表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

第3稿:あの空の向こうへ S

 風が強かった。

 切るのを面倒臭がって伸ばしたままの黒髪も、裾が擦り切れた外套も、風に遊ばれるように流される。

 顔にかからぬように髪は背に払い、外套は体に巻き付けるようにして手で押さえつけた。


 遠い山の背に太陽がゆっくりと沈んでいく。

 山の背は赤く燃え、反対側の空は青々と、そしてその境目は紺碧に染まっていて。

「…………」

 足元に投げ出した荷物袋を無言で背負いあげると、少年は紺碧の空のその向こうを目指し歩きはじめた。


 ※ 


 世界には『人』とひとまとめにして呼ばれる四種族がいる。

 その種族は、寿命によって更に二分された。


 その多くが百に満たず天寿を全うする、短命種。

 その中で神々に一番近い姿をし、人口がもっとも多いのがヒューネイアだ。

 そのヒューネイアよりやや小柄で、鳥類のような羽毛の翼を背に持ったフェザルツ。


 短命種の十倍以上の時を刻むのが長命種だ。

 古い言葉で『神に愛された』と呼ばれる美しい容姿のエルフューネ。

 そして彼らよりも更に長く生きる、『神に嫌われた』アーレストル。


 それらは遠い遠い昔、世界を創造した神々が産み出した命だった。

 時に手を取り、時に小さな争いを起こしながらも、神々に望まれ生まれた命は確かに祝福されこの世界に生きていた。

 数を増やした彼らは、やがて高度な文明を築き上げ、生を謳歌した。

 今では想像もつかぬような技術は、人々から病や怪我への恐怖を忘れさせ、いつしか神々へ畏れをも忘れ去った。

 名誉を求め富を求め、世界を滅ぼしかねない争いを起こし――嘆き怒った神々により下された裁きにより。


 たったひとつの大陸を残し滅び去った。

 それまで築き上げた文明の知識もろとも。


 ※


 エストが育ったのは、山の奥深くだった。

 険しい山々に囲まれたそこは訪れる人がいないような場所で、彼は里の人間以外を知らずに過ごした。

 彼の両親は十数年前、神々の裁きにより滅んだ大地で育った。

 生き延びたのは幸運で、たまたまこの地を訪れていたため逃れることが出来たのだという。

 寄る辺のない者たちが集まりできたのがこの里で、その大半が滅びた地の人だった。

 里人は世界を創造し、守護する神々を崇め、教えに沿ってひっそりと暮らす。

 その中で半数程が火の神を崇めていた。

 火神の教えは簡単だ。


『祈るがいい。

 平穏を、無事を、幸いを祈れ。

 欲無き純粋な祈りを捧げよ。

 尊き祈りはやがて光となり、地上を明るく照らす。

 明るき光はまた、汝らに降り注ぎ、その命を守護しよう。

 故に、祈りなさい。

 その幸せを守るために。

 その祈りは、また世界をも守護するだろう』


 その教えに従い、厚き信仰心を持つ持つ里人たちは、朝昼夜と祈りを欠かさない。

 今日が良い日でありますように。

 良き実りがありますように。

 明日も、良い日でありますように……。


 小さくささやかな祈りは、途切れることはなかった。


 偉大なる火の神は、燃えるような真っ赤な髪と瞳を持った、褐色の肌の青年の姿をとるのだという。

 里で赤毛や赤目の子が生まれれば、皆して祝う程に喜ばしいことだった。

 火の神とは別の神を崇める者も、裁き以降姿を消した神々の再臨だと、そのことを祝う程に。


 エストは漆黒の髪と瞳を持って生まれた。

 敬虔な火神の信仰者の父親は、『赤』を継がなかったことを残念に思っていたようだった。

 長命を誇るアーレストルであるエストの両親は、戦争が始まる前に、唯一赦された『ストラル』と呼ばれるこの大地へ渡った。

 そして世界を巻き込んだ戦争がはじまり、交易路がなくなり戻る道が途絶えた。

 なんとか戻ろうとあちこちを駆け回る最中、ある日大地が激しく揺れた。

 何日も何日も、雨と風が吹き雷が轟き、ようやく晴れ間がのぞけば、

 海の彼方、空と水が交わるはずの地点に、灰色の壁が存在していたという。


 何十人もの若者がその先を目指したが、無事に生還できたものはそのうちの数名。

 生還したものは言った。


 その中は地獄のようだったと。


 荒れ狂う海に轟く雷、風は波を操り船を飲み込もうとし、 磁石は嘲笑うかのように狂って踊り、魔法も使うことができなかった、と。

 半月もせぬうちに、霧の壁の向こうにあるはずの他の地は滅んだのだと噂された。

 そうするうちに、いくつかの神殿は神々の声を耳にした。


 曰く、醜き争いに裁きを、と。


 曰く、この地にもう用は無い、と。


 以降、誰も神々の声を聞くことはなくなった。


 神々は世界を見捨てたのだと、里の大人たちはエストや子供に繰り返し繰り返しそう語った。

 エストの父は幼い彼を度々里の外へ連れ出した。

 山が望める場所まで連れてくると、繰り返し語る。

「あの空の向こうには、父さんと母さんの故郷があったんだよ」

「そこは神の祝福が色濃く残った、まるで楽園のような場所なんだ」

「今はもう滅んでしまったけれど、そこは父さんと母さんの生まれ育った大切な場所なんだ」

 夕焼け空の下で、繰り返し繰り返し、父は語った。

 その指し示す場所は、険しい山に阻まれ望むことができない。

 『レクナー』という名のその大地はまるで、楽園のようだったのだ。


 いつもその言葉で締めくくられるのを、憧れをもってエストは聞いていた。


 見知らぬ世界の話。

 知らない技術の話。

 人が空を駆け、天候をも操った過去の文明の話。


 耳にするたびに、エストの心は震え踊った。


 朝起きて祈りを捧ぐ。

 畑を耕し実りを願い、ささやかな夕餉を終え祈り床に就く。

 同じことを繰り返し変わらぬ日常を過ごす。

 夕焼け空を見る度に思い出す心の震えに、変わらぬ日常は酷く退屈で、これでいいのだろうかとエストは疑問を抱いていた。

 それでもその疑問を口にする事はなかった。


 転機は、思ったよりも早くやってきた。

 その頃は世界が滅んでおおよそ百年近くが経っていた、そんな時だ。

 獣が運んだのか、村に風邪が流行り里人が倒れた。

 その中にエストの母も混じっており、 程無くして神の元へ還っていった。

 父親は最愛の伴侶を喪ったことを酷く悲しみ、祈ることも忘れた父は、エストが無理矢理口にさせた食事の時間以外、起きている間はただただ何もない空を睨むように見上げていた。

 半月ほどそうした後、

「エスト」

 そう名前を呼ばれ、エストは肩を震わせた。

 掠れた声で名前を呼んだ男は、虚ろな瞳にエストを映し、外へ行かないかと持ちかけた。

 エストではない、遠くを見るその目を見て、彼は

「わかった」

 と短く返した。


 母を埋葬した墓に、素朴な花束と祈りを捧げ、エストは里を後にした。

 里の人とは簡単な挨拶をして、 森を駆けまわる時に使っていた短剣と衣服と当面の路銀を持って。


 険しい山を抜け足を踏み入れた町。

 初めて踏み込んだ外の世界は様々なものに溢れ心が踊った。

 聞きなれぬ言葉、見たことのない服装や食べ物、綺麗な作りの建物に、なによりも喧騒が珍しかった。

 里で使われたのは滅んだ世界の言葉だったけれど、不自由がないようにと教えられた残された世界の言葉のおかげで、生活には不自由しなかった。


 同色の髪と瞳は不吉だと疎まれたものの、実力が重視される冒険者になった後は、何ら問題はなかった。

 短剣と身軽な体、器用な手先。アーレストルが持つ高い身体能力を武器に、適当な仲間を見つけては依頼をこなし、遺跡に潜り報酬を得た。


 小さな世界に閉じこもり規則正しい生活を送っていた身には、その日々が何よりも刺激的で楽しかったのだ。


 里の老人は語っていた。

 裁きの前は高度な文明を誇っていた世界。

 裁きの日、多くの書物と知識が失われ、文明は終わったのだ。


 それでもほんの僅か、残った遺産が各地に眠っていた。

 地に埋もれた過去の遺跡がそれだった。


 少しでも過去に近づけたらと、何処かで思いながらエストは好んで遺跡を探し歩いていた。

 収穫など殆ど無かったけれど、充実した毎日だった。



 里に戻ろうと思ったのは気まぐれだった。

 たまたま一人で受けた依頼が、里の近くだった。それだけだ。

 埋もれてしまった山道を歩き十年ぶり戻った里は変わらず、里の人たちは少し驚いたようにエストを見て、それから悲しそうに笑って出迎えてくれた。


 生まれ育った家はそのままだったけれど、誰も住んでいないようで朽ちかけていた。


 貴重品だけは近隣の住人が預かっていて、形見として、エストはいくつかを懐に収めると、残りは処分してくれるように丁寧に頼んだ。

 夕暮れの中訪れた母の墓の隣には、小ぶりの石が置かれていた。

 刻まれたのはエストの父の名前だった。

 エストが旅立ったその日、父は自ら命を絶ったのだという。

 暗い暗い瞳にそのことは半ば予想していて、エストは特に驚きもしなかった。


 短く残された手紙には、母のいない世界に価値はないと故郷の文字で書かれていた。


 倒れていたのは母の眠る墓のその隣で、世話をしに来てくれた人が見つけたのだという。

 母の墓の隣に父が眠ることになった。


 アーレストルという種族は、他の種族よりも遥かに身体能力に優れる代わりに、子孫を残しにくい。

 やっと授かったその子ですら幼少期は弱く、ちょっとした病や怪我ですぐに死に至る。

 そして、その寿命は絶望的に長く、幾千年にも渡る。

 父親はその命の残りを、独りで過ごすことに耐えられなかったようだった。


 その日の夕方、幼い頃父と歩んだ道を辿った。

 開けた崖の向こうに険しい山々が壁のように立ちはだかる。

 遠い山の背に太陽がゆっくりと沈んでいき、山の背は赤く燃え、反対側の空は青々と、そしてその境目は紺碧に染まっていく。

 いつかのように強い風に、眉をしかめた。

 相変わらず無精で伸ばした髪は風に流れ、擦り切れた外套は翻る。


「……どうしろってんだよ」


 父は、母のいない世界で生きることを拒絶した。

 こうなるであろうことは予想できていたし、覚悟もできていたはずだった。


「どうしろってんだよ」


 もう一度呟いて、嗚咽を噛み殺す。


「残されたぼくはどうしたらいいんだよ」


 父も母も、もはやこの世にいないのだ。

 神の審判を受け、神の腕の中、次代に向けて微睡んでいる頃だろう。


 いざ直面するとどうしようもなかった。

 つきつけられた孤独に、父が覚えた絶望を理解した気がした。

 ひとしきりその場で涙を流し、世話になった人に挨拶をして今度こそ里を後にした。


 それから海を目指し、短い旅がはじまった。


 ――よく晴れた日には、隣の大陸まで見渡すことができたんだ。


 いつか語られた、異大陸の話。

 それだけを頼りに、海辺の村を目指す。

 その村にたどり着いたのはよく晴れた日で、大陸がみえるはずの場所には、灰色がかった霧がうっすらと見える。

 空と海が交わる地点なんてどこにもなかったのだ。

 まるで檻の中に閉じ込められた鳥の姿をエストは思い描き、

「くだらない」

 短く吐き捨てると灰色の壁を睨みつけ、その場を後にした。


 いつかあの向こうへ行ってやると、その心に決意して。


――――

 ストラルにて



初出:2011/10/31

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ