俺も傷の手当てはしたけど、助けたというより助け合った方が近いな」

「そうですか」


 セレネは頷いた。

 納得したように見えたのは、一呼吸だけだった。


「それで、また女の子の心をもてあそんでいるんですか、余白魔導士?」

「再会してから二分も経ってないのに、どうしてその結論になるんだ!」

「学院を離れて半月あまりで、見知らぬ少女と食事を分け、外套をつかまれる関係になっています。状況証拠としては十分です!」

「どういう罪の証拠だよ!」


 ミュラがセレネを見上げた。


「レイル、もてあそぶ?」

「違う! 変な言葉を覚えるな!」

「女の人、泣かす?」

「泣かせてない!」


 セレネが眼鏡の位置を直す。


「リィナは何度か泣いています」

「それを今ここで証言に加えるな!」

「泣かせた」

「ミュラまで納得するな!」


 張り詰めていたものが、少しだけ解けた。


 セレネの口元にも、ごく小さな笑みが浮かぶ。嫉妬を完全に隠せているとは言い難かったが、本気でミュラを責めているわけではない。


 彼女はミュラの前へしゃがみ、包帯の状態を確かめた。


「セレネ・グランツです。レイルの学院の友人で、術式の欠陥を見つける役です」

「レイルの、家族?」

「……友人です」


 答えるまでに、ほんの少し間があった。


「リィナも、家族?」

「幼なじみです」

「セレネ、二番?」

「順番の問題ではありません!」


 セレネの声が岩場へ響いた。


 胸元の【万式魔導環(オムニア)】から光が零れ、猫耳と環状の尾を持つ幼い少女が投影される。黒銀色の髪は肩のあたりで軽く跳ね、透き通った肌の輪郭には青白い魔力線が走っていた。服装は学院制服を曖昧に真似ているが、袖も裾も少しだけ短く、本人なりに人間の少女へ寄せようとして失敗したようにも見える。


 少女は腰へ両手を当て、まだ地面へ完全には触れない足を得意そうに揺らした。

『おっ、再会直後から恋バナ判定? ニアちゃん、空気読んで黙ってたのに、もう限界なんですけど!』

「なんだ、そのしゃべり方??」


 レイルは思わず聞き返した。


『少女型だし、ちょい人間っぽい方が親しみ度アゲかなーって。どうです? 盛れてますかね?』

「――なんだか、まるで俺の元いた――」


 言葉が喉で止まった。


 セレネが顔を上げる。


「元いた?」

「……いや、何でもない」

『使用者の表層言語から、言い回しが混ざった可能性アリです。でも記憶本体は読めないので、そこはマジ安心案件ってことでシクヨロー!』

「その説明が一番安心できない」

『えー、ナシ寄りのナシでした?』

「その言葉もどこで覚えたんだ一体」


 ニアは胸を張った。


『たぶんレイルのどこかですね!』

「俺のどこにも、そんな話し方をした記憶は――」


 前世の教室、駅前、映像の中で笑っていた少女たちの声が、一瞬だけ脳裏を掠めた。

 レイルは続きを飲み込んだ。


(ニアが拾ったのは、今の俺が覚えていないふりをしている言葉なのか?)


「レイル?」

「何でもない。ニア、その話し方は禁止しない。ただし、危険報告ではふざけるなよ」

『りょーかい! 危機では解析優先、平時は場をアゲる。ニアちゃん、切り替えできる女です!』

「女という分類でいいのか?」

『少女型なので、今はそれでお願いしまーす』


 セレネはニアを観察した後、レイルへ視線を戻した。


「たった半月で、同行者が一人増え、ニアの人格まで妙な方向へ成長しています」

「俺のせいではない」

「半分以上、貴方の影響でしょう?」

「否定しきれないのが悔しい……」


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 その日の夕方、三人とニアは風除岩(かざよけいわ)の下へ野営場所を作った。


 ミュラが捕らえた石鱗魚(ストーン・スケイル)を捌き、灰麦の薄焼きを火で温める。セレネは魚を三等分しようとして、レイルの分だけ僅かに小さいことへ気づいた。


「また自分の分を減らしましたね」

「ミュラは怪我を治す必要がある。セレネも数日まともに食べてないように見えるぞ」

「だからといって、貴方が倒れれば意味がありません」

「ニアにも同じことを言われた」

『ニアちゃん、健康管理もできる優良相棒なんで!』

「では、二対一ですね」


 セレネは魚を切り直し、三つを同じ大きさにそろえた。


 ミュラが一番端の欠片をニアの前へ置く。


『食べられませんけど?』

「みんな、一緒」


 ニアは少し黙り、魚から立つ湯気へ手をかざした。


『香りと温度、記録します。こういうの、普通にエモいですね』

「その語彙は理解できないが、たぶん悪い意味ではないな」

『めっちゃ良い意味です』


 食後、セレネは破損した【七環導杖(セプテム・ロッド)】を膝へ置いた。


 環の一部は割れ、内部の導魔路(どうまろ)は二箇所で焼き切れている。本来なら学院工房で分解し、部品を交換しなければならない損傷だった。


「直せるのか?」

「直せません」


 即答だった。


「ですが、次の一回だけなら、風圧を外へ逃がす道を作れます」


 セレネは細い銀糸、包帯、ミュラから借りた灰色の石片を並べた。


「見た目は悪くなります」

「動けば十分だ」

「そう言うと思いました」


 作業は、想像以上に不器用だった。


 セレネは術式の設計図なら一目で十本の線を並べられる。だが、細い銀糸を指で結ぶ作業では二度絡ませ、包帯の端を自分の袖へ巻き込み、灰石を固定した瞬間に全体を崩した。


 レイルが笑いを堪えると、彼女の眉が上がる。


「笑いましたね」

「笑ってない。手伝う場所を探してる」

「では、ここを押さえてください。術式経路には触れないで」


 二人の指が杖の上で近づく。


 火明かりが、セレネの淡い金髪の内側を蜂蜜色に透かしていた。眼鏡を外した横顔は、学院で見るより幼く、それでいて集中した時の端正さは変わらない。細い指が不器用に銀糸を追うたび、額へ落ちた髪が揺れる。


 (術式を組む時は、あんなに迷わないのにな)


 可笑しさと同時に、その手が自分のために震えながら動いていることが胸へ残った。レイルは笑わず、灰石を支える指へ力を込める。


 セレネが銀糸を引き、レイルが灰石を固定する。ミュラは火を見ながら、時々二人を見ていた。


「近い」

「作業だからだ」

「レイル、顔、赤い」

「火の近くだからだ!」


 セレネの耳も赤くなったが、指は止めなかった。


「右へ半指。そこで固定」

「ここか?」

「もう少し……はい。動かさないでください」


 結び目がようやく締まる。

 レイルは導魔路を確認し、欠けている部分へさらに補助線を足そうとした。


 セレネが、その指を叩く。


「こら! 増やさないでください」

「安全弁をもう一本――」

「今ある材料では、増やす方が危険です」

「でも、逆流した場合に――」


 セレネは、困ったように、それでも嬉しそうに笑った。


「やっぱり、あなたはレイルですね。余白魔導士――」

「何だよ、急に」

「再会してから、ずっと確認していたんです。姿が同じでも、白環に何か変えられていないか」


 セレネは杖の余白へ線を足しかけたレイルの指を見る。


「必要以上に安全策を増やして、最後に自分の分だけ残さない。間違いありません」

「褒めてないだろ、それ」

「半分は褒めています」

「残り半分は?」

「今後、指導の必要がある部分ですね」


 セレネの声音は柔らかかった。

 レイルは、それ以上補助線を増やさず手を離した。


 夜が深くなると、風は急に冷たくなった。使える敷布は一枚、外套を重ねても三人分には足りない。


「ミュラを中央へ」


 セレネが即座に決めた。


「セレネは壁側でいいのか?」

「風上は貴方です。私が中央でも構いませんが、ミュラの脚を蹴る可能性があります」

「セレネ、寝相悪い?」

「悪くありません」

『演算中に机で寝た時、三回くらい書類を蹴ってましたよね?』

「ニア。なぜ知っているんですか」

『オムニア記録です。個人情報なので、これ以上は伏せまーす』


 結局、ミュラを中央にして横になった。


 だが夜半、冷え込みが強くなると、ミュラがレイルの外套を引き、セレネの毛布も同時につかんだ。三人の肩が触れ、互いの体温を逃がさない距離まで近づく。


 薄い毛布越しに、セレネの細い肩から確かな温かさが伝わってきた。学院では机や演算石を挟んで向き合うことが多く、こんな距離で眠ることなど一度もなかった。


 (意識する方が失礼だ。今は凍えないことが先だ)


 そう整理して目を閉じても、すぐ隣の呼吸だけは妙に鮮明だった。セレネも眠ったふりをしているのか、毛布を直す指が一度だけ落ち着かなく動いた。


 少女型を保てなくなったニアは黒銀の猫型へ縮み、レイルの胸元へ丸まった。


『これはもう、遭難じゃなくて密着イベントでは?』

「黙って省魔力モードへ入れ」

『はーい。ニアちゃん、空気読んで寝まーす』


 セレネが暗闇の中で、小さく息を吐いた。


「レイル」

「何だ?」

「明日の朝も、そこにいてください」

「見張りで少し離れるかもしれない」

「そういう意味ではありません」


 レイルは返事に迷った。


 ミュラが眠ったまま、二人の袖を強く握る。


「……いるよ」


「約束です」

「ああ」


 しばらくして、セレネの呼吸が静かになった。


 レイルは暗い岩天井を見上げる。

 人間圏へ帰る道は、まだ一本も完成していない。


 それでも、自分で歩く道、誰かが迎えに来る道、知らない誰かが教えてくれる道――帰路は一つでなくていいのかもしれない。


 それから四日間、レイル、セレネ、ミュラは三人で北西の谷道を進んだ。

 朝はミュラが地面へ耳を当て、水脈と空洞を探した。昼はレイルが食べられる魔物を狩り、セレネが毒性と保存時間を計算した。夜は三人で単語帳を広げ、一日に十語だけ覚えた。


 セレネの応急修理は毎晩少しずつ形を変えた。レイルが補助線を増やそうとするたび、彼女は「今日は一本だけです」と手を叩いた。


 寝床は一日目より広くなった。それでも冷え込む夜には、ミュラが二人の毛布を勝手につなぎ、翌朝になるとセレネだけが理由を説明しようとした。


 四日目には、レイルがミュラの言葉を十七語ほど聞き取れるようになり、セレネは二十三語を記録していた。発音の正確さでは、二人ともミュラから不合格を受けた。


 ――そして再会から五日目の朝、遠い谷道から荷車の軋む音が聞こえた。


♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 同じ頃、人間圏西端の旧勇者転送塔きゅうゆうしゃてんそうとうでは、ユノとカインが再び封鎖具を開いていた。


 学院地下から運ばれた転移残響が、前回は眠っていた第二記録層を起動する。


【移送先候補――王核大陸ゼルハーン】

【単独回収――残余対象を再分離】

【群体帰還――現地受諾、または外部座標を要求】


「一人ずつなら助けられる、じゃない。ひとり戻したら、残りをまたバラバラにするんだ」


 カインは携帯石板へ白墨を走らせた。


【五人で帰す】


 ユノは、自分の帰還記録へ伸ばしかけた手を止めた。


「うん。今度は、それが先だね」


 遠い二つの大陸で、まだ完成していない三本の帰路が、同じ方向へ伸び始めていた。


【今回の登場人物】


・レイル・アルヴァート

 セレネとの再会を喜び、ミュラとの関係を疑われながらも、七環導杖へ余計な安全線を増やす寸前で止められた少年。


・セレネ・グランツ

 レイルの無事を身体へ触れて確かめ、ミュラへ静かな嫉妬の圧を向けつつ、不器用な手作業で杖へ一度分の退路を作った少女。


・ミュラ・ノクテ

 レイルとセレネの間へ遠慮なく疑問を投げ、食事と寝床を三人で分けた小角族の地図師見習い。


・ニア

 レイルの前世由来らしい現代語を混ぜた明るい少女口調へ成長し、危機では解析役へ戻る未成熟な相棒。


・ユノ・アステル/カイン・ヴェルド

 旧勇者塔の第二記録層から、単独救助が残る仲間を再分離すると突き止めた捜索者たち。


【今回の能力・設定メモ】


・セレネの応急処置は、風圧魔法を一度だけ外へ逃がすためのものです。杖の正式修理ではなく一時しのぎです。


・少女型ニアの現代語は、レイルの表層的な言語連想が破損した調整機能へ混入したものです。前世の記憶そのものを読んでいるわけではありません。


【次回】


 ミュラを捜して現れる虎獣人ラガン。レイルの説明より先に、彼はミュラ本人へ「今、どうしたい」と問いかけます。


 三人で分けた魚と、一枚の毛布へ残った体温のように、レビュー、ブックマーク、フォローが次の道を温めてくれます。

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